1/22 主日礼拝

「幼い日から聖書に親しんで」テモテの手紙3章10節~4章5節

今日の中心の御言葉は、Ⅱテモテ3:15です。「また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。」
 ここに「幼い日から聖書に親しんできた」とありますが、ホサナでは、御言葉を10個覚えるとマックカードプレゼントしています。今まで3人のお友だちがマックカードをケットしました。先日、ホサナの祈祷会で、「何をお祈りして欲しい」と好美牧師が聞くと、4歳の雄歩君が、「暗唱聖句を10個覚えて、マックカードをもらえるようにお祈りしてください。」と言いました。それを、聞いて本当に感動しました。 ある人が、「幼いころから教会に来ている人は、悪いことができない。」と言いました。なぜなら、「いつも、神様が見ておられることを知っているからだ。」と言っておられました。 幼いころから聖書の親しむことは、人生の宝です。

今日は、この御言葉のように、若い時から、聖書に親しんだ、テモテを通して御言葉を取り次ぎたいと思います。


(1)テモテは、幼い日から聖書に親しんできた。 

テモテへの手紙第一3章14~15節をご覧下さい。

「だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。あなたは、それをだれから学んだかを知っており、また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。」

  テモテは、幼いときから聖書に親しんでいました。 先日御言葉を取り次いだⅡテモテ1章5節には「この信仰は、まずあなたの祖母ロイスと母エウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿っていると、わたしは確信しています。」と書かれています。
 テモテの父は、ギリシャ人でしたが、母のエウニケと祖母ロイスはユダヤ人のクリスチャンでテモテは幼いときから、聖書に親しんで育てられました。ユダヤ人は徹底的に、律法を教育する習慣があって、中には創世記から申命記までの5つの書簡を全部暗記した人もいたそうですが、そんな徹底した中でテモテも育てられたのです。 このように、私たちクリスチャンが若い頃から聖書に親しむことは本当に大切なことです。
 聖書は、私たちの人生という道のりの地図だと言われます。私たちが旅行をする時、地図を見ると迷わずに目的地に行くことが出来るように、私たちが聖書を読みながら人生を歩むなら、祝福された幸せな人生を過ごすことが出来るのです。 コヘレトの言葉は、ダビデの子ソロモンが書いたと言われていますが、ソロモンは、知識も名誉も財産も、この世のすべてを極めた人です。 けれども、ソロモンは、コヘレトの手紙の中で、それらのものを極めても「空の空いっさいは、空である。」と言っています。 そして、コヘレトの手紙の結論が、12:1に書かれています。

「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と/言う年齢にならないうちに。」

  口語訳では「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。」と書かれています。青春の日々に、あなたの若い内に、創造主である神様を信じて、その神様の御言葉に従うことこそが、まことの幸福なのだと言っているのです。
 アメリカの第六代大統領のジョン・クインシー・アダムス(1767-1848)が、こんな言葉を残しています。「私は聖書に非常な尊敬を払っているので、私の子供たちが聖書を読み始めるのが早ければ早いほど、彼らが祖国において立派な国民となり、尊敬される社会人になるようにとの私の願いが確実にかなえられると信じている。」 幼い日から聖書に親しむということは、神様から与えられた素晴らしい恵みです。
 新しい年を迎え、聖書通読を始めた方も多いと思いますが、私が、初めて聖書を通読したのは、小学六年生の時でした。というと格好が良いのですが、そこには本当に不純な動機がありました。 私の両親はクリスチャンで、何とか私に聖書を読ませようと思って、ある日こう言う提案をしてくれたのです。 聖書物語を読んだら500円、新約聖書を読んだら1000円、旧約聖書を全部読んだら3000円あげるから聖書を読みなさい。全部で4500円です。今から40年も前の話しです。4500円というと大金です。すぐに私は聖書を読む決心をしました。 と言っても、読み始めると聖書は難しくてチンプンカンプンです。特に、列王記などは、カタカナばかりで何を書いているのかさっぱりわかりません。父親に相談すると、そんなところは斜め読みでも良いからとにかく読みなさいとお許しをいただいたので、難しいところは斜め読みをして、1年くらいかけて聖書を通読したのです。 そんな不純な動機で読んだ私でしたが、神様は、こんな私にも聖書の御言葉を通して語りかけて下さったのです。 読んでいるうちに、教会学校の礼拝で聞いた事のある聖書の箇所がいろいろ出てきました。そこは、読んだ証拠に赤線を引きました。そして、そのように読んでいくと聖書を読むのが楽しくなっていきました。 そして、ヨハネによる福音書3章16節を読んだ時、本当に私の心に響いたのです。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」  まず、聖書を読みながら、自分が本当に罪人だと言う事が、解りました。わたしは、今はこのように講壇に立たせていただいていますが、教会学校の時代は、問題児で、良く役員会で問題になった事があったそうです。また、ヤンチャ坊主で、「岡くんがいると礼拝にならない」と教師泣かせの生徒でした。 聖書を読みながら、それらの罪を思い出して、本当に自分が罪人だと言う事が良く解りました。そして、そんな私のために、イエス様が十字架にかかって死んでくださった事を信じて、小学校を卒業したイースターに洗礼を受けさせていただいたのです。
テモテへの手紙第一3章14~15節

「 だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。あなたは、それをだれから学んだかを知っており、また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。」
 聖書は、神の言葉です。神様は聖書を通して語りかけて下さるのです。 ここに、テモテのように、ぜひ、聖書に親しんでください。そして、聖書を読むのに遅すぎることはありません。この聖書に親しむなら、神様は、必ず素晴らしい恵みを必ず与えてくださいます。


(2)テモテは聖書の御言葉にの確信に立っていた。

 14節をご覧下さい。

「だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。」

 テモテは、どのようなクリスチャンだったでしょうか。決してクリスチャンとして強いクリスチャンではありませんでした。
 二週間前にⅡテモテ1章から御言葉を学びましたが1:7で、パウロはテモテに「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです」と励ましています。ですから、きっとテモテには臆病な所がところがあったようです。 Ⅱテモテ1:8に「恥じては行けません」という言葉や Ⅰテモテ4:12に「だれからも軽んじられてはなりません」という言葉からはとても、堂々とした伝道者というイメージはでてきません。 また、これも先日お話しをしたことですが、Ⅰテモテ5:23に「これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、度々起こる病気のために、ブドウ酒を少し用いなさい。」とあるようにテモテは、胃を痛めたり、度々病気をする病弱な人であったようです。
 どうでしょうか。私たちも、このテモテに似たところがないでしょうか。今日本は、クリスチャン人口が、1%と言われています。この中には、家庭の中で、自分だけがクリスチャンだと言う方もおられるかもしれません。また、学校や職場の中で、自分だけがたった一人のクリスチャンだと言う方もおられるでしょう。そのような中で、御言葉を宣べ伝えることは、大変勇気のいることです。テモテのように臆病になってしまったり、胃が痛くなってしまうこともあるのではないでしょうか。      それでは、どうして、精神的にも肉体的にも弱いテモテが、忠実に奉仕をし、エペソの教会を牧会することができたのでしょうか。それは、彼がいつも聖書の御言葉に立っていたからです。
 ロンドン伝道協力宣教師として中国伝道にたずさわった、ロバート・モリソン(1782~1834)は、中国人のために漢訳聖書を翻訳しました。 中国は共産主義国ですから、当時聖書を翻訳しているのが、見つかれば必ず死刑にされることが解っていましたが、彼は翻訳を止めませんでした。 ある人に「どうして死の危険まで犯してまで、聖書を訳しているのですか。」と聞かれた時、彼はこう答えたそうです。「聖書には『わたしの言葉は火のようではないか。また、岩を砕く金槌のようではないか』と書いてあります。わたしは、中国の人々に福音を語ることは禁じられていますが、神の言葉を翻訳すれば、神はそれを読む人の内に働いてくださることを確信しているからです。」 聖書翻訳に対する熱意は、ついにこの中国の友をキリストへと導いたのです。1819年、モリソンは中国語訳「神天聖書」を完成しました。彼は、1834年に亡くなりましたが、聖書に「わたしは死んでも、なお語っている。」とあるように、彼の翻訳した中国語聖書は、今もなお語り続けているのです。
 私達は、聖書の御言葉を読むだけではなく、の確信に立つ事が大切です。
3章16~17節をご覧ください。

「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。」

   聖書は、神の霊の導きの下にかかれた、人生の道しるべです。どうか、新しい年、この御言葉をしっかりと握りしめてください。そして御言葉の確信にたって素晴らしい一年を過ごさせていただきましょう。


(3)テモテは時がよくても悪くても御言葉を宣べ伝えた。

  4章1~2節

 「 神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。」

2節に「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」とありますが、パウロこの手紙を書いた時代は、折が悪い時代でした。この時代は教会の外側と内側の2つの意味で悪い時代だった問いえると思います。
 まず、3:11と12をご覧下さい。「アンティオキア、イコニオン、リストラでわたしにふりかかったような迫害と苦難をもいといませんでした。そのような迫害にわたしは耐えました。そして、主がそのすべてからわたしを救い出してくださったのです。キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆、迫害を受けます。」
 ここに記されているように教会の外側からは大変な迫害がありました。 紀元61年に、パウロはローマでキリストを伝えるという理由で投獄されます。そして、63年に一度は釈放されるのですが、ちょうどこの頃にローマの大火が起こりました。当時のローマの皇帝ネロは、この大火をキリスト信者が起こしたとキリスト信者のせいにして、キリスト教の迫害を始めるのです。この迫害は大変なもので、ある者は、はりつけにされました。またある者たちは猛獣の檻の中に投げ入れられて命を失いました。また、ある者たちは火の中に投げこまれました。このようにして多くのキリスト者が殉教の死をとげたのです。  そのような中で、パウロは再び紀元65年に投獄され68年に殉教の死を遂げることになりますが、その死の直前にこの手紙を書いたのです。 ですから、どう考えても良い時代だったとは言えません。
 また、テモテが牧会していたエペソの教会の内側にも大変な問題を抱えていました。

 4章3~4節をご覧下さい。「だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。」
 ここにあるように、エペソの教会に、異端の教えが攻撃をし信徒の中からも教会を離れていったり、教会を分裂させようとする人たちも起きてきました。
 そのような大変な中で、パウロは、テモテに対してこう命じるのです。1~2節「神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。」
 ここに「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」とあります。 どうして、このような悪い時代に御言葉を宣べ伝えなければならないのでしょうか。
 その理由が1節にあります。「キリストの出現とその御国とを思い」とあります。「キリストの出現」というのは再臨の日です。再び、主は必ずこらます。そしてそのとき全てのことが明らかにされるのです。そのとき、この世の全ての力は滅んでしまいます。 ただ残るのは、永遠に変わることのない主の言葉だけなのです。だから、この世の様々な問題に煩わされるのではなく、永遠に変わることのない「御言葉を宣べ伝えなさい」と言っているのです。
 そして、そのために神様は、あのテモテを用いられました。 そして、テモテを用いられた主は、あなたを必要としておられるのです。
 スコットランドの小さな町にある教会で、一週間リバイバル集会が行われました。しかし、町の人たちは生活のために働くことで忙しく、教会で行われているリバイバル集会には興味を示しませんでした。牧師は毎日集会で、罪を悔い改めてイエス・キリストを救い主として受け入れ、人生を主に献げるようにと招きをしました。ところが、誰一人その招きに応えて立ち上がる人はいませんでした。 一週間が過ぎ、最後の集会で招きをしました。その招きに一人の少年だけが招きに応えて前に出てきました。牧師は、「一週間の集会で一人の少年しか、招きに応えないのか」と失望しました。 しかし、前に出てきた少年は、イエス・キリストを受け入れると同時に、献身をすることを決心しました。その少年の目は、情熱に燃えていました。その少年の名前は、デイビッド・リビンストーン。 リビングストーンは、「神様、私の命をあなたに献げます。私にアフリカを与えてください。」と祈りました。そして、その祈りの通り、当時「暗黒の大陸」と呼ばれていたアフリカ大陸に、イエス・キリストの福音を宣べ伝え、アフリカにリバイバルの業が行われたのです。 「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」 スコットランドで、リバイバル集会が行われた的、御言葉を宣べ伝えても、それに耳を傾けて、決心をする人は少なかったのですが、神様はたった一人の御言葉に従う人を通して、リバイバルを起こされ、多くの魂を導いてくださったのです。
「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」

 今日も神様は、私たちに神様が永遠に変わらない御言葉を委ねていて下さっています。 私たちは、聖められたクリスチャンとして「折が良くても悪くても」御言葉を宣べ伝える者とさせていただきましょう。そして、私たちの人知を超えた素晴らしい神様の御業を見せていただきましょう。

 

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毎週水曜日10:30〜

 

祈り会(夜)

毎週水曜日19:30〜

 

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Illustration by c-awase