先週は、弾圧記念聖会のためにお祈りをありがとうございました。
その弾圧記念聖会から帰って来て、今日のメッセージの準備をしました。
今日の聖書の箇所には、パウロが、クリスチャン達に、ローマの社会の中で、どのようにして証しを立てていくべきかを語っているところです。
今日の中心の御言葉は、1節です。
「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。」
その一番最初に「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。」と書かれていて、私は何を語れば良いのか、正直言って少し戸惑ってしまいました。
なぜなら、弾圧の時には、政府は敵のように考えていましたが、今日の聖書の箇所で、パウロは「上に立つ権威に従うべきです。」と正反対のことが語られているからです。
しかし、この教えは、新約聖書全体を通して語られている戒めです。
一カ所だけ聖書を開いてみたいと思います。
Ⅰテモテ2:1~2(P385)
「そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。」
その他にも、Ⅰペトロ2:13~17(P430)や、テトス3:1~2(P397)
にもこの世の権威に従うことが勧められてます。
そのポイントになるのが、ローマ13:1の「今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。」と言う言葉です。
神のよって立てられた権威であれば、その権威に忠実に従うことによって、この世で証しをするべきです。
しかし、神の権威によるものでなければ、その権威が変えられるように祈り、あの弾圧の時のように、その権威と戦って、信仰を貫くべきです。
一言で言うならば、私たちクリスチャンはこの世で生かされていますから、この世の上に立つ人達のために祈り、この世の務めを忠実に果たすことによって、主の証し人として用いていただきなさいということです。
(1)神によって立てられた権威
1節
「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。」
パウロは、私たちが社会の秩序を重んじ、国家を愛し、その権威を尊ぶように勧めています。なぜならば、この世の社会の組織、制度または権威は、すべて神によって立てられたものだからです。
ですから、支配者も、従う者も、神様の権威に従わなければならないと言うことです。この世の権威であったとしても、それが神によって立てられたものであるならば、私たちは忠実にその権威に従わなければなりません。
しかし、その権威が神によって立てられていないものであれば、その権威に対しては、断固として戦わなければならないのです。
イギリスの説教者スポルジョンは、こう言っています。
「ロンドンからもし、クリスチャンを取り除いたら、新しく5000人の警官を増員しても、今日ほどに安定した秩序を保つことは難しかろう。」
イギリスは、紳士の国と呼ばれていますが、ジョン・ウェスレーの時代は、貧富の差が激しく、貧しい人たちが生きる希望を失って、ホームレスの人やアルコール中毒の人で溢れかえっていたのです。
当時は、キリスト教は上流階級の人達だけのもので、貧しい人達には伝道は禁じられていました。しかし、そのような中、ジョン・ウェスレーは、路傍で伝道をしたのです。当然、イギリス国教会からは大変な迫害を受けましたが、それでも、彼は貧しい人達への伝道を止めませんでした。馬車に乗って、何千キロと福音を伝えて回ったのです。
その結果、福音は上流階級だけの者ではなくなり、貧しい人もすべての人に福音が伝えられ、イエス・キリストを信じた人達が、喜びに溢れ、その生活が聖潔られ、イギリスの社会そのものが変わっていったのです。
イエス・キリストを信じる信仰は、心を変え、その生活を変え、その国まで変えるのです。
16世紀のイギリスの国王エドワード6世は、礼拝の聖書を読む時間には、必ず立ち上がったそうです。聖書朗読を聞きながらメモを取り、後でそれを黙想しました。そして、一週間、その御言葉のメモの内容を自分の生活の中で適用しようと努力をしました。
御言葉は、それを学ぶだけではなく、従わなければなりません。その御言葉について深い知識を持ってていることよりも、一つの御言葉に従うことの方が、もっと大切な事なのです。
1節
「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。」
日本は、法治国家ですから、法律という権威の元に生かされています。その法律を忠実に守ることによって、主に従い、「さすが、クリスチャンは違う」と言われるような主の証し人として用いていただきましょう。
(2)この世で忠実な証し人
6~7節
「あなたがたが貢を納めているのもそのためです。権威者は神に仕える者であり、そのことに励んでいるのです。すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。貢を納めるべき人には貢を納め、税を納めるべき人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬いなさい。」
この言葉は、イエス様が、マタイ22:21で語られた言葉と同じです。
「彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」
パウロは、ここで具体的に納税のことについて、語っています。私たちはイエス・キリストを信じて、神の家族とされました。私たちの故郷は天にあります。しかし、だからと言って、この世の税金を納めなくて良いのでしょうか。そうではありません。この日本という国も、「神の権威によって」立てられた国です。そして、私たちは、神様に選ばれてこの国に生まれてきたのです。ですから、この国を愛し、誰よりも忠実に法律においても、税金おいても忠実に責任を果たして、日本の国で証しを立てていくべきです。
内村鑑三は、ふたつのJを愛しなさいと言っています。一つはJESUSです。もう一つはJAPANです。そのようにして、イエス様を愛し、日本を愛して、日本の国が神様に喜ばれる素晴らしい国になるように、私たちクリスチャンを用いていただきましょう。
イエス様は山上の説教で、この世で良き証し人となることを「地の塩」「世の光」にたとえておられます。
マタイ5:13~16
「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」
塩は、少ない量でも料理の味を引き立てます。また、光りは暗ければ暗いほど、明るく輝きます。そのように、この世にあって、地の塩として、世の光りとして主の証し人として用いていただき、人々が天の父をあがめるようになりなさいというのです。
テリトリアヌスの言葉にこういう言葉があります。
「ローマ人は、クリスチャンが偶像の宮に納める事を拒絶したために失った額よりも、はるかに多い税金を彼らが快く納める税金によって収得した。」
当時のクリスチャンは、偶像のために納める献金を断固として拒否しました。その額は大変な額に及びました。
しかし、それとは逆に、当時のクリスチャンたちは、忠実にローマの国に対して税金を納めたのです。その額は、偶像のために納めなかった額よりも、はるかに勝って多かったというのです。
初代のクリスチャンは、このようにして、神様に従い、この世の中で証しを立てていたのです。私たちも、この初代教会の人々に倣い、主に従い、この世では模範的で忠実な証し人として用いていただきましょう。
世界一金持ちだった、ロックフェラーの話しです。
ロックフェラーは若いころ、神様に「世界一の金持ちにしてください。」と祈り、多くの富を築くことができました。
ところが、彼が、53才になった時、突然病に襲われました。夜も眠ることができず、数枚のビスケットと水しかのどを通らず、美しかった彼の顔は、まるでミイラのように変わっていきました。髪の毛が抜けていき、それを隠すために、2週間毎に長さが違うカツラに変えて、自然に髪が伸びているかのように見せたのですが、だんだん隠すことができなくなってしまいました。
その時に彼は、こう祈ったのです。
「神様、どうかわたしの健康を祝福してください。長生きしたいからではなく、今まで築いてきたお金を、この世のために、そして、善を行うために用いたいからです。」 神様はこの祈りに答えてくださり、彼の健康を回復させてくださいました。
ひたすら、世界一の会社を築くため、わき目も振らず53年走ってきた実業家ロックフェラーは、そのときから事前事業家に変えられました。その後43年間、ロックフェラーは、お金を稼ぐこと以上の喜びと熱情をもって、献金を必要としている学校や、福祉団体や、教会に今まで稼いできたお金をささげていきました。
そして、彼は微笑みながら「主からいただいたものを主にお返ししただけです。」と言って、96才で天に召されていったのです。
ジョンウェスレーは、「大いに稼いで、大いに献げなさい」と言っていますが、ロックフェラーは、世界一の金持ちになって、この世に大きな素晴らしい影響を与えました。
6~7節
「あなたがたが貢を納めているのもそのためです。権威者は神に仕える者であり、そのことに励んでいるのです。すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。貢を納めるべき人には貢を納め、税を納めるべき人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬いなさい。」
私たちも、神様に仕えるように、人に仕え、この世を変える良き証し人として用いていただきましょう。
(3)律法を全うする愛
8~10節
「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。」
ユダヤの国では、細かい規則を決めた律法学者たちがいました。その規則は、百科事典くらいたくさんあったと言われています。
たとえば、安息日には、何百メートル以上歩いては行けません。とか、安息日は、働いてはいけないので、麦の穂を取ってはいけません。とにかく、いろいろな規則があってそれを守ることが、正しいことで、守らないことは罪を犯すことだと考えていたのです。
しかし、パウロは、たとえどんなに多くの律法があったとしても、それらの律法は、たった一つに要約することができると言っています。
それは、「隣人を自分のように愛しなさい」という律法です。
イエス様は、マタイ22:36~40(P44)でこう言われています。
「「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」
パウロは、隣人愛についてだけ語り、イエス様は、神と人とを愛する愛について語っていますが、とにかく、神様が与えて下さる愛、その愛が全ての律法を全うするのです。
私たちが、聖められて全き愛の人となり、愛の生活を続けるならば、百科事典のように記されている全ての律法も、道徳もすべてを全うすることができるのです。
なぜならば、心の中に愛が満ち溢れているので、神を愛し、人を愛して神様の御心を行うことができるからです。
私たちの、心を神様の愛で満たしていただいて、神と人とを愛するものとさせていただきましょう。
ベルトルト・ディ・メジョバンニは、ミケランジェロの師匠です。
ミケランジェロは、14歳になった時、ベルトルトの門下生になるために、彼のところにやってきました。ミケランジェロのすばらしい才能を見たベルトルトは、彼にこう聞いたそうです。
「君が偉大な彫刻家になるためには、何がもっと大切だと思う。」
ミケランジェロは、「私が持っている才能と技術をもっと磨かなければならないと思います。」と言いました。
すると、ベルトルトは「君の技術だけでは足りない。君の才能を何のために用いるかを先に決める必要がある。」と答えたのです。
そして、ベルトルトは、彼を連れて、2つの場所に行きました。
最初の場所は、飲み屋でした。ミケランジェロが、「先生、飲み屋の入り口に美しい彫刻があります。」と言うと、ベルトルトは言いました。
「確かにこの彫刻は美しいが、この彫刻家は飲み屋のために作ったのだ。」
次に、ベルトルトは彼を連れて、大きな礼拝堂に行きました。その入り口にも美しい彫刻がありました。
ベルトルトは、ミケランジェロに「君は、どちらの彫刻が好きか?一つは神様の栄光のために作られ、もう一つは快楽のために作られたのだ。君は自分の才能と技術を何のために用いたいと思うか。」
ミケランジェロは、「神様のために用います。」と答えました。そして、その返事の通り、ミケランジェロは神様のために、自分の才能を用いて、全身全霊を注いで、作品を作り続けました。そのようにして、彼は、歴史に記される人物となったのです。
神様は、私たちをかけがえのない大切な人として、永遠の愛で愛しておられます。そして、私たちにも、それぞれ賜物を与えて下さっています。その賜物を誰のために用いるでしょうか。
ミケランジェロが、14歳の時に、自分の技術を、「神様のために用います。」と決心したように、私たちも、全身、全霊をもって、神様を愛し、神様のために用いていただきましょう。そのようにして、神様に愛され、神様を愛する豊かな交わりの中をいつも歩ませていただきたいと思います。
8節
「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。」
神様を愛する愛と、人を愛する愛が一番重要な教えです。
私たちも、ミケランジェロのように、全身、全霊を神様のために用いていただきましょう。
今日は、ローマ13:1~10から三つのことを学びました。
(1)神によって立てられた権威
この世の権威は、神様によって立てられたものです。その権威を持っている人達のために祈りましょう。
(2)この世で忠実な証し人
この世で忠実な証し人として用いていただくためには、具体的な生活の中で、忠実でなければなりません。税金を納めることにおいても、この世の人を畏れ敬うことにおいても、忠実であってこそ、私たちは「世の光り」「地の塩」として用いられていくのです。このことは、この世のことだと軽んじることなく、主に仕えるように、この世にあっても証しを立てさせていただきましょう。
(3)律法を全うする愛
この世の権威で、一番重要なのは、「愛」です。その権威が正しいものであるのか、そうでないのかは、「愛」によって解ります。
神様と隣人を愛する以上の掟はありません。私たちの心を神様の愛で満たしていただいて、神様と人とを愛して、主の栄光のために私たちを用いていただきましょう。
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