5/24 ペンテコステファミリー礼拝

「日々仲間に加え一つにされた。」使徒2:43~47

 ペンテコステおめでとうございます。

 ペンテコステは、弟子たちに聖霊が与えられた日です。

 イエス様が十字架にかかられ、3日の後、40日間この地上におられましたが、やがて、天に帰って行かれました。けれども、それで終わりではありませんでした。イエス様が昇天されてから10日後、二階座敷で「心を合わせ熱心に」約束の聖霊を求めていた弟子たちに、聖霊が、炎のような舌のように注がれたのです。

 すると、弟子たちが一度も外国語を話したことがなかったのに、外国語で、イエス・キリストの十字架と復活の福音を語り始めたのです。そして、その日に3000人の人がイエス様を信じました。

 このようにして、教会が誕生したのです。最初に出来た教会はどのような教会だったのでしょうか。

 今日の聖書の箇所は、誕生したばかりの初代教会の生活の様子が書かれています。

 今日の中心の御言葉は、47節です。

「神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」

  この初代教会では、「主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」  と書かれています。

 初代教会がそうであったように、私たちの教会も、救われる人々が起こされ、みんなが一つにされるような素晴らしい御業を見せていただきたいと思いますが、その秘訣がこの聖書の箇所に記されています。

 そのカギになる言葉が、先程お読みした、「主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」という御言葉の前の「こうして、」という言葉です。

 「こうして、」「「主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」というのですから、その前に、その理由が書かれているはずです。

 初代教会にリバイバルが起こり、成長していった理由を学ばせていただきたいと思います。


(1)キリストの愛の教会だったからです。

44~45節を御覧ください。

 「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。」

 イエス・キリストを信じた人々は、イエス・キリストの愛に満たされました。そして、キリストの愛によって一つにされた人々は、一つに家族であるということを自覚して、自分の持っている財産も、自分の持ち物も、自分一人の物だと考えずに「すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。」のです。

「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。」

  私たちは、それぞれ神様から賜物を与えられています。その賜物はそれぞれ違いますが、神様を愛し、人を愛して、神様のためにそれらの物を用いるならば、神様は素晴らしい御業を成して下さるのです。


  昔、ヨーロッパに小さな教会があって、その教会にあまり名前の知られていない、年をとった牧師がいました。

 この牧師が、ある日、町の大きな教会で伝道集会でお話をしてほしいと頼まれたのです。けれども、その町までは、車で行っても、1時間以上かかります。それにこの牧師は車も持っていませんでしたし、歩いて行くにはあまりにも遠すぎました。

 町でお話しするのは無理だと思いましたが、とにかく教会の人たちに祈ってもらおうと思い、お話をしました。

 すると、一人の子供が、先生僕がついていって、荷物を持っていってあげるよと言い始めたのです。

 それを聞いた一人のお百姓さんが、「私は、牧師先生のようにイエス様のことをお話しすることは出来ませんが、車を運転することは出来ます。私が車を運転しますから、どうぞ先生、町の伝道集会でお話をしてください。」と言いました。

 すると、それを聞いていた一人のおばあさんが、「私には、荷物を持つことも、車の運転も出来ませんが、少しばかりのお金を持っています。どうぞ、これをガソリン代に使って下さい。」と言いました。

 このようにして、みんなの愛の奉仕と捧げ物によって、牧師先生は、町の伝道集会でお話をすることが出来たのです。そして、この伝道集会を通して、たくさんの人が救われ、神様の栄光が表されたそうです。

 この小さな教会の一人一人の愛が、このような素晴らしい奇跡を起こしたのです。


「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。」

 私達は、何をすることが出来るでしょうか。出来ることは違うかも知れませんが、聖霊に満たされ、愛に満たしていただき、それぞれ神様から与えられている賜物を用いて、素晴らしい御業を見せていただきましょう。


(2)世間の人達に評判の良い教会であった。

 この教会は、どのような教会であったのかが、43節と47節に記されています。

まず、43節を御覧ください、

「すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。」

  ここに「すべての人に恐れが生じた」とあります。この恐れというのは、恐怖という意味ではなく、尊敬とか、畏敬という言葉に置き換える言葉です。

 初代教会の人々は、神様によって、多くの不思議な業としるしを行っていました。そのような姿を目の当たりにした、すべての人々に恐れの念が生じ、初代教会の人々を通して、神様を畏れ敬う心が与えられたのです。

次に、47節を御覧ください。

「神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」

  ここには、民衆全体から好意を寄せられたと書かれています。神様を畏れ、キリストの愛によって人々を愛している初代教会の兄弟姉妹に対して、民衆全体は彼らを尊敬し、好意を持ったのです。

 初代教会の人達の敬虔な教会生活と、温かい愛の交わりの生活には、周りの人達に興味をいだかせ、周りの人々を引きつける力があったのです。


 今日は、渡辺悦子姉のバプテスマ式です。もう、すでに、信仰告白が語られましたが、その前に、「我が家の七不思議」という題で、証しを書いてこられました。


「我が家の不思議」

 七不思議の1番目は、和良君が、小学校一年生の時、ホサナのアイスクリーム食べ放題に誘われて、教会に来るようになったこと。小学校4年生の頃から、土日は朝起きれずにホサナに通うことが出来ませんでしたが、それでも、毎年休まずにホサナのキャンプに参加したこと。

 2番目は、中学校に通うようになって、不登校になって朝から学校に行くことが出来なくなってしまいましたが、2年生の時に教会に通うようになって、その日から朝早くから一日中教会にいるようになったこと。

 3番目は、去年の5月、和良君がバプテスマを受けたいと言い出したこと。そして、お父さんもうちは、無宗教だから、洗礼を受けても良いと言ってくれたこと。

 4番目は、洗礼を受けた和良君が、賛美に満たされて、毎日ギターを弾き始めて、あっという間に上達して、教会や他の集会でも、喜んで賛美をし始めたこと。

 5番目は、私が今日、バプテスマを受けること

 6番目は、イエス様がお父さんも愛しておられること

 7番目は、教会が、我が家から歩いて10分ということです。


 そのように、イエス様を信じて、救われた和良君が変えられて行く姿を見た時に、悦子さんは、教会には何かがあるに違いないと思いました。そして、悦子さんも毎週教会に通われるようになり、イエス様を信じて、今日の日を迎えられたのです。そして、今日、その御主人が来られていることも本当に感謝です。

 1人の人がイエス様を信じて、喜びに満たされる時、教会に神様が生きて働いておられることが解ります。そして、「日々仲間に加えられ一つになった。」という、この御言葉が、私たちの教会にも起こっているのです。

 神様を畏れ敬い、心から賛美をささげる時、周りの人からも好意を寄せられ「日々仲間に加えられ」ていくのです。聖霊に満たされて、心からの賛美をおささげしましょう。


(3)初代教会は、主に信任された教会であった。

47節をもう一度御覧ください。

「神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」

 ここに、「主は~加え一つにされたのである。」とあります。

 このリバイバルの御業は、初代教会に日々救われる人々を仲間に加わえられたのは、伝道キャンペーンを行ったからとか、特別な伝道の方策を用いて伝道をしたからであるとは書かれていません。

 そこで忘れてはならない大切なことは、救いの御業は、私たちの力や知恵によるのではなく、主が成してくださる御業であるということを忘れてはならないということです。

47節には、人の功績や、伝道の方法は書かれていません。

ただ、「主は~加え一つにされたのである。」とあるだけです。主が、主語なのです。

「救われる人々を日々仲間に加え一つにされたの」は、ほかの何ものによるものでもなく、「主」の御業だったのです。

 ですから、私たちの教会にとって、一番大切なことは、この教会が神様に用いられやすい教会になることです。神様に「この教会だったら、愛する魂を送っても大丈夫だ」と信任されるような教会になることです。


 私たちは、120人教会を建てようというビジョンをいただいて、伝道をしています。そして、神様が必ずそのことを成してくださると信じています。

 しかし、まず、私たちがしなければならないことは、私たち自身が、神様に用いられやすい教会になることです。


 私たちは、お客さんを迎えるときに、まず、部屋をきれいにします。そのように、聖霊をお迎えするために、私たちの心の部屋をきれいにする必要があります。

 罪が示されるなら、その罪を悔い改めて、御子イエスの血によって、私たちの心を聖めていただくことです。そして、初代教会の人達が、自分の財産や持ち物を、自分一人の物だと言わずに、みんなで共有をしたように、自己中心の心を捨てて、神様中心の心に整えていただくことです。

 また、私たちが、キリストの愛に満たされ、神様を愛し、人を愛して愛の交わりをすることです。愛のあるところに神様はおられます。そして、神様が、そのような場所に「救われる人々を日々仲間に加え一つに」と書かれているように、日々素晴らしい御業を成してくださるのです。

 

 私たちの教会の姿を考える前に、自分の心に中の事を考えてみましょう。私たちの心の中は、主に信任され用いらるように整えられているでしょうか。

o神様に喜ばれない罪がないでしょうか。もし、罪が解決されていないならば、その中 に聖霊は宿ることは出来ません。罪を悔い改めて、聖い心にしていただきましょう。

oまた、私たちの心は、自己中心ではなく神中心でしょうか。それは、神様の言われる ことならば、自分の願いとは違っても、神様の御心ならば従いますという心と生活で す。そのように私たちの心を整えていただきましょう。

oそして、私たちの心をは愛で満たされているでしょうか。聖霊の実は、愛です。聖霊 に満たされるときに、私たちは神様を愛し、人を愛する人に変えられていきます。

 そのように、罪を聖潔ていただき、神様中心の心に整えていただき、愛に満たされて、 主に用いられやすい、私たちにしていただきましょう。


最後に47節を御覧ください。

「こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」

 初代教会は、そのような人々の集まりでした。主は、そのような教会を信任して、日々救われる人々仲間に加えてくださったのです。

 ペンテコステの時に、弟子たちに聖霊が注がれ、弟子たちが他国の言葉で話し始め、全世界に福音が伝えられたように、私たちの心を神様から信頼して任せられるような心にととのえていただき、私たちの心の中にも聖霊を満たしていただいて、素晴らしい御業を見せていただきましょう。

 2000年前にペンテコステの御業を成してくださった神様は、今の時代にもその事を成してくださるお方です。

「主が」そのことをなしてくださる事を信じて、初代教会から始まった御業が、山形南部教会から始まる素晴らしい、御業を見せていただきましょう。



WE LOVE YAMAGATA
WE LOVE YAMAGATA

Illustration by c-awase