主日礼拝 7/13

「主イエス・キリストを身にまといなさい」ローマ13:11~14

 今日は、荒井勇治兄のお証しを伺うことができ、感謝します。神様が、荒井さんご夫妻と、真理ちゃんと、道也くんにイエス様を信じる信仰を与えて下さり、豊かな祝福が与えられています。

 そして、7月27日には、真理ちゃんの結婚式が行われます。神様の祝福がご両家の上に豊かに溢れるように心からお祈りをしたいと思います。

 そして、ヨハネ14:6の「わたしは道であり、真理であり、命である。」  という御言葉から、真理ちゃんと道也くんの名前が付けられたと証しされましたが、この「道」も「真理」も「命」も永遠に残るものです。私たちもこの永遠に残る大切なものを身につけて、祝福の中を歩ませていただきたいと思います。

今日の中心の御言葉は14節です。

「主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。」

 

  13章の最後の部分に、13章全体のまとめが書かれています。パウロは、キリストの約束された、再臨の時が、すでに差し迫っていることを語っています。11節~14節のたった、4節の御言葉ですが、この御言葉の中に、大いなる救いの日が接近していることを切実に感じさせられるところです。そして、その再臨が近いこの日に、私たちキリスト者がどのように生きなければならないのかが、語られています。

 

(1)今がどんな時であるか

11節

 更に、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。

  みなさんは、今がどんな時であるのかを考えたことがありますか。

 ここで、パウロが使っている「今がどんな時であるか」と言う「時」という言葉を、「カイロス」という言葉を使っています。

 ギリシャ語では、時という言葉が、2つあって、一つは「クロノス」という言葉で、それは、時計がカチカチと時を刻んで、過去から現在へ、そして現在から未来へと流れていく時を表しています。

 けれども、パウロがここで用いている「カイロス」という言葉は、そのような意味もなく流れていく時ではなく、その中で区切られている特別な時間を意味しています。それは、イエス・キリストの十字架と復活から始まって、再臨によって区切られている大切な時です。そのような時に、ローマの教会の人々も、私たちも生かされているのです。

続いて11節には

「あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。」と書かれています。これは、イエス様によって、語られた、夜中に思いがけず訪れる再臨の譬えにも表されています。

 

マタイ25:1~13(P49)に十人の乙女の記事が書かれています。

10人の乙女が、それぞれ花婿を迎えるために、ともしびをともして待っていました。

あるところに10人の乙女が今した。5人は、賢いおとめで、5人は愚かなおとめでした。

 賢い5人の乙女は、ともしびの他に、油を用意していましたが、愚かな乙女は、油を用意していませんでした。

 ところが、花婿が来るのが遅れてしまったので、みんな眠気が差して眠ってしまいました。真夜中になって、突然 『花婿だ。迎えに出なさい』  という声が聞こえました。さぁ大変です。乙女たちは、ともしびを灯して、花婿を迎えようとしました。

 ところが、5人の賢いおとめは、油を余分に持っていましたから、大丈夫でしたが、愚かな乙女は、もう油がありません。そこで、賢い乙女たちに 『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』  とお願いしますが、賢い乙女は、『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』  と言ったのです。そこで、愚かな乙女たちが、油を買いに行っている間に、花婿がやって来て、祝宴は始まり、扉が閉められてしまったのです。愚かな花嫁は、後から帰って来て、『御主人様、御主人様、開けてください』  とお願いをするのですが、主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』 と言われてしまうのです。

 このたとえ話の後で、イエス様はこうおっしゃいます。

マタイ25:13

「だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」

  主の再臨の時、それは、花嫁の所に、花婿がやって来るような素晴らしい祝福の時です。救いが完成の日です。

 しかし、その日は、いつやって来るか解りません。だから、目を覚ましていなさい。とイエス様は、私たちに語っておられるのです。

 

  それは、他の聖書の箇所にも書かれています。

エフェソ5:14~16(P358)

「明らかにされるものはみな、光となるのです。それで、こう言われています。「眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ。そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。」

Ⅰテサロニケ5:6~8(P378)

「従って、ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。眠る者は夜眠り、酒に酔う者は夜酔います。しかし、わたしたちは昼に属していますから、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んでいましょう。」

 

  再臨の主は、いつ来られるか解りません。ただ、解ることは、再臨の日は、必ず来るということと、一日一日近づいているということです。

 どうでしょう。私たちは、いつ主が来られても良いように準備ができているでしょうか。愚かな5人の乙女のようではなく、賢い5人の乙女のように、聖霊の油に満たされて、再臨の主を待ち望みましょう。

 

(2)再臨を待つ備え

12節

「夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。」

  「夜は更け、日は近づいた。」  というのは、闇から光りへ、死から命へという意味です。私たちは、すでに救いの恵みに与っていますが、完全な光りの中にいるわけではありません。イエス・キリストが再び来られる時、私たちは、完全な救いに入れられるのです。

今、その途上にあるのだから、闇やこの世との戦いがあります。その戦いに勝利するために「武具」を身につけていなさいというのです。

 

エフェソ6:10~17(P359)

「最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。」

  「闇の行い」に対して、「光りの武具」を身につけなければならないのです。

 やみの支配下にある者は、やみの奴隷になっています。しかし、光りに属する者は、「光りの武具」を着て、やみの行いに立ち向かわなければならないのです。

 そして、感謝なことに、この光りの武器は、神様から与えられるものです。

 エフェソ6:11には

 「最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。」  と書かれています。自分の力や知恵によってやみに打ち勝つのではなく、主の偉大な力によって強くなるのです。

 そして、その一つ一つの武器も主が備えて下さるものです。

 「真理の帯」、「正義の胸当て」、「平和の福音を告げる履き物」「信仰の盾」「救いの兜」「霊の剣」どれも神様が与えて下さるものです。それらのものを、身につけて、やみのわぎに打ち勝ち、光りの中を歩ませていただきましょう。

 

 山形南部教会には、ギデオン協会の会員が4人おられますが、あのギデオンの精兵が選ばれた時のことを思い出して下さい。

 神様はあの時、1万人のイスラエルの兵隊を水飲み場に連れて行きました。多くのイスラエルの兵隊達は、犬のように無防備に腹ばいになって水を飲みましたが、その中で、たった300人だけが、いつ敵が来ても良いように膝を立てて、手で水をすくって飲んでいたのです。

 神様は、その300人の兵隊を選ばれました。そのように、私たちもいつ再臨の日がやって来ても良いように、「武具」を身につけていなければならないのです。

 

  ある童話に、見習いの最終過程として、地上に派遣される悪魔の弟子のことが書かれていました。

 この弟子は、悪魔の頭領であるサタンに、人間を滅ぼす計画を報告します。

 第一の弟子は言いました。「わたしは、神はいないと言います。」するとサタンは、「そんなことでは、多くの人をだますことはできない。神がいることは、みんな知っているのだから」と言いました。

 第二の弟子が言いました。「わたしは地獄がないというつもりです。」サタンは、「そんなことではだまされる人は一人もいない。人間は罪に対して、地獄があることを今でも知っている。」

 すると、第3番目の弟子が、こう言いました。「まだまだ、主の再臨の日はやってきません。急ぐ必要はありません。と言いましょう。」すると、サタンは彼に「行きなさい。お前はたくさんの人を堕落させることができる。」と行ったというのです。

 時間が充分にあるということは、最も危険な誘惑です。今解決されていない罪を、明日解決すれば良いと思っていたり、今日身につけなければならない霊的な「武器」を、いつか身につければ良いと油断していると、結局大きな失敗をしてしまうのです。誰が、自分に明日があることを保証できるのでしょうか。

 

  先週は、台風8号が日本に上陸して、全国各地に大きな被害をもたらしました。ちょうど、台風が縦断した木曜日と金曜日は、ウェスレアン・ホーリネス教団の全体委員会が行われ、全国の教区長もこの委員会には参加されました。四国の先生が台風のため来られなかったのですが、後の先生方は、多少の変更はあっても、無事に参加することができて感謝でした、しかし、ニュースを見ると、この台風で多くの被害がありましたし、中にはそのために亡くなられた方もおられます。

 また、昨日の朝は、地震や津波が起こり、避難警報が出ました。私たちの命は、いつ取り去られてしまうのか解らないのです。そして、主の再臨のその日、その時は誰も解らないのです。

 

 ですから、ギデオンの精兵のように、いつ再臨がやって来てもいいように、神の武具を身につけて、主の再臨に備えさせていただきましょう。

 

(3)再臨の主を待ち望む生き方

13~14節

「日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。」

  再臨の主を待ち望む生き方として、13節には

「日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。」 と勧められています。そして、そのような歩みをするために、必要なことが、13節以下に書かれています。

「酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。」

  それは、闇の中を歩んできた古い生活を脱ぎ捨てて、主キリスト・イエスを身にまとうことです。

 

 あの放蕩息子が、父親の元に返ってきた時、その服は、豚の世話をしていましたから、ボロボロで悪臭が漂っていたに違いありません。そのような、放蕩息子に対して、父親はこう言うのです。

ルカ15:22~24(P139)

「しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』

 この放蕩息子の父親は、息子が帰ってきた時、いちばん良い服を用意させました。それは、父親がその息子をどんなに愛していたかを表しています。

 そして、驚くことに、私たちには、どんな服が用意されているのでしょうか。もう一度、14節をご覧下さい。

 「主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。」

  「主イエス・キリストを身にまといなさい。」とあります。神様は、私たちが罪を悔い改めて、イエス様の所に帰る時、「主イエス・キリストを身にまといなさい」とイエス様を着せて下さるのです。何と素晴らしい祝福でしょうか。

 

13~14節

「日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。」

  この13~14節は、アウグスティヌス(354-430)が、回心した御言葉として有名な御言葉です。

 アウグスティヌスと言えば、古代の教会の教父、また哲学者として知られ、今なお、多くの人々から「聖アウグスティヌス」として尊敬を受けている人物です。

 しかし、このアウグスティヌスも、若いころは、とんでもない生活をしていました。彼は、16歳の時、親もとを離れて、北アフリカのカルタゴという街に行きますが、そこで、ひとりの女性と同棲し子どもをもうけるようになるのです。おまけに、母から受けた信仰の教えを捨てて、当時のローマ世界にいきわたっていた「マニ教」という宗教に入信してして、不道徳な生活を行うようになってしまうのです。

 アウグスティヌスの母モニカは、マニ教に走って行った息子のことで、教会の司教に相談しました。司教は「息子さんをそのままにしておきなさい。ひたすら彼のために主に祈りなさい。息子さんは彼らの書物を読んでいるうちに、それがどんなに間違っているか、何という大きな不敬虔なことであるかを、いつか悟るでしょう。」と、モニカに話すのですが、それでも、彼女は泣き続けました。

 その時、この司教は言いました。「さあ、お帰りなさい。大丈夫ですよ。このような涙の子が滅びるはずはありません。」

 この言葉の通り、アウグスティヌスは母の涙の祈りによって、不道徳と、誤った教えから立ち返ったのです。

  アウグスティヌスが31歳の時です。ミランに近い自分の庭で、悶々とした生活をしていると、急に隣りの家から若い人の声で「取って読め、取って読め」と聞こえたのです。彼は、これが神からの啓示だと信じて、急いで立ち上がって友人アルピアスの所に行き、そこにあったパウロの書簡を読みました。まず、目に付いたところを読むと、それが、今日読んだローマ13:13~14節だったのです。

「日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。」

  この御言葉によって、彼は悔い改め、救われて神の子となり、1700年後の今でも、世界中の人々に大きな影響を与えるような、素晴らしい聖徒に変えられたのです。

13~14節

「日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。」

 

14節に

「主イエスキリストを身にまといなさい」とあります。

 私たちは、毎日、服を着ます。服を着ない日は、ほとんどありません。その服を着る時に、「イエス様、今日も私と共にいてください。」と祈りませんか。そして、キリストを身にまとって、この世の戦いや、誘惑に打ち勝ち、聖い心で主の再臨を待ち望ませていただきましょう。

 

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祈り会(夜)

毎週水曜日  19:30〜

 

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Illustration by c-awase