今日は、礼拝の中で、瑛美理ちゃんの幼児祝福式が行われます。赤ちゃんが、お母さんやお父さんの手の中で、安心しきって眠っている姿を見ると、神様を信頼することを教えられます。
あの赤ちゃんのように、心から神様を信頼して、安心して人生を歩むことができたらどんなに素晴らしいでしょうか。
今日の中心の御言葉は、マタイ14:27です。
「イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」
イエス様が、5つのパンと2匹の魚で5千人の人たちをお腹いっぱいにさせる奇跡を行ったすぐ後のことです。
イエス様は、群衆を解散させて、弟子たちを舟に乗り込ませました。そして、 ガリラヤ湖の向こう岸に渡るように言われたのです。弟子たちは、舟に乗ると、ギーコ、ギーコとオールをこいで向こう岸に向かいました。
イエス様は、弟子たちを見送ると、ひとりでイエス様は山に登られました。
イエス様は、弟子たちと離れて、1人で神様とお祈りをするために、山に登られたのです。夕方になってもイエス様のお祈りは終わりませんでした。
その頃です。弟子たちは、大変困っていました。逆風が吹いて、舟がなかなか先に進めないのです。ペトロもアンデレも、ヤコブもヨハネも、このガリラヤ湖で漁師をしていましたから、はじめのうちは、「大丈夫だよ。これくらい。」と思っていました。ところが、夜になっても舟はまだ、向こう岸に着きませんでした。真夜中になりました。でも、まだ、舟はガリラヤ湖の上です。
真夜中の3時になりました。弟子たちは、力一杯舟をこぎましたが、舟は前に進みません。弟子たちは、みんな疲れ切ってしまいました。
その時です。弟子の1人が、大きな声で「幽霊だ。」と叫んだのです。みんなが見ると、まだ暗い湖の上をだれかが、歩いて近づいているのです。
弟子たちは、最初は誰だか解らなかったのです。弟子たちは恐くて震えました。本当に幽霊だったらどうしようと思ったのです。
その時に、イエス様の「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」(27節)という優しい声が聞こえたのです。イエス様が、弟子たちのことを心配して、水の上を歩いて来られたのです。イエス様の声を聞いた弟子たちは、安心して本当に嬉しくなりました。
すると、ペトロがイエス様にこう言いました。
「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」(28節)
イエス様は、「水の上を歩きたい」というペトロに「来なさい」と言われたのです。
ペトロは、舟から出て、水に足を降ろしました。1歩、2歩、3歩、歩けます。ペトロは水の上を歩いたのです。
ところが、その時です。ビューと風が吹きました。「恐い」と思ったペトロは、イエス様から目を離してしまいました。その時です。ペトロは、ブクブクと水の中に沈みだしたのです。ペトロがイエス様に、「主よ、助けてください」と叫びました。すると、イエス様は、ペトロに手を差し伸べて、捕まえて、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」とおっしゃいました。
イエス様が舟に乗ると、吹き荒れていた嵐が、ピタッとやみました。
舟の中にいた弟子たちは、「本当に、あなたは神の子です」 と言って、イエス様を拝みました。
この御言葉から3つの事をお話ししたいと思います。
(1)祈られたイエス様
23節
「群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。」
イエス様が、5つのパンと2匹の魚で男だけで5千人を養うという大きな仕事をされた後、まず、なさったことは、何だったでしょうか。
①弟子たちと打ち上げをした。
②1人で、山に登ってお祈りをした。
③疲れたので、お昼寝をした。
答えは②です。
23節をご覧下さい。
「群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。」と書かれています。
群衆を帰されて、最初にされたことは、食事を取ることでも、休まれることでもありませんでした。まず、祈られたのです。
祈りというのは、神様との交わりの時、神様の御心を知り、神様から力をいただく大切な時です。イエス様は、夜どんなに遅くても、朝どんなに早くても、またどんなに疲れていても、祈ることを忘れませんでした。
バウンズは、「祈祷は、地上の最高の仕事」と言いましたが、私たちも、毎日の生活の中で、まず、祈りの時を持ち、神様と祈りの時を持たせていただきましょう。そして、祈りの中で、神様の御心を知り、神様から力をいただいて祝福の中を歩ませていただきましょう。
(2)嵐の中に来て下さるイエス様
この時のことを考えてみてください。この時は、真っ暗な夜でした。また、場所は、ガリラヤ湖の真ん中で、陸とは一番離れた場所です。だから、どんなに大きな声を出してもも、誰も助けに来てくれないような場所でした。
漁師の弟子たちにも、自分たちの力ではどうすることも出来ませんでした。
私たちの人生にも、逆風が襲ってくることがあります。
病気をしたり、友だちとけんかしたり、事故に遭ったり、たくさんの逆風が私たちに襲ってきます。
そのような中で、私たちが、どんなに「助けてください」と叫んでも、その声は、暗闇の中に、吸い込まれてしまって、誰にも聞いてもらえないように感じる事があります。そしてそのような時、自分の力でもどうすることも出来ません。
それは、この時の逆風に悩む弟子たちによく似ていると思いませんか。
ところが、この時に素晴らしいことが起きました。嵐のただ中にイエス様が、来てくださったのです。そして、イエス様は、こうおっしゃいました。
27節
「イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」
そのイエス様が、私たちが、逆風に悩む時に、その嵐のただ中に来てくださり、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」と私たちにも語りかけてくださるのです。
4月29日に、気仙沼第一聖書バプテスト教会の献堂式が行われました。
この第一聖書バプテスト教会は、東日本大震災の時、津波で会堂が土台だけ残して、全部流されてしまった教会ですが、その場所に、1人の宣教師が震災の後すぐにやって来たそうです。そして、その場所で神様を賛美したそうです。
その賛美が、新聖歌21番の「輝く日を仰ぐ時」です。そして、この曲を献堂式の時にも歌われました。その時には、この宣教師は、日本語、中国語、韓国語、英語、ロシア語の5カ国語でこの曲を賛美したのです。それは、それらの言葉を使う人たちが、この献堂式に参加していたからです。
その賛美を聞きながら、津波で流されたこの場所に、世界中のどれだけ多くの人たちが、祈り、ボランティアをして、援助をしてこられたのかを感じました。
どのような、大水、洪水、嵐のただ中にも、イエス様は、来てくださり、素晴らしい御業を成して下さるお方です。
どんなに暗い夜も、どんなに深い悲しみの海も、どんなに激しい悩みの嵐の日にも、必ずイエス様は私たちと共にいて下さるのです。
(3)水の上を歩いたペトロ
どうして、ペトロは最初にイエス様のように水の上を歩くことが出来たのに、途中で沈んでしまったのでしょう。
それは、嵐を恐れて、イエス様から目を離してしまったからです。
それは、私たちも同じです。どんな嵐の中でも、イエス様から目を離さないなら、沈むことはありません。けれども、イエス様から目を離してしまうと、急に恐ろしくなり、沈んでしまうのです。
もし、私達がイエス様から目を離して、この世の楽しみや自分の好きなことばかりに目を向けていたらどうなるでしょうか。苦しいことや辛いことが襲ってくると、どうしょうもなくなって倒れてしまいます。
皆さんも、学校や家や職場で、嫌なことや悲しいことがあるかも知れません。そして、そのような時に、私たちの心の中が嵐のようになってしまいます。
けれども、そういうときに大切なのは、イエス様を見つめることです。イエス様にお祈りして、イエス様に従うなら、必ずイエス様は皆さんを助け起こしてくださいます。
このイエス様をしっかり見つめて歩んで行きましょう。
気仙沼第一聖書バプテスト教会の献堂式で、かわかみ設計事務所のあいさつがありました。川上さんが、この設計をされた時に、会堂の梁を、虹のようにアーチ型にするアイデアが与えらました。本当にこの設計で良いのだろうかと考えながら、山形から気仙沼に向かっている時に、2重のきれいな虹が見えたそうです。それは、ノアの箱舟の契約の虹のように見えました。そして、その設計が採用されたのです。
そして、講壇の後には、麦の穂がデザインされていますが、その麦の穂が重なって、大波のようにも見えるのです。この大波のようなデザインを見た時に、心を痛める人がいるのではないだろうかと心配したそうです。でも、その麦の穂がデザインされた、障子を開くと外に、前の教会の流された教会の十字架が、しっかりと建てられていたのです。
この会堂には、雅歌8:7「大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。」という御言葉が掲げられています。どんな大水も、洪水も神様の愛を消すことは出来ません。外にある十字架は、その事をはっきりと表していました。
どんな津波も大波も、イエス・キリストの十字架の愛を消すことは出来ないのです。嵐の中で、ペトロが、イエス様から目を離さずに、水の上を歩いたように、私たちもどのような人生の嵐の中でも、イエス・キリストの十字架をしっかりと見つめて、歩ませていただきましょう。
最後に、マタイ14:27をみなさんで読みましょう。
「イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」
イエス様は、いつも私たちのために祈って下さっています。また、私たちが逆風の中で苦しんでいる時、私たちのそばに来て助けてくださるお方です。そのイエス様をしっかりと見つめながら、安心して私たちの人生を歩ませていただきましょう。
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