2015年の始めに、オリーブをお招きして、賛美礼拝をおささげできることを感謝します。オリーブには、何度も山形に来ていただいています。エルシオンに1回、山形市民クリスマスに2回、山形南部教会には3回以上、そして、その度に神様の愛と、祝福をいただき感謝しています。
今年与えられた御言葉は、詩編81編11節です。
「口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう。」
2015年は、祝福の年です。神様に期待をして、満たしていただきましょう。
神様から祝福された人の一人に、ヤベツという人がいます。そのヤベツから、祝福される秘訣を学びたいと思います。
今日は、歴代誌上4章を読んでいただきましたが、 歴代誌上の最初から9章までは、アダムに始まって、それから何千年も続いて、バビロン捕囚からイスラエルが帰ってくるまでの、ヘブル民族の系図が書かれています。500人以上のカタカナで書かれた人の名前が延々と書かれていますので、退屈な聖書の箇所です。今年になって聖書通読をはじめられた方もおられると思いますが、聖書通読をすると、この歴代誌で躓いてしまう人が多い箇所です。けれども、ここまで来たらぜひ、忍耐強く読んでください。
4章の44番目の名前まできたところで、突然その人の紹介が書かれているのです。それが、今日のヤベツという人です。
歴代誌上4:9を読んでみましょう。
「ヤベツは兄弟たちの中で最も尊敬されていた。母は、「わたしは苦しんで産んだから」と言って、彼の名をヤベツと呼んだ。」
9節には、短くヤベツの紹介が書かれています。母親がヤベツを産んだ時に、難産だったのでしょう。「母は、「わたしは苦しんで産んだから」と言って、彼の名をヤベツと呼んだ。」 とあります。ヤベツというのは「痛み」という意味です。
普通、親が名前をつける時に、その子の幸せを願って名前はつけられます。ところが、ヤベツは「痛み」という名前がつけられたのです。何と不幸な名前だと思いませんか。特に聖書の名前には、その人の生き様が表されていますから「痛み」を伴う人生、それがヤベツに負わされた人生だったのです。
しかし、ヤベツは、その生まれた時から定められていた不幸を、大いなる祝福に変えたのです。なぜ、そんなことができたのでしょうか?その秘訣が10節に書かれています。
10節
「またヤベツがイスラエルの神に、「どうかわたしを祝福して、わたしの領土を広げ、御手がわたしと共にあって災いからわたしを守り、苦しみを遠ざけてください」と祈ると、神はこの求めを聞き入れられた。」
ヤベツは、自分の不幸な人生を、神様に祈ることによって祝福に変えたのです。このヤベツの祈りを3つに分けて御言葉を聞かせていただきたいと思います。
(1)わたしを祝福してください
まず最初に、ヤベツは、イスラエルの神に「どうかわたしを祝福して、」くださいと祈りました。
新聖歌の196番の3番に「祈れ己のことよりむしろ、人をとりなす身となるまでは、」とありますが、「わたしを祝福してください」という自己中心な祈りをささげていいのだろうかと考えたことはありませんか。
しかし、神様は私たちを造られたお方です。私たちの父なる神様です。父親が、子どもの祝福を願うように、神様は私たちが、神様の栄光のために祝福されることを願っておられるのです。そして、祝福されるように祈ることを待っておられるのです。
マタイ7:7~8でイエス様は、 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」と約束してくださいました。
そして、ヤコブ4:2後半~3には
「得られないのは、願い求めないからで、願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。」と書かれています。
私たちが得られないのは、願い求められないからです。そして、願い求めても与えられないのは、自分のために、間違った動機で求めているからです。自分のためではなく、神様の栄光のために求めるなら、神様は必ずその祈りに答えてくださるお方です。
新年を迎えて、ブルース・ウィルキンソンの「ヤベツの祈り」を読み返しました、その中にこのようなたとえ話があります。
ジョーンズという人が、この地上での生涯を終えて、天国に行きました。すると、門の所でペトロが迎えてくれ、天国を案内してくれました。天国は本当に素晴らしいところで、御言葉通りに、金のように光る流れの側に、私たちのために用意された住まいがあって、神様とイエス様の光が輝いていました。
ところが、一軒だけ、窓のない倉庫のような家があって、ペトロは「この家だけは、見ない方が良いですよ」と言って、別の所を案内しはじめました。ジョーンズは、どうしてもその家のことが気になって、「すみませんが、あの家を見せていただけませんか。」とお願いをしました。ペトロは少し暗い顔になりましたが、「仕方がありません。見せてあげましょう。」と言って倉庫の鍵を開けたのです。
すると、そこには、リボンで結ばれたたくさんのプレゼントが置かれたままになっていました。「これは何ですか。」と尋ねると、「これは、神様が地上の人々に与えようと用意していたプレゼントです。けれども、人々が求めなかったのでこれは、そのままになっているのです。」と答えたそうです。
「得られないのは、願い求めないから」だ。
神様は、私たちに素晴らしい祝福をこの地上で与えようと、たくさんのプレゼントを用意しておられます。そして、神様は、そのプレゼントを与えたいと願っておられるのです。ヤベツのように「わたしを祝福してください」と願い求めてたくさんの祝福をいただきましょう。
(2)わたしの領土を広げてください。
ヤベツは、「どうかわたしを祝福して、」 くださいと祈った後、「わたしの領土を広げ、」てくださいと祈っています。
神様は、私たちの祝福が、私たちだけに留まるのではなく、広がる事を願っておられます。
先週、牧師休暇をいただいて、北九州の実家に帰省してきました。母や弟や甥っ子、友人と楽しい時を過ごしました。そして、母教会の祈祷会や、病院にもお見舞いに行くことができて感謝でした。
最後の日に、妹お勧めのラーメン屋に行こうということになりました。妹は、「このラーメン屋に行かないと、実家に帰って気がしない。」と言って帰る度にこのラーメン屋に行くというのです。それを聞くと行かないわけにはいかないと、行ってきました。・・・美味しかったですね。豚骨ラーメンを食べると懐かしい感じがしました。
この店は、小さな店ですが、口コミで評判が広がって、大変繁盛しています。教会でも、ラーメン屋のことが話題になって、おいしいという店があると、行きたくなります。
まして、私たちは、福音を委ねられているのです。天地創造をされ、独り子をも与えて下さるほどに、私たちの事を愛してくださっている神様を、一人でも多くの人に伝え「私たちの領土を広げ」させていただきましょう。
今回の「ニューイヤーコンサート」のチラシを作るために見本を送ってくださいとお願いをしました。すると、その見本を見て驚いたのですが、そのチラシは、去年東北聖会でご用をしてくださった。川崎豊先生の牧会しておられる「野田キリストめぐみ教会」のチラシでした。
また、私の母教会で、毎年コンサートを開いて、近所の方々が大勢来られていますが、来年のコンサートは誰にしようかと聴かれたので、私は迷わず、オリーブが良いですよと答えました。(その内、連絡が行くと思いますので、その時はよろしくお願いします。)
そのようにして、高校時代に始まった神様の業が、日本中に広がっています。
そして、神様はヤベツを用いられたように、私たち一人一人を用いようとされているのです。「わたしの領土を広げてください。」と祈って、神様の素晴らしい御業を見せていただきましょう。
(3)神様の御手がわたしと共にありますように
10節後半
「御手がわたしと共にあって災いからわたしを守り、苦しみを遠ざけてください」
本当は、すべてのことが、神様の御手によって行われなければならないのですが、つい、小さいことは自分の力でやってしまいます。しかし、神様に祝福され、領土が広がると、自分の力では無理になってしまいます。仕事が多くなりすぎると「神様、もうこれ以上は無理です。」と悲鳴をあげたくなります。
しかし、その時こそ。神様の出番です。私たちが「御手がわたしと共に」ありますようにと祈る時、神様の御手が働いて、人間の力をはるかに超えた素晴らしい御業が行われるのです。
去年、山形南部教会に与えられた御言葉は、マルコ16:15でした。
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」でした。この大宣教命令が与えられたのは、イエス様が十字架にかかられた時、イエス様の事を「知らない」と三度も裏切ったペトロや、逃げてしまった弟子たちです。
そんな弟子たちが、全世界に行って、すべての造られた者に福音を伝えるということは、不可能なことです。しかし、マタイによる福音書を読むと、その大宣教命令の一番最後に、素晴らしい約束が書かれているのです。
マタイ28:20
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
イエス様が「世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と約束してくださったのです。弟子たちが、福音を伝えた時、神様の御手が、弟子たちと共にあって、御業を進めてくださったのです。
そして、その神様の御手は、私たちを災いから守り、苦しみや誘惑から遠ざけてくださるのです。
新しい年が始まりましたが、今年、私たちもヤベツのようにこう祈りましょう。
10節の『』をご一緒にお読みしましょう。
「どうかわたしを祝福して、わたしの領土を広げ、御手がわたしと共にあって災いからわたしを守り、苦しみを遠ざけてください」
10節の最後に、ヤベツの祈りに対して、こう書かれています。「と祈ると、神はこの求めを聞き入れられた。」 神様は、ヤベツの祈りを聞き入れられました。そして、ヤベツの人生は、「痛み」の伴う人生から「祝福」の人生へと変えられたのです。
神様は、私たちの祈りも聞いてくださるお方です。神様に祝福を祈り求め、領土を広げていただき、神様の御手が共にあって、素晴らしい御業を見せていただきましょう。
2015年、神様は祝福を用意して待っておられます。その祝福をヤベツのように、「口を広く開いて」祈り求めましょう。
そして、「神はこの求めを聞き入れられた。」と祝福を与えて下さった神様を心から賛美させていただきましょう。
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