4/26 主日礼拝

「彼らの叫び声は神に届いた」出エジプト2:11~24

 モーセの生涯は120年ですが、そのモーセの生涯を大きく3つに分けることが出来ます。

 最初の40年は、エジプトの王女の子どもとして育てられた40年です。

 神様から選ばれ、ナイル川の水の中から、ファラオの王女から救われたモーセは、乳母として実の母に育てられました。幼い頃から乳離れするまで、イスラエルの神について教えられ、自分が神様から選ばれたヘブライ人である事を知る事が出来たのです。

 やがて、王女の元に返された、この40年間モーセは、エジプトの宮殿で、最高の教育を受け、最高の生活をし、最高の権力を身につけたのです。

 伝説によると、モーセは、兵を率いてエチオピアと戦い、大いなる勝利を得たと言われています。

 次の40年は、詳しくは、今日の箇所でお話をしますが、同胞を守るためのにエジプト人を殺したために、エジプトを追われ、ミデアンの地で羊飼いとして過ごした40年です。

 そして、最後の40年は、主からイスラエルの民を救う指導者として選ばれ、エジプトの王ファラオと戦い出エジプトをして、シナイ山を旅した40年です。


 今日の聖書の箇所は、そのモーセの最初の40年と、ミデアンでの40年のことが書かれています。

 今日の中心の御言葉は、

23節です。

「それから長い年月がたち、エジプト王は死んだ。その間イスラエルの人々は労働のゆえにうめき、叫んだ。労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた。」

  神様は、イスラエルの救いのためにモーセを選ばれて40年と、ミデアンでの40年、80年が経ちましたが、イスラエルを見捨てるような事はなさいませんでした。彼らの「助けを求める彼らの叫び声は神に届いたのです。」

  この御言葉を中心に、3つの事をお話ししたいと思います。


(1)モーセの失敗

 そのように将来有望視されていたモーセが、大変な失敗をしてしまうのです。

 そのことが、11節以下に書かれています。

1~2節

「モーセが成人したころのこと、彼は同胞のところへ出て行き、彼らが重労働に服しているのを見た。そして一人のエジプト人が、同胞であるヘブライ人の一人を打っているのを見た。モーセは辺りを見回し、だれもいないのを確かめると、そのエジプト人を打ち殺して死体を砂に埋めた。」

 モーセが同胞のところに出て行って、彼らが重労働を強いられ姿を見ました。

 そして、1人のエジプト人が、同胞のヘブライ人を虐待しているのを見た時、モーセは、怒りが抑えきれず、そのエジプト人を殺して、死体を砂の中に埋めてしまったのです。

 翌日、また出かけて行くと、今度はヘブライ人同士が2人でけんかをしていました。モーセが「どうして自分の仲間を殴るのか」と悪い方をたしなめると、そのヘブライ人が、 「誰がお前を我々の監督や裁判官にしたのか。お前はあのエジプト人を殺したように、このわたしを殺すつもりか」と言い返したので、モーセは、自分がしたことがヘブライ人にも知れ渡っていることを知って、非常に恐れました。

 モーセは、同胞に対する熱愛から、エジプト人を殺したのですから、ヘブライ人が自分の味方であると信じていました。ところが、ヘブライ人にモーセは退けられたのです。ヘブライ時にとってもモーセは同胞ではなかったのです。

 モーセは、この時点では、イスラエルの民を救う指導者としては、信仰的にも、人間的にも未熟で、神様の御心を求めないで、自分の力で、同胞を助けようとしたのです。そこにモーセの信仰の未熟さを感じます。

 このモーセの姿は、イエス様の弟子のペトロの姿と重なります。

  マルコ14:27以下で、イエス様が十字架にかかられる前に、御自分の十字架と復活を預言なさると、ペトロは胸を張って「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」 と言います。

 するとイエス様は、「はっきり言っておくが、あなたは、今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」と言われるのです。

 「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」という言葉は、一見素晴らしいように聞こえますが、ペトロは、そのような人間的な頑張りによって大変な失敗をしてしまうのです。

 ペトロは、イスカリオテのユダがイエス様を裏切って、群衆が捕らえようとした時、マルコ14:47には、「剣を抜いて大祭司の手下に打ってかかり、片耳を切り落とした。」と書かれています。

  まさに、モーセが同胞を助けるために、エジプト人を殺して、砂の中に埋めたように、ペトロも大失敗をしてしまったのです。

 人間的なひとりよがりの愛は、神様の御心ではありません。自分の力によるのではなく、ただ、神様の前に、へりくだって神様の御心を行う者とさせていただきましょう。

  モーセは、神様から選ばれ、救われて、神様の祝福をいただきましたが、大変な失敗をしてしまい、王女の子としての地位や豊かな生活をすべて失ってしまいました。

 しかし、失敗をしてしまったモーセを、「もうお前なんか駄目だ」と神様は見捨てられませんでした。

 神様は、モーセの失敗を通して、モーセをミデアンの地で整えられ、神の器として用いられるのです。

 私たちも、神様のために、人のために良かれと思ってやったことで、失敗をしてしまうことがあります。しかし、そのような時にこそ、悔い改めて、神様の御前に立つことです。そうするならば、神様は、その失敗をも用いて、私たちを整え、謙遜な神様の器へと造り変えてくださるお方なのです。

 一人の、インテリの青年が、教会にやって来ました。そして、牧師に科学的、文学的にキリスト教に対して、難しい質問を浴びせかけて、牧師を困らせました。とうとう、牧師は答えに詰まってしまって、沈黙をしてしまいました。

 すっかり、得意になったしまった青年は、牧師に別れを告げて返ろうとしました。

 その時です。牧師が、ひと言「兄弟よ。あなたにもし謙遜があったら・・・・」と言いました。そのひと言が、青年の心に残ったのです。

 自分は、様々な知恵を持ち、立派な人間だと思っていたけれども、何と高慢で、醜い人間だったのかということに気がつかされたのです。自分には謙遜がなかったということを知らされた、青年は心から悔い改め、その夜、イエス・キリストを救い主と信じて救われたのです。

 この青年のは、河辺貞吉先生です。先生はやがて牧師になり、素晴らしい説教者として、日本自由メソジスト教会の創設者となって主のしもべとして大きな働きをしたのです。


 モーセは、自分の考えや感情で、行動をしてしまい、失敗をしてすべてを失ってしまいました。しかし、神様はモーセを見捨てられませんでした。それどころか、その失敗をも用いて、モーセを悔い改めに導き、神様だけを頼りにする、謙遜な器に造り変えてくださったのです。

 私たちも、人生の中で失敗をしてしまうことがあります。その失敗をしてしまった時こそが、チャンスです「失敗は成功の母」といいますが、失敗をしてしまった時にこそ、神様の御前に立てば良いのです。そうするならば、神様がモーセを新たに造り変えて、イスラエルの救いのために用いられたように、神様は、私たちを整え、謙遜な主の器に造り変えてくださるのです。


(2)謙遜な器に造り変えられたモーセ

 モーセがした出来事を聞いたファラオは、彼を殺そうとします。

その事が15節に書かれています。

「ファラオはこの事を聞き、モーセを殺そうと尋ね求めたが、モーセはファラオの手を逃れてミディアン地方にたどりつき、とある井戸の傍らに腰を下ろした。」

 モーセは、ファラオを恐れて、エジプトの地から遠いミデアンの地に逃げたのです。このミデアンの地で、モーセは、神の器として整えられるために、40年という長い時間を過ごすことになります。

 そのミデアンの地での、出来事が16節以下に書かれています。

 モーセがミデアンの地に逃れて、井戸のそばに座っていると、そこに、7人の娘たちが、羊に水を飲ませにやってきました。

 娘たちが、一生懸命井戸から水を汲んでいると、男の羊飼いたちがやって来て、娘たちを追い払おうとしました。モーセは、娘たちを助けて、羊の群れに水を飲ませてやったのです。

 娘たちが、父親のレウエルのところに帰ると、父は、「どうして今日はこんなに早く帰れたのか」と尋ねました。すると、娘たちはこう言いました。

19節

「彼女たちは言った。「一人のエジプト人が羊飼いの男たちからわたしたちを助け出し、わたしたちのために水をくんで、羊に飲ませてくださいました。」

  それを聞いた、レウエルはこう答えました。20節

「父は娘たちに言った。「どこにおられるのだ、その方は。どうして、お前たちはその方をほうっておくのだ。呼びに行って、食事を差し上げなさい。」

  こうして、レウエルの家に招待されたモーセは、レウエルに気に入られ、そのまま一緒に住むようになりました。そして、ツィポラという娘と結婚して、モーセは羊飼いとして働くようになりました。やがて、ツィポラに男の子が与えられ、ゲルショムという名前がつけられました。

 一国の王女の子どもが、地位も財産もすべてを失って、ミデアンの地で、当時最も身分の低いと言われていた貧しい羊飼いの仕事をすることになったのです。この地で、モーセは40年間過ごすことになりますが、エジプトにいた時は、自分の力で何でも思いのままになると思っていたモーセが、この40年の間に、自分がどんなに小さな存在であるかを知らされ、神様だけを頼りにする、へりくだった謙遜な器に造り変えられたのです。

  中国に初めてプロテスタントを伝えたのは、イギリス人のロバート・モリソンという宣教師です。彼は、伝道の働きをもっと広げようと思って、スコットランドのミッションに助手を一人送るように依頼しました。

 ミッションの主事は適当な人物を探し、大変優秀な成績で宣教師の試験に合格した敬虔で勤勉な一人の青年を見つけだしました。彼は、委員会に呼ばれ、いろいろと試問を受けました。その面接が終わり、委員たちは彼の採用について話し合いました。

 すると一人の委員が「私はどうもあの青年は適当でないと思う。というよりもあまりに貧弱で品がなさすぎる。」と言い始めたのです。

 結局、彼を宣教師としては送れないが、モリソンを助ける召使いとしてなら送っても良いと意見が一致したのです。

 その結果を彼に知らせました。彼はどうしたと思いますか?

 普通の人なら、当然憤慨して断るところでしょうが、彼は少しもためらわずに、微笑みながら

「よろしゅうございます。私は主のためになることなら何でもいたします。主の家を建てるときには、たとえ、草取りでも水まきでも、それは、私にとって光栄すぎる仕事です。」と答えたのです。

 彼の名は、ウィリアム・ミルン(1785~1822)です。彼はモリソンを助けて、聖書の中国語の翻訳を進め、わかりやすい中国語の伝道のための本を書いて、大きな貢献を果たしたのです。その息子のW・Cミルン(1815~63)も父の遺志をついで中国の宣教師になったのです。

  どうして、神様はそのような素晴らしい御業を進められたのでしょうか?

 それは、このウィリアム・ミルンが、宣教師としてではなく「召使いとして」主に仕える決断をしたからです。

 モーセは、すべての王子としての権威や富などすべてを失ってミデアンで40年間過ごしましたが、そこで、ただ神様だけを頼りにし、神様に仕える謙遜な器に返られたのです。神様は、高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者を用いられるのです。

 イエス様は、マタイ23:11~12(P45)でこうおっしゃいました。

「あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」

 神様は、高ぶる者を低くし、謙遜な器を用いられるお方です。私たちも、謙遜な器に造り変えていただいて、主に用いていただきましょう。

 

(3)民の叫び声を聞いてくださった神

23節

「それから長い年月がたち、エジプト王は死んだ。その間イスラエルの人々は労働のゆえにうめき、叫んだ。労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた。」

  モーセが、ミデアンで羊飼いとして働くようになって、40年がたち、あのエジプトの王も死にました。

 それでも、相変わらず、イスラエルの民は奴隷として働かされ、その労働の故に、うめき、叫びました。そして、その助けを求める彼らの叫びは、神様に届いたのです。

 そして、神様は、アブラハム、イサク、ヤコブに与えられた契約を思い起こされ、イスラエルの救いの計画を進められたのです。

 ハドソン・テーラーは中国奥地に伝道をした人ですが、その中国奥地宣教協会に対して、激しい迫害がありました。それに加えて経済的な貧しさに、疲れ果ててしまい、とうとう病気になってしまいました。

 失望に打ちひしがれて何日も、病床に横たわっていた時です。彼は、天上を見上げて、ただ、神様だけに心を向けざるを得ませんでした。そして、その疲れ果てて、助けを求めてうめくことしか出来ないような、ハドソン・テーラーの祈りを、神様は聞いてくださったのです。ハドソン・テーラーは、その時、心の中に神様からの光りが、待っていたかのように差し込んできました。

「そうだ。もし私が主に従っていさえするのであれば、責任は私にはなくて、すべての責任は主が取ってくださる。」

 そう信じた時に、彼の心の中の苦しみは消え去りました。もはや、ハドソン・テーラーを打ちのめすいかなる攻撃も、彼の宣教の業を泊めることも、撤退させることも出来なくなりました。

「いっさいの重荷を背負ってくださる主よ。私はあなたの僕です。あなたの命令のままに前進いたします。たとえどんな困難が待っていたとしてもです。その結果はすべてあなたにお委ねします。」彼は、自分の力で戦うことを放棄して、主の軍勢の一員として、出陣したのです。

23節

「それから長い年月がたち、エジプト王は死んだ。その間イスラエルの人々は労働のゆえにうめき、叫んだ。労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた。」

  後半に、「労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は、神に届いた。」とありますが、神様は、私たちの、祈りにもならないようなうめき声や、叫び声を聞いていてくださるのです。

ローマ8:26~27

「同様に、"霊"も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、"霊"自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、"霊"の思いが何であるかを知っておられます。"霊"は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。」

  私たちが、どう祈るべきか知らない時にも、聖霊自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるのです。

「労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた。」  神様は、私たち苦しみをご存じで、その祈りに必ず答えてくださるお方です。そのお方を信じて、神様にすべてをお委ねして歩ませていただきましょう。


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毎週土曜日  8:45〜

                    9:35〜

 

毎週木曜日 16:00~

 

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毎週水曜日10:30〜

 

祈り会(夜)

毎週水曜日19:30〜

 

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Illustration by c-awase