9/23 主日礼拝

「激しく泣いたペトロ」マタイ26:69~75

今日の中心の御言葉は、75節です。「ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。」

イエス様は、十字架にかかられる前にゲッセマネで祈られましたが、その祈りの後で、イスカリオテのユダがイエス様を裏切って、祭司長達や民の長老達の遣わした群衆が剣や棒を持って、逮捕するためにやって来ました。 そして、イエス様は、大祭司の庭に連れて行かれますが、ペトロはその後から遠く離れて隠れるようについていきました。
 パレスチナの裕福な家は、中庭の周囲に棟が建っていて、各部屋は中庭に向かって開くようになっていました。 ですから、ペトロが大祭司の庭に入るということは、四方から取り囲まれた猛獣のおりに入るようなものでした。ペトロは、最初は弟子のリーダーとして、大胆に大祭司の中庭に入っていったのです。
 その中庭でペトロが3度も、イエス様のことを知らないと言ったことが今日の箇所に書かれています。
 ペトロは、どうしてこのような大失敗をしてしまったのでしょうか。①ペトロは「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」(マタイ26:35)と言っていますが、自分の力により頼んだこと。
②ゲッセマネの祈りで、イエス様は弟子たちに「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。」(26:41)と言われたにもかかわらず、祈らずに眠ってしまったこと。
③26:58に「ペトロは遠く離れてイエスに従い、」  とありますが、「遠く離れて」イエス様に従うようなひきょうな態度だったこと
④大祭司の庭で58節の後半に「大祭司の屋敷の中庭まで行き、事の成り行きを見ようと、中に入って、下役たちと一緒に座っていた。」  とあるように、不信仰な下役たちの話し相手になったこと。
⑤1度あいまいな態度を取ったため、2度も3度も同じような返事をしなければならなくなったこと
 そのようにして、ペトロは、階段を下りるようにして、罪の深みにはまっていきました。しかし、イエス様は、そのようなペトロをなおも愛し続けられました。そして、そのような中でもペトロは、イエス様の愛によって支えられ、悔い改め、立ち直って用いられるのです。今日の聖書の箇所から、そのペトロに注がれた、イエス様の愛を知ることができます。
(1)中庭にとどまったペトロ

 ペトロは心配のあまり、大祭司の中庭には行って行きました。ところが、一人の女中が、ペトロを弟子のリーダーとして覚えていたようです。そこで、彼女はペトロの近くに寄ってきて、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」  と言ったのです。 ペトロのこの時の驚きは、心臓が飛び出すほどの大変な驚きだったと思います。思わずみんなの前で「何のことを言っているのか、わたしには分からない」と言ってしまったのです。 普通の人なら、一目散に逃げてしまうところでしょう。しかし、ペトロは入り口の所まで退いたところで、とどまったのです。 この時、ペトロの気持ちは、逃げ出したいという恐怖と、とどまりたいというイエス様への愛が、心の中で闘っていたのではないでしょうか。 ところが、そのような時に、その入り口でも、ほかの女中が彼に目を留めて、側にいた人に「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と言ったのです。 すると再びペトロは、「そんな人は知らない」  と言いました。72節には「誓って打ち消した。」と書かれていますから、どんなに強く打ち消したが分かります。 しばらくすると、別の人がペトロの側に寄ってきて「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。」と言い始めたのです。ペトロは、ガリラヤの出身です。日本でいうと東北弁のようななまりがあったのです。その言葉遣いから、ペトロがイエス様の弟子であることが、見破られてしまったのです。

 すると、ペトロは、「そんな人は知らない」と言ってしまうのです。それも、74節には、「呪いの言葉さえ口にしながら」  と書かれていますから、どんなに強い否定のことばであったかが分かります。 それでも、ペトロは、ペトロは中庭を立ち去ろうとはしませんでした。なぜ、ペトロは、この時中庭を立ち去ろうとしなかったのでしょうか。それは、イエス・キリストの愛の故でした。 ペトロは、約三年間、イエス様と寝食を共にしました。そこで、イエス様がペトロをどんなに愛しておられたかを実感していました。特に、前の日には、イエス様が弟子たちの足を洗われたのです。ペトロは、そのイエス様の愛を考えると、とてもその場所から立ち去ることはできなかったのではないでしょうか。 ペトロをその場所にとどまり続けさせた勇気は、イエス様の愛の故でした。

75節「ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。」

 ペトロが、3度イエス様を「知らない」と言うと、すぐに鶏が鳴きました。その時に、ペトロはイエス様の言われた言葉を思い出したのです。 26:34節でイエスは言われた。「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」と預言されています。 この御言葉を思い出したペトロは、イエス様は、わたしの全てをご存じの全知全能の神であると心から信じることができたのではないでしょうか。 そして、イエス様は、自分の弱さや足りなさをご存じで、それでもわたしを愛しておられる愛のお方であることを知ったに違いありません。このイエス様の御言葉が、ペトロを立ち上がらせたのです。

Ⅰペトロ1:24~25「こう言われているからです。「人は皆、草のようで、/その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、/花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。」

 ペトロは、自分の経験からこの御言葉を書きました。「主の言葉は永遠に変わることはない。」この御言葉に堅く立って、私たちも立ち上がらせていただきましょう。
(3)激しく泣いたペトロ

75節「ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。」 

 この時、ペトロは、外に出て「激しく泣きました。」 それは、3度もイエス様を知らないと言ってしまったことへの深い悔い改めの涙でありました。しかし、それは自分の罪への悔しさや、情けなさからだけの涙ではありませんでした。 ペトロは「激しく泣いた」涙と共に、罪を悔い改めて立ち直る事ができたのです。 どうして、ペトロは立ち直る事ができたのでしょうか。
①イエス・キリストの愛のまなざしの故です。

 それは、ルカ22:61を読むとよく分かります。「主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。」 

 イエス様は、ペトロが3度「知らない」と裏切ってしまった時、振り向いて、ペトロを見つめられたのです。それは、愛のまなざしでした。「ああ主のひとみ まなざしよ。三度わが主をいなみたる。弱きペトロをかえりみて、ゆるすはたれぞ、主ならずや。」とあるように、この時の主のまなざしは、愛のまなざしでした。3度イエス様を裏切って、取り返しの付かない罪を犯したたペトロでしたが、そんなペトロにイエス様は、大丈夫だよ。わたしはそれでもあなたを愛しているよ。そのあなたのためにこれから十字架に架かるのだと、イエス様のまなざしは語りかけておられたのではないでしょうか。 だから、ペトロは激しく泣いて、立ち直る事ができたのです。
②イエス・キリストのとりなしの祈り

ルカ22:31~32 「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」 

 イエス様は、「わたしはあなたのために信仰がなくならないように祈った。」とおっしゃいました。そのように、イエス様はペトロが、最初に聖書の箇所をみたように、罪の下り坂を駆け下りていくような時にも、ペトロのためにとりなしの祈りをしておられたのです。 ペトロは。その祈りを感じて、激しく泣いたのではないでしょうか。
 ノースキャロライナの教会に、若い夫婦が赴任してきました。教会の人たちは、新しい牧師家族が大好きでしたが、その教会のワッツさんは、何とか牧師家族が出て行くように、脅迫まがいの手紙を送ったり、小型爆弾まで家に置くようなことがありました。しかし、牧師夫妻は、ワッツさんのことを愛し、いつかイエス様に出会うことができるようにと、心から祈っていました。 ところが、ある日大変なことが起こったのです。その牧師家族は、夫の暴力に悩む女性を家でお世話していました。そのことを知ったワッツさんは、その夫に連絡をして、牧師家族を殺すように依頼したのです。 牧師の娘のレベッカさんが家に帰ると、牧師と牧師夫人が銃で撃たれて死んでいたのです。 娘のレベッカさんはワッツさんのことも神様も許せませんでした。何年も悩みの日が続きましたが、ある日、レベッカさんは神様のお取り扱いを受けたのです。「わたしにとって大切なのは、憎むことではない。神様が一番大切だ」と思いました。レベッカさんは、今までワッツさんを憎み続けてきた自分の罪を悔い改めて、ワッツさんを許すことができるようになったのです。 レベッカさんは、その時から、刑務所にいるワッツさんのために祈るようになりました。レベッカさんが17歳の時です。ワッツさんからお詫びの電話がありました。レベッカさんがもう何年も前に許したことを伝えると、ワッツさんは、大声で泣き始めて、刑務所の中で、罪を悔い改めてイエス様に出会ったと告白したのです。 レベッカさんは、生前両親がワッツさんのために祈っていたことを思い出しました。神様が祈りを聞いてくださり、ワッツさんを救ってくださったのです。
 「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
 神様は、私たちの祈りを聞いてくださるお方です。 先日の、特伝にしばらく休んでおられた方が、久しぶりに教会に来られました。わたしにとっても、教会の方々にとっても、何よりも神様にとって、100匹の内の1匹が見つかったような、大きな喜びの時でした。 そして、私たちも祈りのしおりで祈り続けていますが、何よりもイエス様御自身がとりなしの祈りを祈り続けてくださっているということを感じました。イエス様御自身がわたしたちのために今日もとりなし続けてくださっているとはなんという恵みでしようか。
 これからも、互いに祈り続けましょう。そして、何よりイエス様が、今日もとりなしの祈りをしてくださっていることを覚えましょう。 そして、イエス様が「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」  と言われたように、兄弟たちを力づける者とさせていただきましょう。
③イエス・キリストの十字架と復活

27~28章には、イエス・キリストの十字架と復活の記事が書かれています。ペトロは、もうすでに、イエス様御自身から、十字架と復活の預言を聞いていました。マタイ20:17~19(P38)「イエスはエルサレムへ上って行く途中、十二人の弟子だけを呼び寄せて言われた。 「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して、異邦人に引き渡す。人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架につけるためである。そして、人の子は三日目に復活する。」
 そして、3度も「イエスを知らない」という罪を犯した時、ペトロはこのイエス様の言葉を思い出して、自分ではどうすることもできない、わたしの罪のために、イエス・キリストが十字架に架かってくださるのだということがペトロには分かったのではないでしょうか。その十字架と復活の愛に触れた時に、ペトロは「激しく泣いた」のです。
 宗教改革をした、マルチン・ルターという人を知っていますか。  この、ルターが、イエス様を3度知らないと裏切ったペテロのことをこう言いました。「わたしが、もし、ペトロの肖像画を描くとしたら、ペトロの髪の毛一本一本に、『罪のゆるし』と書くだろう。」 髪の毛の数を数えることが出来ますか。それくらい、私達の心にはたくさんの罪があります。けれども、その一つ一つをイエス様は十字架の血潮によって完全に許して下さるのです。
 ハプアニューギニアでの話です。昔、ドン・リチャードソンという宣教師が、原住民に伝道をしていました。 彼らは、人を裏切ることが最大の美徳と考え、旅人をもてなして安心させて、眠ったところを襲って殺すという残酷なことをしていました。 リチャードソン師が、聖書の話をしても、それを受け入れようとはしないで、かえってイスカリオテのユダが裏切る話をすると拍手喝采が起こりました。 もう駄目だとあきらめかけていた頃、隣村との間にもめ事が起こり、多くの血が流されました。そこで、族長同士が話し合い、その結果、自分たちの子どもを人質として交換することで、抗争を集結させることになったのです。 しばらくして、その儀式が行われ、リチャードソン宣教師も立ち会うことになりました。そこには、息子を手放さなければならない父親の苦渋の決断と、大声で泣き叫ぶ母親の姿がありました。 その様子を見た、リチャードソン宣教師は、今こそ福音を伝えることだと示されたのです。そして、罪人である人間に平和をもたらすために、神様がその一人子をこの地上に遣わされたこと、そして、その一人子であるイエス様が、全人類の罪の赦しのために、十字架で死なれたことを必死伝えたのです。すると、その愛に撃たれた族長自身が、大声で泣きながら、信仰告白をし、次々に救われる人々が起こされ、ついにその部落の全員がイエス・キリストを信じたのです。
75節「ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。」
 イエス様は、三度もイエス様を知らないと言ったペトロのためにも十字架にかかり、罪を全部許して下さいました。ペトロは、その愛のまなざしを見た時、またとりなしの祈りによって救われた時、そして、十字架と復活の愛を知った時、「激しく泣きました、」
 そして、イエス様は、私達のためにも、十字架にかかってくださり、今もとりなしの祈りをして下さっているのです。  このイエス様を心から信じて、従って行きましょう。

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毎週日曜日 16:30〜

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毎週土曜日   8:45〜

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毎週木曜日 16:00~

 

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毎週水曜日  10:30〜

 

祈り会(夜)

毎週水曜日  19:30〜

 

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Illustration by c-awase