11/17 主日礼拝

「万事を益としてくださる神」 ローマ8:26~30

  今日は、川上 悟兄のお証しを感謝します。

 川上 悟兄は、皆さんもご存じのように、忠実に教会を支えて下さっている兄弟です。その働きにも勿論感謝していますが、川上 悟兄の素晴らしさは、自分を誇らずに、栄光を主に帰すところだと思います。

 川上 悟からお手紙や、メールをいただくことがありますが、その最後に必ずと言って良いほど、栄光在主という言葉が書かれています。それは、栄光が神様にありますようにという意味です。そのように、神様に栄光を帰すことが、川上 悟兄が祝福され、神様に用いられている秘訣だと思わされました。

 

今日の中心の御言葉は28節です。

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」

 

 神様は、私たちのことを、その独り子を与えて下さるほどに愛しておられます。その神様が、私たちに最善の以下の事をなさるはずがありません。神様は、すべてのことを益に変えて下さるお方です。

 

  今日は、ローマ8:26~30を読んでいただきましたが、ここには万事を益としてくださる神様の3つの恵みが書かれています。

 

(1)執り成してくださる神

26節

 「同様に、"霊"も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、"霊"自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、"霊"の思いが何であるかを知っておられます。"霊"は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。」

  この箇所の最初の2節は、新約聖書の中でも、祈りに関する最も大切なな箇所の一つです。

 パウロは、「わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、"霊"自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」と言っています。

 なぜ、パウロは、ここで、「わたしたちはどう祈るべきかを知りません」  と言っているのでしょうか。それには、2つの確かな理由があります。

Oその一つは、私たちには、未来のことが分からないからです。

 私たちは、一年先、いや一時間後のことも分かりません。ですから、私たちは、実際は忍耐をすれば、素晴らしい益となることを、一時の苦しみから、解放されたいと祈ってしまいます。

 また、目先のことしか分かりませんから、将来どうなるかを知らずに害悪になることを求めて祈ってしまうこともあります。

 

Oそして、もう一つは、現在直面している出来事でさえ、何が最善であるかが、分からないのです。ですから、正しく祈ることが出来ないのです。

 私たちは、ともすると、自分を傷つけるものを求める子どものように、祈ることがあります。

 そのような祈りに対しては、神様は、父親がその要求を拒否するように、私たちの祈りを拒否しなければならないことがあります。それは、親が子どものために何が一番良いのかを知っているからです。

 パウロは、人は人間の努力や力によっては、自らを義とすることは出来ないことを知っていました。また、人は知性の限りを尽くしても、何を祈って良いのかを知らないことも知っていました。ですから、聖霊の切なるうめきをもって、執り成していただかなければ、正しい祈りをささげることは出来ないのです。

 

こんなたとえ話を読みました。

ある人のところに天使がやって来て、3つの願いをかなえてあげようと言いました。

男はさんざん迷ったあげく、横で小言を言っている妻を見てこのように言いいました。

「この妻を連れていって、新しい良い妻を与えてください」願い通り、妻は亡くなってしまったのです。

 ところが、葬式の弔問に来た人たちが、死んだ妻が人知れずしていた善行をあれこれ話し始めた。するとこの人は、自分の妻が良い人だったと知って、2番目の願いをしました。

「私の妻を生き返らせてください」

すると、その願い通りその妻は生き返りました。願いはあと1つです。迷った末、結局天使に、自分にとって一番必要なものは何であるかを尋ねた。

天使は、こう答えました。

「受けた恵みに感謝する心です。」

そこで彼は、3つ目の願いとして、自分に感謝する心を与えてほしいと頼みました。すると、天使は、その願いに応えて彼に感謝する心を与えたのです。すると、彼の口から、感謝の告白があふれ出て、本当に幸せな人生を歩み出すことが出来たというのです。

神様は、「万事を益としてくださるお方です。」そのお方を信じて、今あるものを感謝しながら生きる人生が、幸せな人生です。

 

イエス様でさえ、あのゲッセマネの祈りでこう祈っています。

マタイ 26:39 

少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」

 「アッバ父よ。」とあのゲッセマネの祈りで、神様を呼ばれた、イエス様こそが、最善を成して下さる神様を心から、信頼しておられたのです。ですから、十字架の苦しみを前にしても、「しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」  と祈られたのです。

 26節

 「同様に、"霊"も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、"霊"自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」

  私たちは、将来のことを考えると不安になったり、思い煩ってしまって、どう祈って良いか解らなくなる時があります。また、今という時でも、どう祈って良いのか解らずに悩んでしまうことがあります。しかし、そのような時に、霊自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるとは、何と感謝なことでしょう。その聖霊の執り成しを信頼して、祈る者とさせていただきましょう。

 

(2)万事を益としてくださる神

28節

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」

 パウロは、万事を益としてくださる神様は、執り成してくださるお方であると語った後で、さらに進んで、神を愛する者たち、また神の目的に従って召された者たちは、神様が万事を益となるように計らってくださることを良く知っている、と言っています。

 すべてのことがあい働きて益となるということは、キリスト者の生きた証しです。

 私たちの人生の中で、災難と思っていたことが働いて益となった。失望と思われたことが、働いてより偉大な祝福となった。という証しをもっておられる方々がたくさんおられるのではないでしょうか。

 

 そして、この御言葉の最初に「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、」  という言葉が書かれていることを忘れてはならないと思います。

 私たちが、神様を愛し、神様に信頼し、神様を受け入れるならば、神様が最善を成して下さるお方であることを知ることが出来るのです。

 

 人が医者に行くと、時には気持ちの悪い、または痛くつらい治療法を指示されることがあります。

 しかし、私たちは、その専門家の知恵を信頼し、計画されたことを受け入れるのです。

もし、私たちが医者を信頼できなければどうでしょう。気持ち悪い治療や、痛い治療にとても耐えることが出来ないのではないでしょうか。

 それは、私たちが神様を愛し、信頼するのと同じです。

 けれども、もし、神様を愛し、信頼しないならば、神様のなさることに時には憤慨し、神様の意思に対して戦い、人生の苦難、悲しみ、試練に対して、怒りと反逆を現すことになってしまうのではないでしょうか。

 しかし、神様を愛し、信頼するならば、神様ほど確かな名医はどこを探してもいません。そして、どんな名医であっても、出来ないことがありますが、神には何でも出来ないことはありません。また、神様には決して失敗がないのです。私たちを愛しておられるお方は、必ず私たちに最善のことを成して下さるのです。

28節

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」

  この恵みの中を歩ませていただきましょう。

 

 この御言葉を読むと11年前の9月14日に天に召された国井ハナさんの事を思い出します。

 国井ハナさんは、22歳の時に、上京され、四谷の洋裁学校で学ばれました。その裁縫学校の川村むつよ先生が敬虔なクリスチャンで、先生に誘われて教会に集うようになりました。そして、1934, 4,21  東京柏木聖書学院で田中敬止牧師より洗礼を受けたのです。

 ところが、国井ハナさんの信仰生活には、たくさんの試練がありました。

 戦争中は、宗教弾圧を経験され、牧師の吉沢幸平先生は、牧師職を略奪されてしまいました。そして、山形南部教会の前身の教会、山形霞町教会は、解散させられ、ハナさんは山形本町教会に振り分けられたのです。

 しかし、神様は万事を益としてくださる神様です。1959年に黒田愛子先生を山形に遣わしてくださり、山形南部伝道所が復興して、今日の教会があるのです。

 また、国井ハナさんは、愛するお子さんを亡くされ、御主人を亡くされました。それは、本当に大変な苦しみであり悲しみでしたが、そのことを通して天国への確かな確信が与えられましたとある時証しをしてくださいました。

 何か問題があると、この御言葉をよく引用されて、万事を益としてくださる神様を信じますと、よく祈っておられました。

 そして、今はこの御言葉は、国井ハナさんの愛唱聖句だけでなく。国井家全員の大切な御言葉になっているのではないでしょうか。

 

 今、ハナさんの長男の国井 誠さんがガンと闘っておられますが、先日お見舞いに伺った時、私はこの癌になって、神様は、家族にこんなに素晴らしい事をして下さったと、神様は「万事を益としてくださるお方だ」とこの御言葉を引用してお証しを聞かせてくださいました。

神様は「万事を益としてくださるお方です。」

 

(3)御子に似たものに定められた神

 29~30節

「神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。」

 ここには、私たちの造られた目的が記されています。それは、御子に似たものにするためです。

創世記1:27には、「神は御自分にかたどって人を創造された。」と書かれています。あらゆる被造物の中で、人間だけが、神にかたどって創造されました。しかし、罪を犯したためその姿を失ってしまいました。しかし、そのような私たちを、救い、御子に似たものに造り変えることが神様の御計画なのです。

  神様の救いの御計画は偶然ではありません。あらかじめ定められていたことです。

 神様は世を造られる前から、すでに私たちを知っておられたのです。それと共に、アダムが罪を犯して神様から背を向けて歩み出した時から、私たちを罪から救いだす青写真を持っておられたのです。

 それは、神の子であられるイエス・キリストの十字架による救いでした。私たち人間は、自分の力や努力では救いに与ることは出来ません。しかし、そんな私たちの身代わりに、神の子であられる聖いお方が、十字架で命を捨ててくださったのです。私たちの救いのために命を捨ててくださるほどに、私たち一人一人を愛しておられるのです。

 そして、そのイエス・キリストを信じて受け入れるだけで、罪は赦され、神の子とされ、永遠の命が約束されているのです。

 そればかりか、29節には、「神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。」と私たちを、人生の様々な出来事を通して、御子に似たものへと造り変えて下さるのです。

 それは、私たちの力や努力によって変えられるものではありません。わたしたちが救われたのは、ただ、イエス・キリストを信じる信仰によって与えられました。それと同じように、ただ、イエス・キリストを信じ、心の中にイエス・キリストをお迎えし、聖霊に満たしていただくことによってだけ、私たちは聖い者へと変えられるのです。聖霊に満たされて、イエス・キリストに似た、愛の人に変えていただきましょう。

 

  ドイツの神秘主義者ヘンリー・スウソウの話しです。

 彼は、偉大な牧師として、地域の人々からも尊敬されていましたが、ある日大変なことが起こってしまったのです。

 彼の家をノックする音が聞こえました。外に出てみると、一人の女性がいて、「この子は、あなたがまいた罪の種よ。」と言って、赤ん坊をスウソウの腕に抱かせて、逃げるようにしてその場を立ち去ってしまったのです。

 スウソウは、その女性に一度も会ったことがありませんでした。彼の潔白は明らかでした。しかし、このニュースは町中に広まってしまったのです。彼は聖者として尊敬されていたのに、一度にその信頼は崩れてしまいました。

 スウソウは、打ちくだかれて、死んだようにうめき苦しみました。このことは、彼にとって耐えがたいことでした。

 彼は静かなところに退いて、主の御名を呼び始めました。

「主よ。わたしはどうしたら良いのでしょう。」「あなたは、私が潔白であることをご存じです。」彼は、苦しみのあまりうめくように祈り続けました。

 すると、主の御声が聞こえました。

「あなたはわたしがしたようにしなさい。沈黙して、他人のために苦しみなさい。」

 その時、彼はイエス・キリストの十字架を見たのです。その十字架を見上げた時、心の中から悩みは消え去り、平安が与えられました。

 彼は、急いで家に帰り、愛情の限りを尽くして、その赤ん坊を育てました。そして、人に何と言われようと、自己弁護をしようとはせず、沈黙をたもち続けました。

 

 それから、何年か経った時、あの女性が現れて、自分の罪を悔い改めて、スウソウの身の潔白を公表しました。

 その時に、スウソウは、神様の愛に満たされ、御子キリストに似たものに造り変えられていたのです。

 

29~30節

「神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。」

  神様は、私たちの人生に起こる様々な出来事を通して、「御子の姿に似た者にしようと」しておられるのです。その御心を信じて、神様を愛し、神様に従う者とさせていただきましょう。

 

  今日は、万事を益としてくださる神様から与えられる祝福について3つの事をお話ししました。

 

(1)執り成してくださる神

私たちが、どう祈っていいか解らない時にも、聖霊が切なるうめきをもって執り成してくださるのです。

 

(2)万事を益としてくださる神

神様は、私たちに素晴らしい計画を持っておられます。そのお方を信じ、信頼して歩むなら、神様は、私たちの願いや考えをはるかに超えて素晴らしい御業を成して下さるお方なのです。

 

(3)御子に似たものに

神様の私たちに対する、最高の目的は、イエス・キリストに似た者に変えて下さることです。神様は、試練や苦難をも用いて、キリストに似た者に変えて下さるのです。

 

すべてが、神様の御手の中にあります。そして、その神様は、私たちを愛し、最善のことを成して下さるお方です。そのお方を信じ、信頼して、万事を益として下さる神様の御業を見せていただきましょう。

 

  28節

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」

 

WE LOVE YAMAGATA
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Illustration by c-awase