ファミリー礼拝 6/5

「エルサレム神殿へ帰る民」 (ファミリー礼拝)エズラ1:1~4

今回の地震や津波で、連絡が取れなくなってしまった人がいました。 多くの人達が、あの震災の後、数日間連絡が取れなかったり、会えないという経験をされたそうです。その家族は、私たちにはとうてい想像も出来ないほど、不安で悲しい経験をされたに違いありません。 そして、連絡が取れ、再開できた時に、どんなに大きな喜びが溢れたことでしょう。
 わたしも、神学校の時の友人が石巻にいて、電話をしたり、訪問に行ったりしましたが、どうしても見つかりませんでした。そこで、パソコンで、被災者情況を調べたところ、避難所を転々と廻られて、奥さんの実家におられることが解りました。そのことが解った時、とにかく生きていて良かったと、本当に感謝しました。

今日の、聖書の箇所には、70年もバビロンに補囚の民として捕らえられていた、イスラエルの民が、ついに、エルサレムに帰ることが許されたことが書かれています。 3節   「あなたたちの中で主の民に属する者はだれでも、エルサレムにいますイスラエルの神、主の神殿を建てるために、ユダのエルサレムに上って行くがよい。神が共にいてくださるように。」
 バビロンの国には、大勢のイスラエル人がいました。昔、戦争に負けて連れてこられたまま、バビロンに捕虜になっていたのです。 バビロンの人々は、偶像を拝んでいましたので、イスラエルの人たちは、本当の神様を礼拝することが出来ませんでした。外国に連れてこられたイスラエルの人たちは、どんなに、苦しみ、早く自分の国に帰りたいと思っていたことでしょうか。 そこで、イスラエルの人たちは長い間、神様がきっと帰らせてくださると信じてお祈りをしていました。 神様は、ついにそのお祈りに答えてくださったのです。
① やがてバビロンはペルシャに戦争で負けて、新しくキュロス王がペルシャの王様になりました。そのキュロスに神様が働いてくださったのです。キュロス王は、ある日、イスラエルの人々をエルサレムに帰らせ、エルサレム神殿を建て直させてやろうと考えたのです。 ペルシャの国の町角に、大きな立て札が立てられました。そこには、王様の命令が書かれていました。大勢のイスラエルの人が集まって、それを読みました。そこには、こう書かれていました。3節を読んでみましょう。「あなたたちの中で主の民に属する者はだれでも、エルサレムにいますイスラエルの神、主の神殿を建てるために、ユダのエルサレムに上って行くがよい。神が共にいてくださるように。」        イスラエルの人たちは、大喜びです。「さぁ、エルサレムに帰ろう。」と多くの人々が立ち上がりました。大人も子どもも赤ちゃんも、おじいちゃんもおばあちゃんも、自分の国に帰れるのです。 そして、キュロス王は、昔、イスラエルから持って来た宝物を調べて、全部エルサレムに持って帰りなさいと、返してくれたのです。   
② リーダーはゼルバベルです。ゼルバベルを先頭にして、何と4万人の人が、イスラエルに帰ることになりました。氏族ごとに人数が数えられ、奴隷や、聖歌隊、一緒に連れて行く、家畜まで数が数えられました。エルサレム神殿を建てあげるために、自分の国に帰るのです。 らくだやロバの背中にたくさんの荷物を積んで、イスラエル人はぞろぞろと歩き始めました。そして長い旅をして、とうとうエルサレムに着きました。エルサレムに着くと最初に人々は、大喜びで、自分から進んで、神様に献げものを献げました。それから、自分たちの生まれ故郷に帰ったのです。
③ 故郷に帰った人々は、少し落ち着くと、みんなモリヤの山に集りました。祭司のヨシュアが中心になって、まず、祭壇を造って、聖書に書いている通りのやり方で礼拝を献げました。 いろいろな準備が終わって、次の年の春、いよいよ神殿の土台を造ることになりました。しっかりした土台を造らなければ、大きな神殿を建てることは出来ません。みんなが、力を合わせて一生懸命働いて、ついに立派な土台が出来ました。
④ 土台ができあがると、イスラエルの人たちは、神様に礼拝をささげました。 きれいな服を着た祭司たちが、プォープォーとラッパを吹きました。聖歌隊が声を合わせて歌いました。「神様ありがとうございます。新しい神殿を建てさせてくださって感謝します。」と大声で賛美する人の声が、大きく、遠くまで響き渡りました。
 この御言葉から2つのことをお話しします。
(1)御言葉を成し遂げられる神様1節をご覧ください。「ペルシアの王キュロスの第一年のことである。主はかつてエレミヤの口によって約束されたことを成就するため、ペルシアの王キュロスの心を動かされた。キュロスは文書にも記して、国中に次のような布告を行き渡らせた。」 「主はかつてエレミヤの口によって約束されたことを成就するため、」と書かれていますが、このことはエレミヤ29:10~12(P1230)に書かれています。そこを開いてみましょう。「主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」 神様は、御言葉の約束を与えてくださり、それを成し遂げてくださるお方です。70年間バビロン捕囚に苦しみましたが、70年経った時、バビロンはペルシャによって滅ぼされました。そして、ペルシャ王キュロスは、神様を信じる人ではありませんでしたが、神様は、そのような王様も用いて、イスラエルの民を解放するという御言葉を成就されたのです。 神様は、歴史を支配しておられるお方です。
 そして、神様は、わたしたち一人一人にも、ご計画をお持ちです。 それは、決して災いの計画ではなく、平和の計画です。今どんなにつらく苦しい毎日が続いて、出口が見えないように思えても、トンネルに出口があるように、必ず将来と希望という出口があるのです。 この御言葉を信じて、神様に従って行きましょう。
(2)私たちの人生の土台 エルサレム神殿が出来た時の事が、3:10~11に書かれています。「建築作業に取りかかった者たちが神殿の基礎を据えると、祭服を身に着け、ラッパを持った祭司と、シンバルを持ったアサフの子らであるレビ人が立って、イスラエルの王ダビデの定めに従って主を賛美した。彼らも「主は恵み深く、イスラエルに対する慈しみはとこしえに」と唱和して、主を賛美し、感謝した。主の神殿の基礎が据えられたので、民も皆、主を賛美し大きな叫び声をあげた。」  みんなで、心を合わせ、一生懸命働いて、エルサレム神殿の基礎が出来たのです。どんなに嬉しかったか解りません。 祭司は、ラッパを吹き、シンバルを鳴らして、「主は恵み深く、イスラエルに対する慈しみはとこしえに」  と心から神様を賛美し、感謝をしました。 ついに、エルサレム神殿の土台ができたのです。 さて、私たちの人生の土台は何でしょうか。
 イエス様は、マタイに依る福音書5~7章で有名な山上の説教をされますが、その一番大切な結論の部分で、建物の土台の話しをされます。マタイ7:24~27「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」  砂の上というのは、この世の物です。この世の物は、どんなに魅力的で、心が引かれるような物であったとしても、やがて、無くなってしまう物です。そして、どんなに蓄えても、天国に持っていくことはできません。 それに対して、岩の上というのは、決して変わることのない聖書の御言葉、キリストの愛です。この世の物は、滅んでも、神の御言葉は決して滅びることはないのです。その御言葉にこそ、希望があり、将来があります。
 いよいよ、川上さんや、長井バプテスト教会の高橋さんという大工さんによって、愛燐オフセット印刷所にチャペルが建てあげられようとしています。 先日もお話しをしましたが、気仙沼第一聖書バプテスト教会の嶺岸浩先生の証しが、CGN JOURNAL に載っていました。 地震になった時、先生はすぐに奥さんと娘さんを連れて、車で逃げました。 その後で、教会の人達に連絡を取りましたが、電話は通じませんでした。遠いところまで訪問をしましたが、連絡の付かない方もいましたし、身内をなくされ方もいらっしゃいました。 教会は、3年前に建てたばかりの新会堂でしたが、土台だけを残して、全部流されてしまいました。けれども、そのことを通して、神様は大切な事を先生に教えてくださったそうです。 それは、目に見える物に頼るのではなく、本当にイエス様だけに頼りなさいということでした。 その時に、先生に思い浮かんだ御言葉は、ヨブ1:21 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」でした。 わたしたちは、何一つこの世に持って生まれて来なかったし、何一つ持って、天国に行くことは出来ません。「そうだ、私はこの世界に何も持って来なかった。でも、私にはイエス様がいるから心配ないんだ。」という思いが与えられました。 こんな情況の中にあっても、イエス様は生きたおられ、私と私の家族を愛し、多くの人を愛しておられる。確かに、教会は流されてしまいましたが、神様の愛は、決して変わることなく注がれているのです。                      今は、教会員の愛燐オフセットが仮のチャペルとして建てられ、礼拝がささげられていますが、そのチャペルに一つの御言葉が掲げられています。雅歌8:7a「大水も愛を消すことはできない/洪水もそれを押し流すことはできない。」  先生は、証しにこう書いておられます。「大津波もキリスト・イエスの愛かに押し流すことは出来ない」と改めて思わされたのです。ですから、このことを通して、真の神様が生きておられ、そしてこの世界を支配しておられ、尚こんな情況の中でも、私たちを愛してやまないこの神様に、日本の多くの方たちが向かってほしいと願っています。」
 プロジェクターの写真にも載っているように、教会は、大津波に全部流されて土台だけになってしまいました。 しかし、その教会の瓦礫が、ボランティアの人によって取り除かれ、十字架が立てられました。そして、その十字架の前は、御言葉が語られる講壇の場所で、洗礼槽も残っています。
 それは、先生がおっしゃるように、全てのものが、流されても、神の言葉とイエス・キリストの十字架の愛は変わることがないということを表しているかのようです。 私たちの土台は何でしょうか。この世のものは、流されてしまいます。しかし、聖書の御言葉と、イエス・キリストの十字架の愛は決して変わることはありません。この御言葉と、キリストの愛を土台にして、イスラエルの民のように心から主を賛美し。感謝をささげましょう。

今週の礼拝メッセージはこちらからご覧いただけます。↑

礼拝案内

 

ホサナ(教会学校)

毎週日曜日   8:45〜

 

主日礼拝 Worship

毎週日曜日 10:15〜

 

夕拝 Evening worship

毎週日曜日 16:30〜

集会案内

 

フィリア手話の会

毎週火曜日 11:00〜

 

キッズブラウン英語教室

毎週土曜日   8:45〜

                       9:35〜

毎週木曜日 16:00~

 

祈り会(昼)

毎週水曜日  10:30〜

 

祈り会(夜)

毎週水曜日  19:30〜

 

WE LOVE YAMAGATA
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Illustration by c-awase