明けましておめでとうございます。 今年の御言葉を、昨年の11月くらいから祈り始めましたが、与えられた御言葉か、使徒言行録16:31です。 今年も、長岡玲子さんが書いてくださいました。この御言葉をご一緒にお読みしましょう。
今日の中心の御言葉は、31節です。
「二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」
神様は、私たちを愛しておられます。それも、十字架で命を犠牲にして、救いの道を開いてくださったのです。ですから、私たちは、主イエスを信じるだけで、救われるのです。そして、私たちを救ってくださった神様は、私たちの家族も覚えてくださり、救ってくださるお方なのです。今年、そのような素晴らしい御業を見せていただきましょう。
そして、この御言葉を示された理由がもう一つあります。それは、26節です。「突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった。」
ここに、「突然、地震が起こり」とありますが、この看守と看守の救いの業は、大地震の後に起こった出来事であるということです。 私たちは、去年の3月11日、東日本大震災を経験し、大きな苦しみの中を通らせられました。しかし、神様は、そのような苦難をそのままにしておられるおかたではありません。必ず、その苦難を通して、素晴らしい祝福を与えてくださるお方です。 今年は、その祝福に与る一年を過ごさせていただきたいと思います。
聖書の中に、フィリピの信徒への手紙という書簡がありますが、フィリピというのは、ヨーロッパの場所の名称です。 今日の聖書の箇所は、パウロとシラスは、そしてテモテたちは、マケドニアに聖霊によって導かれて、初めてフィリピで福音を宣べ伝えた時の出来事です。
パウロとシラスが、祈りの場所に行こうとしていると、一人の女の人に出会いました。 この女の人は、占いの霊に取りつかれた女奴隷で、この主人はこの女奴隷に占いをさせてお金を儲けていたのです。 ところが、この女の人が、パウロとシラスの後を付いていって、「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」と何日も叫び続けたのです。
困ってしまった、パウロは悪霊に向かって、「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出ていけ。」と言いました。するとすぐに悪霊は、この女の人から出ていったのです。 ところが、そのことで腹を立てた人がいました。それは、この女奴隷の主人です。この人は、これまでこの女奴隷の占いによって、お金を儲けていたからです。 そこで、この主人たちは、パウロとシラスを捕まえて、役人に引き渡すために広場に連れて行きました。 そして、二人を高官たちに引き渡して、「この者たちはユダヤ人で、わたしたちの町を混乱させております。」
と言いました。 すると、高官たちは、パウロとシラスの服をはぎ取って、「鞭を打て」と言いました。 パウロとシラスは何度も鞭を打たれました。そして、逃げることが出来ないように、牢の中に、しかも一番奥の牢に入れられ、足には木の足かせをはめられたのです。
今日は、この獄中での出来事を通して、3つのことをお話ししたいと思います。
(1)暗闇の中で献げられた賛美と祈り
パウロとシラスは、何か悪いことをしたわけではありませんでした。占いの霊に取りつかれて、人から金儲けの道具として利用されていた、一人のかわいそうな女性を助けただけです。 それなのに、パウロとシラスは、訴えられ、捕らえられて、真っ暗な牢屋に入れられてしまったのです。自分が何か悪いことをして、捕まるならまだ納得がいきますが、自分は何も悪いことはしていない、いやそれどころか良いことをしているのにこんな苦しみに合う・・・それほど辛いことはありません。 おそらく、二人の背中は、鞭を打たれたために血がにじんで、痛みが残っていたに違いありません。そして、足枷をはめられて、自由に動くことすら出来ませんでした。 そのような中で、彼らは何をしていたのでしょうか。 二人はつぶやきませんでした。また、自己弁護しようとはしませんでした。
25節をご覧ください。 「真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。」
なんと、この苦しみの中で、また、真っ暗な牢屋の中で、「賛美の歌を歌って神に祈って」いたのです。 この後で、大地震が起こって、牢屋のドアが全部開くという奇跡が起きますが、その奇跡以上に、このような状況の中にあって、主に賛美と祈りをささげることが出来ると言うことの方が、大きな奇跡ではないでしょうか。 どのような堅固な牢屋の中でも、イエス・キリストに対する彼らの賛美を閉じこめることは出来なかったのです。 また、一筋の光も入らないような、真っ暗な牢屋でも、イエス・キリストに対する、彼らの喜びは閉じこめることは出来なかったのです。 そして、その二人の、イエス・キリストに対する喜びと、心の光が溢れ出るように、賛美と祈りの声が、真っ暗な牢屋に響き渡ったのです。 神様は、このような賛美と祈りの力を私達にも与えてくださっているのです。
この苦しみを取ったパウロがローマの信徒への手紙8章35~37節でこういっています。
「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。「わたしたちは、あなたのために/一日中死にさらされ、/屠られる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。」
神様は、どのような試練が襲ってきても、それに打ち勝つ力を与えてくださるお方です。そして、私達はどのような中にあっても、キリストの愛を心から賛美することが出来るのです。そして、賛美の祈りには、素晴らしい力があります。
そのようなパウロとシラスの賛美の祈りは、聞かれました。26節「突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった。」 困難が襲ってくるとき、そのただ中で賛美の祈りをささげるなら、それは祝福に帰られます。 私達も、主を心から主を賛美するならば、神様は、私達の思いを越えて、想像もつかないような素晴らしい御業を見ることが出来るのです。 どんな時にも、主を賛美する者でありたいと思います。
(2)救われるためにはどうすべきでしょうか。 目をさました看守は、これを見て驚きました。そして、てっきり囚人は逃げてしまったものだと思いこんで、自分の責任を取るために、剣をぬいて、自殺をしようとしたのです。 そこで、パウロは大声でこう言いました。
28節「自害してはいけない。わたしたちはみなここにいる。」
そこで、あわてて看守が、あかりをつけて牢の中に駆け込んでみると、そこに入れられた囚人たちが誰も逃げないで、そこに立っていたのです。 それは、看守にとって想像もつかないことでした。 そこで、看守は、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏しました。そして二人を外に連れだして言いました。
30節「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」
これは、全ての人達にとって本当に大切な質問です。
21世紀になって、多くの人々が悩んでいます。 東日本大震災で、多くの人の命が奪われました。また、9月以上経った今でも、復旧・復興の見通しが立たず、寒い冬を仮設住宅で、また放射能の不安と恐れの中を生活している人たちが大勢いらっしゃいます。 そのような被災者だけではなく、深刻な経済的な苦しみの中で、ますます複雑になっていく人間関係の中で、また、もっとも愛を必要としている家族や夫婦の間や家族の間で、多くの人達が苦しみ悩んでいます。 そして、そのような中で、生きる目的が解らずに、約年間3万人の人たちが自殺をしていると言われています。。 そのような中で、「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」という叫びが、一人一人の叫びとなっているのではないでしょうか。 この叫びは、看守の叫びというよりは、昔も今も変わらない、全ての人の深い心の叫びです。 そして、多くの人達が、救われるために何をしたらいいのか解らないでいるのです。
けれども、聖書の中には、そのことがはっきりと書かれています。
31節をご覧ください。 「二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」
そうです。私達が救われるためには、「主イエスを信じることです。」 私達が天国に入るためになすべきことは、イエス・キリストを信じて、私の人生の主とお迎えすることです。自分中心の生き方をやめて、神様中心の生き方へ、180度の方向転換することです。
看守は、その場で、イエス・キリストを信じました。彼は、その直前には、自殺をしようとしていたのです。その死の土壇場から救われたのです。 まさに、不安と絶望の人生から、平安と希望の人生へ生まれ変わったのです。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」 この言葉は、一人の看守だけに語られた御言葉ではありません。「救われるために何をすべきでしょうか。」と問いかけている全ての人に、神様はこう答えておられるのです。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」
私達も、主イエスを信じることによって、希望と賛美に満ちた素晴らしい人生を歩ませていただきましょう。
(3)あなたとあなたの家族の救い
この時に、救われたのは看守一人だけではありませんでした。パウロとシラスは31節で「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」と言っています。 31節から34節に「家族」という言葉が、4回も出てきます。これだけ家族という言葉が出てくる箇所は他にはありません。 ここで、一人の人が救われると言うことは、本当に素晴らしいことですが、神様の恵みは、一人の人に止まらずに、家族にまで広がっていくことが分かります。私達を愛しておられる神様は、私達の家族も愛しておられます。私達を覚えてくださるお方は、私達の家族の覚えていてくださるのです。
そして、今日、お勧めしたいのは、その神様の御心を、私達の心とさせていただくことです。 神様が、「あなたと家族を」愛しておられます。その神様の心を心として、私達も家族を愛したらどうでしょうか。素晴らしい家庭に変えられていくのではないでしょうか。 また、神様が、「あなたと家族を」覚えておられるように、私達も家族のことを覚えて祈ったらどうでしょうか。神様がその祈りに答えて、看守と看守の家族を救ってくださったように、あなたと家族を救ってくださるのです。
先日、和歌山県で伝道しておられた、升崎外彦先生の本を読みました。 この先生は、幼いころから、お寺のお坊さんになる事になっていたので、お経を学ばされ、キリスト教などは邪教だから聞いてはいけないと言われていました。 けれども、だんだん成長して、いろいろな事で悩むようになり「本当の平安が欲しい」と思うようになりました。 ちょうど、その頃、町の片隅でキリスト教の路傍伝道が行われていたのです。その中で、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11:28)という聖書の御言葉が聞こえてきたのです。
そこで、彼はたとえキリスト教が邪教であったとしても、心の重荷を除いてくれるのなら聞いてみようと熱心に求道するようになりました。そして、とうとうこれこそが、本当に真の神の教えであるということが分かって、悔い改めて、主イエスを信じたのです。 ところが、そのことが父親に知れると、非常に怒って、「そんなやつは、わしの息子ではない。親子の縁を切る。」と言って家を追い出されてしまいました。 そこで、升崎さんは、七年間も「どうぞ、神様、父が主イエスを信じるようにしてください。」と祈り続けました。 そんなある冬に、父親から、「スグカエレ」との電報が届きました。親子の縁を切っても、大病になったので帰ってくれというのだろうと思って、家に帰りました。 ところが、父親は、病気どころか、柔道着を着て待っていたのです。そして、息子が帰るとすぐに、「外彦、お前も裸になれ、おれが洗礼を授けてやる。」と言って、氷った池の中に、思いきっり投げ飛ばしたのです。 真っ白い氷と、その上に積もった雪が、血で真っ赤になりました。けれども、彼はじっと我慢をして「神様、父を救ってください」と祈り続けたのです。
そんな事があって何年かが経ちました。また、父親から「スグカエレ」との電報が来ました。今度こそは病気だと思って急いで帰ると、今度は立派なお客さんを迎えるように、息子を分の前に座らせてこう言ったのです。「外彦、これまでお前をいじめて悪かった。どうか許してくれ。わたしも信者になったぞ。」 升崎外彦さんの父親は、あの時の、息子の姿を見て、ここにこそ本物があるということに気がついたのです。そして、近くの教会に通うようになり、主イエスを信じて、信者になったのです。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」
みなさんの家族は、どうでしょうか。 神様は、どんな暗闇も、どんな牢屋も、そこから解き放つことの出来るお方です。そのお方が、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」と約束してくださっているのです。 この神様の御心を心として、家族を愛しましょう。また、忍耐をもって、家族の救いのために祈りつつけましょう。
最後に34節をご覧ください。「この後、二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。」
ここに「神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。」とありますが、私達も私達の家族も主イエスを信じるようになっことを共に喜べる家族にさせていただきましょう。
そして、このフィリピの町で救われた、紫布の商人のルディアや、この看守の家族が中心になって、フィリピの教会が出来たのです。
フィリピに教会を建てあげてくださった神様は、今も生きておられます。私たちの教会にも、救われる人が起こされ、家族が救われ新会堂が与えられるように祈りましょう。
また、今年も、岩沼で、ボランティアが続けられていきます。特に今年は3月まで、小寺 義兄が常駐して、ボランティア活動が行われていきますが、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」 大地震が起きたあの地に、神様が救われる魂が起こされ、家族が救われて、教会が建て上げられていく素晴らしい御業を見せていただきましょう。
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