5/19 ペンテコステ礼拝

「若者は幻を見、老人は夢を見る。」使徒2:14~36

ペンテコステおめでとうございます。 今日は、那須暢子姉のクリスチャンホーム誕生と、「適くん」誕生のお証しを感謝します。 そして、今日はだれの誕生日でしょう。それは、教会の誕生日です。

今日の中心の御言葉は、17節です

 「『神は言われる。終わりの時に、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、/若者は幻を見、老人は夢を見る。」
 今日の聖書の箇所は「ペトロの説教」と書かれていますが、教会が誕生して最初の説教です。今日は、その教会が誕生して世界で最初の説教から、主の御声を聞かせていただきたましょう。
 今から約2000年前のペンテコステに、突然激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、弟子たちの座っていた家中に響きました。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上に聖霊がとどまったのです。すると、弟子たちが聖霊に満たされて、今まで一度も学んだことのない他国の言葉で、神様の大きな御業について語り始めました。 そのような、弟子たちの姿を見て、13節には 「しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。」と書かれています。 聖霊に満たされた他国の言葉で語っている弟子たちを見て、ある人は、酒に酔っているからわけの分からないことを行っているのだと思ったのです。しかし、もちろんそうではありません。そこで、ペトロは、ペンテコステの異様とも思える出来事を説明しなければなりませんでした。

14節「すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。」  キリスト教を信じていない、日本でも朝から酒に酔っている人はほとんどいませんが、まして宗教的に厳しいユダヤ人が、朝から酒に酔って歩いているということは、まずあり得ないことでした。 それに朝9時というのは祈りの時間で、それまでは食事を採らないという習慣になっていましたので、朝食前から酒を飲んでいるはずはありませんでした。 このように、ペトロは弁明して、どうしてこのような形で聖霊が注がれるようになったのかを2つの点から説明しています。


(1)聖霊降臨の出来事は、預言の成就である

 17~21節の『』言葉は、ヨエル書3章の御言葉の引用です。

ヨエル3:1~5(P1425)「その後/わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し/老人は夢を見、若者は幻を見る。その日、わたしは/奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ。天と地に、しるしを示す。それは、血と火と煙の柱である。主の日、大いなる恐るべき日が来る前に/太陽は闇に、月は血に変わる。しかし、主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。主が言われたように/シオンの山、エルサレムには逃れ場があり/主が呼ばれる残りの者はそこにいる。」
 ヨエルという預言者の生きた時代は、審きの時代でした。2章25節を見ますと、様々な種類のイナゴが出てきます。「わたしがお前たちに送った大軍/すなわち、かみ食らういなご/移住するいなご、若いいなご/食い荒らすいなごの/食い荒らした幾年もの損害をわたしは償う。」

 中近東では数十年に一度、イナゴの大災害が起こります。空が暗くなるほどの大群が飛んできて、作物を全て食べてしまうのです。 ヨエルは、現実か夢かは分かりませんが、イナゴを見たときに、やがてイナゴのように多い、外国軍が攻めてきて、国が滅びることを神様に示されたのです。 なぜ滅ぼされるのでしょうか、それはイスラエルの人々の罪の故です。救ってくださった真の神の元を離れ、自分勝手に生きている。だから神様の審きが下ると預言しているのです。 しかしヨエルは審きを予告しただけではありません。義なる神様は罪を必ず罰するお方です。でも愛の神様は、滅ぶべき民を必ず憐れんで救って下さるのです。 今は審きの時代だけれども、やがて救いの時代が来る。それがヨエルのメッセージです。そして、その日がやってきたのです。それがペンテコステの日です。
 今、私たちは新約聖書の時代に生きています。神様は時代が変わっても変わることの無いお方です。義なる神様は罪を見過ごしにはされません。しかし、新約時代には、イエス様が十字架の上で私たちの身代わりとなって、罰を受けて下さいました。ですから私たちは信じるだけで救っていただけるのです。これが福音です。  それだけではありません。旧約の時代には、特定の預言者や神の人だけにしか、聖霊は満たされませんでしたが、このヨエル3:1~2に「その後/わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し/老人は夢を見、若者は幻を見る。その日、わたしは/奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ。」  とあるように、老若男女や地位や貧富の差を問わず、救い主を信じるすべての人に神の霊が注がれることが預言されているのです。

 そして、聖霊に満たされた人は、「預言し」「夢を見」「幻を見る」のです。 「預言」とは、神の愛と希望の言葉を伝えることです。その神の言葉は息子や娘によって伝えられていくのです。 そして「夢」とは、希望です。老人なっても聖霊に満たされた人は希望を失うことがありません。 そして、「幻」とは、ビジョンです。若者は神様からビジョンをいただき、そのビジョンに向かって前進するのです。
 今の若者は、現実的で夢や幻がないとよく言われます。そして、クリスチャンまでもが、夢や希望や幻を失ってしまっているとすれば、それは、大きな問題だと思います。 箴言29:18には「幻がなければ民は堕落する。」とあります。 

 しかし、聖霊に満たされるならば、ヨエルの時代に、いなごのような大群が襲ってきても、それでも、希望と夢と幻を失わなかったように、私たちの現実がどうであったとしても、御言葉は宣べ伝えられ、夢と希望を失うことはなく、ビジョンをもって、神の御業は前進するのです。 今年の年間聖句にはこうあります。ローマ12:12「希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。」  聖霊に満たされるなら、私たちには、希望と喜びが失われることはないのです。
 ペンテコステを前にして、被災地で教会が誕生し、聖霊の御業が進められています。
 まず、5月6日には、宮城県の山元町に、米沢恵泉キリスト教会が津波にのまれた家を買い取って、ボランティアをしておられましたが、それでは狭くなって、その隣に、20畳くらいの建物が建てられ、ボランティアセンター兼チャペルとして献堂式が行われました。
 そして、5月11日に、福島第一聖書バプテスト教会献堂式が、福島県のいわき市で行われました。 この教会は、震災の前に100年間壊れないと言われるくらい立派な教会堂を、福島原発から5キロ離れた大熊町に建てたました。ところが、2年前の震災と津波による原発の被害のために、教会員はみんな散らされてしまいました。 残った50人程の信徒も、福島や米沢、そして東京と流浪の旅を続けてきました。 そして、あれから2年経って、やはり自分たちの故郷で礼拝を献げたいという思いが強くなり、ついに福島県のいわき市に新会堂が完成したのです。その会堂は、つばさの形をしています。それは、やがて、もう一度自分たちの教会で礼拝を献げたいという願いから、(つばさの教会)という名前が付けられ、そのつばさは前の教会の方向へ向いているそうです。
 また、その次の日、ここにも行かれた方がおられますが、先週の12日には、MSR+岩沼チャペルで礼拝が行われましたが、2年前にMSR+に駐在してくださった木内一夫先生が説教をするというので、ボランティアセンターのある下野郷の人たちが3人も来てくださいました。
 そして、今日、川上 悟兄が気仙沼第一バプテスト教会に行っておられます。あの津波で流されてしまった教会が新会堂を建てることになりました。コンペが行われ、4つの業者が設計図を出したそうですが、その中で「かわかみ設計事務所」が選ばれて、今日は打ち合わせのために出かけておられます。高台にある約800坪ある土地に新会堂と、ボランティアセンターと、アッセンブリーホールが建てられようとしています。
 津波が被災地を襲った時、全てを失ったかのように思いました。しかし、そこにも主が共におられ、聖霊が働いておられたのです。そして、その聖霊によって、御言葉が語られ、与えられた「夢」と「幻」が今になって実を結ぼうとしているのです。
使徒2:17をもう一度読みましょう。 『神は言われる。終わりの時に、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、/若者は幻を見、老人は夢を見る。」
 そして、19~20節をご覧ください。「上では、天に不思議な業を、/下では、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。主の偉大な輝かしい日が来る前に、/太陽は暗くなり、/月は血のように赤くなる。」

    ここには、終わりの日の到来のしるしとして、自然界の異常現象が預言されています。 しかし、この終わりの時、すなわち再臨の時にも、21節には素晴らしい約束が記されています。 「主の名を呼び求める者は皆、救われる。』」  天地宇宙が、その根底から揺るがされるようなことがあったとしても、神様に信頼する者、主イエス・キリストを信じる者は必ず救われるのです。 これが、ヨエル書の時代から、預言された聖霊の約束です。


(2)キリストの十字架と復活の証人としてい用いるため

32節「神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。」  22節以下には、主イエス様のことが記されています。 ここで、語られていることは、イエス・キリストの十字架と復活の事です。 イエス・キリストは、この地上で「力ある業」と「奇跡」と「しるし」を行われましたが、その一つひとつは神様によるものでした。ところが、ユダヤ人はその神から遣わされた主イエス様をローマの兵隊によって殺してしまったのです。 しかし、これは、神様の御計画の中にありました。23節には「このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。」  それは、私たちの罪をその身に負って、私たち全人類に救いの道を開いてくださるためでした。イエス・キリストの十字架だけに私たちの救いがあるのです。 しかし、それで終わりではありませんでした。24節に「しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。」 と書かれている通りです。  死の力も、イエス・キリストを支配することは出来なかったのです。 そして、25~28節では、詩編16:8~11が引用されています。「ダビデは、イエスについてこう言っています。『わたしは、いつも目の前に主を見ていた。主がわたしの右におられるので、/わたしは決して動揺しない。だから、わたしの心は楽しみ、/舌は喜びたたえる。体も希望のうちに生きるであろう。あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず、/あなたの聖なる者を/朽ち果てるままにしておかれない。あなたは、命に至る道をわたしに示し、/御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる。』

 この詩編は、ダビデが書いた詩で、イースターの時によく読まれる詩編ですが、イエス・キリストの復活が預言されています。 ペトロは、この詩編16編で、メシアは苦しみを受けて死に、そして、再びよみがえられる。主イエス様は、この預言通り、十字架で苦しみを受けて死なれ、3日後によみがえられた。だからこそ、主イエス様こそが、メシア、すなわち救い主に他ならないと言っているのです。 そして、ただ、主イエス・キリストだけが、私たちの罪のために十字架にかかられ、三日後によみがえられ、昇天された救い主だとペトロは言っているのです。
 そして、32節で「神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。」と言っています。12弟子を中心とする、イエス・キリストを信じる教会が、キリストの十字架と復活の証人です。 この教会というのは、初代教会だけのことを言っているのではありません。この時に教会が誕生して以来、全ての時代において、また全世界の教会が、キリストの証人なのです。そして、その教会に繋がっている、全てのクリスチャンが神の証人として用いられているのです。私たちもイエス・キリストの十字架と復活の証人です。
 そして、キリストの証人として用いられるために必要な条件は、聖霊に満たされることです。33節をご覧ください。 「それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。」  私たちの罪のために十字架にかかり、三日目によみがえられたイエス様は、天に帰って行かれましたが、約束通り、御霊を私たちに注いでくださいました。 この聖霊に満たされて、主の証人として用いていただきましょう。
 1871年10月、アメリカ史上最悪と言われているシカゴ大火災で、シカゴ全体が灰になってしまいました。 そのシカゴに、D,L、ムーディーが主任牧師をしていたイリノイ・ストリート・チャーチがありました。その教会も火災によって、教会も、ムーディーの家も、財産もすべてを失ってしまいました。 しかし、一生分の働きが完全に崩れてしまいそうになったその場所から、神様は素晴らしい御計画を始められたのです。 ムーディーの普段からの祈祷課題は、ただひとつ「聖霊に満たされること」でした。火災後もこの祈りは、続けられていきました。 そんなある日、この祈りは答えられました。その時のことをムーディーはこう書いています。「回心後の、新生の体験から16年経ったその日、私は聖霊の力強い力に包まれました。それはちょうど、14年間パウロが誰にもまったく話さなかったことに似ていました。(Ⅱコリント12:2)。私は御手を止めてくださいと願ったほど強く神の愛を感じました。」 その後も、彼は以前と同じように、説教をし、同じ方法で御言葉を宣べ伝えました。 しかし、以前とは全く違いました。以前は、人々が感心を示すくらいでしたが、その時から、人々が群れをなして集まるようになったのです。ムーディー自身に大きな変化は、ありませんでした。しかし、神様がムーディーの心の王座に座られたのです。これに対して、ムーディーは「私にこの世のすべてをくれると言っても、もう、祝福を経験する前の状態には戻りません。この世の栄華は、はかりの上の埃のようなものです。」と言っています。  今日は、ペンテコステです。あの初代教会の弟子たちに聖霊が降ったように、私たちにも同じ聖霊を与えてください。そして、その聖霊で私を満たしてくださいと祈りましょう。
最後に、17節をもう一度読みましょう。 「『神は言われる。終わりの時に、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、/若者は幻を見、老人は夢を見る。」

 私たちは、すべてのものを失うようなことがあったとしても、聖霊が私たちに注がれる時、聖霊が、私たちに預言と、幻と、夢を与えてくださいます。聖霊に満たされる時、私たちには、希望と喜びがたえることがないのです。この素晴らしい御業を見せていただきましょう。

 

今週の礼拝メッセージはこちらからご覧いただけます。↑

礼拝案内

 

ホサナ(教会学校)

毎週日曜日  8:45〜

 

主日礼拝 Worship

毎週日曜日10:15〜

 

夕拝 Evening worship

毎週日曜日16:30〜

集会案内

 

フィリア手話の会

毎週火曜日11:00〜

 

キッズブラウン英語教室

毎週土曜日  8:45〜

                    9:35〜

 

毎週木曜日 16:00~

 

祈り会(昼)

毎週水曜日10:30〜

 

祈り会(夜)

毎週水曜日19:30〜

 

WE LOVE YAMAGATA
WE LOVE YAMAGATA

Illustration by c-awase