クリスマスおめでとうございます。
今日は、3人の姉妹が、信仰告白をされ、バプテスマを受けられます。それは、私たちにとって何よりもの、クリスマスプレゼントです。
特に、今日オンヌリ教会の方々がいらっしゃっていますが、証しにもあったように、佐藤奈都子姉は、夏オンヌリ教会が来られた時、ハッピーツゥゲザーで「イエス様を信じます。」と告白されたのです。その後、続いて杉浦美佐子姉や富澤裕美姉も来られるようになり、イエス・キリストを信じて今日の日を迎えたのです。その、洗礼式の日を、オンヌリ教会の方々と一緒に過ごせるとは、本当に感謝しています。
そして、今日このクリスマスにみなさんに是非、知って頂きたいことがあります。それは、クリスマスというのは、神様が全ての人に「世界最高のプレゼント」を下さった日だということです。 もちろん、あなたのためにもわたしのためにもその最高のプレゼントが用意されているのです。
そのプレゼントというのは、なんでしょうか。それは、このクリスマスにお生まれになったイエス・キリストです。
聖書の中の聖書、福音の中の福音と呼ばれるヨハネによる福音書3章16節にこう書かかれています。ご一緒にお読みください。
「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」
この賜ったという言葉は、プレゼントしてくださったという意味です。
そして、 ここに「世を愛された」と書かれていますが、その「世」の変わりに、自分の名前を入れるとこの聖書の御言葉が良く解ります。御自分の名前を入れて読んでみてください。「神は、そのひとり子を賜ったほどにOOを愛された。」
神様は、ひとり子を与えて下さるほどに、あなたのことを愛しておられます。そして、そのひとり子がお生まれになったのが、クリスマスです。
今朝は、ヨハネによる福音書3章1~21節までを読んでいただきましたが、ここには、イエス様に出会ったニコデモという、人が登場してきます。
1節で彼のことがこう紹介されています。
「さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。」
ここにあるように、ニコデモは、厳格な律法主義に立つ、パリサイ派に属する人でした。そして、「ユダヤ人の指導者」とありますが、これは、全国で選ばれた最高議会のサンヘドリンの議員のことですから、今で言うと国会議員のような人でしょうか。
そのように、ニコデモは地位も名誉も最高のものを身につけた人でした。ところが、彼はどんなにこの世の地位や、名誉を得ても、心の中に平安がありませんでした。
そこで、ある夜、イエスのもとを訪ねたのです。
2節をご覧下さい。
「この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行なうことができません。」
それに対してイエス様は、3節でこう答えられます。
「イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」」
ニコデモにとって、イエス様の答えは、大変な驚きでした。
彼は、当時何歳であったか解りませんが、おそらく、かなりの年輩だったと思います。そんな彼が、もう一度、母親の胎内に宿って、新しく生まれるなんて、全く不可能なことだと思ったのです。
そのニコデモにたいする、イエス様の答えが、5~8節にあります。詳しいことを話す時間がありませんが、
7節に 「あなたがたは新しく生まれなければならない」という言葉が繰り返されていますが、この「新しく」という言葉は、「天から」と訳される言葉です。
ですから、この「新しく生まれる」ということは、ちょうど風が、どこから吹いて来て、どこへいくのか解らないように、神様による超自然的な、霊的なことを現しているのです。
私たちは、ニコデモが考えたように、もう一度、母親の胎内に入り直して新しく生まれることは出来ません。けれども、「天から」の恵みによって、私たちの霊が、私たちの心が新しくなることが出来るのです。
それでもニコデモは、その事が良く解りませんでした。そこで「どうして、そのようなことがありうるのでしょう。」と尋ねると、イエス様は、旧約聖書から、青銅の蛇の話しを始めました。
14~15節をご覧ください。
「 そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。」
この出来事は、民数記21章4~9節に記されています。
イスラエルの民は、出エジプトをして、荒野を40年間さまよい歩きましたが、食糧難と水不足に苦しんだ民は、指導者モーセに
「なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした。」(5節)と言って神様につぶやいて逆らってしまうのです。
その罰として、神様は、炎の蛇をイスラエルの民に送られ、その蛇は、イスラエルの民をかんだので、多くの民が命を失ってしまいました。
そこではじめて、イスラエルの民は自分たちの不従順に気がついて、罪をを悔い改めて、モーセに助けを求めました。その姿を見て、モーセは、主の命令に従って、青銅の蛇を作って、旗竿の先につるしたのです。
そして、その青銅の蛇を仰ぎ見た者は、炎の蛇にかまれた者も、救われて、命を得ることができたです。
イエス様は、そのような青銅の蛇の話しをされて、ヨハネ3:14で、こうおっしゃっておられます。
「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。」
この言葉は、イエス・キリストの十字架を現しています。
イスラエルの民は、主の約束を信じて、青銅の蛇を仰ぎ見た時に、救われて、命を得ました。それと同じように、十字架にかかられた、イエス・キリストを救い主であると信じて、その十字架を仰ぎ見る者は、誰でも永遠の命をいただくことができると語られたのです。
そのことが、16節にはっきりと約束されています。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
神様は、私たちのことをかけがえのない大切な存在として愛しておられます。そして、全人類の人々を救ってくださるために、その独り子であるイエス様が、私たちの罪の身代わりに十字架にかかって死んでくださったのです。
あの十字架上で、イエス様は「テテレスタイ」「成し遂げられた」と言われました。イエス様はあの十字架で、救いの業を成し遂げられたのです。100%完成したのです。
そのことを信じて、十字架を見上げるならば、全ての罪が赦され、神の子とされ、永遠の命が与えらるのです。まさに「新しく生まれ変わる」ことが出来るのです。
第2次世界大戦は、日本人のアジア諸国に対する侵略の歴史です。それに対して私たちは、謝罪をしなければならないと思っています。ところが、今日韓国からオンヌリ教会宣教チームの方々がいらっしゃっていますが、それらの罪を赦して下さるばかりか、キリストの愛を伝えるために、時間もお金も大きな犠牲を払って、来てくださっています。それは、まさにキリストの愛の故です。
私は、昔アーネスト・ゴードンという人の書いた「クワイ河収容所」という本を読んだことがあります。この本には、第二次世界大戦の時にタイの日本軍の捕虜収容所で実際に起きたことが書かれています。
このゴードン牧師は、イギリスの大尉でしたが、第二次世界大戦中に日本軍に捕らえられ、タイの「クワイ河収容所」に送られました。日本軍は捕虜を使って鉄道を作る計画を立てて、過酷な労働をさせていました。このゴードン大尉も一度は死体置き場に運ばれる経験をしています。
あまりにも過酷な労働を強いられたせいか、捕虜たちも互いに憎み合い、友を友と思わないような行動をするようになってしまいました。
けれどもそんな地獄のような捕虜収容所が、徐々に雰囲気が変わっていったのです。 それは、ゴードン大尉たちが竹薮で持たれた集会で毎日一回、聖書を読む事を始めたことがきっかけでした。そこには、牧師も教会もない日本軍の捕虜収容所でしたが、聖書を通して、イエス様が捕虜収容所のただ中におられるというと信じるようになったのです。そこで、彼らはボランティアグループを組織して、弱ったり死を目前にした捕虜のためのケアを始めました。中には自分の食料を重病人に与えて、自らが餓死していくようなこともあったそうです。
そして、敵国である、日本兵に対する態度も変わっていきました。彼らは、竹や牛革で楽器を作って演奏をして、日本軍に聞かせるようになりました。また、負傷した日本兵が、列車に乗せられて汚物垂れ流しのままでいる姿を見て、かわいそうに思い、水と食物を与え、彼らの傷の手当までもするようになったのです。
そんなある日のことです。命じられた作業が終わり工事用具をかたずけの時、シャベルが一本足りないことに気づきました。逆上した日本兵は、恐ろしい事に、作業した者全員の射殺を命じたのです。するとその時、一人の捕虜が「私がやりました」と申し出て、処刑されてしまいました。しかし彼が死んでから後になってシャベルがちゃんとあることが分かったのです。あの時、「私がやりました」と申し出た捕虜は、イエス・キリストの十字架を見上げて、自分の命を捨てて他の仲間たちを救ったのです。
この時、一人の人が殺されたことによって、他の仲間たちが助かったように、神の子であられるイエス・キリストは、私達の身代わりに十字架にかかって死んで下さいました。そして、その尊い命によって私達に救いの道を完成して下さったのです。私達もこのクリスマスこの世に来て下さったイエス様を信じ、見上げて救いの道を歩ませていただきましょう。
もう一度16節をご覧ください。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
ニコデモは、このイエス様に出会って、新しく生まれ変わりました。また、イエス・キリストを信じる多くの人が、そのような経験をしてきました。私もその一人です。
神様は、クリスマスに独り子を私たちに与えて下さいました。そして、そのイエス・キリストは、私たちの罪の身代わりに十字架にかかって下さいました。それほどまでに、私たち一人一人の事を愛しておられるのです。
イエス・キリストを信じて、心の中にお迎えして、心からのクリスマスをお祝いしましょう。
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