今日は、12弟子の歌を歌いました。どうか、この歌で12弟子の名前を覚えてください。
先週、この曲を私が選んで、家に帰って「この曲を何度も歌うと、12弟子の名前を覚えられるんだよ」と話すと、子ども達が「そうだね。でも、本当は2番の方がもっと大切なんだよね」と教えられました。
「弟子達は、イエス様のお手伝いをしたのです、僕たちもイエス様のお手伝いをいたしましょう。」
選ばれた12人の弟子達が、イエス様のお手伝いをしたように、クリスチャンとして選ばれた私たちも、イエス様のお手伝いをさせていただきましょう。
ところで、みなさんは、美味しくて安いお店を見つけたら、どうしますか?
友だちに教えてあげようと思いませんか。
2週間前、妹の所に行きました。そしたら、最近見つけたファミリーレストランがあるから行こうよと誘ってくれました。そこから、スカイツリーが見えて、安くて美味しくてとても素敵なレストランでした。
そのように、私たちは美味しい店を見つけたら「一緒に行こう。」「行けば分かるから」「食べてみたら納得するよ」と友だちを誘います。
今日は、そのようにイエス様に出会った弟子が、嬉しくてたまらなくて他の人にイエス様のことを紹介したお話しです。
今日の中心の御言葉は、43節です。
「その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と言われた。」
イエス様は、私たちにも「わたしに従いなさい」と招いておられます。イエス様に従ってお手伝いをさせていただきましょう。
バプテスマのヨハネのことを覚えていますか。イエス様にバプテスマを授けた人です。ヨハネには何人かの弟子がいました。
これは、一人はアンデレともう一人の弟子です。
ある日、一緒にいた時のことです。イエス様がお通りになるのを見て、バプテスマのヨハネが言いました。
「見よ、神の小羊だ」
先生から、こう言われた、アンデレともう一人の弟子は、イエス様について行きました。
イエス様が泊まっていらっしゃる家に着いた二人は、イエス様からたくさんのお話しを聞きました。お話しを聞いているうちに、イエス様が、本当に神のひとり子で救い主だということが分かったのです。そこで、二人はイエス様の弟子になりました。
イエス様の弟子になったアンデレは、嬉しくて嬉しくてたまりません。このことを誰かに伝えたいと思いました。「そうだ、お兄さんに伝えてあげよう。」と、すぐにお兄さんを誘いました。
「お兄さん、ぼくは、救い主に会ったんだ。素晴らしい方だよ。一緒に会いに行こうよ。」というと、「わかった、僕も会いに行くよ。」と言いました。
アンデレは、お兄さんのシモンをイエス様の所に連れて行きました。すると、イエス様は、優しい顔で、シモンを見ておっしゃいました。
「シモン、良く来ましたね。これから、あなたのことをペトロと呼ぶことにします。」
ペトロというのは、岩という意味です。イエス様から新しい名前をいただいて、シモンはペトロになりました。こうしてペトロもイエス様の弟子になりました。
その次の日です。ガリラヤ行こうとされたイエス様は、フィリポを見つけて声をかけました。「わたしに従いなさい」すると、フィリポは「はい」とすなおに従って、イエス様の弟子になりました。
すると、フィリポもイエス様のことを誰かに伝えたくなりました。そして、友だちのナタナエルを見つけて言いました。
「昔から預言者達が言っていた救い主にお会いしたよ。ナザレの町のイエス様という方なんだ。」
ところが、ナタナエルは信じようとしません。「ナザレだって、あんな小さな町からそんな立派な人が出るわけないよ。」
「そんなことを言わないで、とにかくイエス様に会ってみてよ。そうすればきっと分かるから。」「そうかい。そんなに言うなら会ってみようか。」ようやくナタナエルはイエス様に会いに行くことにしました。
イエス様は、ナタナエルにおっしゃいました。
「フィリポが、あなたを呼ぶ前から、わたしはあなたのことを知っていましたよ。いちじくの木の下にいたでしょう。」自分のことを見事に言い当てられて、ナタナエルはびっくりしてしまいました。
「そんなことまで分かるなんて、イエス様は、本当に神様の子どもだ。イスラエルの王様だ。」と叫んで、ナタナエルもイエス様の弟子になりました。このようにして、イエス様の弟子は、一人一人増えて、12人の弟子が選ばれたのです。
この聖書の箇所から2つのことをお話ししたいと思います。
(1)イエス様は、神の小羊であるということです。
イエス様が、通りかかった時、バプテスマのヨハネは、「見よ、神の小羊だ」と言いました。どうして、バプテスマのヨハネは、イエス様のことを「神の小羊だ」と言ったのでしょうか。
旧約聖書の時代、罪を犯すと、神殿に行って、祭司に罪を告白して、その罪の身代わりに傷のない清い小羊を殺して、祭壇で焼いてしまわなければなりませんでした。
ところが、神の子である聖いイエス様は、その小羊のように十字架で、全ての人の罪のために十字架で死んで下さったのです。そのイエス様を信じるだけで、全ての罪が赦され、神の子とされ、永遠の命が与えられるのです。
そのことを知っていたので、バプテスマのヨハネは、イエス様のことを「見よ、神の小羊だ」と言ったのです。
1974年2月1日、今日が2月2日なので、ちょうど今から40年前に、サンパウロで25階建ての高層ビルで大火事が起きました。
消防車がやってきて、火を消していると、大きな女の人の叫び声が聞こえました。見上げると、真っ赤に燃えている15階の窓から、お母さんが飛び降りようとしていました。次の瞬間、ドーンと体が、地面にたたきつけられる音がしました。
地面に落ちたお母さんは、死んでしまいました。ところが、そのお母さんの腕の中に、1歳の赤ちゃん、ちょうど、満くんや、適くんくらいの赤ちゃんが抱かれていたのです。
この赤ちゃんは、お母さんがしっかりと抱きしめていたので、怪我一つしないでたすかったのです。
イエス様は、私たちの身代わりに十字架にかかって死んで下さいました。それは、お母さんが赤ちゃんを愛して守ったように、私たちの事を心から愛してくださったからです。「見よ、神の小羊」このイエス様に、主の弟子として、心からお従いしましょう。
(2)一人が一人を誘う、個人伝道です。
アンデレは、ペトロを誘い、フィリポはナタナエルを誘いました。そのようにして、一人が一人を誘って、イエス様の弟子は多くなっていったのです。
イエス様に出会うことは、どんなことよりも素晴らしいことです。ロシアの作家であの有名な、トルストイは、貴族の出身で豊かな生活をしていました。ところが、トルストイは、幸せではありませんでした。トルストイ良い本をたくさん書いていたので、みんなに尊敬されていたにもかかわらず、罪に対する恐怖や不安な心をどうすることも出来なかったのです。
そんなある日、さびしい田舎の道を歩いていた時のことです。トルストイは、一人の田舎の農夫に会いました。その農夫の顔は、幸せそうで平和に満ちていたのです。
トルストイは、その農夫の所に行って、「どうして、そんなに幸せそうな顔をしているのですか」と聞きました。するとその農夫はこう言いました。「神様に信頼しているからでしょう。だから、わたしは喜びで溢れているのです。」
その言葉を聞いたトルストイは、その日から真剣に神様を求め始めました。それから、トルストイはイエス様に出会って、今まで持っていた不安や恐れから解放されたのです。
トルストイは、一人の農夫を通して、イエス様と出会いました。私たちも、一人が一人にイエス様の事を伝えるなら、イエス様を信じる人が多くなっていきます。
アンデレがペトロをイエス様の所にお誘いしたように、また、フィリポがナタナエルをイエス様の所にお連れしたように、私たちも、愛する家族やお友だちをお誘いしましょう。
ウェスレアン・ホーリネス教団の「宣教の祈り」でお祈りをしていますが、その中に、東京の新宿にある淀橋教会という大きな教会の祈祷題が書かれていました。それは、一人の人が3人の人を誘えるようにという祈りです。あの大きな教会でも、一度に沢山の人が救われるように祈るのではなく、一人の人が一人ずつ誘うことを祈っているのです。
一人の人が、3人とは言わず少しハードルを下げて、2人を誘って教会に連れてきたらどうなりますか。教会は3倍になります。今、山形南部教会は、約40人の人が礼拝に来られています。その一人が2人の人を誘ったら、3倍120人の教会になります。山形南部教会は、「愛の教会120人教会を建てよう」というビジョンを掲げていますが、一人が2人の人を誘うだけで、そのビジョンは実現するのです。
今年一年で、2人の人を誘ってみましょう。弟子たちも、兄弟や友だちをイエス様の所に連れいきました。私たちも、家族や兄弟、友だちや近くの人をイエス様の所にお連れしましょう。
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