今日は、ろうそくが2本ついています。今は、イエス様のお誕生を待ち望むアドベントです。
昨日、山形南部教会でホサナクリスマスが行われました。お友だちが18人集まりましたが、その内、16人が男の子で、2人が女の子でした。その中には、小さな赤ちゃんもいました。
山形南部教会には、毎年のように赤ちゃんが与えられて、本当に祝福された教会だと思います。赤ちゃんが生まれる事が解ると、いろいろ準備をします。ベビーベッドが必要です。おむつ、産着(赤ちゃんの服)、ミルク、車に乗せるのにベビーシートも必要です。
そして、何よりもお母さんが、体を大切にして、赤ちゃんが生まれるのを待ちますね。
そこで、今年は今日を入れて、3回礼拝があるので、3人の赤ちゃんの話しをしたいと思います。
今週は、「イザヤの時代に預言された赤ちゃん 」次の週は「ザカリヤとエリサベトの赤ちゃん」そして、クリスマスは「赤ちゃんになられた救い主」の話しをします。
今日は、イザヤの時代に預言されて赤ちゃんの話です。
今日の中心の御言葉は、イザヤ9;5です。
「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。」
イエス様が、お生まれになる700年くらい前のことです。イスラエルの人たちは、本当の神様を忘れて、他の国の神様や、自分たちで勝手に作った偽物の神様を拝んでいました。
本当の神様を離れたイスラエルの国は、国中に悪がはびこって、うそをついたり、けんかをしたり、殺し合ったりして大変なことになってしまいました。おまけに、アッシリアという大きな国があって、大勢のイスラエルの人たちを、連れて行ってしまいました。
イスラエルの国に残った人たちも、無理やりにつらい仕事をさせられて、とても苦しい毎日を過ごしていました。
「ああつらいな」「いつになったら、こんな苦しい暮らしが終わるんだろう。」と言っていましたが。それでも、本当の神様を頼りにしないで、偽物の神様を拝んだり、占いやまじないをしていたのです。
神様は、そんな真っ暗な時代に、イザヤという預言者を送って下さいました。そのころは、神様の言葉を預言者が伝えてくれたのです。
イザヤは苦しんでいるイスラエルの民に、神様が教えて下さったことを、伝えました。
「もうすぐ、世界中を明るく照らして下さる方がいらっしゃいます。」
そのイザヤの言葉を聞いたイスラエルの民は、大喜びです。こんなに苦しくて暗いイスラエルの国を明るくして下さる方が、この世の光りとして来てくださるというのです。
いったい、その方はどんな方でしょうか。
イザヤは、その方についてこう預言されました。
5節
「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。」
「ひとりのみどりご」というのは、生まれたばかりの赤ちゃんのことです。赤ちゃんが生まれると、みんな大喜びです。恐い顔をしたおじさんも、赤ちゃんの顔を見ると、ニコニコ顔になります。そのような喜びが、イスラエルに与えられるのです。
また、そのお方は、「その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。」と呼ばれると言っています。これは、どういう意味でしょうか。
その方は、oわたしたちをいつも助けてくださる方。oどんなことでもできる力ある方です。oそして、いつまでもお父さんのように愛してくださる方。o私たちの心に平和を与えて下さる方です。
イザヤの他にも、救い主がお生まれになることを預言した人がいました。その人の名前は、ミカです。ミカ書5:2にはこう書いています。ミカは、救い主がどこにお生まれになるのかを伝えました。良く聞いてくださいね。
「エフラタのベツレヘムよ/お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために/イスラエルを治める者が出る。」
ベツレヘムは、イスラエルの国の中でも本当に小さな町です。その町で救い主がお生まれになると約束してくださったのです。
そして、救い主がお生まれになった時、あの東方の博士たちは、この御言葉によって、イエス様がベツレヘムにお生まれになった事を知ったのです。
このイザヤとミカの預言を聞いた、イスラエルの人たちは、元気が出てきました。「救い主が生まれて、私たちを助けてくださる」「早く、救い主が来てくださらないかな。」と、みんな、その方がお生まれになる日を、今か今かと楽しみに待ち望みました。
イエス様は、お生まれになる700年も前から、こんなに大勢の人たちに待ち望まれていたのです。そして、約束された通りに、今から2014年前に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったのです。このイエス様のお誕生をお祝いするのが、クリスマスです。
イスラエルの人たちが、お祈りをしながら、救い主の誕生を待ち続けたように、私たちも、イエス様の事を考えながらクリスマスをお迎えしましょう。
この聖書の箇所から2つの事をお話ししたいと思います。
(1)イエス様こそが、預言された救い主
イザヤ9;5
「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。」
ここに、「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。」とイザヤは預言しています。イザヤは、700年も前に、生まれてくる子は、男の子だと預言していました。
山形南部教会も、生まれてくる子は「男の子」ばかりですが、みなさんの中で、妊娠する前に男の子だということが解っていた人がいますか?今は、医学が進んでいますから、生まれる数ヶ月前になると、男の子か女の子かが解ります。
でも、進んだ医学でも間違えることがあります。恵美お姉ちゃんを知っていますか。今はあんなに大きくなりましたが、恵美お姉ちゃんも赤ちゃんの時がありました。生まれる5ヶ月前のことです。好美先生が病院に行くと、お医者さんがエコーでお腹の中の赤ちゃんを見てくれました。そして、ひと言「男の子ですね」と言われたのです。
ところが、5ヶ月経って生まれた時、看護婦さんが「おめでとうございます。かわいい女の子です。」と言って赤ちゃんを渡してくれました。5ヶ月前は「男の子」だと言われたのに、あれから5ヶ月経って生まれたのは「女の子」、いったいどうしたのだろうと、びっくりしてしまいました。
その時のお医者さんでも、間違えてしまったのです。
お腹の中に赤ちゃんが宿る700年も前に、男の子だと解っていたのは、イエス様だけです。それだけではありません。救い主の預言は、旧約聖書の中に350回以上ありますが、そこには、イエス様が、どこで生まれて、どのようなことをして、どのように死んで、よみがえることまで預言されているのです。そんな赤ちゃんは他にはいません。ただイエス様だけが、旧約時代から預言された救い主です。
「ひとりのみどりご」とてしてお生まれになったイエス様だけが、私たちを苦しみや暗闇から救ってくださる救い主です。
(2)ひとりの男の子が与えられた。
イザヤ9:5
「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。」
ここに「ひとりの男の子」とありますが、これは、ただ、人数がひとりという意味ではなくて、救い主としてこられる特別な神の子を表す言葉です。
イスラエルの民は、神様に背を向けて、罪を犯して、滅びに向かっていたイスラエルの民を見捨てられませんでした。そのイスラエルのために、ひとりの男の子を与えて下さるという約束をしてくださったのです。そして、その御言葉通りに、神の子であるイエス様をお与えくださったのです。それがクリスマスです。
ヨハネ3:16には、こう書いています。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
神様は、私たちの救いのために独り子をお与えくださるほど、私たちの事を愛してくださっているのです。
そして、この独り子であるイエス様は、全人類の罪の身代わりに十字架にかかってくださいました。命を与えて下さるほどに、私たち一人一人のことを愛してくださっているのです。
先週の木曜日に、Aさんのお見舞いに行ってきました。
Aさんは、山形市成沢で生まれました。そして、近くにあった蔵王恵み幼稚園に通いました。そこで、聖書のお話しを聞いたり、降誕劇をしたりして、初めてイエス様の事を知りました。
それから、教会に行くことはありませんでしたが、山形学院に入学して、聖書の話しを聞きました。学校の課題で、山形本町教会や山形南部教会に通うようになりました。その時山形南部教会は、会堂建築中で、柱が建っていたと聞きました。その後、学校に行けなくなり、高校を中退して、ひきこもりの生活が始まりました。
そして、だんだん死にたくなって、ある日プロパンガスの元栓を開いたのです。結局恐ろしくなって、元栓を閉めたのですが、何度もそのようなことを繰り返してしまいました。そして、このままでは駄目だと思って、お父さんに話して病院に入院することになりました。
病院の入退院を五回も繰り返しましたが、なかなか病気は治りません。夜になると不安になって、悪霊に取りつかれるような気がして、眠れなくなってしまいました。
そんな時に、病院の中で、一人のクリスチャンと出会ったのです。それが、山形南部教会のMさんです。Mさんはもう天に召されましたが、その時リビングバイブルという聖書に赤線を引いて、真っ赤になるくらい読んでいました。その聖書を、Aくんにあげて聖書の話しをしたそうです。
私が行った時に、そのボロボロになった聖書を大事に持ってきてくれました。
そして、「聖書には「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ5:43)と書いていますが、僕には愛がありません。「バカ野郎」と言われたり「あっかんべー」をされたりすると、心が怒りでいっぱいになって、相手を殴りたくなってしまうんです。僕は、罪人です。僕を救うことができるのは、イエス様だけです。」と言いました。
そして、私が、「それならば、今日イエス様を信じて、イエス様を心の中にお迎えしませんか?」とお勧めすると、Aさんは、はっきりと「わたしの罪のために、イエス様が十字架にかかって下さったことを信じます。イエス様、どうか私の心の中にお入り下さい。」とお祈りをしました。
今、Aさんは、54歳です。幼稚園の時も、山形学院で学んだ時も、そして、病院に入院した時も、そして、これからいつもイエス様が共にいてくださるのです。
イザヤ9:5
「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。」
クリスマス、それは、神様が、700年前にイザヤを通して約束された「ひとり子」を、私たちの救いのためにお与えくださった日です。このイエス様をお迎えする準備をして、イエス様のお誕生を心からお祝いしましょう。
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