5/29 主日礼拝

「七の七十倍まで赦しなさい」マタイ18:21~35

今日の中心の御言葉は、18:22節です。

「イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」です。
 イエス様がお話しをしている時に、ペトロは、21節で突然口をはさんで、こんな質問をします。「そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」 ペトロは「兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。」と尋ねて「七回までですか。」  と聞いています。

 私たちは、自分に罪を犯した人に対して何回許すことが出来るでしょうか。1回は、許すことは出来ても、相手が2度も、3度も同じ事を繰り返すと、堪忍袋の緒が切れたと怒りを爆発させてしまうのが、私たちではないでしょうか。 また、日本のことわざにも「仏の顔も三度まで」とありますが、せいぜい、三度赦すのが精一杯ではないでしょうか。 当時のユダヤ教の教えにも、三度まで、罪を赦すようにという律法があったそうです。それに対して、ペトロは、「七度まででしょうか。」と言ったのです。 

 これは、ルカ17:4に関係があると言われています。「一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」

   ペトロは、イエス様の言葉を思い出して、「七回までですか。」と聞いたのではないかと言われています。 ですから、これは、模範解答です。ペトロはイエス様に褒められることを期待して胸を張ってこう言ったのかも知れません。 イエス様は、このペトロの質問に対して、22節でこう言われます。「イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」  これは、7×70=490回という意味ではなく、無限に赦しなさいという意味です。ユダヤ人にとって、七という数字は、完全を意味する数字です。ですから、ルカ17:4でイエス様が言われた時も、7回という数を言われたのではなく。完全に赦しなさいと言われたのです。そして、それでも、ペトロが解らないので、七の七十倍までも赦しなさいと言われたのです七が完全数であれば、七の七十倍というのは、無限を意味すると言ってもいいと思います。 本当の兄弟愛というのは、無限に赦すことです。そして、イエス様は、そのこと解りやすく教えるために、一つのたとえ話を語られました。

 

(1)赦した王様(23~27節)

「そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。 決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。」 

  このたとえは、王様が神様で、「家来たち」は私たち人間のことを表しています。 ある王様が、家来たちに貸したお金の決済をしようとして家来たちを集めました。するとそこに、一万タラント借金している家来が連れてこられたのです。 一万タラントというのは莫大な金額です。一タラントというのは、6千デナリオン、つまり6千日分の給料です。その一万倍ですから、約20万年分の給料ということになります。 これでは、一生かかっても返済することは出来ません。 これは、私たち人間の罪を表しています。人間は神様に対して、自分の力ではどうしても償うことの出来ない、大変な罪を犯していることを示しているのです。
 そこで、25節で、「君主は、この家来に、自分の妻も子も、また持ち物も全部売って、返済するように命じた。」とあります。
 しかし、それらのものを全部売って返済したとしても、返済できるような額ではありません。そこで、26節で、その家来が『どうか待ってください。きっと全部お返しします』  としきりに願うと、「その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。」と27節に書かれています。  何と気前の良い王様でしょうか。一万タラントという大金を全部免除するということは、常識ではとても考えられないことです。 そして、神様は、この王様が、全部の返済を免除したように、私たちが、罪を悔い改めるなら、神様は憐れみ深いお方です。私たちの罪を完全に赦してくださるお方です。 そして、その罪の支払う報酬として、御子であられるイエス・キリストが十字架に架かって死んでくださったのです。そのイエス・キリストの十字架の贖いによって、私たちの罪は、赦されて、私たちに自由が与えられたのです。
 ウェスレアン・ホーリネス教団の全体委員会のためにお祈りをありがとうございました。今回の大きな議題の一つは、宮城南部復興支援ボランティアの立ち上げについてでした。東日本大震災から二ヶ月が経ちますが、北の石巻や気仙沼には復興支援が進んでいますが、南の方は、支援が送れています。 そこで、ウェスレアン・ホーリネス教団では、宮城県南部の岩沼市にボランティアの拠点を於いて、ボランティアをさせていただきましょうということになりました。 先日も、視察に行ってきましたが、岩沼市は、津波の被害がひどく、広い田んぼが、津波のために手つかずになっています。岩沼から山形に向かって車を走らせると、津波の被害があるところは、白く塩を吹いていますが、津波の被害に遭っていないところは、田植えが始まっていました。そのギャップに複雑な思いがしました。
 そのような風景を見ながら、明治時代に、自分の田んぼを犠牲にして、津波から多くの人を救い出した、五兵衛という人のことを思い出しました。 一家総出で、段々畑の刈り取りをしているときのことでした。 突然何かが起きた気配を感じた五兵衛は、まがった腰を伸ばして、海を眺めました。すると、するとどうでしょう。いつもは静かな海のはるか地平線で、何かあぶくが立つように、白く盛り上がって、そこから不気味な音が聞こえてきたのです。 五兵衛は、気が狂ったように叫び出しました。「オッカー稲に火をつけろ!」子どもたちに向かって「早く稲を集めろ。」 一緒にいた息子達はびっくりしました。だって、百姓にとって命より大切な稲です。火をつけるなんてとんでもないことです。 しかし、五兵衛は、必死になって火をつけて回ったのです。 その火は、貧しい村人の目にとまりました。「どうした、畑が火事だぞ。」と言いながら、人々はぞくぞくと山の上に上ってきました。 五兵衛は「消すんじゃない。消すんじゃない。村の衆がみんな来るまで、燃やし続けるんだ。」と言って大切な稲を燃やし続けました。 数分のうちに、村中の人達が、五兵衛の燃え上がっている畑に集まってきました。 その時でした。「ゴー」というすさまじい音が村中に響き渡りました。 村人達が、今までいた我が家を振りると、顔が真っ青になりました。津波が、村を人のみにし、多くの家が津波に襲われて、破壊されてしまったのです。
 五兵衛は、自分の命よりも大切な、稲を犠牲にして、多くの村人を津波から救ったのです。
 それと同じように、イエス様は、全人類のために十字架で命を犠牲にして、私たちに救いの道を開いて下さったのです
ローマ3:23~25

「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。」
  自分では決して支払うことの出来ない大きな借金を負っています。なぜなら、私たちは、今まで多くの罪を犯してきたからです。ですから、私たちが神様からの罰を受けるのは当然です。ところが、神の子であられるイエス様が、私たちの罪の身代わりに、十字架で罰を受けて下さったのです。十字架にかかって、私たちの罪のために死んで下さったのです。イエス・キリストを信じるならば、私たちの借金は支払われ、神様の御前に立つことが出来るのです。この大きな恵みを覚えて、イエス様を信じ、心から主に仕えるものとさせていただきましょう。

 

(2)許さなかった家来28~30節

 「ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。」 

  この莫大な借金を許された家来は、自分の仲間に100デナリオン貸していました。100日分の給料ですから、約4ヶ月分です。それも庶民にとっては、大変な額です。 その家来が、仲間に返済を迫ると、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに願いました。しかし、この仲間を許さずに、引っ張っていって、牢屋の中に入れてしまったのです。 この知らせは、やがて王様の耳に入りました。すると、王様はこの家来を呼び出し、32~33節で、こう言いいました。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』 

 この家来は、王様に莫大な借金を赦されたのです。それなのに、その額を比較すると、60万分の一にしか過ぎない、仲間の借金を赦さなかったのです。その態度に王様は非常に怒り、この家来が返済するまで、投獄してしまいました。
 昭和12年7月から、始まった日中戦争は、中国を占領して支配下に置こうとする日本の戦略戦争でした。中国の国土は焼かれ、人民は、むごたらしく殺されていきました。 侵略を逃れてアメリカに渡ったある中国人学生が、伝道者のスタンレー・ジョーンズの集会に出席しました。 説教が終わった後で、彼は、ジョーンズのもとに行って悲しそうな顔で言いました。「先生、どうか日本人を愛することを教えてください。」20世紀初頭までトルコの圧制下の中にあったアルメニア人も、「どうすれば、トルコ人をゆるすことが出来るようになるのでしょうか。」と真剣に質問をしたそうです。 彼らは、戦争という悲惨な経験を通して、許すことができればどんなに楽になるだろうと思いながらも、どうしても許せない苦しみの中をずっと通ってきたのです。
 人を赦すということは、難しいことです。 私たちは、自分の力で、人をゆるしたり、愛したりすることは出来ません。しかし、そのような時に、私たちを完全に赦してくださった、神様、私たちの罪のために命を与えてくださったイエス様の十字架を見上げましょう。自分が、神様に愛され、赦されているのか、それを知る時に、私たちにも、人を愛し赦す心が与えられるのです。


(3)このたとえの結論 

イエス様は、このたとえの結論を、35節で言われています。

「あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」  神様によって、自分の罪が赦された者は、自分の友を無限に赦すべきだということを、このたとえは、私たちに語りかけているのです。  神様によって、自分の罪が赦された恵みを感謝できる人は、自分の隣人を赦すことが出来ます。 この家来は、自分の莫大な借金が赦された時、『しめた』と思ったかも知れませんが、その恵みを感謝する心に欠けていました。そこで、自分の仲間を赦すことが出来なかったのです。 赦された喜びを知るものだけが、他人の罪を赦すことが出来ます。
エフェソ4:32(P357)「互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。」
 先週のウェスレアン・ホーリネス教団の全体委員会の時に、戸畑高峰教会の塩屋弘先生の隣になって、いろいろ話す機会が与えられました。その話の中で、去年の3月30日に天に召された、塩屋先生の義理のお父様の記念碑が、最近完成しましたと、一枚の写真を見せてくれました。
 その記念碑は 十字架が掲げられ、後ろに卵のような鉄の板が置かれています。それは、イエス・キリストの復活を表す卵の形です。そして、下には、天に召された白石さんが殺害されたコンテナの鉄板に、白石さんの愛称聖句「明日のことを思い煩うな」という言葉が、刻まれています。そして、その十字架と復活を表す記念碑が、会社の一番目立つ入り口の所に建てられているのです。
 みなさんにも祈っていただきましたが、義理のお父様、白石さんは、白石鉄鋼の社長で、素晴らしいクリスチャンです。ところが、去年の3月30日に、従業員に殺害されてしまったのです。 この従業員は、生活態度が悪く、どこの建築会社も彼を雇おうとはしませんでした。ところが、白石さんは、クリスチャンとして、彼を雇い、彼を愛し何とかしてしつかりとした社会人になれるようにと仕事を教えたのです。 ところが、この世は景気が悪くなり、会社では勤務態度が悪い、彼にこれ以上務めてもらうことは出来ないということになったのです。それでも、社長は彼のことを心配して、今後のことなどを話し合おうと思って、彼が待っているコンテナのところに行ったそうです。そこで、用意されていたハンマーで殺害され、コンテナの中に遺体が捨てられたのです。 戸畑高峰教会で行われた葬儀には、密葬にも関わらず、400人もの人々が来られ、入りきれないほどの方が集まりました。そして。2010年5月10日に西日本総合展示場で社儀が行われまたが、そこには1200人もの方々が集われ社長との突然の分かれを悲しみました。そして、その場で社員を始め多くの方々に福音が伝えられたのです。 それで終わったわけではなく、その後も、裁判が行われ、その時の情況が明らかにされ、心をえぐられるような苦しい時を過ごしました。 加害者は、裁判で22年の実刑を受けることになりましたが、それでも、今まで謝罪の言葉は一切ないそうです。 恩を仇で返すような事件でしたが、塩屋先生ご夫妻は、父が彼を最後まで愛したように、私たちも彼を憎まず、イエス・キリストの十字架の恵みによって赦します。そして、一番の祈りは、彼が心から罪を悔い改めて、父の死を通して、家族をはじめ一人でも多くの人が、イエス・キリストを信じることですといっておられました。
 どうして、そのような彼を赦し、彼が罪を悔い改めて救われるように祈る事が出来るのでしょうか。
 それは、その祈念碑に表されています。イエス・キリストの十字架と復活です。 イエス・キリストは私たちの罪のために十字架に架かって、全ての罪を赦してくださったのです。そして、三日の後に罪と死に打ち勝ちよみがえられました。 キリストの愛と赦しを受けたからこそ、彼を赦し祈る事が出来るのです。何という素晴らしい恵みでしょうか。
18:22

「イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」
 私たちは、神様にどれだけ赦さているのでしょうか。私たちの罪は、イエス・キリストの十字架の贖いによって全てが赦されているのです。何という恵みでしょうか。 そして、その恵みに感謝して、神様に赦され、人を赦す、この豊かな恵みの中を歩ませていただきましょう。

 

集会案内

 

フィリア手話の会

毎週火曜日 11:00〜

 

キッズブラウン英語教室

毎週土曜日   8:45〜

                       9:35〜

毎週木曜日 16:00~

 

祈り会(昼)

毎週水曜日  10:30〜

 

祈り会(夜)

毎週水曜日  19:30〜

 

今週の礼拝メッセージはこちらからご覧いただけます。↑

WE LOVE YAMAGATA
WE LOVE YAMAGATA

Illustration by c-awase

 

Q1.教会見学に行きたいけど、行ってもいいですか?

A1.どうぞいらしてください。ぜひいらっしゃる前にお電話を下さい。おいしいお茶を用意してお待ちしてますよ。

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Q2.教会でお金は払わなくていいの?献金ていうお金がいるんじゃないの?


A2.献金はわたしたちが神様に対して自由意志で出すものです。南部教会でも、礼拝、祈祷会、いろいろな会で献金の時間があります。でも出したくない時は、献金係りが来ても何も出さなくていいんですよ。

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Q3.教会に行くとクリスチャンになるようにって無理やり勧誘されない?

A3.無理やり勧誘はしません。でも私たちはクリスチャンで、その幸せを十分感じていますから神様のお話をしたり、聖書を一緒に読みたいと思っています。

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Q4一度教会に行ってみたいけど、一番教会に行きやすい時っていつでしょう?

A4.日曜礼拝が一番人も多いし、教会というものをよくわかっていただけるような気がします。ぜひ一度礼拝においで下さい。毎週日曜日10時15分からです。

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Q5.教会って毎日やってるの?

A5.教会によって違いますが、南部教会は月曜日は基本的にお休みです。その他の日は、プレイズタイム、祈祷会などいろいろな会があります。気楽にぜひ一度おいで下さい。

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Q6.前に教会に行ったら「あなたは罪人です」って言われてむかついた。私何も今まで悪いことしてないのに。何でそんなこと言われなくちゃいけないの?

A6.いきなりそんなことを言われて不快に感じられたお気持ちよくわかります。教会で「罪人」というのは「神様から離れてしまった人」「神様を知らない人」のことを言うんですね。
私たちが普通使う、犯罪を犯したとか、そういう意味ではないのです。

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Q7.教会にはどんな人が行ってるの?何才から行っていいの?

A7.イエス様を信じる人、また信じていきたいなと思っている人が教会に来ています。イエス様を信じない人もぜひいらしてください。南部教会には今0才の赤ちゃんから、85才の教会員がいます。もし足の悪いお年寄りの方がいらしたらお迎えに行くことも考えます。狭い玄関ですが車椅子の方も入れますよ!

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Q8.私は仏教徒ですが、教会に行ってもバチがあたりませんか?

A8.イエス様はバチをあてる神様ではありませんから安心しておいで下さい。

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Q9.教会にはどんな格好で行けばいいですか?

A9.どんな格好でも大丈夫ですよ。神様はあなたのありのままを受け入れ愛してくださいます。

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Q10.教会に行ってみて、つまらなかったら途中で帰ることができますか?ドアがロックされていたりしませんか?

A10.大丈夫です。ドアはいつも開いています。