日光の「オリーブの里」で教職セミナーが行われました。お祈りをありがとうございました。教職セミナーには、北は北海道から南は沖縄まで、50数名の教職が集まって素晴らしい時を過ごしました。 今回は、講師を呼ばずに、二泊三日、8つの分団に分かれて、「きよめと宣教」について、ゆっくり語り合う機会が与えられて感謝でした。私のグループは6つの教会の先生方がおられましたが、どの教会も小さな教会で、半分近くの教会の先生が働きながら伝道をしておられます。 そのような中大変な中でも、熱心にキリストの十字架と復活の福音を伝え、愛を持って神様と人とに仕えておられる先生方の姿に励ましを受けて帰ってきました。
今日の中心の御言葉は、57節です。
「夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。」 ここには、十字架で死なれたイエス様に、命がけで仕えた、アリマタヤのヨセフの姿が書かれています。
聖い神の子であるイエス・キリストは全人類のために十字架にかかられ、6時間苦しまれて、3時についに息を引き取られました。このイエス・キリストの十字架の死によって救いの業が完成したのです。
この時、律法によると、その日の夜が来る前に、その死体を埋めなければなりませんでした。
申命記21:22~23には、「死体を木にかけたまま夜を過ごすことなく、必ずその日のうちに埋めねばならない。木にかけられた死体は、神に呪われたものだからである。あなたは、あなたの神、主が嗣業として与えられる土地を汚してはならない。」 と書かれています。
そして、ローマの法律によると、死刑囚の親族が死体を引き取って埋めることになっていましたが、引き取り人のいない場合は、そのまま放置され、野犬の餌になっていました。イエス様の親族はガリラヤ人でしたから、エルサレムに墓を持っていませんでしたから、イエス様の死体を引き取ることが出来ませんでした。
この十字架にかかられた主イエス様を前にした3種類の人々を通して、主の御声を聞かせていただきたいと思います。
(1)主を葬ったアリマタヤのヨセフ
そこで、現れたのがアリマタヤのヨセフという金持ちでした。
ルカ23:50~51には、アリマタヤのヨセフのことがこのように紹介されています。「さて、ヨセフという議員がいたが、善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意しなかった。ユダヤ人の町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいたのである。」 ヨセフは、最後に驚くべき勇気を発揮しました。アリマタヤのヨセフは、自分の身の危険を顧みることをしないで、十字架にかけられたイエス・キリストの側に立ったのです。そんなことをしてしまったら、ポンテオ・ピラトの怒りを買うことになってしまいます。また、ユダヤ人たちに憎まれ、迫害を受けるに違いありませんでした。しかし、アリマタヤのヨセフは、自分に出来る最善をしたのです。 彼は、ポンテオ・ピラトの所に行って、イエス様の死体を引き取りたい申し出ました。そして、死体を引き取ると、きれいな亜麻布に包みまだ、誰も使ったことのない岩の墓に納めたのです。このようにして、アリマタヤのヨセフは、イエス様を葬った者として、永久に名をとどめることになったのです。
このようにして、イザヤ53:9の御言葉が成就したのです。「彼は不法を働かず/その口に偽りもなかったのに/その墓は神に逆らう者と共にされ/富める者と共に葬られた。」 イエス・キリストは一人の人間として、私たちと全く同じように、最後まで死を味わわれたのです。
このアリマタヤのヨセフのことが、ヨハネ19:38にはこう書かれています。「その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。」
ここを読むと解りますが、彼は最初はユダヤ人を恐れて、イエスの弟子であることを隠していました。ところが、ここでは何も恐れずに、ポンテオ・ピラトの所に行っているのです。なぜ、彼はこのように変えられたのでしょうか。それは、彼が十字架の愛を知ったからです。主イエスこそが、全人類の罪のために十字架にかかられた救い主であると信じたからです。イエス・キリストの愛に満たされる時、私たちも、どんな犠牲を払ってもイエス・キリストを愛さずにはいられなくなるのです。
アメリカの南北戦争の話です。 北軍の将軍が前線の視察のために訪れました。 その時に、激しい戦闘のために傷ついた兵士たちは、十分な医療施設のないテントに寝かせられていました。 将軍は、一つのベットを見つめました。そこには若い兵士が寝かせられていましたが、足の傷が膿んでしまい、それが大変痛んでうめいていました。軍医や看護兵たちは、重病の兵士たちの治療のために走り回って彼の治療まで手が回らなかったのです。 その時です。将軍は、その若い兵士の包帯を取ると、ナイフで傷を開き、口をつけて汚い膿を吸い出したのです。若い兵士はそのお陰で、すっかり痛みが取れ、楽になりました。「偉い将軍が、こんな下っ端の兵士の傷を心配してくれただけではなく、汚い膿まで吸い出して下さった。」感激したその兵士は、すぐに故郷の母親に手紙を書きました。 母親は、その手紙を読むと涙を流しました。それは、将軍の行為に感激したからではありませんでした。そして、「ああ、もうすぐ息子は戦死するだろう。」と母親は言いました。 実は、その母親の夫も、同じように戦争で足が傷つき膿んだ時に、将軍に膿を吸い出してもらったのです。父親は感激して、この将軍のためだったら命も惜しくないと思い、命がけで闘いついに戦死したのです。
人は、愛されると、その人のために命さえ惜しくないと思います。 イエス・キリストは十字架で命を投げ出して下さるほどに、私たち一人一人のことを愛しておられます。そのイエス様に対して、あのアリマタヤのヨセフが、自分の命の危険も顧みずに、十字架にかけられたイエス様の死体を引き取ったように、私たちも神様を愛し、人を愛する者でありたいと思います。
(2)マグダラのマリアともう一人のマリア
61節「 マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた。」
婦人たちは、最後まで事の成り行きを見届けました。中でもマグダラのマリアともう一人のマリアは、イエス様を葬った墓までついていって、その前に座って祈ったのです。 12弟子の一人は銀貨30枚で主を売り、他の弟子たちは、ひきょうにも逃げ隠れしていました。ところが、婦人たちは最後までイエス様従って行ったのです。この婦人たちの信仰と愛に私たちは大切なことを教えられます。「世に敬虔な婦人ほど、尊い者はない。」とルターは言っています。
今年、田内千鶴子さん生誕100年の記念会が韓国のモッポで行われました。先日記念の式典が行われ、日本からも500人近い方々が参加し、ウェスレアン・ホーリネス教団からも10名くらいの方々が参加しました。 教職セミナーでその報告がされ、田内千鶴子さんの生涯を映画化した「愛の黙示録」のDVDを観ました。
田内千鶴子さんは、1911年に高知県高知市若松で生まれました。1938年、日本統治時代の朝鮮の木浦市で結婚し、夫と共に、孤児救済のために共生園で働きます。4人の子どもが与えられましたが、孤児を心から愛するために、自分の子どもたちも同じ場所で同じように育てました。それは、子どもにとっても、母親である田内千鶴子さんにとっても本当につらい事でしたが、孤児を愛するが故に犠牲を払ったのです。 夫は、食べ物のない時代に共生園の子どもたちのために、支援を求めて東奔西走しました。その最中、夫は朝鮮戦争が起こり、戦争に巻き込まれて行方不明になってしまいました。田内千鶴子さんは、夫亡き後も孤児救済のために尽くし3000人の孤児を守り育てました。 そして、1965年韓国文化勲章国民賞を受賞し、1968年に木浦市で天に召されたのです。その日は、「モッポが泣いた。」と言われるほどで、木浦市では市民葬が行われ、3万人が出席したと言われています。そして、現在共生園は長男の田内基が園長をしています。
「愛の黙示録」を観て、なぜ、田内千鶴子さんは、夫が亡くなった後も、自分の生涯を献げ、自分の子どもたちも犠牲にして、3000人の孤児たちを養うことが出来たのだろうかと考えました。それは、ただイエス・キリストの十字架の愛によるものでした。田内千鶴子さんは、イエス・キリストの愛に満たされていたからこそ、その愛によってどんな大きな犠牲を払っても、孤児たちを愛し抜くことが出来たのです。
イエス様が十字架にかかられた時、最後まで従ったマグダラのマリヤやもう一人のマリヤのように、そして、田内千鶴子さんのように、イエス・キリストの十字架の愛に満たされて人を愛する者とさせていただきましょう。
(3)封印された石と番兵
62~66節には、イエス様が葬られた墓の見張りのことが書かれています。 イエス様が、墓に葬られた明くる朝のことです。祭司長たちとファリサイ派の人々がピラトのもとに集まりました。彼らの一人がこう言い始めたのです。
64節「こう言った。「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました。ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません。そうなると、人々は前よりもひどく惑わされることになります。」
実際には、弟子たちは、イエス様の遺体を盗むような勇気はみじんもありませんでした。それどころか、イエス様が十字架にかけられた後、今度は自分たちが迫害され、殺されるかも知れないと心配して、カギをしっかり閉めて、息を潜めて隠れていたのです。 けれども、それを聞いたピラトは、そんなことがあっては大変だと、万全の体制を取ります。65~66節「ピラトは言った。「あなたたちには、番兵がいるはずだ。行って、しっかりと見張らせるがよい。」そこで、彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた。」 岩を掘って出来た墓の入り口には、溝が掘ってあり、そこに丸い大きな石が転がしていました。それは、永遠にそこから出てこれないようにするかのような大きな石でしたが、それだけにとどまらず、その墓に封印をし、特別な番人を置いたのです。 ピラトは、湯治できる限りの万全の体制で、イエス様の死体が盗まれないように整えたのです。
しかし、彼らには考えられない一つのことがありました。それは、復活のキリストを閉じ込めておく墓はないということです。人間のどのような力も計画も、復活の主を閉じ込めておくことは出来ません。 エルサレムの、イエスの墓と伝えられている所には、立派な教会が建てられています。この教会は、英語ではホーリー・セパルカー、つまり「聖なる墓」と呼ばれています。このため、日本語では「聖墳墓教会」と呼んでいます。 ところが、ギリシャ正教会では、この教会を「アナスタシア」つまりギリシャ語では、「復活」と呼んでいるのです。同じ教会を、一方では墓と呼び、もう一方では復活と呼んでいるのは、とても興味深いと思います。 これは、イエス・キリストの十字架と復活は切り離すことが出来ないことを表していると言っていいと思います。イエス・キリストの生涯は、決して死で終わりませんでした。イエス様の墓は死の場所であるのと同時に、復活の場所でもありました。そして、キリスト教会では、イエス・キリストがよみがえられた日を聖日と呼んで礼拝を献げていますが、今日も、全世界の教会が、よみがえられたイエス・キリストに礼拝を献げているとは何と素晴らしい事でしようか。
今回、峯野先生が遅れて、教職セミナーに参加されました。それは、峯野先生の義理の弟(美沙子先生の弟)の告別式が行われたからです。 2年前の事ですが、その義理の弟さんが、定年退職をされた後、石の採集をされていて、特にひすいに興味を持たれ、日本中旅をされていたそうです。その日は、日本海にひすいで有名な場所があるというので、日本海の海岸で石を集めていました。ところが、急に大きな波が襲ってきて、その波の飲まれて行方不明になってしまったのです。それから、2年が経って、告別式が行われることになりました。 峯野先生が50年前に洗礼を、清水が丘教会で受けらましたが、その時に一人の高校生が一緒に洗礼を受けました。その青年というのが、今回亡くなった美沙子先生の弟だったのです。その時は、峯野先生と美沙子先生が結婚するなんて考えてもみない時でしたから、本当に神様のなさることは本当に素晴らしいと思わされました。 その義理の弟さんは、峯野先生よりもひとあし早く天国に行かれたのですが、ヨハネの黙示録21:19,20には、天国には12の石が飾られていることが書かれています。「都の城壁の土台石は、あらゆる宝石で飾られていた。第一の土台石は碧玉、第二はサファイア、第三はめのう、第四はエメラルド、第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七はかんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉、第十はひすい、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。」
ここに「第十はひすい」と書かれています 峯野先生は、義理の弟は、ひすいに魅せられて、とうとう天国の天国のひすいを見に行ってしまいましたと語っておられましたが、私たちにとって、死が終わりではなく、神様が共におられる天国があるということは何にも勝る喜びです。
65~66節には、「ピラトは言った。「あなたたちには、番兵がいるはずだ。行って、しっかりと見張らせるがよい。」そこで、彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた。」と書かれていますが、どんな大きな石も、どんな番兵も、イエス・キリストの復活を妨げることは出来ません。 そして、イエス・キリストは罪を打ち破り、死を打ち破ってよみがえられたのです。ですから、十字架で死なれ、よみがえられたイエス様だけが、私たちの罪を赦し、永遠の命を与えて下さるお方なのです。
最後にⅡコリント15:54~58を開きましょう。「この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」死のとげは罪であり、罪の力は律法です。わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」
イエス・キリストの十字架の愛に触れた時に、アリマタヤのヨセフもマグダラのマリアともう一人のマリアも、迫害も殉教の死をも恐れずに、主に従いました。 私たちも、私たちの罪のために十字架にかかられたイエス様を見上げ、墓を打ち破ってよみがえられた主と共に、心から主の業に励ませていただきましょう。
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