10/21 主日礼拝

「ゴルゴダへ歩まれたイエス」マタイ27:27~44

先週は、ポンテオ・ピラトの裁判で、ピラトが「十字架につけろ」という群衆の声に負けて、イエス・キリストの身柄を、群衆の手に引き渡してしまったことを学びました。そして、今日の聖書の箇所には、イエス・キリストがゴルゴタへの道を歩まれることが、書かれています。 今日の聖書の箇所を読むとよく分かりますが、それは、強いられた道ではなく、イエス様御自身があえて選び取られた道でありました。

今日の中心の御言葉は43~44です。「神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。
  ピラトの兵士たちは、イエス・キリストを総督官邸に連れて行きました。この総督官邸は、神殿の北西にあったアントニアの要塞だったと考えられています。ここには、エルサレムの治安を維持するために、約200人のローマ兵が駐在していました。その部隊の全員をイエス様の周りに集めました。 そして、みんなの見ている前で、イエス様を辱めたのです。その様子が、28節以下に書かれています。

28~30節「そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱した。また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。」

  彼らは、自分たちの赤い外套を着せて、それを王様のマントに見立てて、王冠の代わりにいばらで編んだ冠をかぶらせました。イスラエルのいばらは、日本にいばらとは違い、とげが長いのです。イエス様がこれを頭に押しつけられた時、その頭は傷つき、その額から血が流れたに違いありません。 また、右手に王笏の代わりに葦の棒を持たせて、その前にひざまづいて「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱して、つばを吐きかけ、葦の棒を取り上げて、その頭をたたき続けたのです。
 それから、イエス様を十字架につけるために、官邸から連れ出したのです。 これから、イエス様は、十字架の道を歩まれるのですが、この聖書の箇所から3つのことを学びたいと思います。


(1)十字架を背負わせられたキレネ人シモン

 当時の習慣では、囚人は十字架の横木を自分で背負って行かなければなりませんでした。イエス様は、前の晩から一睡もしていませんでした。また、一度も食事を取っていなかったようです。その上、背中はむちで打たれ傷ついていました。そのような状態で、十字架の横木を背負うのです。言い伝えによれば、このゴルゴダに登っていく道の途中で、何度も倒れた言われています。 ローマ兵は、これ以上イエス様に十字架を背負わせるのは無理だと考えたのでしょう。その時に出会ったシモンというキレネ人に、その横木を無理やりに背負わせたのです。キレネというのは、北アフリカのリビア地方の町です。ですから、彼は黒人であったと言われています。そんな遠くからも、人々は巡礼のためにエルサレム神殿にやってきていたのです。 聖書には、彼についてのことは何も書かれていませんが、彼には、アレクサンドロとルフォスという息子がいました。(マルコ15:21)「そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。」  ここに書かれているルフォスのことが、ローマ16:13に書かれています。「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女はわたしにとっても母なのです。」  このルフォスが、彼の息子であるならば、彼の息子はローマで有名なキリスト者になっていたことが分かります。はっきりと書かれてはいませんが、イエス・キリストとの出会いを通して、シモン自身がキリスト者となったのかもしれません。とにかく、シモンがこの時十字架を背負ったということは、生涯忘れられない経験になったに違いありません。
イエス様は、弟子たちに、こうおっしゃいました。ルカ9:23「それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」  ここには、弟子としてのあり方が、3つ書かれています。まず、自分を捨てること、「自分が自分が」という自我を捨てて、ただキリストに従うこと。 次に、日々、自分の十字架を背負うこと。キレネ人シモンが、突然イエス様の十字架を背負わせられたように、その十字架はいつどのように与えられるかは分かりません。また、その十字架は人によって違います。その十字架を日々負い続けることです。 最後に、「わたしに従いなさい。」イエス・キリストの弟子は、イエス様に従います。
 キレネ人シモンのように、キリストの十字架を背負って、十字架の恵みに与る者でありたいと思います。
(2)十字架の苦しみを負われた主

 やがて、イエス様の一行は、ゴルゴタの丘に着きました。この場所はその形が、がい骨に似ているところから「されこうべの場所」と呼ばれ恐れられていた場所でありました。 この場所は、多くの考古学者によると、現在の聖墳墓教会のある所だと言われ、多くの巡礼者たちが訪れています。 ただ、ある学者によると、その近くに、ドクロのような形をした丘があり、その丘がゴルゴダの丘ではないかと言っています。その下には、イエス・キリストが納められたと言われている墓がありました。 そこで、兵士たちは、苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしました。

 このことは、詩編69:22で預言されていたことでした。 「人はわたしに苦いものを食べさせようとし/渇くわたしに酢を飲ませようとします。」 これは、苦しみを和らげるための薬が入ったぶどう酒でしたが、イエス様はそれをなめただけで、飲もうとはしませんでした。この時、イエス様は十字架の苦しみを味わい尽くす覚悟を決めていたのです。ここには、恐れることなく、毅然として十字架の苦しみを受けられる、イエス様の態度がはっきりと表されています。 そして、兵士たちは、イエス様を十字架につけると、くじを引いて、その服を分け合って、そこに座って見張りをしていました。 このことも詩編22:19に預言されていたことでした。「わたしの着物を分け/衣を取ろうとしてくじを引く。」  マタイによる福音書は、ユダヤ人のために書かれた福音書ですが、このように旧約聖書に預言されていることが、成就されていることを記すことによって、イエス・キリストこそが、旧約聖書から預言されていたメシアであることを表しているのです。
 なぜ、イエス様は、このように十字架の苦しみを受けられたのでしょうか。それは、私たちの罪の赦しのためでした。本当なら、私たちが受けなければならない罪の罰を、聖い神の子であるイエス・キリストが、あのゴルゴダの十字架で全て身代わりに負ってくださったのです。
 先週の木曜日と金曜日に、東北教誨師研修秋田大会が行われました。その時の記念講演の講師が、がトリックの信者の平原 薫先生が「ダルクからのメッセージ」という題で講演をしてくださいました。  ダルクというのは、様々な薬物を止めたくても止められない、薬物依存症という病気からの回復を目的とする民間の施設です。平原先生は、その秋田ダルクの代表をしておられますが、その講演の中で、ご自分の証しをしてくださいました。 彼が5歳の時に、母親が離婚をして、別の男性を連れて帰ってきたのです。けれども、どうしてもその父親になじむことが出来ずに、ずっと「おじさん」と読んでいました。そのことが、母親にとっては気に入らず、虐待を受けるようになりました。そして、中学生になった頃から、不良の仲間入りをするようになり、何度も警察にお世話になるようなことがあったそうです。そのため高校に行くことが出来ず、就職も出来ずにぶらぶらと生活をしていました。そのような時に、やくざに「やくざにならないか。やくざになると良い車に乗れるし、女にもてるし、良い物を食えるぞ。」と声をかけられたそうです。そこで、彼はやくざになってしまいました。 ところが、しばらくすると、やくざ仲間から麻薬を勧められるようになりました。最初は断っていたそうですが、もし、断り続けたら仲間はずれにされるかもしれないという恐れから、麻薬をするようになりました。そして、とうとう麻薬の虜になってしまったのです。麻薬を止めようとしても、止められません。やがて、幻覚が起きて、何度もうなされるようなことがありました。そして、何とかこの麻薬から断ち切ろうと思い、自分の小指を刀で切り取ったのです。もちろんそんなことをしても、麻薬を止めることは出来ず、苦しみは増すばかりでした。 そんな時に、前に聞いたことのあるダルクを思い出したのです。彼は、三重県のダルクに行きました。ところが、彼がやくざだということが分かると、ここでは、お世話をすることはできませんから、茨城に同じような経験をした指導者がいるから、行きなさいと言われました。何度も迷って、行ったり帰ったりしましたが、ついに茨城のダルクにたどり着いたのです。 そこで、薬物を使わない生活が始まったのです。その彼を支えたのが、イエス・キリストを信じる信仰でした。カトリックの神父がそこに来られ、彼の手を取って祈ってくれたそうです。 そして、マタイ11:28「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」  という御言葉が開かれました。その時に、こんなどうしようもない自分を招いてくださるお方がいらっしゃる、そして、こんな自分のために、イエス・キリストが十字架にかかってくださったと知った時に、自分の罪を悔い改め、自分は救われたという確信と、何とも言えない平安が与えられたのです。 そして、彼は、神様の助けによって、ダルクのプログラムを終え、20年止められなかった薬物を止めることが出来たのです。その後、各地の施設での研修を受け、2001年には、ハワイの薬物依存症施設でも研修を受け、今は秋田ダルクの代表を務めて、薬物で苦しむ方々と寄り添って生活をしておられます。
 後で、質疑応答の時がありました。その中で「あなたにとって、信仰はどのような助けになりましたか。」という質問がありました。それに対して平原先生ははっきりと「もし、わたしに信仰がなかったら、薬物から離れることは出来なかったと思います。」と答えられました。
 私たちは、罪深く、自分の力では、決して罪から救われることはできません。しかし、そのような私たちの罪のために、イエス・キリストは十字架にかかってくださったのです。そのイエス・キリストの十字架だけが、私たちの罪を赦し、私たちを罪から清めてくださるのです。そのために、イエス・キリストは十字架の苦しみをあえて選び取ってくださったのです。
(3)犠牲にあらわれた愛

 まず、37節をご覧ください。 「イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。」 

 イエス様が、十字架にかかられた時、頭の上に「これはユダヤ人の王である」と罪状書きが掲げられました。 イエス様は、確かに、ユダヤ人の王として、また全人類の王の王主の主としてこの地上に来られました。それは、ポンテオ・ピラトの裁判の中で、「お前がユダヤ人の王なのか」と聞かれた時「それは、あなたが言っていることです。」とイエス様が答えられたところからも分かります。

 ところが、彼らは、大きな勘違いをしていました。それは、彼らは権力やこの世の力によるユダヤ人の王を期待していたのです。 それは、ここに登場してくる人々の言葉を読むとよく分かります。
 まず、通行人の言葉を見てください。39~40節 「そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」  通行人は、自分の力で、自分を救い、十字架から降りて来いと言っています。
 次にユダヤ人の指導者たちは41~42節でこう言っています。「同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」  42節に後半で「そうすれば、信じてやろう。」と言っています。上から目線というか。とんでもない傲慢な姿です。
 そして、一緒に十字架につけられた強盗までもが、イエス様をののしったことが44節に書かれています。 「一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。」  彼らが、イエス様に投げつけた嘲笑と侮辱は、イエス・キリストの無力さに対する者でした。
 ユダヤ人たちは、当時イスラエルはローマの支配下にあって苦しんでいましたから、このローマ帝国を滅ぼして、イスラエルを解放して欲しいとずっと願い続けてきたのです。もしイエスがメシアであるならば、その願い通りに、ローマ帝国を滅ぼし、イスラエルを救って欲しいという切なる願いがありました。 ところが、期待していたメシアといわれているイエスは、今やユダヤ人の指導者たちの手によって、十字架で死のうとしているのです。それは、彼らにとって大きな失望でありました。 彼らは、この世の権力や力に救いを求めましたが、それが、根本的なまちがいでした。 イエス・キリストはこの世の力や権力による王としてではなく、全人類の罪をその身に負うて、十字架にかかられるためにこの地上に来られたのです。  祭司長や律法学者たちや長老たちは、十字架にかかられたイエス様を前に、「今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。」と言いました。

 この時に、イエス様は十字架を降りることが出来なかったのでしょうか。そうではありません。イエス様は神の子ですから、この十字架から降りて、「わたしこそがメシアだ」ということも、ここで自分を苦しめる人々を滅ぼすことも出来たはずです。けれども、イエス様はあえてそうはなさいませんでした。なぜでしょうか。それは、神の子であるイエス様は、全人類の罪をこの十字架で負うこと以外に救いの道がなかったからです。 ユダヤ人は、力の中にメシアを求めましたが、イエス・キリストは、十字架刑という犠牲の中に、神の愛を現されたのです。
 先週、ナムグン・ソンオクゴスペルコンサートが行われました。また、今日は、復興支援コンサートが仙台市民会館で行われます。私たちは韓国から素晴らしい神様の愛をいただいていますが、その韓国に最初に福音が伝わった時のことです。
 オーストラリア出身のジョセフ・ヘンリー・デイビス宣教師と、彼の姉のメリー・デイビス宣教師は、1889年8月22日、オーストラリアのメルボルンから船に乗って太平洋を渡り、1889年10月2日、韓国の釜山に到着しました。はじめて釜山の地を踏んだ時、彼らはまるで自分の故郷の地を踏むような気分だったと言っています。 彼らは、働きを始める前に、まずソウルで韓国語を学び、ある程度言葉が話せるようになると、釜山に向かいました。ソウルから釜山まで5日間かかりましたが、彼はその5日間何も食べることが出来ませんでした。天然痘と肺炎にかかってしまったのです。結局、釜山に到着した4月5日に天国に召されてしまったのです。デイビス宣教師は、結局夢を果たせないまま、釜山の地に埋められてしまいました。 しかし、殉教の地は、決してそのまま終わることなく、流れ続けます。神様は、恵みによってすべてのことに報いてくださいます。 デイビス宣教師の知らせは、すぐに彼を派遣したオーストラリアのメルボルンに伝えられました。そして、多くの宣教師が、彼の死を無駄にしてはいけないと、あちらこちらで立ち上がったのです。この一人の人によって韓国という国が紹介され、一粒の麦が地に落ちて死ぬことによって、多くの人々の心を燃やして、韓国のために献身することを決心したのです。そして、このデイビス宣教師の死によって、今の韓国があることを思う時に、一粒の麦が地に落ちて死ぬことが、どんなに素晴らしいことかを知らされます。 そして、何よりもその救いの源は、イエス・キリストの十字架にあるのです。

ヨハネ12:24「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」
 イエス・キリストは、私たちの救いのために、一粒の麦として、十字架で命を捨ててくださいました。その十字架の贖いによって、私たちに救いの道が開かれたのです。  その一粒の麦となって死んでくださった、私たちのイエス・キリストを見上げましょう。そして、心からの感謝と喜びを持って、この救い主を伝えさせていただきましょう。

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礼拝案内

 

ホサナ(教会学校)

毎週日曜日   8:45〜

 

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毎週日曜日 10:15〜

 

夕拝 Evening worship

毎週日曜日 16:30〜

集会案内

 

フィリア手話の会

毎週火曜日 11:00〜

 

キッズブラウン英語教室

毎週土曜日   8:45〜

                       9:35〜

毎週木曜日 16:00~

 

祈り会(昼)

毎週水曜日  10:30〜

 

祈り会(夜)

毎週水曜日  19:30〜

 

WE LOVE YAMAGATA
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Illustration by c-awase