ファミリー礼拝

「子どものころのイエス様」ファミリールカ2:41~52

 この前、ギデオン協会の方が来られましたが、この教会は素晴らしい教会ですね。赤ちゃんもいれば、子どももいる。若い人も、中年の人も、お年寄りもいて、本当に家族のような教会ですねと言ってくださいました。

 今日は、ファミリー礼拝です。この中には、赤ちゃんもいますし、子どもたちもいます。そして、大人もいてみんなで、礼拝が出来ることは、本当に感謝です。

 そして、イエス様は、すべての年代の人を愛しておられ、どの年代の人の気持ちを誰よりも一番解ってくださるお方です。

 イエス様は、私たちを救ってくださるために、この地上に赤ちゃんとしてお生まれになりました。赤ちゃんとしてお生まれになったイエス様は、神の子でしたから、急に大人になったのでしょうか。

 いいえ、私たちと同じように、食べ物を食べて、言葉を覚えたり勉強をして、運動をしたりお手伝いをしながら、成長していったのです。

 この中で、12歳の人がいますか。今日は、イエス様が12歳、子どものころのお話です。

 

今日の中心の御言葉は、49節です。

「すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」

 

  イエス様がお生まれになった場所を覚えていますか?そうです。ベツレヘムです。ヨセフとマリアは、神様のお告げによって、赤ちゃんのイエス様を連れて、しばらくの間エジプトに行きましたが、その後は、自分たちの町ナザレに戻りました。ナザレの町はガリラヤこの近くにある小さな町です。

 イエス様は、ナザレの町ですくすくと大きくなりました。ユダヤの国では、小さい時から聖書の勉強をします。イエス様も毎日、お父さんのヨセフやお母さんマリアから聖書のお話を聞いて、とてもよく覚えました。

 ヨセフは、大工さんだったので、イエス様も大工さんの仕事をしたり、忙しいお母さんのお手伝いをして、弟や妹のお世話もしました。

 イエス様は、神の子でしたが、威張ったり特別な力を使ったりしないで、両親の言うことを、よく聞きました。このようにして、イエス様は神様に守られ、元気で賢い少年として成長したのです。

 イエス様が12歳になった時のことです。過ぎ越の祭りという大切な祭りのために、家族揃ってエルサレムに出かけました。エルサレムの神殿で神様に感謝の礼拝を献げるのです。

 遠いエルサレムには、町の人たちと一緒に出かけました。子どもたちは歩くのが遅いので、子どもどうしで先頭を歩きます。その後を、女の人たちが歩き、男の人たちは、最後にぞろぞろと行列になって歩いて行くのです。

 すばらしいお祭りが終わって、帰り道のことです。来た時と同じように、それぞれグループになって帰っていました。

 ところが、一日歩いて泊まる場所に着いた時、ヨセフとマリアは、イエス様がいないことに気がついたのです。親戚や知り合いのところを捜しましたが、イエス様は見つかりません。心配になった、ヨセフとマリアは、「わたしの息子イエスを見ませんでしたか。」と捜しながら、エルサレムの町に戻っていきました。

 そして、3日目になってようやく、イエス様を見つけました。

 イエス様がおられたのは、エルサレムの神殿の中で、神様のことを教える先生たちの真ん中に立って、話しを聞いたり、質問をしたりしていたのです。

 まわりの先生たちは、イエス様の質問や答えを聞いて「この子は、何と賢い子だろう。神様のことをどこでこんなに学んだのだろう。」と驚いていました。

 

 そのイエス様を見つけたマリアは、思わず、「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」と言いました。するとイエス様は、「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」とお答えになりました。

 この時にはヨセフにもマリアにもこの言葉の意味がよく分かりませんでした。ただ、マリアは、その言葉を心にとめておくことにしました。

 

 イエス様は、ヨセフとマリアと一緒にナザレの町に帰り、お父さんやお母さんの言うことを良く聞き、お手伝いをして、両親に従いました。聖書の御言葉もたくさん覚えて、神様と人とに愛される立派な青年に成長していきました。

 

 この御言葉から2つのことをお話ししたいと思います。

 

(1)イエス様は、少年の気持ちをよく知っておられる。

 イエス様は、どうして、少年になられたのでしょうか。神の子ですから、赤ちゃんからすぐに、30歳になって、福音を伝えることが出来たはずです。それなのに、どうしてイエス様は、私たちのように一つ一つ年を取って、大きくなられたのでしょうか。それは、少年や青年の気持ちがよく分かるためです。

 12歳というと、思春期で、子どもから大人になる大切な時で、人間関係でいろいろ悩む時です。「みんな悩んで大きくなった。」という歌がありましたが、少年には少年の悩みが、青年には青年の悩みがあります。けれども、そんな時にぜひ思い出してください。

 イエス様も少年や青年として、悩まれたということを・・。イエス様も少年や青年になられましたから、その気持ちを誰よりも一番解ってくださるのです。

 

 ある中高生の一日修養会があって、そこで御用をさせていただきました。30人位の中高生が集まって、すばらしい時がもたれました。その中で一人の不登校を克服した高校3年生の話がありました。

 その時ご彼女を本当の意味で理解してくれる人は誰もいませんでした。

 お母さんはこのことがきっかけで教会に行くようになってやさしく愛をもって彼女と接するようになりましたが、彼女はやさしくされればされるほど、それに答えられない自分を攻めるようになったというのです。

 そして、彼女は、どうしても学校に行けない自分を責めて、「わたしなんか、いないほうがいいんだ。」とある時自殺をしようと思いました。その日、チャビという犬を連れて、散歩に行ってくるといって家を出ていきました。歩いていると排水が噴き出しているきたないどぶ川がありました。

 そして、その中に飛び込むと死ねると思って、飛び込もうと思ったのですが、その後記憶がなくなったというのです。そして、気がついてみると自分の家の前にいました。 そのようなことがあって、やがて、お母さんに導かれて教会に行くようになりました。

 教会に行くようになって、はじめてイエス様が私を愛し、私と一緒に悩んで下さるお方だということを知りました。そして、そのイエス様を救い主として信じて、心の中にお迎えしたのです。

 それから、しばらくして、フットプリントという詩をを読んだそうです。この詩は、イエス様がいつも一緒に歩いておられて足跡が二つだったのに、一番苦しい時、一番悲しい時、イエス様を一番必要としていた時に、足跡が一つになっていた。後で解ったのは、その時、イエス様がその人を「背負って」歩んで下さったという詩です。

 その詩を読んだ時、彼女は、あの時、わたしが意識を失ったのはイエス様が私を背負って守って下さったからだと思いますと証しをしていました。

 そして、しばらくしていあのどぶ川にチャビつれて行ったそうです。けれども、その場所を見ても、恐れや不安はありませんでした。それどころか神様が救ってくださったという感謝が心からわきあがって涙がててきたというのです。悲しみと苦しみの場所が神様が共にいて下さったという恵みの場所に変えられたのです。イエス様は、私たちの苦しみや悲しみのただ中に共に下さるお方です。 

 

 イエス様は、私たちのすべての悩みをご存じです。そして、その悩みを一緒に負ってくださるお方です。その愛の証しが、イエス様の十字架です。イエス様は、私たちのすべての悩みや罪をその身に負って、十字架にかかって下さったのです。

 イエス様も、私たちと同じように、少年や青年に、何よりも私たちと同じ人間の姿になってくださったのです。だから、私たちのすべての悩みや悲しみを誰よりも一番よく解って、救って下さるお方なのです。

 

(2)聖書の御言葉を心に蓄えること

 46~47節

「三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。」

 ユダヤ人は、小さいころから聖書の御言葉を教えらます。イエス様も、幼いころから、お父さんのヨセフやお母さんのマリアに、神様のことや、聖書の御言葉を教えられて育ちました。

 この聖書の御言葉は、神様の言葉です。この神様の御言葉に従う人生ほど素晴らしい人生はありません。

 

 ジョン・ウェスレーのお母さん、スザンナ・ウェスレーは、神様から与えられた子どもたちを、どんなことをしても立派に育てようと、聖書の御言葉を一緒に読みました。

朝は旧約聖書を一章、夜は新約聖書を一章、そして、毎日二回詩編を読みました。子どもを正しく教育するために、聖書ほどよいものはないからです。子どもたちが、神様に従い、神様のお役に立つ人になることが、スザンナの一番の願いでした。

 スザンナ・ウェスレーには、19人の子どもが与えられましたが、9人は幼いころに、病気や事故で天に召されましたが、神様はスザンナの祈りを聞いてくださいました。その兄弟の中から、ジョン・ウェスレーは伝道者になり、弟のチャールズ・ウェスレーは、たくさんの讃美歌を書いて、今も世界中で歌われています。この二人は、生涯、イギリスのリバイバルのために用いられたのです。

 

 私たちも、ヨセフやマリアのように、また、ウェスレーの家族のように、子どもたちと一緒に、聖書の御言葉を読みましょう。そして、素晴らしい人生を歩ませていただきましょう。

 

(3)エルサレム神殿は父の家

  ヨセフとマリアは、イエス様がいなくなってしまった時、本当に心配しました。そして、一日かけて、エルサレム神殿に戻ってきました。そして、イエス様を見つけた時、

「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」

と言ってしまいました。それは、親としては当たり前です。ヨセフもマリアも本当に心配だったのです。

 

 ところが、イエス様は、その両親の言葉を聞いてこう言われました。

49節

「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」

  エルサレム神殿は、神様を礼拝する場所です。そして、イエス様は、その神の子です。ですから、イエス様は「自分の父の家」にいるのは当たり前だとおっしゃったのです。

 それは、イエス様が、神の子であるということをヨセフとマリアに伝えるためにおっしゃった言葉でしたが、私たちも、イエス様の恵みによって神の子とされました。ですから、神様の御手の中にいるならば、心配することはないのです。

 

 ある船がアメリカに旅行をしていました。最初の内は、順調に進んでいましたが、しばらくいくと、その船が嵐に遭いました。大きな船は、木の葉のように揺れて、今にも沈みそうになったのです。

 その船に乗っていた人たちは、「助けてくれ」と大声で叫んだり、また、真っ青になって声も出ない人たちもいました。

 ところが、その嵐の中で、歌を歌いながら、甲板で楽しそうに遊んでいる女の子がいました。ものすごい嵐なのに、少しも恐そうではありません。

 不思議に思った、ある人が、その女の子に「こんなにすごい嵐なのに、どうしてあなたは恐くないの」と聞いたそうです。するとその女の子は、笑顔で「うん、だって、この船の船長は、わたしのお父さんだもの。」と答えたそうです。

 この女の子は、船長のお父さんを信頼していたので、この嵐の中でも恐くなかったのです。

 

49節

「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」

 

 イエス様は、神の子です。そして、神様の御手の中にあるから大丈夫だと安心していたのです。イエス様は、そのような神様の御手の中で、神様と人とに愛されて成長していきました。52節には 「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。」と書かれています。

 イエス様も、私たちと同じように、少年のころや青年のころがありました。そのイエス様のように、聖書の御言葉を読んで、その御言葉に従いましょう。そして、イエス様が、神様を信頼して安心していたように、私たちも、イエス様によって神の子とされました。その神様の御手の中で、神様と人とに愛されて成長させていただきましょう。

 

WE LOVE YAMAGATA
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Illustration by c-awase