ファミリー礼拝 4/1

今日は、棕櫚の聖日です。 イエス様が子ロバに乗られて、エルサレムに入場された時、群衆が「ホサナ、ホサナ」と棕櫚の葉っぱを引いてお迎えしたところから、棕櫚の聖日と呼ばれるようになりました。そして、今週は受難週です。今週の木曜日に最後の晩餐が行われ、イエス様は弟子たちの足を洗われました。そして、その日に、イエス様は兵士に捕らえられ、裁判にかけら、私たちの罪のために十字架に架かって下さったのです。 今週は、受難週です。水曜日は、受難週の特別連鎖祈祷日です。みんなで、心からの祈りをお献げしましょう。そして、金曜日の7時から、「十字架礼拝」を行います。私たちの罪のために十字架に架かられたイエス様を見上げましょう。 そして、来週の日曜日はイースターです。よみがえられたイエス様に心からの礼拝をお献げしましょう。

今日の中心の御言葉は43節です。「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」
 イエス様は、十字架にかけられるため、ゴルゴダという丘に連れて行かれることになりました。その丘は、「されこうべ」と呼ばれガイコツ形をしています。 イエス様は、前の日に、夜通し裁判にかけられ、ムチで打たれましたから、疲れ果てて歩くのもやっとでした。 たくさんの人たちが、十字架にかけられるイエス様を見ようと、通りに集まっていました。イエス様をからかう人、「イエス様かわいそう」と言って涙を流す人、いろいろな人で町中大騒ぎです。 その中に、田舎から出てきたシモンという人がいました。イエス様が目の前を通った時、突然兵士がシモンの腕をつかみました。「おい、お前、この十字架を背負って一緒に来い。」 兵士は、無理やり、イエス様がかけられる十字架をシモンの肩に乗せました。大きくて重たい十字架を、シモンは引きずるようにして運びました。
 ゴルゴダの丘に着くと、イエス様は十字架の上に寝かせられ、手と足に太い釘を打ち付けられました。そして、その十字架が立てられる時、全身の体重が釘づけられた手足にかかって、大変に苦しみでした。 イエス様が、十字架に連つけられた時、二人強盗も十字架につけられて、ゴルゴダの丘には三本の十字架が並びました。 十字架刑は、歴史上最も残酷な刑と言われていますが、痛みと苦しみが長く続き、だんだん弱って死んでいく恐ろしい刑です。 イエス様は、その苦しみの中で、こう祈られました。34節「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」  周りには、自分を十字架につけた、ファリサイ派の人々や律法学者もいました。そして、自分のつばきをかけたり、両手両足に釘を打ち付けた兵士たちもいたのです。それのに、イエス様はその人たちを愛されて、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」ととりなしの祈りをされたのです。 しかし、兵士たちは、くじを引いて、イエス様の服を分け合っていました。そして、民衆はイエス様をあざ笑い、議員たちは「あなたが救い主なら、自分を救ってみろ」と口々にののしりました。
 イエス様の横で十字架にかけられた強盗の一人が言いました。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救って、おれたちを助けてみろ。」 この強盗は、たくさんの罪を犯して、十字架につけられたのに、その罪を悔い改めようとしないで、イエス様をののしったのです。
 ところが、もう一人の強盗が、言いました。「おい、やめないか。おれたちは、自分のやったことの報いを受けているのだから、当たり前だ。しかし、この方は何も悪いことをしていないのだ。」 そして、イエス様の方を向いてこう言いました。「イエス様、あなたが御国に行かれた時には、わたしを思い出してください。」 イエス様には、この強盗が、心から自分の罪を悔い改めて、イエス様を信じていることが解りました。そこで、イエス様はこうおっしゃいました。43節「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」
 やがてイエス様は、大声で「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」  と言って息を引き取られました。その出来事をすっと見ていた百人隊長は、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美しました。
この聖書の箇所から二つのことをお話したいと思います。


(1)イエス様は、すべての人のために十字架に架かられた

 イエス様が、十字架につけられた時、裁判官のポンテオ・ピラトは、22節で「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。」  と言っています。 また、十字架の出来事をすっとみていた百人隊長も、「本当に、この人は正しい人だった」と言っています。  どうして、そのような正しい人が、十字架に架からなければならなかったのでしょうか。 それは、私たちすべての人の罪の身代わりです。本当なら、罪を犯した私たちが十字架で罰を受けられなければならなかったのに、イエス様、そんな私たちの罪のために、34節「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」と、十字架上でとりなしの祈りをしてくださいました。そればかりか、私たちの罪の身代わりに十字架で命を捨てて下さったのです。
 先週、キリスト塩釜ともしびチャペルに講壇交換でご奉仕させていただきましたが、うれしいお知らせを聞きました。それは、今度のイースター礼拝で、山形南部教会から塩釜ともしびチャペルに転入会した山口さんの次女、今度小学校に入学する「美玲」ちゃんがバプテスマを受けます。 夕拝の時にもお話をしましたが、礼拝後の食事の時、美玲ちゃんに「どうして、洗礼を受ける決心をしたの?」と聞きました。すると、「パンとブドウジュースが飲めるから」と答えました。「え~それだけ?」と聞き返すと、「うん、それだけ。」と答えました。それはちょっとまずいんじゃないかなと思っていると、美玲ちゃんは、すっと立ち上がって、ホワイトボードに絵を描き始めました。 まず大きな川を描いて、こちら側に、みれいと描きました。そして、向こう側に神様の絵を描いて、神様と書きました。そして、その川に、十字架を描いて、イエス様の絵を描いたのです。そして、美玲ちゃんが、その十字架を渡って、神様の所に行って、神様と手を繋いでいる美玲ちゃんの絵を描いたのです。 その絵を見ながら、イエス様がヨハネ14:6の御言葉を思い出しました。「イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」 私たちは、罪を犯したたため神の栄光を受けられなくなっています。 ちょうど、美玲ちゃんが描いた川のように、神様と私たちの間には、大きな川があって、神様の所に行くことはできません。しかし、イエス様が十字架に架かって下さって、私たちと神様の間に橋をかけて下さったのです。 そのイエス様だけが、御国に行く道であり、真理であり、命なのです。  わたしは、美玲ちゃんの絵を見ながら、子どもの信仰は、本当に素晴らしいなと思わされました。幼子のようにイエス・キリストを信じるものは誰でも救われます。
(2)十字架上で救われた強盗を通して

 イエス様が十字架にかけられた時、3本の十字架が立てられました。 一本はイエス様の十字架で、左と右に強盗が十字架につけられました。 その時、一人の強盗は、イエス様をののしって「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」  と言いますが もう一人の強盗は、40~42節でこう言っています。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」  そして、42節で、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言っています。  その強盗に対してイエス様は、こうおっしゃいます。43節「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」この強盗は、人生の最後の最後で、イエス様の十字架によって救われたのです。人生最大の大逆転です。
 この救われた強盗から三つのことを教えられます。

①どんな罪人でも、救われるということです。

 この強盗は、ユダヤで一番大きな罪を犯した死刑囚でした。そのような人も救われたのです。イエス・キリストの十字架は、どんな罪でも救うことができるのです。 自分のような罪人は救われないと思っておられる方はないでしょうか。いくらイエス様でも、私のような者は救うことはできないとあきらめていないでしょうか。 そんなことはありません。イエス様と一緒に十字架にかけられた強盗でさえ救われたイエス様は、どんな罪人でも救うことのできるお方です。
②だれでも遅すぎることはない

 この強盗は、十字架でなくなる直前に救われました。救われるのに、遅すぎることはありません。最後の一息まで、どんな人にも、生きている限り救いの道が開かれているのです。
③だれでも信じるだけで救われる

 十字架にかけられた強盗は、何か良いことができたでしょうか。もし、ここでイエス様が、もっと奉仕をしなさいそうすれば救われるとか、もっと聖書をよく読みなさいそうすれば救われると何か良い行いをするように言われたらどうだったでしょうか。この強盗は、両手、両足を釘づけられていましたから、何もできずに滅びるしかなかったのです。 ところが、彼に一つだけできることがありました。それは、十字架上で自分の罪を認めて、イエス様を信じることです。この強盗は、イエス様を信じた時に、「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」という約束をいただいたのです。
 先日、利府のスーパーアリーナで「東北・希望の祭典」が行われました。延べ人数で1万人以上の人たちが集われ、300人以上の人たちがイエス様を信じる決心をされたと聞いて、御名を崇めました。 その時に、メッセージをされたのが、フランクリン・グラハム先生でしたが、そのお父さんは、ビリー・グラハムで、世界中でたくさんの人たちに神様の愛を伝えた人です。 そのビリー・グラハムが、何万人も集まったクルセードの中で、こんなことをされたそうです。 先生は、ポケットの中から、金の懐中時計を出されました。そして、「この時計が欲しい方に差し上げます。さぁ、取りに来てください。」と言いました。何万人も集まっている中で、その時計を取りに行くのは勇気がいります。誰も、それを取りに行こうとはしませんでした。ところが、その中にいた、一人の男の子が、「先生、ぼくその時計いる。」と言って、前に進み出たのです。 ビリー・グラハム先生は、とても喜んで、その男の子の所に駆け寄って、その高価な金の時計を渡しました。すると、その少年は「ありがとうございます。」と言って、その時計を持って帰りました。 ビリー・グラハムは、その時に、このような話しました。聖書にはこう書いています。BIBLE SED 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)  イエス様は、私たちの罪のために十字架に架かって死んで下さいました。今の少年のようにただ信じて受け取るだけで、誰でも救われるのです。遅すぎることはありません。今日、イエス様を信じてください。 その日、多くの人たちがイエス様を信じて、招きに答えて前に進み出たのです。
 最後に三本の十字架を見上げましょう。 イエス様は、私たちの罪のために十字架に架かって下さいました。そして、イエス様を信じるだけで、どんな罪でも許されるのです。 一人の強盗は、十字架を前にしても、イエス様をののしり、信じようとはしませんでした。 それに対して、もう一人は、自分の人生の最後の最後で、自分の罪を認め、罪を悔い改めてイエス・キリストを信じてました。
 私たちは、十字架を前にどのような態度をとるでしょうか。十字架に架かられたイエス様を前に、悔い改めてイエス様を信じたあの強盗のように、私たちも罪を悔い改めて、イエス様を信じましょう。 ただイエス様を信じるだけで、その救いの福音を受け取るだけで、イエス様は、私たちにもこうおっしゃってくださるのです。43節「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」


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Illustration by c-awase