今日の説教題は「エリヤからエリシャへ」です。エリヤが天へ引き上げられ、その信仰をエリシャが引き継いでいくところです。
みなさんは、運動会でリレーの選手になったことがありますか、リレーの選手は、バトンを渡されて走り始めると、次の人にバトンを渡します。
そのように、キリスト教の信仰も、何千年も、多くの人によって信仰というバトンが渡されて、今、私たちもイエス様を信じているのです。そして、今度は私たちが、イエス様のことを伝える番です。
エリヤは、神様の仕事をたくさんした後で、山に登りました。山の中の洞穴でお祈りをしていると、「あなた後継ぎに、エリシャを選びなさい。」と神様がおっしゃいました。神様のお声を聞いたエリヤは、山を降りて、エリシャを探しました。
①
エリシャは、たくさんの牛を引いて、畑の土を軟らかくする仕事をしていました。エリヤは、畑で働いているエリシャを見つけました。
②
そして、近くに行って、自分のマントをエリシャの肩にかけました。後継ぎになる印です。するとエリシャは、エリヤの後を追いかけて言いました。
「両親のところに行って、お別れの挨拶をしてきます。」
「行っておいで、でも、わたしの後継ぎだと言うことを忘れないでおくれ。」
エリシャは、ごちそうを作って、家族の人達と、お別れの食事をしました。そして、畑に仕事を止めて、喜んでエリヤの後をついて行ったのです。
ある日のことです。エリヤが言いました。
「エリシャ、あなたはここで待っていなさい。私は一人で旅に出ます。」
ところが、エリシャは「わたしは決して先生から離れません。」と言いました。もし、ここで離れてしまったら、もう二度と会えないかもしないかも知れないと思ったからです。
エリシャはエリヤの後をついて行きました。
ずいぶん歩いたところで、また、エリヤが言いました。
「エリシャ、あなたはここで待っていなさい。わたしは一人で行きますから。」
エリシャはどうしたと思いますか。それでも、エリシャはエリヤを離れませんでした。最後までエリヤと一緒にいたかったのです。
③
やがて、二人はヨルダン川のほとりにやってきました。
川には橋がありません。舟もありません。「先生、どうしましょう。」とエリシャが言おうとしたときです。
エリヤが自分の着物をくるくると丸めて、それでパシッと川の水を打ちました。すると、水がわかれて道ができたのです。エリシャは、エリヤに神様が与えてくださった力にびっくりしてしまいました。
川を渡ると、エリヤが言いました。「エリシャ、あなたのために何かしてあげたいのだが、願い事がありますか。」
エリシャは、何と答えたでしょう。①舟 ②マント ③聖霊の力
9節を読んでみましょう。今日の中心の御言葉です。
「渡り終わると、エリヤはエリシャに言った。「わたしがあなたのもとから取り去られる前に、あなたのために何をしようか。何なりと願いなさい。」エリシャは、「あなたの霊の二つの分をわたしに受け継がせてください」と言った。
エリシャは、何と言いましたか。「あなたの霊の二つ分をわたしに受け継がせてください。」と言いました。
でも、それは、エリシャが欲張りだったからではありません。エリシャは、自分の力の弱さをよく知っていました。神様から、エリヤの二倍の霊をいただかなければ、エリヤの後継者にはなれないと思ったのです。
④
二人が話しをしながら歩いていると、突然目の前に赤々と燃える馬車が現れました。
火の馬車が二人の間に入ると、エリヤを乗せて竜巻と一緒に天に昇っていきました。「先生。エリヤ先生。」とエリシャは天に向かって大声で叫びましたが、あっという間に、火の馬車は、エリヤを乗せていなくなってしまいました。
エリシャはたった一人残されてしまいました。いろいろなことを教えてくれたエリヤ先生はもういないのです。これからは、一人で神様の言葉を伝えなければなりません。エリヤのような立派な預言者になれるでしょうか。
がっかりして、道を歩いていると、そばにエリヤが着ていた外套(マント)が落ちてきました。エリシャはそれを拾って歩き始めました。
⑤
しばらく歩くと、あのヨルダン川のところに着きました。川は、ゴーゴーと流れて渡れそうにありません。エリシャは「エリヤの神は、どこにおられるのですか。」と言って、上着を丸めて、川の水を打ちました。もう一度打つと、エリヤの時と同じように水が真っ二つにわかれて、乾いた道ができたのです。エリシャにも神様の力が与えられたのです。
遠くから、見ていた仲間達が「エリヤの力がエリシャにも与えられた。」と言って喜びました。
もう一度、9節を読んでみましょう。
「渡り終わると、エリヤはエリシャに言った。「わたしがあなたのもとから取り去られる前に、あなたのために何をしようか。何なりと願いなさい。」エリシャは、「あなたの霊の二つの分をわたしに受け継がせてください」と言った。
この御言葉を中心に二つのことをお話ししたいと思います。
(1)霊を求めること
エリシャは、エリヤに「あなたのために何をしようか。何なりと求めなさい。」と言われたとき、何を求めましたか。
「あなたの霊の二つ分をわたしに受け継がせてください。」と言いました。
エリシャは、自分にはエリヤのような力が無いということをよく知っていました。ですから、自分の力では、預言者としての働きができないので、エリヤの二つ分の霊をくださいと言ったのです。
神様は、その祈りを喜んでくださいました。そして、その通り、エリシャにも神様の霊を与えてくださったのです。
ルカ11:9~13
「そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」
9節に、「求めなさい。そうすれば、与えられる。」と書かれています。この御言葉は、誰もが知っている有名な御言葉です。でも、このことをどれだけの人が、心から信じて真剣に求めているでしょうか。「求めなさい。そうすれば、与えられる。」これが、神様の約束です。
それでは、神様が与えてくださるものの中で何が一番良いものでしょうか。そのことが、13節に書かれています。
「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」
神様が与えてくださるものの中で一番素晴らしいものは、聖霊です。聖霊というのは、三位一体の神様です。私たちの心の中に聖霊がおられるということは、父なる神様、そして、イエス様がわたしたちの心の中におられるということです。それに、まさる祝福はありません。
どうでしょう。私たちは、エリシャのように、ひとりぼっちで心細いなと思ったり、エリヤのように力が無いなと、自分の弱さを歎くことがないでしょうか。そのようなときにこそ、私たちは、エリシャのように、「あなたの霊の二つの分をわたしに受け継がせてください」と祈り求めましょう。神様は、その祈りに答えてくださり、聖霊によって、素晴らしい御業を成して下さるのです。
エリシャは、何でも欲しいものをあげようと言われたとき、一番大切な、エリヤに注がれた霊を二つ分くださいとお願いしました。
私たちも、それくらい真剣な気持ちで、私に聖霊をください。二つ分の霊をくださいと祈り求めて、聖霊に満たされて歩ませていただきましょう。
(2)エリヤの霊とエリシャの霊
エリヤは、素晴らしい奇跡を行いましたね。
どんな奇跡でしたか。エリヤが自分の服を丸めて、ヨルダン川の水を打つと、水が真っ二つに割れて、乾いた道ができました。
そして、火の馬車がやって来て、エリヤは天に昇ることができました。どうして、そのようなことができたのでしょうか。それは、エリヤが神様の霊に満たされていたからです。
そして、エリシャは、エリヤが天に昇っていったとき、ひとりぼっちで心細い思いをしましたが、エリシャにも、神様の霊が受け継がれたのです。
エリシャには、エリヤのマントが与えられました。それは、エリシャがエリヤの後継者であるという証拠です。ちょうど、運動会の時に、リレーでバトンを渡すように、エリヤからエリシャにマントが与えられたのです。そして、そのバトンは、何千年も経って私たちにまで、渡されてきたのです。
今、キリスト教会では、信仰の継承ということが、大きな問題になっているそうです。今のクリスチャンの平均年齢は何歳だと思いますか。60歳以上だそうです。このままでは、平均年齢がどんどん高くなって、やがて、日本にもキリスト教という宗教があったねと言われるような、過去の遺産になってしまうかもしれないとある先生が危機感を語っておられました。
ですから、今こそ私たちは、一番大切なものを、子供や子孫に伝えていかなければなりません。こうして、教会に集まっておられる私たちは、数千年も前の信仰を受け継いできたのです。そして、この何よりも大切な信仰の遺産を一人でも多くの人達に伝えていかなければなりません。
澤 正彦先生は、戦争が終わってから、初めて隣の国韓国に遣わされた宣教師でした。
日本の国は、戦争をしている時、韓国にたくさんの悪いことをしました。持ち物を奪い、奴隷のように使い、数え切れないほど人を殺しました。
澤先生は、そのことを忘れないで、心から日本の罪を悔いて、韓国の人達を愛して生きられました。
ところが、澤先生はまだ50歳という若さで、ガンで天に召されたのです。
葬儀には700人近い人達が集まりましたが、神様の感動に溢れ、一人一人が、先生が残してくれたバトンを受けて、今度は自分たちが走るように語りかけられたのです。
その時、高校生だった、次女の正恵さんが、天国に行ったお父さんを思って、このように書いています。
「信じられないよぉ。明日病院に行ったら、また、正恵ちゃんて話しかけてくれそうだよ。父ちゃんごめんね。父ちゃんにとって良い娘でありたかったんだけど、最後までわがままだったよねぇ。ごめんね。父ちゃんは、正直に、必ず神様の道を歩めって言ってたよね。そうするね。父ちゃんが立派だったのは、神様がいたからだもんね。」
信仰のバトンは、このようにして渡されたのです。
私たちの信仰の先輩は、一生懸命に走って、私たちに信仰のバトンを渡してくれたのです。私たちも、この信仰のバトンを受け取って走りましょう。そして、エリヤがエリシャにバトンを渡したように、次の人々に、信仰という大切なバトンを渡しましょう。