一昨日、日本観測史上最大の東日本大地震が起きました。
私は、用事で仙台に向かっていましたが、高速道路がじゅうたんのように揺れて、閉鎖になり、一般道を走りましたが、一般道も陥没したところがあって、迂回をして仙台に行きました。帰りも、普通1時間で帰るところを4時間もかかって帰ってきました。
今回の地震で死者が1000人を超えると聞いていますが、しばらく被災者のことを覚えて黙祷をしましょう。
「とおきくにや」という賛美を献げましょう。
この曲は、JVマーティンが作詞作曲した曲です。
1923年9月1日、関東大震災で多くの被災者が、明治学院の運動場で夜を迎えました。九死に一生を得た人々に、カヤとろうそくが渡されました。
その運動場に、マーティン先生がお見舞いに行かれたのです。
すると、真っ暗な夜でしたが、でカヤの中で照らされているろうそくの光が、十字架のように輝いていたのです。
マーティン先生は、その光に感動して、早速、ペンを取って、この詩を書いたのです。
そして、この詩は中田羽後先生によって、訳され、多くの人達が慰めと力が与えられました。1995,1,17に起きた阪神大震災の時にも、弟さんを亡くされた森 裕理さんをはじめ、多くの人達によってこの歌が歌われ、多くの励ましと生きる力を与えたのです。
この曲を、みなさんで一緒に賛美しましょう。
「とおきくにや」 (聖歌 397)
1、とおきくにや海の果て
いずこに住む民も見よ
慰めもて変わらざる
主の十字架は輝けり
(おりかえし)
慰めもてながために
慰めもて我がために
揺れ動く地に立ちて
なお十字架は輝けり
2、水は溢れ火は燃えて
死は手を広げ待つ間にも
慰めもて変わらざる
主の十字架は輝けり
(おりかえし)
3、仰ぎ見ればなど恐れん
憂いあらず罪も消ゆ
慰めもて変わらざる
主の十字架は輝けり
(おりかえし)
このような地震を経験すると、世の終わりが近いことを感じます。そして、世の終わりには、再臨の主が来られるというのが、聖書の約束です。
今日、読んでいただいた聖書の箇所には、イエス様が弟子達に教えられた再臨のことが書かれています。
33節の御言葉が中心の御言葉です。
「気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。」
この御言葉を中心に3つのことをお話ししたいと思います。
(1)再臨の主が来られる日が近い
28~29
「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。」
ここに「いちじくの木」の譬えが書かれています。
「いちじく」の木はイスラエルにたくさんあります。そして、いちじくの木が成長して、やわらかくなって成長するのを見ると、そんなが夏がやって来たことを感じたのです。
日本人が、桜の花を見ると、春を感じるのと似ているのでしょうか。
そのように、イエス様が、お話になったことが起きるのを見たら、人の子が戸口に立っていること、つまり、イエス様が再び来られる日が近づいていることを悟りなさいというのです。
29節に、「これらのことが起こるのを見たら、」 と書かれていますが、これらのこととは何でしょうか。
どのようなことがおこったら、世の終わりが近いということが分かるのでしょうか。
そのことが、5~8節に書かれています。どうぞ開いてみて下さい。
ここに世の終わりのしるしが4つ書かれています。
そして、この御言葉を読むと、今の世界が世の終わりが近いことがよく分かります。
①にせ預言者が現れる
6節
「わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。」
今、この世には「わたしがキリストだ」と名乗る人達がたくさんいます。
あの統一教会の文鮮明がその一人です。「わたしこそがよみがえりのキリストだ」と言っています。また、多くの新興宗教の教祖が「わたしがキリストだ」と言って多くの人達を惑わしています。
そして、人を生かすべき宗教が、逆に人を苦しめる恐ろしいものになってしまっています。
②戦争の騒ぎや戦争のうわさ
7節
「戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。」
現在のように、文明の進んだ社会でも、戦争の騒ぎや、戦争のうわさが絶えません。
先日も北朝鮮から、韓国に爆弾が打ち込まれ、緊張が走りました。
また、日本でも、沖縄の問題を考えると、今も太平洋戦争が終わっていないような気がします。
③国家の対立
8節
「民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、」
今、中東では、大変なデモが行われています。チュニジアに始まった民主化運動が、エジプトのカイロに広がり、そして、今では、リビアで行われ、リビアでは軍隊が徹底抗戦をして、大変な情況です。
そして、それは、中東だけではなく、中国にまで広がろうとしています。
④地震や飢饉
8節後半
「方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。」
まさかこんな事が起こるなんて、と思っていましたが、「東日本大地震」が起きて、死者が1000名を超える大惨事になってしまいました。昨日も、テレビを観ていましたら、津波で一瞬にして、ひとつの村が流されていく様子が報道されていました。そして、今も愛する人達を失って悲しんでいる人達や、避難所で暗い夜を過ごしておられる方々が大勢いらっしゃいます。
それは、日本だけではなく、ついこないだ、ニュージーランドでも起きたことでした。
29節
「それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。」
今は、世の終わりの近い時です。そして、イエス様が戸口に近づいておられるのです。そのことを覚えて、いつ世の終わりが来てもいいように、またいつイエス様が来られても良いように、心の準備をさせていただきましょう。
(2)世の終わりにも「決して滅びないものがある
31節
「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」
戦争や地震が起こると地上のものは滅んでしまいます。また、太陽や月や星も滅んでしまう時がやってきます。しかし、決して滅びないものがあるのです。
それは、神の言葉です。
神の言葉は、昔も今も、そして永遠に変わらないのです。
地中海にシシリー島という島があります。昔、そこに一人の聖書販売人が聖書を持って、一軒一軒「聖書はいりませんか」と売って回ったそうです。
けれども聖書は思うようには売れませんでした。
そんなある日、この聖書販売人が、強盗に襲われたのです。「金を出せ」と言われましたが、お金はありません。そこで、強盗は、「そのリュックに入っている者を出せ!」と言いました。聖書販売人は、
「これは、わたしにとっていた番大切な者です。これだけはかんべんして下さい。」とお願いしましたが、どうしても出せと言って言うことを聞きません。仕方なく聖書を出すと、「何だこんなもの、燃やしてしまえ」と起こってしまいました。
そこで、聖書販売人は、「わかりました。でも最後に何カ所かだけ、聖書を読ませてください」とお願いをしました。
「いいだろう」と言うことになって、何カ所か聖書を読んでいる内に、強盗はその聖書の御言葉に聞き入って、「ちょっと、これをおれにくれ」と言って、闇の中に消えていったのです。
それから、何年かのことです。聖書販売人が再び、シシリー島に行きました。すると、向こうから聖書をもった紳士が近づいて来ます。どこかで、見たことがあるひとだなぁと思っていると、何とそれが、あの時の強盗だったのです。聖書を読んでいるうちに、自分の罪が示され、悔い改めて、クリスチャンになったのです。そして、この喜びを一人でも多くの人達に伝えたいと、伝道者として働いているというのです。
聖書の御言葉は昔も今も、そして永遠に変わることはないのです。そして、この御言葉に従う者は、滅びることなく、永遠の命を得ることが出るのです。
26~27節に世の終わりにイエス様が、栄光を帯びて、雲に乗って来られることが書かれています。
「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
そしてこの時、私たちの罪ために十字架にかかってくださったイエス様は、天の使いを遣わして、地の果てから天の果てまで一人残らず、すべてのクリスチャンを呼び集めてくださるのです。そして、その時には全世界の罪はさばかれ、クリスチャンの救いはこの時に、完成するのです。
神の言葉と、神の言葉を信じる者は決して滅びることはないのです。この決して滅びることのない神の言葉を信じて、従って参りましょう。
(3)再臨の主をお迎えする備え
イエス様は、再び来られます。その時の心構えが、32~37節に書かれています。
イエス様をお迎えする心構えとして、イエス様は大切な二つのことを語られました。
一つは「その日、その時は、だれも知らない。」 ということです。
32節をご覧下さい。
「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。」
イエス様は、イエス様がいつ来られるのか、世の終わりはいつなのか、それは、誰も知らないとおっしゃったのです。そして、それは、「天使たちも、子も知らない。」ただ、父なる神様だけが知っておられると言われました。
良く偽預言者が、世の終わりは何年の何月何日だと言います。けれども、それらはみんな間違いです。なぜなら、聖書に「その日、その時は、だれも知らない。」 とはっきり書かれているからです。
かつて、エホバの証人は、主の再臨が何年何月何日にやってくると預言をして、多くの信者を獲得しました。ところが、その日には、主の再臨はなく、一度に信者が減ってしまったのです。また、韓国では、1995年11月に主の再臨がやってくると言って大騒ぎになったことがありました。ところが、その日にも主の再臨はありませんでした。世の終わり、その日、その時は誰も知ることは出来ないのです。
それは、ちょうど家の主人が、僕たちに仕事を任せて旅に出るのによく似ています。その主人が夕方に帰ってくるのか、夜中に帰ってくるのか、明け方に帰ってくるのか分からないのです。
そのように、イエス様はいつ私たちのところに帰ってくるのかわかりません。
ですから、いつ、イエス様が、私たちの所に来てもいいように、主の僕として、忠実な歩みをさせていただきましょう。
そして、もう一つのことは「目をさましていなさい」ということです。
32~37節の間に「目を覚ましていなさい」という言葉が何回書かれていると思いますか。この短い文章の中に4回も「目を覚ましていなさい」と書かれているのです。
イエス様の来られる日は近いのです。そして、その日は、誰にも分からないのです。だから、イエス様は、「目を覚ましていなさい」「目を覚ましていなさい」「目を覚ましていなさい」「目を覚ましていなさい」と4回もおっしゃったのです。
私たちの信仰は、私たちの命よりも大切なものです。なぜなら、命を失っても、私たちは永遠の命の中に生かされています。けれども、もし信仰を失ってしまったら、永遠の滅びが私たちを待っているのです。
だから、イエス様は私たちに「目を覚ましていなさい」と4回のおっしゃったのです。
そして、これは、イエス様が弟子達だけに言われた言葉ではありません。すべての時代の、すべての人に言われている言葉です。
37節
「あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」
ここに、「あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。」と書かれています。
ですから、今日イエス様は、わたしたち一人一人に、すべての人に向かって「目を覚ましていなさい」と言われているのです。
イエス様が、いつ来られても良いように、「目をさまして」イエス様をお迎えする準備をさせていただきしょう。