早いもので、2012年も今日を入れてあと二日になりました。 2012年も神様が私たちと共にいて下さり、たくさんの恵みを与えて下さいました。そして、何よりも大きな感謝は、神の家族であるみなさんと共に礼拝をささげ、祈り、主にある交わりが与えられたことが感謝です。 教会に与えられた恵みもありますし、みなさんの家族や個人に与えられた恵みもあると思います。その恵みを一つひとつ数えながら、主に心からの感謝の礼拝を献げたいと思います。
山形南部教会の今年の年間聖句を読んでみましょう。
使徒言行録16:31
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」
そして、今日は年末感謝礼拝ですから、34節の御言葉を中心に神様に感謝をささげたいと思います。
「この後、二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。」
今年神様から与えられた恵みを覚え、家族ともども喜んだとありますが、共に喜びを分かち合いたいと思います。
まず、この御言葉が語られた背景についてお話ししたいと思います。 パウロとシラスは、そしてテモテたちは、マケドニアに聖霊によって導かれて、フィリピで福音を宣べ伝えていました。 すると、そこでたくさんの人々が信仰を持ちました。 そしてその中に、一人の占いの霊に取りつかれている女奴隷がいたのです。
この女奴隷のことが16節に書かれています。「わたしたちは、祈りの場所に行く途中、占いの霊に取りつかれている女奴隷に出会った。この女は、占いをして主人たちに多くの利益を得させていた。」 ここに書かれているように、この女奴隷は占いの霊に取り付かれていて、この女奴隷が占いをすることによって、何人かの主人が利益を得ていたのです。 ところが、この女奴隷が、パウロたちの後についてきて、「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」と何日も叫び続けるのです。 そこで、パウロがたまりかねて、18節にあるように「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出ていけ。」と命じると、即座に、その霊が彼女から出ていったのです。 そこで困ってしまったのが、この女奴隷の主人たちです。この主人たちは、金儲けの望みがなくなってしまったので、パウロとシラスを捕らえ、役人に引き渡すために広場へ連れて行ったのです。 そして、高官たちにこう言いました。
20~21節「そして、二人を高官たちに引き渡してこう言った。「この者たちはユダヤ人で、わたしたちの町を混乱させております。ローマ帝国の市民であるわたしたちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております。」
ここに「この者たちはユダヤ人で、わたしたちの町を混乱させております。」と言っています。この当時のローマでは、ユダヤ人に対する人種的偏見がありました。そして、ユダヤ人をローマから退去させるという命令が出されていました。 そこで、そこにいた群衆たちも、理由もよく分からないままに、パウロとシラスを責め立てたのです。 そして、高官たちも、裁判にかけないないで、パウロとシラスの衣服をはぎ取り、「鞭を打て」と命じたのです。 このようにして、二人は、何度も鞭打たれ、いちばん奥の牢に入れられて、足には木の足枷をはめられたのです。
今日は、この獄中での出来事を通して、3つのことをお話ししたいと思います。
(1)賛美と祈りの力
パウロとシラスは、何か悪いことをしたわけではありませんでした。占いの霊に取りつかれて、人から金儲けの道具として利用されていた、一人のかわいそうな女性を助けただけです。 それなのに、パウロとシラスは、訴えられ、捕らえられて、真っ暗な牢屋に入れられてしまったのです。自分が何か悪いことをして、捕まるならまだ納得がいきますが、自分は何も悪いことはしていない、いやそれどころか良いことをしているのにこんな苦しみに合う・・・それほど辛いことはありません。 おそらく、二人の背中は、鞭を打たれたために血がにじんで、痛みが残っていたに違いありません。そして、足枷をはめられて、自由に動くことすら出来ませんでした。 そのような中で、彼らは何をしていたのでしょうか。 二人はつぶやきませんでした。また、自己弁護しようとはしませんでした。25節をご覧ください。
「真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。」
なんと、この苦しみの中で、また、真っ暗な牢屋の中で、「賛美の歌を歌って神に祈って」いたのです。 この後で、大地震が起こって、牢屋のドアが全部開くという奇跡が起きますが、その奇跡以上に、このような状況の中にあって、主に賛美と祈りをささげることが出来ると言うことの方が、大きな奇跡ではないでしょうか。 どのような堅固な牢屋の中でも、イエス・キリストに対する彼らの賛美を閉じこめることは出来なかったのです。 また、一筋の光も入らないような、真っ暗な牢屋でも、イエス・キリストに対する、彼らの喜びは閉じこめることは出来なかったのです。 そして、その二人の、イエス・キリストに対する喜びと、心の光が溢れ出るように、賛美と祈りの声が、真っ暗な牢屋に響き渡ったのです。 神様は、このような賛美と祈りの力を私達にも与えてくださっているのです。 この苦しみを取ったパウロがローマの信徒への手紙8章35~37節でこういっています。
「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。「わたしたちは、あなたのために/一日中死にさらされ、/屠られる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。」
神様は、どのような試練が襲ってきても、それに打ち勝つ力を与えてくださるお方です。そして、私達はどのような中にあっても、キリストの愛を心から賛美することが出来るのです。そして、賛美の祈りには、素晴らしい力があります。 そのようなパウロとシラスの賛美の祈りは、聞かれました。26節「突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった。」 困難が襲ってくるとき、そのただ中で賛美の祈りをささげるなら、それは祝福に変えられます。
今年一年を振り返って、感謝をしていることはたくさんありますが、そのひとつにMSR+の働きがあります。 3月に、イエダーシンガースのコンサートが、ボランティアセンターの近くの早股公会堂と下野郷集会所で行われました。50名近くの地域の方々が集まって下さいました。イエダーシンガーズが、韓国人なのに日本語で最初に「ふるさと」「ウサギ追いしかの山、小鮒釣りしかの川」とみなさんと一緒に歌うと、そこにいたおじいさんやおばあさんが涙を流しはじめました。そして、ガンダムや楽しい曲の後、讃美歌が歌われ、イエス・キリストの十字架と復活の福音がはっきりと語られました。
また、三浦綾子読書会が仮設住宅で2回行われ、三浦綾子の文学を通して、神様の愛が伝えられました。その背後には沢山の人々の祈りと献げ物がありました。
そして、11月には、「三宝会」という和太鼓のチームが来てくださいました。朝取り計画で立てられた建物のお披露目会として早股で、また、次の日には岩沼市の仮設住宅で行われました。太鼓というのは、魅力があります。最初は、少ない人数でしたが、和太鼓は遠くまで響き、太鼓の音にひかれて150人位の人が集まってきました。その日用意したいも煮も足りないほどでした。
私たちの教会でも、今年はナムグン・ソンオクさんのゴスペルコンサートが行われ、多くの方々が教会に来られました。また、オンヌリ教会の方々が、教会だけではなく、山形駅でも路傍伝道で、賛美がささげられ、夏はたくさんのマグネット、冬はメリークリスマスと書かれた1000枚の御言葉カートが配られました。
このようにして、賛美と祈りによって、被災地に福音を伝えることが出来たのは、本当に神様の奇跡です。 私達も、主を心から主を賛美するならば、神様は、私達の思いを越えて、想像もつかないような素晴らしい御業を見ることが出来るのです。 どんな時にも、主を賛美する者でありたいと思います。
(2)救われるために何をすべきか
目をさました看守は、これを見て驚きました。そして、てっきり囚人は逃げてしまったものだと思いこんで、自分の責任を取るために、剣をぬいて、自殺をしようとしたのです。 そこで、パウロは大声でこう言いました。28節「自害してはいけない。わたしたちはみなここにいる。」
そこで、あわてて看守が、あかりをつけて牢の中に駆け込んでみると、そこに入れられた囚人たちが誰も逃げないで、そこに立っていたのです。 それは、看守にとって想像もつかないことでした。 そこで、看守は、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏しました。そして二人を外に連れだして言いました。30節「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」これは、全ての人達にとって本当に大切な質問です。
東日本大震災で、多くの人の命が奪われました。また、1年9月以上経った今でも、復旧・復興の見通しが立たず、寒い冬を仮設住宅で、また放射能の不安と恐れの中を生活している人たちが大勢いらっしゃいます。そして、多くの方が、その悲しみや苦しみや孤独に耐えきれずに、自ら命を絶つ人が後を絶ちません。 そのような被災者だけではなく、深刻な経済的な苦しみの中で、ますます複雑になっていく人間関係の中で、また、もっとも愛を必要としている家族や夫婦の間や家族の間で、多くの人達が苦しみ悩んでいます。 そのような中で、「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」という叫びが、一人一人の叫びとなっているのではないでしょうか。 この叫びは、看守の叫びというよりは、昔も今も変わらない、全ての人の深い心の叫びです。そして、多くの人達が、救われるために何をしたらいいのか解らないでいるのです。
けれども、聖書の中には、そのことがはっきりと書かれています。31節をご覧ください。 「二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」
私達が救われるためには、「主イエスを信じることです。」 私達が天国に入るためになすべきことは、イエス・キリストを信じて、私の人生の主とお迎えすることです。自分中心の生き方をやめて、神様中心の生き方へ、180度の方向転換することです。
看守は、その場で、イエス・キリストを信じました。彼は、その直前には、自殺をしようとしていたのです。その死の土壇場から救われたのです。 まさに、不安と絶望の人生から、平安と希望の人生へ生まれ変わったのです。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」
この言葉は、一人の看守だけに語られた御言葉ではありません。「救われるために何をすべきでしょうか。」と問いかけている全ての人に、神様はこう答えておられるのです。私達も、主イエスを信じることによって、希望と賛美に満ちた素晴らしい人生を歩ませていただきましょう。
(3)あなたとあなたの家族の救い
この時に、救われたのは看守一人だけではありませんでした。パウロとシラスは31節で「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」と言っています。 31節から34節に「家族」という言葉が、4回も出てきます。これだけ家族という言葉が出てくる箇所は他にはありません。
ここで、一人の人が救われると言うことは、本当に素晴らしいことですが、神様の恵みは、一人の人に止まらずに、家族にまで広がっていくことが分かります。私達を愛しておられる神様は、私達の家族も愛しておられます。私達を覚えてくださるお方は、私達の家族の覚えていてくださるのです。
今年、一番の恵みは、バプテスマを受けた方が与えられたことです。イースターには斎藤幸子姉がバプテスマを受けられました。そして、その日に進藤達志兄が転入会式が行われたことも大きな恵みでした。 また、8月にはYくんが、イエス様を信じて、日本イエス・キリスト教団福島教会でバプテスマを受けました。それは、福島教会にとっても、また私たち山形南部教会にとっても大きな恵みでした。 そして、このクリスマスに及川さんご夫妻の転入会式が行われ、恵みのクリスマスになりました。 そのように、神様が、私たち神の家族を増やしてくださっていることは本当に感謝です。
神様は、どんな暗闇も、どんな牢屋も、そこから解き放つことの出来るお方です。そのお方が、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」と約束してくださっているのです。 私たちを愛して、救ってくださった神様は、私たちの家族も愛してくださっています。そして、私たちの家族が救われることが神様の御心です。
この神様の御心を心として、家族を愛しましょう。また、忍耐をもって、家族の救いのために祈りつつけましょう。 今年、この御言葉が与えられ、家族のために多くの祈りがささげられてきたのではないでしょうか。その祈りは一つも無駄になることはありません。必ず、神様が一番良い時に、一番良い方法で救いに導いてくださるのです。
イギリスの宣教師バウンズは、こう言っています。「祈りは死なない。祈った人が世を去った後にも、祈りは活動を続ける。祈りによってわたしたちは、後世まで子孫に尽くすことが出来る。祈りは人が後の代に残すことの出来る最大の遺産である。」 このことを信じて、なお、家族の救いのために祈り続けましょう。
そして最後に34節をご覧ください。「この後、二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。」
ここに「神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。」とありますが、私達も私達の家族も主イエスを信じるようになっことを共に喜べる家族にさせていただきましょう。
そして、このフィリピの町で救われた、紫布の商人のルディアや、この看守の家族が中心になって、フィリピの教会が出来たのです。 フィリピに教会を建てあげてくださった神様は、今も生きておられます。私たちの教会にも、救われる人が起こされ、家族が救われて、新会堂が与えられるように祈りましょう。また、被災地に開拓伝道をという祈りがずっとささげられています。あの岩沼の地に開拓伝道が行われ、教会が建てられるように祈って、神様の素晴らしい御業を魅せていただきましょう。
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