2/15 主日礼拝

「主がヨセフと共におられたので」創世記39:1~23

 先週は、火曜日から木曜日まで、東北ケズィック・コンベンションのためにお祈りをありがとうございました。ビル・ニューマン先生の燃えるような熱心なメッセージ、そして、村上先生の喜びのメッセージに、神様の深いお取り扱いと祝福をいただきました。

  全部の集会のCDがありますので、順番に借りてお聞きください。


  今日は、ヨセフと共におられた神様の恵みについて創世記39章から共に学びたいと思います。

  今日の中心の御言葉は、2節です。

「主がヨセフと共におられたので、彼はうまく事を運んだ。彼はエジプト人の主人の家にいた。 」


 ヨセフは、その後、エジプトの奴隷として売られ、エジプトの宮廷の役人であったポティファルに買い取られます。

  この時のヨセフの気持ちは、どうだったでしょうか。

 ヨセフは、懐かしい故郷からも離れ、愛する家族からも引き離され、奴隷としてエジプトに住まなければならなかったのです。このような状況に追い込まれたときに、ヨセフは、何を考え、どのようなことをしたのでしょうか。

Oまず、自分を奴隷として売った兄達を、憎んだに違いありません。けれども、そんなことをしても、何の解決にもなりませんでした。

O次に、父の名を何度も呼んだのではないでしょうか。けれども、ヨセフのことを誰よりも愛するヤコブでさえも、彼を救い出すことは出来ませんでした。

Oこのように、全ての道を閉ざされてしまったときに、ついにヤコブは、神様に対して祈り、神様に向かって叫んだのです。

 「見えるもの」が取り去られるということは、辛く、悲しいことです。

  けれども、その「見えるもの」取り去られて、それらのものに、頼ることが出来なくなったときにはじめて、人は心に底から神様に祈るものとなることが出来るのです。

  ヨセフが、見えるもの全てを失い、神様に向かって心からの祈りをささげたときに、神様は素晴らしい恵みを与えてくださいました。それは、「主がヨセフと共におられた」ということです。この39章に「主がヨセフと共におられ」という御言葉が4回も出てきます。そのみ言葉を見てみましょう。

2節「主がヨセフと共におられたので、彼はうまく事を運んだ。彼はエジプト人    の主人の家にいた。」

3節「主が共におられ、主が彼のすることをすべてうまく計られたのを見た主人        は、・・」

21節「しかし、主が共におられ、恵みを施し、監守長の目にかなうように導かれたので、」

23節「監守長は、ヨセフの手にゆだねたことには、一切目を配らなくても良かった。主がヨセフと共におられ、ヨセフがすることを主がうまく計られたからである。」

 ヨセフは、懐かしい故郷からも離れ、愛する家族からも引き離され、エジプトの奴隷としていっさいの自由を奪われてしまいました。

 けれでも一人ぼっちではなかったのです。すべての人から引き離されても、神様は、ヨセフを決してお見捨てにはなりませんでした。そして、このような異教の地においても、神様はヨセフと共にいて下さったのです。

 神様はヨセフと共におられ、素晴らしい恵みを与えて下さったのです。

  この39章から今日は、「主が共におられる」恵みについて3つのことを学びたいと思います。


 (1)神様が共におられて「やること全てが祝福された」

 2節

 「 主がヨセフと共におられたので、彼はうまく事を運んだ。彼はエジプト人の主人の家にいた。」 主が、ヨセフと共におられたので、ヨセフのやることは全て、事がうまく運びました。

  そして、ヨセフは、主人に愛され、信頼されました。

3~4節

「 主が共におられ、主が彼のすることをすべてうまく計らわれるのを見た主人は、ヨセフに目をかけて身近に仕えさせ、家の管理をゆだね、財産をすべて彼の手に任せた。」

 まず、ヨセフは、主人に愛され、信頼されました。

「家の管理をゆだね、財産をすべて彼の手に任せた。」とあります。

 普通、会計というのは、本当に信頼出来る人に委ねるのではないでしょうか。

 特に教会の会計は大変です。お金の管理だけがキチンとできればいいと言う訳ではありません。会計をしていると、献げた人のいろいろな考え方や霊的な状態が見えて来ます。それを、キチンと受け止めることが出来る人でなければ会計はできません。

 ところが、ここには「家の管理をゆだね、財産をすべて彼の手に任せた。」とあります。ポティファルは、それを奴隷のヨセフにゆだねたのです。ポティファルがヨセフをどれだけ信頼していたかがわかります。

 神様が共におられたので、ヨセフの仕事には偽りがありませんでした。また、神様が知恵を与えてくださったので、ポティファルの財産をうまく管理することができたのです。そのようにして、ヨセフはポティファルに信頼され、主人の全財産を管理をゆだねられるようになったのです。

 次に、ヨセフを通して主があかしされました。

 3節に「 主が共におられ、主が彼のすることをすべてうまく計らわれるのを見た主人は、」とあります。

  つまり、彼のすること全てを成功させて下さるのは、ヨセフと主が共にいて下さるからだということが、主人に分かったということです。

 ポティファルは、ヨセフに仕事を任せると、ヨセフが忠実に仕事をこなすというだけではなく、不思議にすべてがうまくいくのを見て、その原因はどこにあるのだろうと考えたに違いありません。

  ヨセフは、神様を信じ、朝毎に、夕毎に、祈りをささげる習慣を持っていましたので、その祈る姿を通して、この祝福は神様から来るものだということを知ったのかもしれません。とにかく、主人は、ヨセフの成功の原因は、主がヨセフと共にいて下さるからだということを知ったのです。

 そして、主はヨセフのゆえに主人の家を祝福されたのです。

 5節

「 主人が家の管理やすべての財産をヨセフに任せてから、主はヨセフのゆえにそのエジプト人の家を祝福された。主の祝福は、家の中にも農地にも、すべての財産に及んだ。」

  神様は、ヨセフのゆえに、主人の家を祝福されました。主人がヨセフに全財産の管理を委ねたときから、主人の家と全財産を祝福されました。

  神様は、ヨセフを祝福されるだけではなく、ヨセフを通して、祝福を周りの人々にも分かち合っていったのです。

 そして、この祝福はやがて、エジプト全体に広がって行ったのです。

  主が共にいて下さるとき、神様は私たちを祝福して、周りの人に信頼されるものとしてくださいます。そして、私たちを通して神様がおられることを証ししてくださいます。そして、その神様の祝福を私たちだけではなく、周りの人々に、祝福を広げて下さるのです。


(2)神様が共におられ「誘惑に勝利を与えてくだった」

  神様は、ヨセフと共にいてくださり、豊かな祝福を与えてくださいました。けれども、そのように祝福されているときにサタンは、何とか神様から引き離そうと、私たちに働くのです。

 7節をご覧下さい。

「これらのことの後で、主人の妻はヨセフに目を注ぎながら言った。「わたしの床に入りなさい。」

 ヨセフは、主人ポティファルの妻に言い寄られます。この妻は、同じ家に住み、毎日一緒にいて、しかも主人の妻という立場の人でしたから、この誘いを断るということは非常に困難なことだったと思います。

  また、その誘惑は、執拗なものでした。10節には「彼女は毎日ヨセフに言い寄った」とあります。1回や2回の誘惑であるならば、断ることはそんなに難しいことでないかも知れません。けれども、毎日毎日繰り返し誘惑されると感覚が麻痺してしまい、誘惑に負けやすくなってしまいます。

  そのような中で、どうしてヨセフはこの誘惑に打ち勝つことが出来たのでしょうか。

 8~10節から3つのことを学ぶことが出来ます。

①主人を裏切ることはできなかったということです。

8節

「 しかし、ヨセフは拒んで、主人の妻に言った。「ご存じのように、御主人はわたしを側に置き、家の中のことには一切気をお遣いになりません。財産もすべてわたしの手にゆだねてくださいました。」 ヨセフは、自分のようなものを信頼し、すべてを委ねてくれている主人を裏切るようなことは出来ないと思ったのです。ヨセフは、どんなに主人に用いられて祝福されても自分は「しもべ」に過ぎないということを忘れずに、謙遜に、誠実に主人に仕えたのです。

②いつも神様を目の前において生活をしていた。

9節

「 この家では、わたしの上に立つ者はいませんから、わたしの意のままにならないものもありません。ただ、あなたは別です。あなたは御主人の妻ですから。わたしは、どうしてそのように大きな悪を働いて、神に罪を犯すことができましょう。」

 9節の後半で、ヨセフは「わたしは、どうしてそのように大きな悪を働いて、神に罪を犯すことができましょう。」と言っています。

  エジプトでは、神様を信じている人は、一人としていませんでした。そして、神殿においてでさえも淫らなことが行われていた異教の地でした。そのような中で、もし、ヨセフが、神様と共に生活をしていなければ、簡単に誘惑に負けていたに違いありません。

 私たち日本人は、人の目を気にしますが、神様の目を恐れないというところがあります。

  ですから、海外に出たときなど、平気で罪を犯してしまいます。日本の神様は、日本以外にはおられないのでしょうか。私たちはヨセフの信仰を見習わなければなりません。ヨセフは、「人は見ていなくても、神様は見ておられる」という信仰に生きていたのです。

  前に遣わされた教会で、ある壮年にこんな証しを聞いたことがあります。

 バブルの景気の良い時代のことです。海外出張をした時に、相手の会社が接待として、夜ホテルに一人の女性を送ってくれたそうです。

 彼は、驚いてしまいました。もちろん、すぐに追い返す事も出来たのですが、彼女がお金をもらえないと思ったので、神様に祈って、彼女に福音を伝えることにしました。

 その女性は、非常に貧しい家庭に育って、家族を養うために、このような仕事をしているのだと離してくれました。そして、聖書を開き、一緒に祈って、朝彼女を送り出したというのです。

 そして、「わたしが、こんな事が出来たのは、あの夜も神様が共にいて、祈りを聞いて下さったからです。」と証しをしておられました。

 スタークという神学者がこう言っています。「誘惑にあった場合に、わたしたちがなしうる最上なことは、祈りである。」

  今は、誘惑の多い時代です。しかし、どんな誘惑が襲ってきても、神様は私たちと共にいて下さいます。そして、神様に祈る時、誘惑に打ち勝つ力が与えられるのです。

③ヨセフは、誘惑に耳を貸さなかったということです。

 10節をご覧ください。

「 彼女は毎日ヨセフに言い寄ったが、ヨセフは耳を貸さず、彼女の傍らに寝ることも、共にいることもしなかった。」

 ここに、ヨセフは「耳を貸さず、」とあります。

 誘惑は、ある時は、目から、ある時は耳から入ってきます。ヨセフは、主人の妻が毎日言い寄って来ても、彼は彼女の言葉に「耳を貸し」ませんでした。

 もし、耳を貸していたならば、ヨセフも誘惑に負けていたのではないでしょうか。その自分の弱さをヨセフは、知っていたのです。ですから、何度言い寄られても、ヨセフはその言葉に耳を貸さなかったのです。

 ヨセフは自分の弱さを知っていたので自分が誘惑に陥りやすい状態に自分の身を置くことをしなかったのです。ヨセフは、自分の弱さを良く知っていました。そして、誘惑に負けないように誘惑から逃げたのです。

 今回の東北ケズィック・コンベンションの早天聖会は、村島先生と潮先生でしたが、二人とも私の神学校の先輩です。先生方のメッセージを伺いながら、神学校時代のことを懐かしく、思い出しました。

 神学校のとき、舎監の先生が繰り返し何度も語られた事がありました。それは、私たちに襲ってくる大きな誘惑が3つあるから気を付けなさいということです。1つは、異性。2番目は、お金。3番目は地位や名誉です。それは、だいだい、年齢に従って襲ってくるものだとおっしゃっていましたが、私たちは、それらの誘惑に弱く、負けやすいものです。だから、その場に身を置かないように、誘惑から逃げなさい。

 その時は、逃げるなんて格好悪いと思っていましたが、信仰生活の中で、本当に自分は誘惑に弱い者で、その場所から逃げるということは大切なことだと教えられています。

「ヨセフは、耳を貸さず、彼女の傍らに寝ることも、共にいることもしなかった。」   私たちも、ヨセフと同じように誘惑に負けやすい弱いものです。そのことを知っているということは素晴らしいことです。誘惑に陥らないように、そのうな場所に身を置かない。また、誘惑から逃げるということも大切なことです。

 自分の弱さを知って自分を守るということは、決して恥ずかしいことではなく、かえって大切なことです。


(3)試練に打ち勝ったヨセフ

 ヨセフは、このように誘惑を退けたのですが、その結果、大変に試練に合うことになります。誘惑を退けられた、ポティファルの妻は、逃げようとしたヨセフの着物を証拠にこう言います。

14~15節

「 彼女は家の者たちを呼び寄せて言った。「見てごらん。ヘブライ人などをわたしたちの所に連れて来たから、わたしたちはいたずらをされる。彼がわたしの所に来て、わたしと寝ようとしたから、大声で叫びました。15 わたしが大声をあげて叫んだのを聞いて、わたしの傍らに着物を残したまま外へ逃げて行きました。」

 その結果、ヨセフは王の囚人をつなぐ監獄に入れられてしまうのです。

 ヨセフは、何の罪も犯していないのに、奴隷よりも更に悪い囚人にされてしまったのです。この時にヨセフは、今まで積み上げて来た忠実な働きによって得た、主人の信頼はなくなってしまいました。また、主人の家における立場も、一瞬にして崩れてしまったのです。

 けれども、21~22節に、こうあります。

「 しかし、主がヨセフと共におられ、恵みを施し、監守長の目にかなうように導かれたので、22 監守長は監獄にいる囚人を皆、ヨセフの手にゆだね、獄中の人のすることはすべてヨセフが取りしきるようになった。」

  神様は、獄中でもヨセフと共におられたのです。そして、その行うこと全てを祝福して下さったのです。


 「天路歴程」を書いたジョン・バンヤンをみなさんもご存じだと思います。

  このジョン・バンヤンも信仰のゆえに投獄されました。その時にこのヨセフと同じような出来事があったそうです。

  このジョン・バンヤンを見張っていた牢屋の見張り番は、ジョン・バンヤンの毎日の生活を見てを心から信頼するようになりました。そして、ある日見張り番は彼に同情して内緒で、「一日だけ家に帰って妻子を訪ねて来なさい。」と言ってくれたそうです。

 彼は、心から感謝して家に向かうのですが、途中でどうも胸騒ぎがしてしょうがありませんでした。そこで、帰るのを止めて急に刑務所に戻ったのです。すると丁度ロンドンから監督官が視察に来て、バンヤンがそこにいるのを見て満足して帰ったのです。

 もし、バンヤンが家に帰ってそこにいなかったとしたら、見張り番も、バンヤンもそのままではすまされないところでした。そこで、見張り番はますますバンヤンを信頼して、「これから先は、別段わたしから日時をしていしなので帰りたいときに帰って家族に会い、また戻りたいと思うときに戻って来なさい。君はわたしが指図するよりも、神様に導かれて行動する方が良いようだ。」と言ったそうです。

 明るい星は、暗闇の夜にいっそう強い光を放ちます。そのように正しい人は逆境の中においてなおさら神様の栄光を表すことが出来るのです。

  神様は、どのようなときにもヨセフと共にいてくださいました。そして、ヨセフを祝福し、誘惑に打ち勝つ力を与え、試練の中でも栄光を表して下さいました。

最後に2節をご一緒に読みましょう。

「主がヨセフと共におられたので、彼はうまく事を運んだ。彼はエジプト人の主人の家にいた。」

 神様は、いつでも、どこでも私たちと共にいて下さいます。そして、私たちの祈りを聞いて、誘惑や試練に打ち、すべての事をうまく運んで下さるお方です。どのような時も、主と共に歩み、大きな祝福の中を歩ませていただきましょう。

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祈り会(夜)

毎週水曜日19:30〜

 

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Illustration by c-awase