今日からアドベント(待降節)に入ります。アドベントというのは、イエス様の誕生を待ち望む日です。
先週は、頌くんと慧くんの献児式が行われましたが、お父さんやお母さんは、赤ちゃんが生まれる事が解ると、その日を待ち望んで、赤ちゃんが生まれる準備をします。
そのように、私たちも、イエス様がお生まれになったクリスマスを、待ち望んで、その日を迎える準備させていただきましょう。
今日の中心の御言葉は、イザヤ9:5です。
「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。」
イエス様がお生まれになる700年も前のことです。イザヤという名前の預言者がいました。「預言者」とは、神様の言葉を聞いて、それをみんなに伝える人のことです。
預言者のイザヤが生きていたころの人たちは、本当の神様を忘れて、石や木で作った神様を拝んでいました。イザヤは、いつも「本当の神様を礼拝しなさい。」と言いましたが、みんななかなかイザヤが言う通りにしません。勝手な事ばかりして、悪いことを平気で行っていました。
そのころ、アッシリアというとても強い国がありました。イザヤは、大きな声で知らせました。
「本当の神様を礼拝しなさい。いつまでも偶像を拝んでいると、アッシリアが攻めてきて、この国は滅ばされてしまいますよ。アッシリアの兵隊は、家も畑もめちゃめちゃにして、大勢の人を自分の国に連れて行ってしまいますよ。」
イザヤの話しを聞くと、みんなとても心配になりました。
そんな時に、イザヤが現れてこう預言しました。
「それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。」
「インマヌエル」とは「神様が一緒にいてくださる」という意味です。いつも、神様が一緒におられて、結婚していない女の人から生まれる赤ちゃんって、いったい誰のことでしょう。
大変な世の中に、「神様が一緒にいてくださる」とは大きな力です。ユダの人々は、その救い主を待ち望みました。
すると、またイザヤが預言しました。
イザヤ9:5
「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。」
私たちのために生まれる赤ちゃん。神様が私たちに与えて下さる男の子。驚くべき指導者であり、力強い神様であり、天のお父様であり、平和を与えて下さるお方。それは、いったい誰のことでしょうか。
この赤ちゃんとは、イエス様のことです。
この預言を聞いた、ユダの人々は、とても嬉しくなりました。そして、心に希望が湧いてきました。それから、700年間救い主イエス様が来られるのをずっと、希望をもって待ち続けたのです。
この聖書の箇所から2つの事を学びたいと思います。
(1)救い主をお迎えすること
イザヤ7:14
「それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。」
「インマヌエル」というのは、「神様が一緒にいてくださる」という意味です。クリスマスを迎える最高の準備は、イエス様を心の中にお迎えすることです。12月は、師走と言って先生が走ると書きます。先生が走るくらい忙しいのが12月です。
仕事も、人とのお付き合いも大切でしょう。けれども、一番大切なのは、イエス様を心にお迎えすることです。
ヨセフとマリアが人口調査のために、ベツレヘムに行った時、時が満ちてイエス様が産まれそうになりました。そこで、二人は一生懸命宿屋を探しましたが、泊まる場所がありませんでした。
ルカ2:7には、「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」と書かれています。
クリスマスを迎えようとしていますが、私たちの心には、イエス様をお迎えする場所があるでしょうか。
心の扉を開いて、「どうぞ、私の心の一番良いお部屋にお泊まりください。」とイエス様をお迎えしましょう。イエス様は、喜んで私たちの心にお入り下さり、私たちと一緒にいて下さるのです。
ヨハネの黙示録3章20節
「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」
インマヌエルのイエス様は、私たちを愛しておられます。そして、私たちの心の中に入りたいと心の扉をたたいておられるのです。
クリスマスの出来事です。
イギリスのロンドンに、ベティーさんというとても貧しいおじいさんがいました。お金をたくさん借りているのに、返す事が出来ません。それで、ベティーさんはいつ借金取りが来るかわからないので、いつもびくびく暮らしていたのです。
そのことを知ったアイアンサンド先生は、とてみかわいそうに思って、クリスマスにベティーさんを助けるために、お金を集めました。
お金が集まると、アイアンサンド先生は、ベティーさんが借りたお金を代わりに全部返してあげました。そして、領収書を、ベティーさんに届に行ったのです。ベティーさんの古ぼけた長屋に着くと、ドアをノックしました。
「ベティーさんいらっしゃいますか?」何度ノックをしても、何度声をかけても出てきません。あきらめて帰ろうとすると、近所の人がやって来て、「先生、ベティーさんはいますよ。ただ借金取りがくるかも知れないと思って返事をしないのです。」
それを聞いたアイアンランド先生は、もう一度ベティーさんの家のドアをたたきました。「ベティーさん、アイアンランドです。開けてください。いいことを知らせにやって来たのです。」
ベティーさんは、そっとドアを開けました。アイアンランド先生は、ベティーさんに領収書を渡して言いました。「この領収書をご覧下さい。あなたはもうお金を払う必要はありません。」
その知らせを聞いたベティーさんは、心から喜んで「ありがとうございます。先生、こんなに嬉しい知らせなら、もっと早くドアを開けば良かった。」と言ったそうです。
イエス様は、私たちの罪を赦してくださるためにこの地上に来てくださいました。そして、私たちの心の扉をたたいておられるのです。今、心の扉を開いて、イエス様を心の中にお迎えしましょう。
(2)イザヤのように救い主を伝えること
5節をご覧ください。
「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。 」 イザヤは預言の中で、救い主の性質を4つの名前で表しています。
「驚くべき指導者」
救い主は、完全な知恵があるお方で、わたしたちが悩んだり、苦しんだりするときに、いつでもそばにいて必要な助けを与えて下さるお方です。
「力ある神」
天使ガブリエルは、あの受胎告知をしたときに、マリアに「神にできないことは何一つない。」(ルカ1:37)と言いますが、「力ある神」という言葉は、救い主は、すべてを支配し、すべてを導き、すべてを創られる不可能のないお方であるということを表しています。
「永遠の父」
永遠から永遠までを支配され、はじめであり終わりであり、全てのものの源である父なる神という意味です。
「平和の君」
救い主は、平和を作り出されるお方で、私たちと神様との関係に和解を与えてくださり、この世の争いや暗黒、苦難や苦悩の原因である罪を取り除いて下さるお方です。
このような素晴らしいお方が、私たちのために、来られたのがクリスマスです。 このイエス様の御降誕を心から待ち望みたいと思います。
そして、いま、震災後多くの人々が暗闇の中で悩んでいます。また、これから来るかも知れない地震や津波などに大きな不安をもって生きています。
そのような時代だからこそ、イザヤが、暗闇の中で悩んでいたイスラエルの民に預言をしたように、私たちもイエス様の福音を一人でも多くの人々にお伝えしましょう。
川上義也さんと英子さんが、チューリップの球根を植えてくださいました。今は土の中に埋まっています。また、冬になると、雪が積もって、あの花壇が雪置き場になってね雪が山のようになってしまいます。しかし、春になると、芽が出て、きれいな花を咲かせるのです。その日が今から楽しみです。
御言葉の種を蒔くということも同じです。聖書の言葉には命があります。そして、すぐに身を結ばなくても、やがて、成長して花を咲かせ、豊かな身を結ぶのです。そのことを信じて、イザヤのように、あきらめずに御言葉の種を蒔き続けさせていただきましょう。
ある宣教師が、このようなことをおっしゃいました。
「もし、今、伝道が成功しているなら、昔、汗水たらして、御言葉の種を蒔いた人がいたことを忘れてはいけません。
そして、もし、今、伝道の実を見ることが出来ずに苦労しているなら、将来誰かが、収穫の喜びを味わうことを想像して、希望を持って御言葉の種を蒔き続けなさい。」
神様の、ご計画は遠大です。
今、伝道の結果を見ることが出来なくても、私達が忠実に御言葉の種を蒔き続けるなら、神様は必ず、時が来れば必ず、素晴らしい御業を成してくださるのです。
神様の時があります。あせらず、目先のことに捕らわれずに、忠実に今、私達の成すべき事を信仰を持ってさせていただきましょう。
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