2/8 主日礼拝

「夢を見たヨセフ」 創世記37:1~11

 今年になって、創世記からアブラハム、イサク、ヤコブに与えられた祝福を学んできましたが、今週からは、ヤコブの息子であるヨセフに与えられた祝福から主の御声を聞かせていただきたいと思います。

 神様は、ヤコブを(押しのける者)から、イスラエル(神の勝利)に造り変えて下さいましたが、そのように、ヨセフの人生を導き、祝福を与えて下さるのです。

  今日の中心の御言葉は、11節です

 「兄たちはヨセフをねたんだが、父はこのことを心に留めた。」

  ヨセフは、17歳の時に2つの夢を見ます。

 その夢を聞いた兄はたちは、ヨセフをねたみました。しかし、父ヤコブは、そのことを心に留めました。そして、ヨセフはこの後いろいろな所を通らせられますが、その夢は実現していくのです。


 みなさんは、夢があるでしょうか。どのような夢でしょうか。その夢が、神様から与えられた夢であるならば、必ず実現していくのです。


今日はこのヨセフから3つのことをお話ししたいと思います。


(1)ヨセフの高ぶり

 神様は、ヨセフを祝福して、ヨセフを通して多くの人々に祝福を与えられるようになりますが、ヨセフにはまず取り除かれなければならない罪がありました。

 ヨセフは、まだ17歳になったばかりで、羊飼いをし兄たちの手伝いをしているにしか過ぎませんでした。けれども、父のヤコブはこのヨセフをどの兄弟よりも愛したのです。

 そのヤコブがヨセフを愛したのには3つくらいの理由があったと思います。

O1つは、ヨセフが年を取ってからの息子であったということです。

  ヤコブには12人の息子がいました。10人はレアとの間に与えられた子どもで、後の2人は、ヤコブの愛する妻ラケルの子供でした。ヨセフはそのラケルとの間に与えられた11番目の息子だったのです。

 よく、年を取ってからの子供はかわいいと言います。

 私は4人兄弟ですが、男が三人で、だいぶ離れて妹が生まれました。とにかく、かわいかったようで、私たちが何か文句でも言うものなら、すぐに怒られるのですが、妹が父に何を言っても、一応は怒るのですが目が笑っているのです。やはり、年を取ってからの子供はかわいいようです。ヤコブはヨセフを無条件で愛し、甘やかしたのかも知れません。

O2番目の理由は、ヤコブにとってヨセフは、死んでしまった愛する妻ラケルの子どもであったといことです。創世記35章16~22節にはラケルが12番目の子供ベニヤミンを生んだとき、難産のため死んでしまったことが書かれています。その愛するラケルの生んだ子供がヨセフでしたので、ヤコブにとってヨセフはかけがえのない特別な子どもでした。

O3番目の理由は、ヨセフはかわいがってもらうすべを知っていたということです。

 2節をご覧下さい。

「 ヤコブの家族の由来は次のとおりである。ヨセフは十七歳のとき、兄たちと羊の群れを飼っていた。まだ若く、父の側女ビルハやジルパの子供たちと一緒にいた。ヨセフは兄たちのことを父に告げ口した。」

 「ヨセフは兄たちのことを父に告げ口をした。」とありますが、ヨセフは、父の妻ビルハやジルパの子供たちの悪口を父に告げ口をして、自分だけ良い子であるかのようにふるまっていたのです。

  そのようなヨセフをヤコブは愛しました。そして、その証拠にヤコブだけに「裾の長い晴れ着」を作ってやったのです。それは大変高価な物で、それは、当時長男だけに与えられる特権でありましたが、「裾の長い晴れ着」を11番目のヨセフに与えたのです。

ヨセフにとって父の愛の印であり、プライドの印でもあったに違いありません。

 ヨセフは父が誰よりも自分のことを愛してくれるということで、自分を見失っていたのです。そして、自分が何者であるかのように思っていたのです。そのような、ヨセフの姿を見て、兄たちはヨセフを憎むようになってしまいました。

 そのようなヤコブの間違った溺愛は、ヨセフを間違った方向へと導いてしまったのです。

 こんな話しを読みました。

 ある夫婦が、チンパンジーを飼いました。彼は、チンパンジーを愛し、チンパンジーもその夫婦になついて、すっかり家族の一員になりました。

 そこで、その奥さんは、チンパンジーに手編みのセーターを作って、着せたのです。可愛くて、その姿は、まさに自分の子どものようでした。

 そして、楽しい日を過ごして、そのセーターを脱がせて、寝かせようとしたのです。そのセーターを脱がせようとしたその時です。

 「ボキッ」という鈍い音がしました。チンパンジーは痛さの余り、パニック状態で、大きな声で鳴きながら部屋を飛び回っています。すぐに、病院に連れて行くと、そのセーターをハサミで切りました。すると、チンパンジーの手が骨折してしまっていたのです。実は、チンパンジーの手は、人間の腕とは違って、上に上がらないそうです。それをセーターを脱がせるために無理に手を上げたので、骨折をしてしまったのです。

 彼女は、チンパンジーを自分の子どものように愛していました。しかし、その間違った愛が、チンパンジーの腕を骨折させてしまったのです。

 Ⅰヨハネ4:7に「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。」  と書かれています。

 ここに「愛は神から出るもので」とありますが、私たちも、神から出た愛ではなく、自己愛で人を愛するなら、ヤコブのように大きな失敗をしてしまうのです。神様の愛を祈り求めて、自己愛ではなく、主の愛をもって愛するものとさせていただきましょう。


(2)ヨセフの夢

  そんなとき、ヨセフがますます高慢になるような出来事が起きました。それは、ヨセフが2つの夢を見たことです。

  その2つの夢が5~10節にあります。

一つ目の夢は6~7節です。

「ヨセフは言った。「聞いてください。わたしはこんな夢を見ました。畑でわたしたちが束を結わえていると、いきなりわたしの束が起き上がり、まっすぐに立ったのです。すると、兄さんたちの束が周りに集まって来て、わたしの束にひれ伏しました。」

 畑でヨセフが束を結わえていると、いきなりヨセフの束が起き上がり、兄さんたちの束が集まって来て、その束がヨセフの束にひれ伏したという夢です。

もう一つの夢は9節です

「ヨセフはまた別の夢を見て、それを兄たちに話した。「わたしはまた夢を見ました。太陽と月と十一の星がわたしにひれ伏しているのです。」

 「太陽と月と11の星がヨセフにひれ伏している」という夢でした。

  この二つの夢が意味することは、ヨセフのところにやって来て、ヨセフの父と母と、11人の兄弟がひれ伏す日がやって来るという意味です。

  ヨセフは、よせば良いのに、兄たちに自慢げに話してしまいました。さすがに、この時には父のヤコブもたしなめますが、兄たちは、これを聞いて、ヨセフをますます憎み、ねたむようになってしまったのです。このようにして、兄たちとヨセフの関係はますます悪いものになっていきました。

  そして、ヨセフは自分が高慢であるだけではなく、自分が高慢であるということに気が付いていませんでした。ヨセフの見た夢。そして、ヨセフが兄たちに語ったことが実現するためには、ヨセフは神様からの試練を通して整えられ、聖められなければならないです。

  私たちにとっても同じです。神様は、私たちを愛しておられます。そして、神様は私たちを用いて素晴らしい御業をなそうとしておられます。けれども、私たちが神様の器として用いられるためには、私たちがまず、ヨセフが高慢を砕かれなければならなかったように、私たちも神様から砕かれなければならないのです。

詩編51:19

「しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を/神よ、あなたは侮られません。」

  神様は、私たちを愛するが故に、試練や苦しみを通られられることがあります。けれども、その試練や苦しみを通して、私たちの頑なな心を砕いて下さり、聖めて、主の尊い器として用いてくださるのです。

 東北ケズィック・コンベンションが今週の火曜日から金曜日まで行われます。

 最初、日本ケズィックの生みの親と言われる、ポール・リース先生の話しです。私も神学生の頃、箱根ケズィックで、先生のメッセージを聞いたことがありますが、講壇に立たれるだけで、神様の輝きを感じるような素晴らしい神の器です。

 しかし、そのポール・リース先生でさえ、自我が砕かれる経験を通られたというお証しを伺いました。

 先生が、まだ若かった頃、神様の御用をしながらも、人が自分よりも用いられると、それをねたむ心を持ち続けていたそうです。

 ある日のことです。神様から「お前は、ねたみを持っている。肉の人ではないか。」と示されました。その時、ポール・リース先生は、その場に泣き伏して、「主よ。きょう、私の全てを御霊に明け渡しますから、御霊によって歩ませてください。」と祈りました。

 この時から、ポール・リース先生の生涯は変わって、世界で用いられる素晴らしい伝道者として用いられたのです。。

  私たちが、神様からの祝福をいただくということも同じことです。私たちの心の中に、自分が、自分がという自我が支配しているならば、祝福をいただく事が出来ません。けれども、その自我を悔い改めて、すべてを神様の御手にお委ねするならば神様が、祝福を私たちに注いで下さるのです。

 ヨセフの見た夢は、多くの試練を通して、ヨセフの高慢が砕かれ、祝福されて実現していきました。私たちも主の御前に出て、自我を砕いていただいて、主に用いていただきましょう。


(3)試練を通して夢が実現するヨセフ

  ヨセフがエジプトに売られることが、12節以下に書かれています。

  ある日、大変な出来事が起こったのです。

  父のイスラエルが、ヨセフに、羊の番をしている兄たちの様子を見てくるようにといいました。ヨセフは「はい、わかりました」と言って出かけて行きました。

  ところが、兄たちは、遠くから来るヨセフを見ると、ヨセフを殺してしまおうと考えるのです。

 兄たちは、自分たちの力によってヨセフを殺してしまって、ヨセフが見た夢を実現しないようにしまおうと考えたのです。

  しかし、長男のルベンは、兄弟たちを説得し、ヨセフを殺さないで、荒れ野にある穴に投げ込むようにさせました。それは、後からルベンがヨセフを助けるためでした。

  ヨセフが兄たちのところに来たとき、兄たちはヨセフの「長袖の晴れ着」をはぎとり、ヨセフを穴の中に投げ込みました。

  ヨセフの兄たちは、そこで腰をおろして食事をしはじめましたが、ちょうどその時に、イシュマエル人の隊商がギレアドの方から、らくだに樹脂や、乳香や、没薬などを積んで、エジプトに運ぶためにやって来たのです。

  その時に、ユダが、こう提案をします。26~27節

 「ユダは兄弟たちに言った。「弟を殺して、その血を覆っても、何の得にもならない。それより、あのイシュマエル人に売ろうではないか。弟に手をかけるのはよそう。あれだって、肉親の弟だから。」兄弟たちは、これを聞き入れた。」

 そして、兄弟達はこのユダの提案に従って、ヨセフを銀貨20枚で売ってしまうのです。商人は、ヨセフをエジプトの地に連れて行って、そこで、パロの侍従長のポティファルという人に売ってしまうのです。  このようにして、ヨセフは、父を離れ、国を離れ、「裾の長い晴れ着」を奪われて、身の自由も奪われて、全てを失って異教の地、エジプトに連れて行かれてしまったのです。そして、それと同時にヨセフの夢も水泡に帰してしまったかのように思われました。 

  けれども、神様はあってはならないような出来事を通しても、私たちを整え、素晴らしい御業を成して下さるお方です。

  血の付いた裾の長い晴れ着を見せられたヤコブは、ヨセフが獣にかみ裂かれて死んだものと思い、「あの子の着物だ。野獣に食われたのだ。ああ、ヨセフはかみ裂かれてしまったのだ。」と言って何日もヨセフのために泣き悲しみました。

  ヤコブが神様の祝福をヨセフに受け継がせるためには、ヤコブがヨセフを一度手放す必要がありました。ヤコブはヨセフを溺愛し、自分の手の中にヨセフを握り締めていました。そこで、神様はヤコブの手から一度ヨセフを離し、ヤコブがヨセフを献げざるを得ないようにされたのです。

  かつて、アブラハムがイサクを献げたように、ヤコブもヨセフを一度献げなければならなかったのです。

  私たちも、神様が与えられたものを、自分自身の物のように考えてしまうことがあります。そのようなことをしているときは、神様は祝福を受けることは出来ません。しかし、私たちが、神様によって与えられたものを、一度全く神様の御手にお委ねするならば、神様は私たちを祝福し、それを永遠のものとして下さるのです。

  神様は、苦しみや試練を通して、私たちを整え、夢を実現させてくださるお方なのです。

 昨日、中山町にある、山形光林教会に行ってきました。

 ちょうど、中山町と大江町の間の山里にこの山形光林教会があります。光林教会というと、ご存じの方もおられると思いますが、韓国の金ソントウ先生が建てられた、世界一のメソジスト教会です。

 その大教会で救われた、Yさんという一人の姉妹が、韓国から花嫁として、15年前に中山町に来られたのです。Yさんは、中山町に来られる時に、神様の愛を伝え、教会が建てられるという夢を抱いて遣わされてきたのです。

 また、神様から知恵を与えられて、キムチ屋」というお店を始めました。すると、地域にいる韓国の方々が集まってきて、いろいろ悩みを打ち明ける場所として用いられたのです。Yさんは、その話しを聞いて、「神様に祈ったら良いよ。神様は必ず祈りを聞いてくださるから。そして、自分が一粒の麦として死ななければならないよ。御主人や家族とぶっつかっては駄目です。自分に死ねば多くの実を結ぶ事が出来るのよ」と伝えたそうです。すると、次に来た時には、「神様は祈りを聞いてくださいました。祈ると私が変わって、主人や家族も変わりました。」と言って、イエス様を信じる魂が次々に起こされたのです。

  神様は、Yさんの夢をかなえてくださったのです。御主人が救われ、御主人のお母様が救われ、家族が次々に救われていきました。

 そして、救われた御主人が、本当に喜びに満たされて、教会を建てようと言い始めたのです。そこには、スモモ畑がありましたが、その木を切って、その場所に300万円かけて、プレハブの教会を建てたのです。そこには、光林教会から送られたという、看板が掲げられ、教会の入り口の屋根には、大きな十字架が掲げられていました。そして、20名位の人が教会に集われ、光林教会のインターネット礼拝が毎週行われています。今は、次に担任牧師が遣わされることになっていて、ビザが下りるのを待っているそうです。

 神様は、夢を叶えてくださるお方です。Yさんに15年前に見せてくださった夢をかなえてくださり、救われる魂が起こされ、教会堂が建てられ、なお素晴らしい御業が進められています。

 昨日は、そのような素晴らしい神様の御業を見せていただいて、心燃やされて帰って来ました。

  ヨセフには、聖められなければならない高慢な自我がありましたが、それらを、試練や苦しみを通して、聖めてくださり、ヨセフが見た夢を成し遂げてくださったのです。ヨセフはエジプトの大臣になり、カナン地方に飢饉が襲ったため、穀物を買うためにエジプトに行って、ヨセフの前に、ひれ伏すことになるのです。

創世記42:5,6

「イスラエルの息子たちは、他の人々に混じって穀物を買いに出かけた。カナン地方にも飢饉が襲っていたからである。ところで、ヨセフはエジプトの司政者として、国民に穀物を販売する監督をしていた。ヨセフの兄たちは来て、地面にひれ伏し、ヨセフを拝した。」

  神様は、苦しみや試練を通して、私たちを整えて下さるお方です。そして、私たちを通して素晴らしい祝福を与えようとしておられるのです。この神様の御手にすべてをお委ねして、素晴らしい生涯を送らせていただきましょう。



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Illustration by c-awase