主日礼拝 3/18

「律法の中で一番重要なこと」 マタイ23:13~36

イエス様は、あの山上の説教で、「心の貧しい人は幸いである。」と繰り返し、幸いであると、至福の教えを語られました。 ところが、今日の聖書の箇所には、お気づきになった方もおられると思いますが、「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。」という言葉が6回も繰り返し語られています。
 メッセージの準備をしながら、この不幸の教えから、どのような福音を語れば良いのか悩みました。でも、何度も繰り返し読んでいるうちに、山上の説教の「幸いである」という御言葉と、今日の「あなたたち偽善者は不幸だ。」という言葉は、決して別のものでは無いということを知らされました。 山上の説教では、幸いになる方法を指し示し、今日の聖書の箇所では、不幸な道を歩んでいる者を悔い改めに導いて、幸いな、きよい道を歩んでほしいという、どちらもイエス様の愛のメッセージです。 ですから、今日の聖書の、「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。」  と繰り返し書かれている御言葉を読む時に、律法学者やファリサイ派の人々を裁くような思いで読むのでは無く、私たちの心を探っていただきましょう。そして、もし、私たちの心の中に、「あなたたち偽善者は不幸だ。」  と言われるような心と生活があるならば、素直に悔い改めて、私たちの心をきよめていただき、幸いな歩みをさせていただきましょう。

今日の中心の御言葉は、23節です。「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。薄荷、いのんど、茴香の十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もないがしろにしてはならないが。」
 ここに「律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。」とあります。 イエス様は、マタイ22:37~40で最も重要な掟について語られました。

36~40節「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」 

 ここで、イエス様は、最も重要な掟は、神を愛し人を愛することだとおっしゃいました。そして、ここでは、その愛に基づいた、正義、慈悲、誠実が、律法の中で最も重要な掟だと語られています。 愛には、いろいろな現れがあります。たとえば、Ⅰコリント13:4~7には「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」  とパウロは、書いています。 神様を愛する愛、人を愛する愛、それは私たちの心と生活の中に表される非常に豊かなもので、ちょうど、光をプリズムを通すと、7色の色が輝くように、愛という光が、私たちの心と生活の中でいろいろな形で輝き出すのです。
 ところが、今日の聖書の箇所を読むと、当時の律法学者たちやファリサイ派の人々は、この一番重要な律法をないがしろにして、大きな誤りを犯していました。その誤りを通して、私たちの心と生活はどうだろうかと、心を探っていただきましょう。そして、そのような罪があるならば、その罪を悔い改めて、十字架の血潮によって清めていただきましょう。
 今日の聖書の箇所には、7回「不幸だ。」という言葉が繰り返されていますが、この不幸を大きく3つに分けることができます。
 

 

(1)彼らの教えの間違いについて(13~22) 

イエス様は、1番目から3番目の不幸として、律法学者たちとファリサイ派の人々の教えについての間違いについて語られています。

①一番目の不幸は天の国を閉ざす罪です。

13節 「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。人々の前で天の国を閉ざすからだ。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない。」

  私たちは、どうすれば、天国に行くことができるのでしょうか。それは、ホサナの生徒でも知っています。ただ、イエス様を信じるだけです。イエス様は、私たちの罪の身代わりに十字架に架かって下さいました。そのイエス様を信じるだけで、私たちは天国に行くことができるのです。
  ところが、律法学者やファリサイ派の人々は、人間的に見ると、大変立派で、まじめでしたが、彼らは律法を行うことによって義とされると信じていたのです。 そこで、イエス・キリストの福音を拒絶して、人々にもそのように教えて、天の国に入らせようとはしませんでした。
  使徒言行録9章には、パウロの回心のことが記されています。パウロは、厳格な律法学者で、律法を守ることによって救われると信じていました。そこで、イエス・キリストの十字架を信じるだけで救われると信じていと信じていたキリスト者を許すことができず、ダマスコにいるキリスト者たちに、殺害の手を伸ばそうとしていたのです。 ところが、そこで、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」(使徒9:4)というよみがえりの主の御声を聞いたのです。パウロはこの時、よみがえりの主に出会い、180度の方向転換をして、福音を信じました。 しかし、パウロのように悔い改めた人はほんの一握りの人たちで、ほとんどの律法学者たちは、高慢になり、罪を認めようとはしませんでした。その結果、自分が天の国に入ることができないだけでなく、間違った教えによって、他の人々が天の国に入ることを妨げていたのです。 それに対して、イエス様は、「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だと嘆いているのです。
②二番目の不幸は、改宗者をつまずかせる罪

 15節「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。改宗者を一人つくろうとして、海と陸を巡り歩くが、改宗者ができると、自分より倍も悪い地獄の子にしてしまうからだ。」  律法学者は、異邦人にユダヤ教を伝え、改宗させて熱心に律法を教え込みました。人は律法の行いによっては救われませんから、彼らの行き先は、永遠の滅びです。 そして、異邦人がユダヤ教に回心すると、熱心に律法を自分たちの仲間に伝えたようです。間違った教えを伝えるということは、何倍も多くの人を滅びに向かわせる、「地獄の子」だとイエス様は、言われているのです。
 その点、異端と言われる人たちは、大変熱心です。

 そのような時代だからこそ、救いに預かっている、私たちクリスチャンが福音を伝えなければならないのではないでしょうか。 もう、すでに被災地でも異端が手を伸ばして、伝道をしていると聞きました。その悪の手が回る前に、私たちは、福音を宣べ伝えましょう。 先日は、「東北・希望の祭典」が行われ、延べ人数1万人以上の方々が集われたとお聞きし御名を崇めました。また、被災地に次々に開拓伝道が行われ、教会が建てられています。 そして今日は、午後から岩沼市で、イエダ・シンガーズ復興応援コーサートが行われます。ぜひ、参加していただき、福音を一人でも多くの方にお伝えしましょう。

③三番目の不幸は、間違った誓いを行う罪(16~22節)

16節 「ものの見えない案内人、あなたたちは不幸だ。あなたたちは、『神殿にかけて誓えば、その誓いは無効である。だが、神殿の黄金にかけて誓えば、それは果たさねばならない』と言う。」 『』をご覧ください。『神殿にかけて誓えば、その誓いは無効である。だが、神殿の黄金にかけて誓えば、それは果たさねばならない』  これは、彼らが主張していたことです。彼らは神殿にむかって誓ったことは、その誓いは果たさなくて良いが、神殿にささげられた黄金に向かって誓ったことは果たさなければならないと教えていたのです。 これは、彼らが考え出したことで、誓いを果たせなかった時の言い逃れで、聖書が教えていることではありません。 神殿にささげられた黄金よりも、神殿自体の方が、重要であることは誰が考えても解ります。しかし、彼らはそのような常識を曲げてでも、逃げ道を作ろうと自分たちの都合の良い、律法を定めていたのです。 そのような律法学者に向かって、イエス様は、16,17,19節で「ものの見えない案内人、あなたたちは不幸だ。」 「ものの見えない人」と繰り返し語られているのです。 神殿に向かって誓ったことは、神殿に住まわれる神様に誓ったことです。また、天を差して誓ったことは、天におられる父なる神様を差して誓ったことです。ですから、その誓いは果たさなければならないのです。 しかし、律法学者たちは、誓っても、それを果たさない言い逃れとして、自分たちの都合の良い律法を定めていたのです。
 ここまで、3つの不幸について見てきましたが、この3つの不幸は、彼らの教えが間違っているということで共通していました。 私たちも、福音を正しく教えずに、行いによって救われると説いたり、聖書以外に自分たちの考えを勝手に付け加えて、人々が天の国に入る妨げをしたり、誤った道に導くなら、必ず神様の裁きを受けなければならないのです。 素直に福音を信じ、聖霊に導かれて、聖書の御言葉だけを神の言葉と信じて、幸いな道を歩ませていただきましょう。

 

(2)彼らの信仰の伴わない行いについて

 続いて、イエス様は4番目から~6番目の不幸について語られます。ここには、律法学者の行いに関することが語られています。
④4番目の不幸は、十分の一の献げ物に関する罪です

23節「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。薄荷、いのんど、茴香の十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もないがしろにしてはならないが。」  モーセの律法には、地の産物である、穀物、ぶどう酒、油などの十分の一をささげることが命じられています。(レビ27:30、申命記14:22,23)  それは、神様からの祝福をいただく大切な教えでしたが、彼らは、さらに、「薄荷、いのんど、茴香」  などような、ささいなものではないものまで、十分の一をささげて、自分たちがいかにも律法を守っているかのように誇っていたのです。 そのような、彼らに対してイエス様はこうおっしゃいます。「律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである。」  彼らは、目に見える行いは立派でしたが、律法の中で一番重要な、正義、慈悲、誠実をないがしろにして、罪人や徴税人を哀れまず、やもめの家を食いつぶして、不正の利益をむさぼっていたのです。
Oそのような律法学者に対して、イエス様は、24節でこうおっしゃっています。「ものの見えない案内人、あなたたちはぶよ一匹さえも漉して除くが、らくだは飲み込んでいる。」  「ぶよ」は非常に小さな虫で、ぶどう酒に入るので、ユダヤ人は、ぶどう酒をこして、この虫を除いていました。 つまりイエス様は、律法学者は非常に小さなことには厳格であるのに、一番重要な点がおろそかにされていると言われたのです。 十分の一のささげものをささげることは、大切なことです。しかし、正義や慈悲、誠実に神と人とに仕えることのほうが、もっと重要であると指摘しているのです。

ホセア6:6「わたしが喜ぶのは/愛であっていけにえではなく/神を知ることであって/焼き尽くす献げ物ではない。」  神様は、私たちの心を見られるお方です。正義、慈悲、誠実な心をもって主にお仕えしましょう。
⑤5番目の不幸は、外側だけをきれいにする偽善です(25~26)

25節 「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。」  「杯」や「皿」というのは、律法学者やファリサイ派の人々を指しています。彼らは、外側はきれいにしていましたが、内側は強欲と放縦に満ちていたのです。そのような彼らに対して、「ものの見えないファリサイ派の人々」と言っています。
⑥6番目の不幸は、白く塗った墓のような心です(27~28)

27節「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。」 

民数記19:16などには、墓に触れると汚れると書かれています。そのために、過越祭の前になると、お墓を白く塗る習慣がありました。それは、エルサレムに来る巡礼の民が、誤って墓に触れて汚れることのないようにするためでした。イエス様は、そのことを心にとめながらこの言葉を語られたと言われています。 外側は白く塗られているので、きれいに見えますが、内側は汚れたものでいっぱいになっているのです。これこそまさに「偽善」です。
 それは、私たちクリスチャンに対する警告でもあります。 服装はきちんとし、態度はきちんとしていても、私たちの内側が問われるのです。 教会では、素晴らしい祈りをささげ、多額の献金を献げ、熱心に伝道をしていても、それが人に見られるためのものであったり、心の中に汚れや欲望があるなら、それは、イエス様が言われておられるように「白く塗った墓」と同じです。 何よりも大切なのは、まず、心が聖霊によってきよめられることです。そうすれば、外側にそのきよい心が表されていくのです。 人目を意識して、人から賞賛されようとする行いではなく、心の深いところから自然にわき出てくるきよい行いによって、いつも生活をさせていただきましょう。

 

(3)彼らの神様に対する反逆について

⑦7番目の不幸は、神に対する反逆(29~36)

29節「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。」 

彼らは、預言者の墓を建てたり、正しい人の祈念碑を飾ったりすることで、過去のユダヤ人たちが、預言者を殺したような罪は犯さないと考えていました。 ところが、彼らは、先祖たちと同じように、神様に反逆をしていました。それどころか、神様から遣わされた、聖い神の一人子を殺そうとしたのです。 そこで、イエス様は、32節で「先祖が始めた悪事の仕上げをしたらどうだ。」と痛烈な批判をしていているのです。 そして、ついに、彼らの罪に憤られて、33節で 「蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか。」  と激しい言葉で語っておられます。彼らは、神様からの刑罰を逃れることはできないのです。
 律法学者やファリサイ派の人々の、7つの不幸を学んできました。 このような人々をイエス様は「偽善者」と呼んでおられますが、どうでしょうか。そのような偽善者のように、行いの伴わない口先だけの信仰では無かったでしょうか。 また、私たちの信仰生活が、外側だけを飾って、内側が汚れている「白く塗った墓」のようになってしまうことがなかったでしょうか。 また、イエス・キリストを信じる信仰によってだけ救われるのに、行いによって義とされるかのように、間違った信仰に縛られていなかったでしょうか。 もし、私たちの心の中に、律法学者やファリサイ派の人々のような心があることを示されているのに、そのままにしておくならば、私たちは、神様に反逆する罪を犯し、裁きを受ける時がやってくるのです。 しかし、イエス様は、そんな私たちをも愛して下さり、私たちのすべての罪をその身に負って、十字架に架かって下さいました。そのイエス様の前を告白し、悔い改めるなら、それらの罪は許され、清められるのです。

  最後に23節を読みましょう。「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。薄荷、いのんど、茴香の十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである。」
 律法の中で最も重要なことは、愛に基づいた、正義と慈悲と誠実です。私たちの罪を悔い改めて、正義と慈悲と誠実をもって、神様の愛を生活の中で表すお互いとさせていただきましょう。

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毎週日曜日 16:30〜

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毎週木曜日 16:00~

 

祈り会(昼)

毎週水曜日  10:30〜

 

祈り会(夜)

毎週水曜日  19:30〜

 

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Illustration by c-awase