山形南部教会は今年で、55周年を迎えました。55周年を記念して、礼拝で証しをされた方々を中心に、証し集を作っています。その一人一人の証しを読ませていただきながら、たくさんの恵みをいただいています。証しをされたお一人一人が、イエス様を信じて、イエス様を愛して仕えておられる生きた証しが書かれているからです。
この証し集には、できるだけ、みなさんの証しを載せたいと思っています。そして、クリスマスには、完成したいと願っていますので、御協力をお願いします。
今日は、イエス様を信じて、イエス様を愛した一人の女の人の話です。
今日の中心の御言葉は50節です。
「イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。」
これはファリサイ派のシモンという人です。
ある日、この人が、イエス様を食事にお招きしました。ところが、ユダヤ人の指導者のファリサイ派の人々は、イエス様の事を良く思っていませんでした。それなのに、どうしてシモンはイエス様を食事にお招きしたのでしょうか。
イエス様のお話を聞いて、この人が、本当に神様から遣わされた人なのか確かめたかったのかも知れません。
イエス様が、シモンの家に行って、席に座ると、ギーとドアが開いて、香油の入った壺をもった一人の女の人が入ってきました。
さて、この女の人は何をしに来たのでしょうか。
女の人は、イエス様の所に行くと、ひざまづいて、涙をポロポロ流しました。そして、その涙で、イエス様の足をぬらして、自分の髪の毛で足をふきました。それから、イエス様の足に口づけをして、持ってきた香油を塗りました。
そのころは、サンダルで外を歩いていたので、足が泥やホコリで汚れていました。その汚れた足を心を込めてきれいにしたのです。
イエス様を食事にお招きしたシモンは、その様子を見て、心の中で思いました。
「イエス様が、本当に神の子であるなら、この女がどんな女か知っているはずだ。この女は悪いことばかりしてきた罪深い女なのに・・・。」
イエス様は、そんなシモンの心をよくご存じで、「シモン、あなたに話したいことがあります。」と言いました。そして、こんなたとえ話をなさったのです。
「二人の人が、金貸しからお金を借りていました。一人は、一年以上働いてやっともらえる500デナリオン、もう一人は一ヶ月くらい働いてもらえる50デナリオンでした。ところが、二人ともそのお金を返すことができなくなってしまいました。どうしようと思っている時に、金貸しがやって来て「そのお金、返さなくて良いよ。」と言ってくれました。さて、どちらの人が、この金貸しにたくさん感謝をしたと思いますか。」
シモンは、「50デナリオンより、10倍の500デナリオンの大金を許してもらった人です。」と答えました。すると、イエス様は、その通りですと答えられました。
それから、イエス様は、シモンにおっしゃいました。
「わたしがこの家に入った時、あなたは足を洗う水をくれませんでしたが、この女の人は、涙でわたしの足をぬらして、髪の毛でふいてくれました。あなたは、口づけをしてくれませんでしたが、この人は足に口づけをしてくれました。あなたはわたしの頭に油を塗ってくれませんでしたが、この人は足に香油を塗ってくれました。
いいですか。この人は多くの罪が赦されたのです。それは、この人がこんなにわたしを愛してくれたことから解ります。少ししか許されていない人は、少ししか愛しません。」
イエス様は、この女の人の方をふり向いて、「あなたの罪は赦された」 と言われました。
そして、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われました。
この女の人は、自分のたくさんの罪が赦されたことを信じたので、嬉しくてたまらなくて、自分のできる精一杯のことをして、イエス様に感謝の気持ちを伝えたのです。イエス様は、その感謝を心からお喜びになったのです。
(1)罪を赦された女の愛
37~38節
「この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。」
この女の人は、罪深い者でした。でも、イエス様がその罪を全部赦して下さったのです。この女の人はどんなに嬉しかったか解りません。そして、その時からイエス様が大好きになりました。そして、イエス様に感謝を表すために、何ができるだろうかと考えたのです。
そこで、ファリサイ派のシモンの家に、自分の一番大切な香油をもって入って行ったのです。
そして、イエス様の足元にひざまづきました。すると、嬉しくてたまらなくて、涙が止まらなくなりました。その涙でイエス様の足を洗ったのです。そして、自分の大切な髪の毛でその足をふきました。それから、足に口づけをして、一番大切にしていた香油を塗ってあげたのです。
私たちは、どれだけイエス様に愛されているのでしょうか。
新聖歌に「両手一杯の愛」という賛美があります。この賛美には、イエス様がどれぐらい僕のことを愛してるのかなと歌われています。
みなさんは、イエス様が、どれくらい愛してくださっていると思いますか。
これくらいですか。それともこれくらいですか。それともこれくら~いですか。
ある日、イエス様は答えてくださいました。静かに両手を広げて、その手のひらに釘を打たれて、十字架にかかって下さったのです。僕のため私のために十字架で命を捨ててくださるほどに、私たちの事を愛してくださっているのです。そのイエス様の愛にお応えして、私たちに何ができるでしょうか。
バークレーという人は、「愛は計算を度外視する。愛は体裁を保つための最小限の贈り物は何かなどとは考えない。愛は最大限に与え、すべてを与えた後でなお足りなく思う。」と言っています。
アメリカのニューオリンズという町に、みすぼらしい着物を着たみっともない女の人の銅像があります。なぜそんなものを作ったのでしょうか。
その銅像はマーガレット・ホーレーという人です。
ホーレーはイギリスのアイルランドで生まれ、小さい時に両親と一緒にアメリカに渡りましたが、その時流行していた熱病のため両親は死んでしまいました。幸い親切な人に助けられ、育てられました。そして年頃になって結婚して、子どもも生まれました。
こうして貧しいながら、楽しく暮らせるようになったと思っていたのですが、頼りにしていた夫が病気で死んでしまいました。それだけでなく、続いて子どもも死んでしまい、またまたマーガレットは一人ぼっちになってしまいました。そのうえお金もなかったので、ある小さなホテルで洗濯の仕事をすることになりました。
その仕事はずいぶんつらいものでたが、我慢して働きました。やがてマーガレットは「この町には、親のない子がたくさんいるに違いないわ。その子どもたちは、私が子どもだった時と同じように、あわれな生活をしているんだわ。自分の家がなく、孤児院の中で育てられているのね…。孤児院のために何かできないでしょうか」と、神様にお祈りしました。
まもなくある孤児院を見つけましたが、彼女の給料は本当に少ないので、まず、牝牛を2頭買いました。そしてその乳を絞って孤児院へ安く売り、残りは町で売って、その利益を全部孤児院へ寄付しました。
それから、パン屋を作って、おいしいパンを孤児たちに与え、また町の人々にも売りました。これがまた大変町の人に喜ばれ、マーガレットの牛乳屋もパン屋もとても繁盛しました。
けれども、マーガレットはいつでも、粗末な着物を着て働きました。そして、お金は全部孤児院のために使いました。それだけでなく、自分でも孤児のお友だちになって、みんなをかわいがりました。
イエス様が彼女を愛して、ご自分を犠牲にしてくださったように、彼女もまた、子ども達を愛し仕えたのです。
44~46節
「そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」
イエス様は、私たちの罪のために十字架にかかってくださるほどに、私たちの事を愛してくださっています。その愛にお応えして、私たちには何ができるでしょうか。心から、神様を愛し、神と人とにお仕えしましょう。
(2)罪を赦された女の信仰
48~50節
「そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。」
この女の人は、イエス様を心から信じていました。その信仰をイエス様はご存じで「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われたのです。
みなさんは、アンデルセンを知っていますか。ハンス・アンデルセンは、160編以上の童話を書いて、世界中の人々から親しまれています。アンデルセンのお母さんは、心からイエス様を信じる人でした。そのお母さんの育てられたハンスは、素直で単純な信仰をもっていました。そして、その信仰がアンデルセンの作品には現れています。
アンデルセンは子供のころの話しです。家が貧しかったので、刈り入れ時になると、お母さんに連れられて、よく落ち穂拾いに出かけて行ったそうです。
これは旧約聖書のレビ記に「収穫するときは畑の隅まで刈り尽くしてはならない。落ち穂を貧しい人のために残しておかねばならない。」とあることから、許されていたことでした。
ところがある日、みんなと落ち穂拾いをしていると、意地悪で有名な番人がやってきました。彼は、右手に太い鞭を持って、ものすごい顔をして追っかけて来たのです。みんなは驚いてすぐに逃げましたが、子供のハンスだけは、逃げ遅れて捕まってしまいました。
ハンスは、その時、神様が共にいて下さるから、大丈夫だと思いました。そして、今にも鞭打とうとするその人を見つめて、こう言ったのです。
「おじさん、ぼくを打つつもりなんですか。神様が見ていらっしゃるのに・・・・。」
すると、番人はハッとして、振り上げた鞭を下ろして、急にニコニコとして、「坊や、君は何という名前かね。」と優しくなりました。「ハンスです。」と答えると、ハンスの手を握って、お金までくれたそうです。
遠くで心配そうに見ていたお母さんは、一緒にいた人達に「うちの子は、本当に不思議な子なんですよ。だれからもかわいがられるんですよ。あの意地悪の番人がお金までくれたんですもの。」と嬉しそうに言ったそうです。
ハンスの信仰が、ハンスを救ったのです。イエス様を信じるハンスを神様が守ってくださったのです。
イエス様は、イエス様を信じる私たちにも、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と語りかけておられます。
イエス様は、私たちの罪のために十字架にかかって救ってくださいました。それほどまでに、私たちの事を愛しておられるのです。そのイエス様の愛にお応えして、私たちもイエス様を愛し、心からお仕えしましょう。
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