ファミリー礼拝 10/5

「イエス様にほめられた人」 ルカ7:1~10

 みなさんは、お父さんやお母さんから褒められたことがありますか?

どんな時に褒められましたが。

 褒め競られた時、どんな気持ちでしたが。

 今日は、イエス様に褒められた人のお話です。

 

今日の中心の御言葉は、9節です

 「イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」

 これが、イエス様からほめられた人です。でも、とても悲しそうな顔をしていますね。

  この人は、カファルナウムという町のローマ軍の隊長です。百人の兵隊のリーダーだったので、百人隊長と呼ばれていました。

 ところが、ある日大変なことが起きました。隊長の家の召使いがひどい病気になってしまったのです。いくら薬を飲んでも治りません。偉いお医者さんに看てもらっても治りませんでした。心の優しい隊長は、心配で心配でたまらなくなって、どうしたらいいのか解りませんでした。

 ちょうどその頃です。イエス様がカファルナウムにいらっしゃったのです。

「イエス様なら、きっと治して下さるに違いない。」そう思った隊長は、ユダヤ人の先生の所に行ってお願いしました。「イエス様をわたしの家まで案内して下さい。」この百人隊長は、いつもユダヤ人達に親切にしていたので、このユダヤ人の先生は喜んで「いいですとも」と百人隊長のお願いを聞いてくれました。そして、その人は、すぐにイエス様の所に出かけていきました。

 ユダヤ人の先生は、イエス様の所に行ってお願いしました。

「イエス様、百人隊長の召使いが病気になりました。どうか、治してあげてください。あの百人隊長は私たちに親切にしてくれますし、私たちが神様を礼拝する会堂まで建ててくれた、とっても良い人です。」

 イエス様は、その話しを聞くと「わたしが行って、いやしてあげよう」とおっしゃって、百人隊長の家に行くことにしました。イエス様が、たくさんの人たちに連れられて、ようやく家の近くまで来た時です。百人隊長の使いがやって来て、こう言いました。

「イエス様、やはりわざわざ私の家においでにならなくてもかまいません。あなたは本当に素晴らしい方です。私は、あなたに家に来ていただけるような者ではないのです。

ただ、お言葉をおっしゃってください。そうすれば、しもべは必ず治ります。」

 そして、続けてこう言いました。

「私のもとで働いている者がいますが、『行きなさい』と言えば行きますし、『来なさい』と言えば、来ます。また、『これをしなさい』と言えばしてくれます。それと同じように、あなたのお言葉一つで、病気もきっと治ると信じます。」

 百人隊長は、イエス様のお言葉には、本当に力があるので、必ずイエス様がおっしゃった通りになると信じていたのです。

 イエス様は、その百人隊長の言葉を聞いて、驚いて、また感心されました。一緒に来た大勢の人たちのほうをふり向くと、こうおっしゃいました。

10節

「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」

  この後、病気の召使いはどうなったと思いますか?

 イエス様のお言葉通り、病気が治って元気になったのです。百人隊長は大喜び、周りにいた人たちもみんな喜んで「イエス様が治してくださった。イエス様は素晴らしい。」と言って心から賛美しました。

このお話しから、2つのことをお話ししたいと思います。

 

(1)「ただ、ひと言おっしゃってください」と御言葉を信じる信仰

  ここで、質問です。百人隊長の召使いは、病気でしたが、どうして、病気が治ったのでしょうか。

そのことが7~8節に書いています。

 「そこでイエスは、「わたしが行って、いやしてあげよう」と言われた。すると、百人隊長は答えた。「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。」

  イエス様が、愛する僕のために、「わたしが行って、いやしてあげよう」と言われたのです。みなさんだったらどうしますか。私だったら大喜びで、ぜひ、私のところに来てくださいとお招きすると思います。

 しかし、この百人隊長は、「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。」と答えたのです。

 当時のユダヤ人は異邦人を汚れた者と考えていたので、「自分の屋根の下」つまり異邦人の家に入るだけで、汚れると思っていました。百人隊長はそのことを知っていたので、イエス様が来てくださるというのをお断りして、「ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。」と言ったのです。

  続いて百人隊長はこう言っています。

9節

「わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」

 軍人は、上官の命令に従わなければなりません。彼は、隊長としての権威を持っていました。そして、彼が命令をすると部下達は、その命令通りに従ったのです。

 この百人隊長は、それと同じように、イエス様が「ただひと言」命令すれば、自分のしもべは治ると信じていたのです。そうです。この百人隊長は、イエス様こそが、神の子で、病気を癒やしてくださるお方だということを信じていたのです。

 この百人隊長の信仰は、素晴らしい信仰ですが、どうすればこのような信仰を持つことができるのでしょうか。

 それは、私たちの努力によるものではありません。ただ、主の前に自分の罪を認め、無力なものであることを認めるとき、神様からの一方的な恵みとして、このような信仰が与えられるのです。

 ハドソンテーラーは、中国で伝道した人ですが、あの有名なハドソンテーラーでさえ、ある時期、毎日、自分の罪と、失敗と、力不足を感じていたことかあったそうです。そして、どうしたら信仰を強くしてもらえるのだろうかと悩んでいました。

 そんな時、友人のマッカーシーから手紙をもらいました。

 その手紙には、「自分の力で、信仰を追い求めようとするのではなく、誠実なお方に寄り頼んでください。」と書かれていたのです。ハドソンテーラーは、その手紙によって目が開かれました。それまでは、自分の努力によって、信仰を追い求めていました。ところが、そうではなく、ただ誠実なお方に寄り頼むことによってのみ、強い信仰が、一方的な恵みによって、あたえられるのだということに気がついたのです。

 そして、テモテへの手紙二2:13

「わたしたちが誠実でなくても、/キリストは常に真実であられる。」という御言葉が与えられ、イエス様を心から信頼することができました。

 また、ヘブライ13:5

「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」  という御言葉によって、イエス様はどんなことがあっても、私から離れたり、置き去りにしないで、わたしと一緒にいて下さるという確信が与えられたのです。

 私たちは、罪深いものですから、神様をお迎えできるような者ではありません。しかし、私たちの主イエス・キリストは、どこまでも誠実なお方です。そして、決して私たちから離れず、置き去りにされるようなことはありません。その、イエス・キリストを信じて、心から信頼するときに、わたしたちに、強い信仰が与えられるのです。

 百人隊長のように、主の前に謙遜に自分の罪や弱さを認め、全ての権威を持っておられるイエス様を信じましょう。そして、主の恵みの中を歩ませていただきましょう。

 

(2)百人隊長に与えられた祝福

 さて、ここで質問です。百人隊長はどこの国の人だったでしょうか。

   答えは、ローマ人でした。当時、ローマはイスラエルを支配していたので、百人隊長は、ローマから遣わされて来ていたのです。

 でも、イスラエル人は、自分たちだけが、神様から選ばれた民だと信じていました。だから、ローマの百人隊長なんか救われないと思っていたのです。

 ところが、この百人隊長は、僕を愛する愛の人であり、イエス様を心から信じる謙遜な人で、御言葉を真心から信頼する人でした。

 そのような百人隊長の信仰に対して、10節でイエス様は、この人をみんなの前で褒められました。

「イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」

 イエス様は、この百人隊長のような素晴らしい信仰は、イスラエルの民の中にも見たことがないと言って、褒められました。百人隊長は異邦人でしたが、イスラエルの民にも見いだせないような、素晴らしい信仰を持っていたのす。

 神の国に入ることができるのは、ただ、イエス・キリストの十字架と復活による一方的な恵みによるものです。

 そして、その福音を信じて受け入れるものは誰でも、すべての人が救われるのです。

白人も黒人も黄色人種もです。大人も子どもも男の人も女の人もです。ユダヤ人も異邦人もだれ一人も漏れることなく、イエス様を信じるなら救われるのです。

 1950年代、ビリー・グラハムクルセード伝道を開始して間もないころの話しです。

 アメリカ南部のモンゴメリーという町でも、会場の席が、白人の席と黒人の席に分けられていたのです。それを見たビリー・グラハムは、激しくスタッフに抗議しました。

「『あなたの隣り人を愛せよ』という聖書の言葉を、誰が勝手に『白人だけを愛せよ』と書き換えたのですか?

 主イエスはすべての人のために十字架にかかられたのではなかったのですか?

 そして、ビリー・グラハムはさらに、黒人と白人の混合聖歌隊を作ることを要請したのです。

 地元のマスコミは、彼の行動を非難しました。「ビリー・グラハムは、教会を100年前に戻すためにやって来た。」と報道したのです。

 しかし、ビリーグラハムは、少しもひるまずに、こう答えました。

「私が、100年前にもどそうとしているのなら、私の働きは失敗です。私は100年前ではなく、イエス様がおられた2000年前に戻そうとしているのです。」

 モンゴメリーでのクルセードは大成功を収めました。そのクルセードが終わった後で、一人の神学校を出たばかりの体格のいい黒人男性がビリーの前に出てきました。そして、握手をして、その手をしびれるほど強く握りしめました。

 その人は、後に人種差別運動に生涯をかけ、「I have a dream」「私には夢がある」と力強く語り続けた、マーチン・ルーサー・キング牧師だったのです。

 イエス・キリストは、ユダヤ人のためだけではなく、異邦人も全ての人のために十字架にかかってくださいました。そして、この百人隊長のように、イエス・キリストを救い主と信じ、「ただ、ひと言おっしゃってください。」と御言葉を信頼する全て人が、救いの恵みに与ることが出来るのです。

 やがて、終わりの日には、ユダヤ人も異邦人もなく、人種差別や国境もありません。そして、教団教派の区別もありません。

 ただ、イエス・キリストを信じるという信仰によって、みんな神の国で、神様を礼拝するときがやってくるのです。何と素晴らしい時でしょうか。

 この百人隊長は、異邦人でした。しかし、彼は僕を愛する愛を持っていました。そして、イエス・キリストこそが、その僕を癒す権威をお持ちであるメシアであることを信じていたのです。そして、何よりも、そのイエス・キリストの言葉を真心から信頼をしていたのです。

 そのような信仰を私たちは、持っているでしょうか。もう一度、私たちの信仰を確認させていただき、この百人隊長のように、イエス様から、お褒めの言葉をいただきましょう。

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毎週水曜日10:30〜

 

祈り会(夜)

毎週水曜日19:30〜

 

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Illustration by c-awase