クリスマスおめでとうございます。
今日、及川 輝くんの証しを聞くことが出来、心から感謝します。及川 輝くんは、夏のホサナのキャンプで、イエス様を信じてバプテスマを受ける決心をしました。そして、その日からその決心は揺らぐことがありませんでした。そして、今日みんなの前で、信仰告白をして、洗礼式を行なうことができることは、及川家にとっても、私にとっても、山形南部教会とっても大きな喜びです。そして、何よりも神様がこのことを喜んでおられます。
そして、今日、オンヌリ教会の方々が来られています。
2007年の仙台ラブソナタに始まって、毎年、オンヌリ教会宣教チームが来てくださっています。最初の内は、スペシャルゲストだと思っていましたが、毎年、夏とクリスマスに来てくださるようになりました。
日本では、お盆と正月に、実家に家族が集まるという習慣がありますが、オンヌリ教会宣教チームのメンバーは、まさに神の家族です。
特に、今回は4年前に、山形南部教会に来られて、ガンと戦われて天に召されたヘギョンさんのお母様と、妹さんが来られています。
心から歓迎しましょう。
家族が集まると、そこには、喜びがありますが、今日も神の家族が集まって、「喜びにあふれたクリスマス」お祝いできることを感謝します。
今日の中心の御言葉は9~10節です。
「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」
10節に「学者たちは、その星を見て喜びにあふれた」とありますが、今日、私たちも喜びにあふれたクリスマスを過ごしましょう。
あのクリスマスの日、はるばるイエス様の誕生を礼拝するために外国からやって来た人たちがいました。それが、今日読んでいただいた、東方の占星術の学者達です。
彼らは、天文学者です。毎日、太陽や星の観察をしていました。するとある時、今までに一度も見た事のない、明るく光る星を見つけたのです。博士達は、きっとこれは何かの知らせに違いないと、いろいろな本を調べてみました。すると、それは救い主を知らせる星だという事が解ったのです。
博士達は、救い主に会うために早速出発し、エルサレムの王様の住む宮殿に行きました。救い主は、王の王主の主ですから、ユダヤの都エルサレムの宮殿に行けば、きっと救い主の事が解るに違いないと思ったのです。
博士達は、ヘロデ王にこう聞きました。
2節
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
博士達にこう質問されたヘロデ王は、大変驚いてしまいました。ヘロデ王は、心の中で「これは大変な事だ。私の王座を奪う者が現れたというのか。」と不安になってしまったのです。でもヘロデ王は何食わぬ顔をして、祭司や律法学者達を呼び寄せて、救い主がどこにお生まるのかを調べさせて、「預言によれば、そのお方はベツレヘムにお生まれになるそうだ。そのお方の事を詳しく調べてくれ。私も拝みたいから。」と言いました。けれども、本当は、博士達に救い主のいる場所を突き止めさせて、殺してしまおうと思ったのです。
そこから、博士達がベツレヘムに向かうと、不思議な事が起きました。
9~10節をご覧下さい。
「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」
この10節に「学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」 とありますが、「喜びにあふれたクリスマス」について今日は、二つの事をお話ししたいと思います。
(1)最高の贈り物
博士達は、イエス様に会うと、自分の持っている最高の贈り物をささげました。
11節
「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」
博士達は、イエス様にお会いすると、宝の箱を開いて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげました。
黄金というのは、王様の権威を表す者で、イエス様が王の王である事を現しています。
乳香とは、礼拝をささげる時にささげられる香で、イエス様が、私たちと神様とを取りなす大祭司である事を現しています。
そして、没薬というのは、死体などにぬられる物で、イエス様の十字架と復活を現すものでした。
博士達が、まだ生まれたばかりの赤ちゃんを前にして、イエス様のご性格を現したささげ物をささげたことは本当に不思議な事です。けれども、これを読む時、私たちはこのことが神様の深い御計画の中にあったと言う事を知らされます。
とにかく、ここで博士達は救い主を拝んだだけではなく、彼らの持っている最高の贈り物をささげたのです。
なぜ、彼らは、最高の贈り物をささげたのでしょうか。それもわざわざ、長い旅をしてここまでやって来たのでしょうか。
それは、彼らが最高の贈り物をささげる前に、神様が、それとは比べ物にならないほど素晴らしい最高の贈り物を下さったからです。
それは、神の御子イエス・キリストです。
クリスマスは、神様が、神様にとって一番大切な独り子であるイエス様を下さった日です。
Ⅰヨハネ4章9,10節にはこう書かれています。
「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」
神様は、私たちを愛してくださって、独り子であるイエス様をプレゼントとしてくださったのです。そのイエス様の十字架の死によって、私たちは救われ、永遠の命の約束が与えられているのです。何と素晴らしい贈り物でしょう。
神様は、イエス様という最高の贈り物を下さいました。そのイエス様に、私たちは、この神様の対して何をおさ下げする事が出来るでしょうか。私たちも宝の箱を開いて、最高の贈り物を神様にお献げしましょう。
(2)占星術の学者の帰り道
この占星術の学者達は、ずっと待ち望んでいた救い主に出会うという素晴らしい経験をしたのです。しかも、彼らは異邦人が、誰よりも先に救い主にお会いするという、思いも寄らない特権に与ったのです。
彼らは、そのような素晴らしい特権に与った時に、何をしたのでしょうか?
12節
「ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。」とあります。ある注解書によると、別の道というのは、みんなで別の道を帰ったというのではなく、それぞれが別々の道を帰っていったと書いていました。
博士達は、来る時は一緒でしたし、救い主を礼拝した時も一緒でした。けれども、帰りは別の道を通って帰ったのです。
恐らく、博士達は、帰り道で、イエス様の事を賛美したり、自分たちが経験した事を証ししたに違いありません。
同じ道を通って帰ったとしたら、一つの方向にしか救い主の事が伝えられなかったのでしょうが、別の道を通ったので、その福音が何倍にも多くの人達に伝えられたのです。
アフリカでの伝道に生涯をささげたリビングストンは、若い頃医者になる勉強をしていました。19歳の時、教会学校のホッグ先生の病気が重くなり、危篤状態になってしまいました。リビングストンがお見舞いに行くと、ホッグ先生が言いました。
「神様は、一人ひとりに、その人でなければ出来ない使命を与えてくださっています。それに従うか従わないかは、その人の自由です。わたしは小さな働きしかできませんでしたが、これを自分の使命としてまっしぐらに来ることが出来ました。これ以上の喜びはありません。」
リビングストンは、そのホッグ先生の穏やかな顔を見て、感動しました。けれども、自分とのあまりもの違いにショックを受けたのです。自分は外から見ると優等生だけれども、心の中ではお父さんを軽蔑したりしていて、本当は罪の固まりだということに気が付いたのです。そして、その自分の罪を心から悔い改めました。その時、彼はイエス様が、自分の罪のために十字架で死んでくださったことがよく解ったのです。
その時、言葉では表せないほどの感謝がいっぱいになって、リビングストンはこう祈ったのです。
「神様にわたし自身をおささげします。どうぞ、神様の御用のために用いてください。」
神様に、自分をささげたリビングストンを神様は、大いに祝福して、アフリカの宣教師として豊に用いてくださったのです。
私たちも、今日クリスマスを迎えました。神様がその独り子である、イエス様を私たちに与えて下さったのです。それは、私たちみんなに与えられた、最高の贈り物です。
その贈り物に対して、占星術の博士たちは、宝の箱を開いて、黄金、乳香、没薬をささげたように、最高の贈り物をささげさせていただきましょう。そして、神様が一番喜んで下さる贈り物は、リビングストンのように「神様にわたし自身をおささげします。どうぞ、神様の御用のために用いてください。」と私たち自身をおささげすることではないでしょうか。
星を見た博士たちは、「喜びにあふれました。」そして、星に導かれて、救い主に出会った時、その喜びは、あふれ出たのです。そして、その喜びを自分たちだけの物とすることは出来ずに、別の道を通って、救い主の誕生を伝えたのです。
博士達が、別の道を通って、自分の国へ帰っていったように、私たちも別々の道を通って帰っていくのです。その道々で、また、私たちが遣わされるその場所で、クリスマスの喜びを、伝えしましょう。
今年、山形南部教会に与えられた御言葉は、マルコ16:15です。
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」
私たちが遣わされて行く場所、それは、それぞれ「別の道」です。そこで、このクリスマスの喜びを宣べ伝えさせていただきましょう。
今日、及川 輝くんの証しを聞いて、感動しました。
輝くんに与えられた御言葉は、マルコ1:17「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう」です。神様が、輝くんをこれから人間をとる漁師として用いてくださる事を信じています。そして、ここにたくさんのお友だちがいますが、輝くんに続く、受洗者が与えられるように祈っています。
輝くんは、イエス様を信じて、今日から新しい歩みが始まります。そして、私たちも、クリスマスの喜びをいただいて、今日から、新しい場所へと遣わされていくのです。その道は、「別々の道」それぞれの道は違いますが、喜びにあふれてクリスマスの喜びを一人でも多くの方々にお伝えしましょう。
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