みなさんは、ロバを見たことがありますか。来週は、キリスト教独立学園で音楽を教えておられる、武 義和先生をお招きして、賛美礼拝が行われますが、そのキリスト教独立学園には、牛や鶏と一緒にロバが飼っていました。
馬に似ていますが、それほど大きくはありません。ロバは、おとなしくて働きものです。荷物を運んだり、人を乗せたり、畑を耕す時に使われる、昔はなくてはならない動物でした。
今日のお話しにも、小さなかわいいロバの子が出てきます。
今日の中心の御言葉は、3節です。
「もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」
イエス様と弟子たちは、オリーブ山の近くのベトァゲという村の近くまでやって来ました。エルサレムの町は、もうすぐです。
イエス様は、2人の弟子を呼んでおっしゃいました。
「「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。」
もし、誰かに何か言われたら 『主がお入り用なのです』 と言いなさい。すると、すぐに渡してくれます。
2人の弟子たちは、早速出かけていきました。
村に入ると、イエス様がおっしゃったとおり、ロバの子がつながれていました。弟子たちがそのひもをほどいて連れて行こうとすると、近くにいた人たちが「そのロバをどうするんだ」と言って近くに集まって来ました。弟子たちが、イエス様がおっしゃった通り、『主がお入り用なのです』 と言うと、「そうですが、それならお使い下さい」と言って、ロバの子を渡してくれました。
弟子たちは、イエス様のところにロバを連れて帰りました。まだ、小さなかわいい子どものロバです。
弟子たちは、上着を脱いで、ロバの背中にかけました。イエス様は、その子ロバの背中にお乗りになりました。ロバは、小さくても力持ちです。イエス様をお乗せして、ゆっくりと歩き始めました。
うわさを聞きつけて、大勢の人々が集まってきました。ちょうど、過越祭という、お祭りの時期だったので、エルサレムには、国中から大勢の人々が集まっていました。人々は、上着や木の枝を道に敷きました。そして、「ホサナ」「ホサナ」「私たちを救ってください」と叫び始めました。それは、王様を迎えるしるしでした。
イエス様が、お通りになる道は、人々の着物や木の枝で、きれいなじゅうたんのように埋め尽くされました。その道を、イエス様をお乗せした子ロバが、パカパカと歩いて行きました。その後に、弟子たちや、大勢の人々が続いてついてきます。それは、まるで、王様のパレードのような立派な行列でした。
ところが、ひとつだけ違うことがありました。それは、普通の王様は、戦争に行く時は、力強い馬に乗って入場します。でも、イエス様がお乗りになったのは、ロバ、それも弱く小さなロバの子だったのです。
それは、旧約聖書に預言されたことでした。5節にこう書いています。
「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、/柔和な方で、ろばに乗り、/荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」
イエス様は、確かに世界の王様として、来られました。けれども、この時、みんなが考えていたように、敵の国と戦う王様ではありませんでした。すべての人を罪から救う王様、みんなが神様の子どもになって、互いに愛し合う平和な世界にしてくださるようにしてくださる王様でした。
聖書には、「平和をつくる王様が、子ロバの子に乗っていらっしゃる」と約束されていました。この神様の約束どおり、イエス様は、ロバに乗って、エルサレムにお入りになったのです。
この御言葉から、2つのことをお話ししたいと思います。
(1)ロバに乗って入場された方は、柔和な方
5節
「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、/柔和な方で、ろばに乗り、/荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」
エルサレム入場される、イエス様を歓迎した群衆は、イエス様こそが、自分たちを支配しているローマ帝国と戦って、自分たちを自由にしてくれる王様だと思っていました。
ところが、この聖書には、、ゼカリヤ書9章9~10節を引用して、イエス様は、柔和な方で、「荷を負うろばの子」に乗られると言っています。
この言葉の通り、イエス様は、私たちに、神様と私たちの平和を、また、人と人との平和を与えて下さるために、十字架を背負って、ドロローサ(悲しみの道)を歩まれたのです。そして、イエス様は、私たちのすべての罪を背負って、十字架にかかって下さったのです。その十字架によって、私たちに本当の平和を与えて下さったのです。
アメリカのトーク番組『オプラ・ウィンフリーショー』というのがあるそうです。ある日、そこに、2人の女性が出演しました。1人は金髪の白人女性、もう1人はメキシコ系の女性で、2人は大の仲良しだということでした。
ところが、話を聞いてみると、驚くべき事が分かりました。
このメキシコ系の女性はむかし、お酒と麻薬たくさん飲む生活をしていました。そしてある日のことです。お酒を飲んで運転をして、隣りにいる金髪のかわいい娘ををひき殺してしまったのです。
自分の娘が、交通事故で命を失うということは、大変な苦しみです。しかも、相手は、飲酒運転です。とても、許すことが出来ない出来事でした。そして、彼女はこの重荷を一生負い続けなければならないのです。それは、大変なことでした。
しかし、この女性は、自分の娘を殺した女性を赦そうと決心をしました。そして、赦しただけではなく、愛したのです。
事故を起こした女性には、3人の子どもたちがいましたが、白人女性はこの3人の子どもたちの面倒を見ながら、何年にも渡って、この女性がアルコール中毒、ドラッグ中毒から立ち直るよう支え続けたのです。この女性は見事に立ち直り、こうして2人は大の仲良しになったというのです。
信じられないような出来事です。そこで、司会者が尋ねました。
「どうして、そんなひどいことをした人を赦し、愛することができたのですか?」
すると彼女はこう答えました。
「私には決してできないことでした。でも、私にも、私のことを同じように赦してくださった方がおられるのです。こんな私を神様は無条件に赦し、愛してくれました。だから、私も彼女を赦し、愛することができたのです。」
5節
「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、/柔和な方で、ろばに乗り、/荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」
イエス様は、「荷を負うロバに乗って」エルサレム入場されました。そのイエス様は、私たちのの罪のために十字架という重荷を負って、贖いの業を成し遂げて下さったのです。そのイエス様の十字架によって、神様と私たちの平和が、また、人と人との平和が与えられるのです。
(2)主がお入り用なのです。
2~3節
「言われた。「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」
イエス様は神の子ですから、エルサレム入場される時、白い白馬に乗ってさっそうと入場することもできたはずです。また、金や銀で出来た馬車に乗ることもできました。
しかし、イエス様は、白馬や、金や銀の馬車を用いられずに、ロバを、それもまだ力のないロバの子を用いられたのです。
なぜ、イエス様は、子ロバを用いられたのでしょうか。
それは、イエス様が、大祭司やローマ皇帝のような、力や権力のある人を用いられるのではなく、子ロバのような、弱く小さな私たちを用いられるためでした。
そして、それは、私たち一人一人のことです。
最初に、みんなで、「わたしたちは、ロバの子です。」と賛美をしたように、馬のように早く走ない、ライオンのような力のない、ただのちっぽけなロバの子のような存在です。でも、私たちは知っています。子ロバがイエス様をお乗せしたように、私たちもイエス様を信じて、私たちの心の中にイエス様が共にいて下さるのです。だから、私たちは、主のお役に立つことができるのです。
子ロバに、イエス様が『主がお入り用なのです』 と語りかけられたように、イエス様は、私たち一人一人にも『主がお入り用なのです』と語りかけておられるのではないでしょうか。
2月23日に黒木安信先生が天に召され、26日に浅草橋教会で、先生の葬儀が取り行われました。
そこで、黒木安信先生の略歴が紹介されました。
黒木安信先生は、1935年宮崎県にお生まれになりました。先生のお父様は、信徒伝道者で、庭の中に礼拝堂を建てて、そこで毎週礼拝が持たれていました。
先生は、スポーツマンで、特に高校時代は、野球をやられ、後一歩で甲子園出場というところまで活躍されたそうです。
そして、大学は医学部を目指して東京で勉強をしておられましたが、その時に、インマヌエル船橋教会で信仰に導かれ、21歳の時、宮崎清水町教会で洗礼を受けられました。そして二ヶ月後に行われた熊本人吉聖会で献身をし、東京聖書学校に入学されたのです。
卒業後、更正教会、東調布教会に遣わされますが、その間に青山学院大学院神学科で神学修士課程を修了されます。その後、鵜山教会を経て、今の浅草橋教会に遣わされて、42年間教会に仕えてこられました。
黒木先生は、医学部を目指していた青年時代に、献身の召しを受けて、伝道者の道を歩み出されました。もし、あの時に献身の召しに答えられなかったら、今の浅草橋教会も、ウェスレアン・ホーリネス教団もなかったかも知れません。
また、先生の一番大切にしておられた働きは、伝道者を育てることです。若い頃から、伝道者の養成のために、命をかけてこられました。ウェスレアン・ホーリネス神学院は創立27年になろうとしていますが、その間神学院長として、学生を愛し、多くの伝道者を送り出してこられました。
私たち夫婦も、黒木先生に教えられ、卒業後もそのご指導に与ってきましたが、娘も昨年ウェスレアン・ホーリネス神学院に入学して、最後の一年先生の生き様に触れることが出来たことは、本当に大きな宝だと思っています。
そして、山形南部教会から献身者が起こされるようにと心から祈っています。
先生が亡くなられる10日位前に、神学院で入学試験が行われ、先生方が黒木先生のところに行かれたそうです。「黒木先生、感謝な事に、今年は6名の新入生が与えらられました。」と報告すると、「感謝です。」と言われたそうです。
黒木先生は、大学時代、イザヤ6章の御言葉をいただいて献身の道を歩まれたそうです。そこを開いてみましょう。
8節をお読みします。(P1070)
「そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」
イザヤは、「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」 という神様の御声を聞いた時に、「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」とその招きに応えました。
私たちも、イエス様が、『主がお入り用なのです』という御声を今日お聞きしました。
たとえ、私たちが弱く、足りない者であったとしても、すべてご存じの神様が、『主がお入り用なのです』 と招いておられるのです。
その御言葉に従って、イザヤが、「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」と、従って行ったように、私たちもこの所から立ち上がっていきましょう。
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