主日礼拝 11/18

「あの方はここにはおられない」マタイ28:1~10

今日は嬉しいお知らせがあります。 MSR+から新米をいただきました。礼拝後に、岩沼でEMで作った野菜とその新米で、川上さんが料理を作ってくださいます。ぜひ、残って食べて帰っていただきたいと思います。
 MSR+の新米は、ウェスレアン・ホーリネス教団の40数教会に、感謝米と長岡玲子さんに書いていただいて、心からの感謝を込めて送ることができました。 はじめて、岩沼の田んぼを見た時、津波の泥で覆われていて、まるで死んだ土地のようでした。ところが、一年の間に泥や瓦礫が取り除かれ、雑草を根っこから取り除き、EMやEMのぼかしを蒔いて、今年の春に田植えが行われました。 そして、今年「よみがえれ、豊かに田畑」とスローガンを掲げたように、田んぼがよみがえって、収穫が与えられたのです。 死んだ田畑がよみがえったと心から喜び、感謝しました。

今日の聖書の箇所は、イエス様の復活の箇所ですが、死んだ命をよみがえらせてくださる素晴らしい恵みを味わいたいと思います。
今日の中心の御言葉は「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。」
 ユダヤ教では、土曜日が安息日ですが、その日が終わって、週の初めの日、日曜日のの明け方にマグダラのマリアともう一人のマリアが、イエス様の墓を見に行きました。 すると、突然地震が起こりました。そして、墓の入り口をふさいでいた大きな石が御使いによって、わきに転がされました。4節には「番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。」と書かれています。どんなに驚くべき事が起きたのかということが分かります。 

  ユダヤ教では、土曜日が安息日ですが、その日が終わって、週の初めの日、日曜日のの明け方にマグダラのマリアともう一人のマリアが、イエス様の墓を見に行きました。

 すると、突然地震が起こりました。そして、墓の入り口をふさいでいた大きな石が御使いによって、わきに転がされました。4節には「番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。」と書かれています。どんなに驚くべき事が起きたのかということが分かります。
 この復活の出来事を通して、3つのことをお話ししたいと思います。
(1)大きな石を取り除いた復活

27:60にイエス様のお墓の前に、大きな石が置かれたことが書かれています。

 「岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。」  この大きな石というのは、私たちに当てはめると何でしょうか。

➀わたしたちの罪です。

どうでしょうか。みなさんの心の中にこの石のような罪がありませんか?みなさんは、警察に捕まるような罪は犯してはいないかも知れません。でも、マタイ5:22には、人のことをバカと言った人は地獄の火の中に投げ込まれると書いています。そして、何よりも一番大きな罪は、私たちの罪のために十字架にかかってくださったイエス様を信じない不信仰です。そのような大きな石がないでしょうか。
②わたしたちの死です。

 人間は、どんな人も死ぬことは決まっています。どんなにお金持ちでも、どんなに勉強が出来ても、どんなに早く走れても、どんなに力があっても、人間は必ず死んでしまいます。それは、私たちにとってこの大きな石のようなもので、自分の力では取り去ることは出来ません。 でも、そんなに大きな石を取りぞかれる驚くべき出来事が起きたのです。5~7節で、御使いはこう言っています。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。 それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」  6節に「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。」とあります。
 この世の人は、世界の四大聖人として、釈迦、孔子、ソクラテス、そしてイエス・キリストの名前をあげます。しかし、釈迦も孔子もソクラテスも死んでしまいましたが、復活しませんでした。彼らは聖人を仰がれる偉大な人物であったかもしれませんが、神ではありませんでした。ただ、イエス・キリストだけが、死人の中から復活された神の子です。
 このお墓には、大きな石がありましたが、イエス様は、この大きな石を打ち破ってよみがえられたのです。 その石とは、わたしたちの罪と死です。イエス様は、私たちの罪のために十字架にかかられだけではなく、三日の後によみがえられて、罪と死に打ち勝ってくださったのです。だから、私たちもイエス様を信じて、イエス様を心にお迎えするなら、すべての罪が赦され、永遠の命をいただくことが出来るのです。
 10月31日は宗教改革記念日でした。 その宗教改革をしたをしたマルチン・ルターには、たくさんの子供がいましたが、娘はたった一人だったのです。その娘の名前は、レナと言います。  このレナは、とても優しい娘だったので、お父さんのルターは特別にかわいがっていました。  ところが、このレナが14歳のとき、大変な病気にかかってしまいました。そして、その病気がだんだん悪くなってしまっいました。 そして、とうとうある日、お医者さんに「レナさんの病気は重くて、長く生きることは出来ません。」と言われました。  寝たきりになったレナに、父親のルターは、「天のお父様のところに行く準備は出来ていますか。」とやさしく尋ねました。 レナは、イエス様を信じていましたので、泣いたり叫んだりしないで、「神様の御心がなりますように」と言って、すべてを神様の御手にお委ねして、とてもいい顔をしていました。  ところが、それとは逆に、父親のルターは悲しくて心が張り裂けるようでした。とうとう、その悲しみに耐え切れずに、ひざまづいて、激しく泣いてしまいました。 けれども、ルターは、一生懸命レナのために祈ったのです。そして、祈っているうちに、私たちの罪のために十字架に架かって、3日の後によみがえられたイエス様が、レナちゃんを必ず天国に連れて行って下さるという確信が与えられたのです。そして、その時に心の中に神様からの平安を与えられました。 レナちゃんが、天国に行った日、今度はルターの妻が、悲しくて泣いてしまいました。そのお母さんに向かって、お父さんのルターはこう言ったそうです。「レナがどこへ行ったかを考えなさい。レナは、イエス様によって永遠の命が与えられたのです。だから、キリスト者は決して嘆いてはいけません。神様がキリストによってそれを約束されたからです。」  ルターの娘レナは、確かに永遠の命が与えられ、天国に行ったのです。神様は、死という石を打ち破り、ルターやルターの妻の不信仰という大きな石も打ち砕いて、平安と希望を与えて下さったのです。6節 「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。」
 わたしたちはどうでしょうか? 本当に罪が赦されて喜びに溢れているでしょうか?また、永遠の命が与えられているという確信があるでしょうか? 私たちの心の中に、大きな石がありませんか。罪や死という大きな石に苦しんでいないでしょうか。イエス様は、その大きな石を打ち破ってよみがえられたのです。そのよみがえりのイエス様を信じて、イエス様を心の中にお迎えしましょう。
(2)復活の証人

 イエス様は、今から二千年前に確かによみがえられました。そのことの証人が、Ⅰコリント5:3~8に書かれています。「 最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、15:4 葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、15:5 ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。15:6 次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。15:7 次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、15:8 そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。15:9 わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。」
  ここには、512人以上のよみがえりの証人がいることが書かれています。そして、ここに書かれいる人たちは、本当によみがえりのイエス様に出会った人ばかりです。 当時は、裁判を受ける時に、2人以上の証人が必要でしたが、ここには、500人以上の証人がいるのです。ですから、はっきりと「イエス様はよみがえられた。」と告白することが出来ます。 そして、そればかりではありません。パウロは、あのダマスコ途上で、肉体を持っておられるよみがえりのイエス様と出会ったのではありません。イエス様は既に、昇天され、天に帰っておられましたが、イエス様は聖霊として、パウロに語りかけられたのです。このよみがえりのイエス様との出会いは、私たちと同じです。 わたしたちも、肉体のよみがえりのイエス様とお会いすることは出来ません。しかし、イエス様は確かによみがえられ、聖霊という形で、私たちにそのよみがえりの姿を明らかにしてくださるのです。 ですから、今まで二千年の間、イエス・キリストを信じた全ての人が、よみがえりのイエス様の証人です。 確かに、「イエス・キリストはよみがえられたのです。」そして、わたしたち一人一人が、その主の証人です。
(3)復活の喜びを伝える証人

7~8節「それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」

 婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。」  よみがえりの知らせを聞いた、マグダラのマリアともう一人のマリアは、この素晴らしい知らせを弟子たちに伝えるように命じられます。 その言葉に従って彼女たちは、弟子たちに知らせようと、急いで走っていきました。するとその途中で素晴らしいことが起きました。よみがえりのイエス様がそこにおられたのです。9~10節「すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」 

 イエス様は「おはよう」と二人に声をかけてくださいました。ふたりは、よみがえりのイエス様に出会って、どんなに嬉しかったことでしょう。そこで、弟子たちに「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」  と伝えるように命じられたのです。
 よみがえりのイエス様に出会った人々に、その喜びを伝えるように命じられているのです。
よみがえりのイエス様に最初に出会った人は誰でしたか。1節を読んでみましょう。 「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。」 最初に、天使から、イエス様が復活されたことを聞いたのは、マグダラのマリアともう一人のマリアでした。

 そして、9節を見てください。「すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。」とあります。 これを読むと、よみがえりのイエス様に最初に出会ったのは、マグダラのマリアともう一人のマリアであったことが解ります。 当時は、女性というのは、地位が認められず、数にも数えられていませんでした。また、その中でも、マグダラのマリアは、七つの悪霊に取りつかれていたと書かれていますから、他の人達からは、神さまから一番遠い存在のように思われ、随分冷たい目でられていたのではないでしょうか。 けれども、よみがえりのイエス様は、最初にそのようなマグダラのマリアにそのお姿を現されたのです。
 それでは、クリスマスの出来事を最初に知らされたのは、誰だったでしょうか。  あの貧しい羊飼いたちでした。羊飼いたちも、当時は身分の低い数にも数えられないような人達でした。そのような人達に、クリスマスの素晴らしい出来ごとを最初に知らされたのです。
 復活の出来事も、イエス様の誕生の出来事も、最初に知らされたのは、王様でも律法学者でもなく、本当に身分の低い、数にも数えられないような人達でした。
 そして、このことは、神さまは、私たちがどんなに弱く、小さくても心にかけていてくださるということを現しています。私たちのことを他の人が何と言おうと、あなたが自分で、自分のようなものは役にたたないと思うようなことがあったとしても、神さまの目には、本当に大切なかけがえのない存在なのです。そして、あなたを通して、素晴らしい御業をなさろうとしておられるのです。
 ジョン・ウェスレーのお墓には、「ここにあるのは、火の中にある燃えさしではないか。」と書かれているそうです  燃えさしとは、木が燃えてしまった後の、燃えかすのようなものです。その燃えかすをも用いてくださって、神さまは世界にリバイバルの御業をなしてくださったのです。 このジョン・ウェスレーが5歳の時に家が、火事になってしまいました。 お父さんと、お母さんは他の子供達をつ連れて、外に出ましたが、5歳のジョンだけが家の中に取り残されたのです。よく見ると、2階でジョンが泣いているのが見えました。父親は、水をかぶって、家の中に飛び込もうとしましたが、周りの人が「もう駄目ですよ。ウェスレーさん、あなたが死んでしまいます。」と言って、体を抱きしめて中に入っていくのをとめたのです。 見る見る間に、ゴーゴーと音をたてて、火は燃え上がりました。「お父さん」「お母さん」とジョンは、泣き叫びましたが、どうすることもできません。 その時です。近所の人達や、教会の人達が、肩車をしました。そして、身軽な人が、上まで登っていって、ジョンを抱きしめて2階から降りてきたのです。 それとほとんど同時に、天井は焼け落ちてしまいました。  本当に、ぎりぎりで助かったのです。父親は、しばらく声も出ませんでしたが、しばらくして、神さまへの感謝の祈りをささげたのです。 ジョン・ウェスレーは、その時のことをずっと忘れませんでした。 また、幼い時に、死の直前から助け出された「燃えさし」のようなジョンを用いて全世界に福音を伝えられたのです。
 神さまは、数にも数えられないような弱く、小さい「羊飼いたち」や「マグダラのマリア」を用いられました。 そして、今日、弱く、小さなあなたを、よみがえりの証人として必要としておられるのです。復活の力に満たされて、一人でも多くの人達に、よみがえられたイエス様をお伝えしましょう。
「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。」  「あの方は、ここにはおられない」イエス・キリストを信じる私たちは、もう罪や死の中にとどまっていないのです。  イエス様は、私たちの心にある大きな石を取り除いて、罪と死に打ち勝って永遠の命を与えてくださいました。この素晴らしい喜びを、私たちもお伝えしましょう。

今週の礼拝メッセージはこちらからご覧いただけます。↑

礼拝案内

 

ホサナ(教会学校)

毎週日曜日   8:45〜

 

主日礼拝 Worship

毎週日曜日 10:15〜

 

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毎週日曜日 16:30〜

集会案内

 

フィリア手話の会

毎週火曜日 11:00〜

 

キッズブラウン英語教室

毎週土曜日   8:45〜

                       9:35〜

毎週木曜日 16:00~

 

祈り会(昼)

毎週水曜日  10:30〜

 

祈り会(夜)

毎週水曜日  19:30〜

 

WE LOVE YAMAGATA
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Illustration by c-awase