今日は前日積んだ荷物を石巻へと運ぶために9時頃に塩竈を出ました。天気は快晴で、物資を広げて配布するのには恵まれた天候でした。
1時間半ほど高速道路に乗って石巻港で降りると、近くのコンビニは営業しており、ニュースで伝えられているような凄惨さは感じられませんでした。けれども、そこから少し移動すると、信号機が点いておらず、警察官が誘導する姿が見えました。そこから先は、津波の被害がわかるような光景が続きました。道が一部崩落していたり、ガードレールが曲がっていたりと川沿いでは津波の強さが目で見てわかるような状態でした。そのまま道を進め、始めの目的地である中学校に着きました。この辺りは一面泥で覆われていたようで、人の通らない場所にはまだ水を含んだ泥が残っており、学生の子達が花壇の清掃を行っていました。また、グラウンドでは、自衛隊の方々が運ばれていた車を退けつつ、グラウンドを覆っている泥を重機を使い運んでいました。校舎の二階に100名程の方々が避難をしているようでしたが、ここには物資があったため、灯油をわけるだけでした。
積んである物資を自宅に戻っている人達に配るため、避難所の近くにあるアパートの駐車場を借りて、物資を広げて配布を始めました。声掛けと配布を始めると、すぐに大勢の人が集まり、ものの30分程で衣類を除いた全ての物が貰われていきました。配布が終わる頃にも物資を求めて足を運ぶ方もいました。その様子を見ると、2tトラックに積めるの半分にも満たない量だと、必要量には全く満たないのだと感じました。以前、KGKの働きで多賀城市のある地域で炊き出しと生活用品の配布を行ったのですが、そこでは用意していた物が余りました。そのことと今回の現状を比較すると、復興の具合が全く違うのだと感じさせられました。
途中次の物資配布の場所の偵察と昼食を挟み、2回目の物資配布へと移りました。医院の駐車場が十分な広さで泥もよけてあったので、そこを借りて配布を行いました。この辺りは1回目の場所よりも津波による被害が大きく、車が敷地内に流されていたり、家の残骸が少し裏に入ると散らかっていたりとしていましたが、家の原型が崩れている家は多くありませんでした。この時間帯は、丁度家の清掃のために避難所から一時的に戻っている人がおり、そういった人達を対象に配布を行えました。声掛けの際にあった人曰く、被害が大きい家では、破損が大きかったり、庭に車があったりと、清掃しようにも清掃できる状態ではなく戻って来ていない人もいるとのことでした。ここでも配布自体は、主に衣服類を残して30分程で終わってしまいました。
帰りは付近の教会に寄り、灯油やガスコンロなどが入り用なのかを訪ねつつ、ライフラインや物資の状況などの地域の話を聞きました。ライフラインも回復してきて、ガソリンの供給が安定化してきたおかげか、配布場所も含め、車さえあれば必要な物を自力で入手できるような印象でした。ですが、その後寄った石巻港では回復するメドの立たない地域のについて考えさせられました。そこはある高さの一点を境に、光景が一変していました。被害に遭った地域は、津波で家々が崩壊し、火事によって一面焦げ茶色になっていました。車を降りて付近を回ると、その瓦礫の上をすぐ近くの学校に避難しているであろう方々が何かを探すように歩いているのを見ました。その様子に対しては、心が詰まるような想いを抱くことしかできまず、言葉を発することはできませんでした。ゴルフグラブを杖代わりに歩く年配の夫婦に話を聞くと、この地域だけで700人程の死者が出ており、行方不明者がまだいるとのことでした。津波で全て壊され、火事で何もかもを失ったとも言っていました。
車に乗って付近を走ると、昨日見た酷い地域の光景よりも、さらに酷い光景がさらに広い範囲で見られました。広い範囲で高い建物が無く、あったとしてもほとんどが柱が折れ曲がっていたり、半壊して中が見えたりしていて、住める場所は全くと言っていい程見当たりません。地面が水没したり、丘の下の墓所に車が乗り上げていたりする場所もあれば、船が所々でそのまま残されていたり、電信柱が倒れていたりと全てを言葉で表すのが難しい程です。自衛隊の車や重機とたびたびすれ違い、震災から3週間が過ぎてもまだまだ復興の具合があまり進んでいない様子でした。寧ろ、ようやく車が通れる程の道を確保できたかのようで、活動の本格化はこれからなのかもしれません。こういった地域の人達には、生活物資の配布といった物理的な支援よりも、精神的な面でのサポートが必要であるように感じます。
この地域を見た後に高速道路から降りた光景を見ても、軽微であるとしか感じられませんでした。
塩竈に戻ると明日の分の支援物資を積みました。2カ所分の配布物資に加え、多くの灯油積むと、ほとんど空きがなく、2tトラックの中身がいっぱいになりました。明日はこれらの物資を女川へと配りに行きます。明日はどのような助けとなるか、どのような現状を知るか、どのような想いを抱くか、全く予想が付きません。けれども、今朝の早天でマグダラのマリアがイエスに高価な香油を塗るという彼女の行為に対して、イエスが「この人はできるかぎりのことをした」語られた話を聞きました。マリアのように今日と同じで自分にできることをしていこうと思います。物資ではなく、彼女のように想いを届けられるように。
(小寺 義 記)
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