主日礼拝 12/9

「御言葉どおりこの身に」ルカ1:26~38

先週の金曜日に、山形南部教会の前任の牧師、黒田愛子先生をお訪ねしました。好美牧師と二人で出かけたのですが、久喜インターチェンジで降りて、新しく出来ている圏央道に入るつもりでしたが、道に迷ってしまいました。 しばらく走って、もう一度カーナビを設定し治して、カーナビの導くとおりに行って無事に、黒田先生のおられる青梅の信愛荘に着くことが出来ました。 その日は、吉祥寺の井の頭公園の近くにあるいとこの家に泊めてもらったのですが、昨日の帰りも大変で、東北自動車道の郡山の辺りから吹雪で、ほとんど前が見えなくなってしまいました。その時に、前の車の赤いテールランプに導かれて、何とかその吹雪を乗り越えることが出来ました。 行きは、カーナビに、帰りは前の車のテールランプに導かれて無事に帰ってくることが出来ました。 そのような経験を通して、詩編119編105節に「あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。」  とありますが、聖書の御言葉が私たちの人生を導いて下さるということは、何よりも素晴らしい恵みだと言うことを感じながら帰ってきました。

今日の、中心の御言葉は、38節です。「 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。」
 ガリラヤのナザレという町に、マリアという一人の若い娘が住んでいました。マリアは、ダビデの家系のヨセフという大工と婚約をして、希望にあふれた幸せな日々を過ごしていました。ヨセフもマリアも神様を信じる人たちでしたから、毎日、お祈りをしながら、結婚式の日を楽しみに待っていました。
 そんなある日、マリアが一人でいると、天使が現われて、「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」と言ったのです。マリアは、突然天使が現われて、こんな挨拶をされたので、戸惑って、いったいこの挨拶は何のことだと考え込んでしまいました。 すると、天使はこう言いました。30~33節をご覧下さい。「すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
 この時天使が語ったように、処女マリアから救い主が誕生するということが、神様の御心です。 マリアは、聖霊によって身ごもることになりますが、それは、救い主が完全な神の子であり、完全な人間であることを現しています。 完全な神様でなければ、人間を救うことが出来ませんし、完全な人間でなければ、人の罪の身代わりになることが出来ないからです。 だから、処女降誕ということは、私たち人間の救いのために必要不可欠のことでした。
 それにしても、マリアが、天使の唐突な言葉に、戸惑ってしまうのは、無理もありません。マリアはこの時ヨセフと婚約をしていましたが、婚約者とのは違う別の子供が生まれるなんてとんでもないことです。人生がめちゃくちゃになってしまうかも知れません。
 しかし、この時、マリアは天使の言葉を信仰をもって受け入れました。 今日は、このマリアから信仰から二つのことを学びたいと思います。
(1)神様への絶対的な信頼

 37節をご覧下さい。「神にできないことは何一つない。」 マリアが、この時に置かれている状況は大変困難なものでした。 マリアは信仰深い女性でした。そして、旧約聖書のことも良く知っていました。しかし、その聖書の中で預言されている救い主が、自分から生まれるなどということは、考えも及ばないことでした。 また、大工のヨセフとは、婚約はしていても、まだ、実際には結婚しているわけではありませんでした。その処女マリアから子供が生まれるということは、常識から考えると不可能なことでした。 それに、子供が宿ると、ヨセフに誤解されるでしょうし、誰もそんな非常識なことを信じてくれる人はいないでしょう。そして、旧約の律法では、姦淫の罪を犯した者は、石で打ち殺されることになっていましたので、大変なことになってしまいます。
 29節では、マリアは戸惑っています。そして、34節では「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」  と疑問をぶっつけていますが、 38節を見ると「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と神様への信頼と謙遜な献身が表されています。 どうして、マリアはこのように天使の語った神様の言葉に従うことが出来たのでしょうか。
3つのことがあげられます。

①これが聖霊の働きであったからです。

35節「天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」 これは、神様の御業でした。自分の力や能力に寄るのではなく、一方的な恵みであり、神様からのプレゼントであるということです。
②親類のエリサベトにも赤ちゃんが出来ていたからです。

36節 「あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。」  先週は、ファミリー礼拝でザカリヤとエリサベトの間にヨハネが生まれたことをお話ししましたが、この時もうすでに、年をとって不妊の女と呼ばれていた、エリサベトにも神様によって子供が与えられたのです。
③「神にできないことは何一つない。」  からです。 

 神様は、この地球も、宇宙も、私たち人間もすべてのものを造られた御方です。その神様にはできないことは何一つありません。 マリアは、「神にできないことは何一つない。」という言葉を聞くとすぐに、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と言って御言葉に従っているのです。                                          

  「神にできないことは何一つない。」  この御言葉を聞いて信じたときに、マリアは処女である自分から神の子であるキリストが生まれるということを信じることが出来たのです。そして、ヨセフのことも周りの状況も必ず最善にしてくださると言うことを信じて委ねることが出来たのです。 よく処女から子供が生まれるなんて、非科学的だ、だから、キリスト教は信じられないと言うことを聞きます。けれども、「神にできないことは何一つない。」  と言われる全能の父を仰ぐとき、すべてのことが解決されるのです。 私たちは、自分の考えやこの世の常識によって、全能の神様の御業を小さくしてしまってはいないでしょうか。
 「神にできないことは何一つない。」 マリアは、二つのことを否定しています。 

一つは自己否定です。

「わたしは主のはしためです。」と告白しているように、自分の中には何もありませんという自己否定です。

 そして、もう一つは、神には何でも出来ないことはありませんという、全能者に何一つ出来ないことはないという絶対的な信頼を表す否定の言葉です。

 マリアには、そのような深い神の前に対する深い自己否定と、絶対的な信頼がありました。その信仰が、この普通ではとても信じられない状況の中でも、神様に従うことが出来たのです。
 私たちの内には、何もありません。けれども、このような「主のはしためをも」全能の主が心にかけていてくださっているのです。 クリスマス・・それは、全く空っぽの何もない私たちの心の中に全能の主が来てくださった日です。この主を心から賛美したいと思います。
 黒田先生がおられる信愛荘は、昔の建物が、活断層の上に立っていたことが解って、新しく立て替えられていました。新しいきれいな部屋で、私たちを温かく迎えてくださいました。 山形南部教会や婦人会からの献金や、寄せ書きなどをお渡しすると、とても喜んで、山形南部教会のみなさんにくれぐれもよろしくお伝えくださいと言うことでした。 そこで、クリスマスの讃美を何曲か歌って、聖書を読んで祈りの時を持ちました。 黒田先生は、今年88歳になられ、米寿のお祝いも一緒にしてきましたが、先生のお証しをお聞きしました。 黒田先生が、山形南部教会のことをお話しをなさる時に、いつもおっしゃることがあります。それは、「わたしは、何もしていないのよ。むしろ、わたしの牧会は失敗だったと思っている。」「でも、神様が、素晴らしい御業を成して下さったのよ。」とおっしゃって、山形南部教会でいろいろなお証しを聞かせてくださいました。 暴力団に追われていた人を助けて大変な目に遭った時も神様が助けて下さったこと。 物乞いをしていた人を助けて、風呂に入れてあげ、きれいな服を着せてあげてあげたこと。 最近のことでは、ある日、はげ頭の人が信愛荘を訪ねてこられたそうです。「わたしのことを覚えていますか。」と言われましたが、なかなか思い出せなかったそうです、その方は、先生が山形におられた頃、大学時代たった人が、親子げんかをして、家に火をつけようとしたことがあったそうです。その時に黒田先生によって助けられたのです。やがて、定年退職を迎えて、あの時のことを思い出して、信愛荘を訪ねて「わたしは先生のように牧師になりたいのです。」と相談をされたそうです。その方はまだ洗礼も受けていなかったので、「わたしには推薦はできません。」と断ったそうですが、東京聖書学校の校長や教授の先生に相談をして、教会に通い洗礼を受けて、神学校を出て、今仙台で教会に仕えておられるそうです。」その後も先生の証しはつきませんでした。  「わたしは何もしていないのよ。でも神様が素晴らしい御業を成してくださったの。」と黒田先生がおっしゃる、へりくだって全能の神様に仕えておられる姿に祝福の源があるような気がしました。
37節「神にできないことは何一つない。」38節です。「 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」 クリスマスを迎えようとしていますが、もう一度、全知全能の主を信じて、マリアのように心からへりくだって従っていきましょう。
(2)御言葉に対する絶対的な信頼

38節をご覧下さい。「 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。」
 ここで、マリアは「わたしは主のはしためです。 お言葉どおり、この身に成りますように。」と言っています。 「はしため」というのは女奴隷のことです。奴隷というのは、人としての権利を認められていない最も小さな弱い存在でした。しかも、その中でもはしためというのは、最も身分の低い人たちでした。 マリアは、自分は神様の前には、その「はしため」にしか過ぎない者であることを告白して、御言葉の前にへりくだっています。  また、奴隷というのは、自分の意志で行動することが出来ません。主人のいうことを聞き、その通りに行うのです。 マリアは「わたしは主のはしためです。 お言葉どおり、この身に成りますように。」と告白することによって、強いられてではなく、全知全能の神様に心からの信頼を寄せて、喜んで、神様の御言葉に服従することを表しているのです。
 そして、マリアが「お言葉どおり、この身に成りますように。」  と御言葉に絶対的な信頼を寄せて従ったように、私たちも御言葉に従うならば、その御言葉には、必ず祝福が伴うと言うことです。
 マリアが、この天使を通して語られた御言葉に従ったとき、これから何が起こるのかということは解りませんでした。けれども、聖書を読んでいる私たちには、その事が解ります。 このマリアから、救い主イエス・キリストがお生まれになり、素晴らしい奇跡や癒しの数々を行われ、神の国の福音を語られ、最後には、十字架にかかられて、全人類の救いの道を開いてくださったのです。その素晴らしい出来事は、まず、このマリアが、御言葉に聞き従ったところから始まりました。エリサベトは、そのマリアの信仰についてこう言っています。45節 「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
 私たちが、聖書の御言葉に従おうとするとき、最初はそれが何を意味するのか解らないことがあります。 けれども、「わたしは主のはしためです。 お言葉どおり、この身に成りますように。」と、あのマリアのように、御言葉に対して、絶対的な信頼をして従っていくならば、神様は必ず大きな祝福を与えてくださるのです。なぜなら、人の業は、すべて消え去り滅び去ってしまいますが、神様の約束は決して変わることなく必ず成就するからです。
 ルネッサンスの巨匠、イタリアのレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)の描いた絵は大変有名です。例えば、今日の聖書の箇所を描いた「受胎告知」という絵も有名ですし、もっと有名なのは、「モナ・リザ」や「最後の晩餐」は不朽の名作と言われています。 また、レオナルド・ダ・ヴィンチは、絵画だけではなく、建築家であり、思想家、詩人としても有名で、自然科学についても多くの業績があり「万能の人」と呼ばれるほどでした。 晩年、彼の愛する弟子だった助手が、「先生、先生の偉大な仕事は、いつまでも残りますね。」と言ったそうです。 ところが、彼は、首を横に振って、「いや、何も残りはしないよ。」と答えました。驚いた弟子は、「でも、先生の私たちに対する優しいお心は、いつまでも残ります。」と言いました。けれども、年老いた巨匠は、静かに「いや、友情も愛情も残りはしない」と答えたのです。 若い助手が、すっかりうなだれてしまったのを見ると、レオナルド・ダ・ヴィンチは、部屋の外に出ていこうとしましたが、その出口に所で、振り返ってこう言ったそうです。「神の言葉は、残る。」人間の言葉は、消え去りなくなってしまいますが、神の言葉だけは、永遠に残るのです。
 そのことは、聖書の中の、ペトロやイザヤも言っています。Ⅰペトロ1:24~25(P429)「こう言われているからです。「人は皆、草のようで、/その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、/花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。」この『』は、イザヤ書40章7~8節の引用です。 旧約の時代も、新約の時代も、そして、レオナルド・ダ・ヴィンチの時代も、そして今の時代も神の言葉は、永遠に変わることがないのです。 マリアのように、その御言葉を、信じ、信頼して「お言葉どおり、この身になりますように」と従っていくことは、本当に素晴らしい恵みです。  今日は、マリアの信仰について、二つのことを学びました。一つは、全能の神様への絶対的な信頼です。そして、もう一つは、御言葉に対する絶対的な信頼です。
 私たちも、マリアのように、「神にはできないことは何一つない。」という聖書の御言葉を信じて、全能の神様を信頼しましょう。 また、永遠に変わることのない聖書の御言葉を信頼して、「わたしは主のはしためです。 お言葉どおり、この身に成りますように。」と御言葉の前にへりくだって従う者とさせていただきましょう。 そして、素晴らしいクリスマスをお迎えしましょう。

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毎週水曜日  10:30〜

 

祈り会(夜)

毎週水曜日  19:30〜

 

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Illustration by c-awase