9/13 主日礼拝

「大地は主のもの」出エジプト9:1~35

 先週は、台風の影響で扇状降下帯が北上して、記録的な豪雨のために川が崩壊し、3人が死亡、16人が行方不明になっています。

 また、先週は竜巻が起こったり、東京では震度5弱の地震が起こるなど、自然環境に異常が生じています。そのような、人間にはどうすることもできない、自然の驚異に触れる時、私たちは、神様の存在を感じるのではないでしょうか。

 出エジプト8章では 神様は、かえるやあぶやぶよの災いを起こして、イスラエルの民を去らせて、主に犠牲をささげさせるように命じられましたが、ファラオは心をかたくなにして、イスラエルの民を去らせようとはしませんでした。そこで、神様は、ファラオに尚、厳しい災いを与えられたのです。

29節

「モーセは言った。「町を出たら、早速両手を広げて主に祈りましょう。雷はやみ、雹はもう降らないでしょう。あなたはこうして、大地が主のものであることを知るでしょう。」

  「大地は主のもの」です。災害を通して、私たちは、そのことを知らされます。今日は9章全体を読んでいただきましたが、ここには、10の災いの中の5番目疫病の災い、6番目はれ物の災い、7番目雹の災いのことが書かれています。


(1)疫病の災い

1~3節

「主はモーセに言われた。「ファラオのもとに行って彼に告げなさい。ヘブライ人の神、主はこう言われた。『わたしの民を去らせ、わたしに仕えさせよ』と。2 もしあなたが去らせるのを拒み、なおも彼らをとどめておくならば、3 見よ、主の手が甚だ恐ろしい疫病を野にいるあなたの家畜、馬、ろば、らくだ、牛、羊に臨ませる。」

  エジプト人にとって、家畜は、生きていく上でなくてはならない最も重要な財産でした。そして、彼らは、その家畜を神と崇めていたのです。特に、雄牛、雌牛、雄羊などは、大切にされ、エジプトの至る所にこれらの動物のために神殿が建てられ、礼拝がささげられていたのです。

 特に黒牛は、アピスと呼ばれ、メンピスにある、エジプトで2番目に大きな神殿では、このアピスが祭られていたのです。最近でも、エジプトで考古学者によって、何百という牛の死骸が丁寧に棺に納められ、ミイラにされているのが発掘されたそうです。

 エジプト人は、かえるやあぶやぶよの災いが起こっても、まだ、自分たちの財産である家畜が残っていたので、あまり深刻なこととは考えませんでした。

 そのため、神様が野にいる家畜を激しい疫病で撃たれると、エジプト人はようやく驚異を感じたのです。

 しかし、神様は、エジプト人の家畜を疫病で撃たれた時も、すべての家畜を撃たれませんでした。

4~5節をご覧ください。

「しかし主は、イスラエルの家畜とエジプトの家畜とを区別される。イスラエルの人々の家畜は一頭たりとも死ぬことはない。5 主はまた時を定め、明日、この地でこの事を行われる。」

  まず、イスラエルの家畜は区別されて守られました。また、エジプト人の家畜も野の家畜は激しい疫病にかかりましたが、家にいる家畜は、何の害も受けないようにされたのです。エジプト人の家畜でも、家に入れた場合、イスラエルの家畜と同じように、守られたのです。いかに、絶望的な状況の中にあっても、神様に依り頼む者には、必ず脱出の道があるのです。


 今日の説教題は「大地は主のもの」ですが、大地だけではなく、この大宇宙も主のものです。そして、この大宇宙のどこにいても、主の御言葉に従うならば、私たちには救いの道が開かれるのです。

 1960年代から70年代、アメリカの宇宙計画は次々と実現されていきました。

 そんな中、アポロ13号が打ち上げられました。

アポロ13号は打ち上げ55時間後、地球から33万km離れた場所で、酸素タンクが爆発し、宇宙船内の大半の酸素が失われてしまいました。酸素が失われ、電気が切れれば、乗っている宇宙飛行士たちの死は確実という大変な状況でした。

 この時、NASAは半ば諦めて、当時のリチャード・ニクソン大統領は殉職声明文を準備しました。しかし、このような絶体絶命の危機に遭遇したとき、乗り組んでいた3人の宇宙飛行士たちはどうしたのでしょうか?

 3人の宇宙飛行士は全員クリスチャンでした。そしてこの非常事態に諦めず、心合わせて神様に祈ったのです。

 その祈りの中でⅠコリント10:13(P312)の御言葉が与えられたのです。

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」

 彼らは、このみことばを、信じて握り締めました。

 すると、奇跡が起こったのです。月面着陸船を救命ボート代わりにするというアイディアが閃いたのです。宇宙飛行士たちは、宇宙船を捨てて、月面に着陸する予定だった月面着陸船に乗り換えました。そして、着陸船内の酸素と電気を使って、何とか地球まで命を保ちました。最後は着陸船を大気圏突入させ、奇跡の生還を果たしたのです。どんなひどい絶望の中でも、みことばが私たちを導いてくれるのです!

  翌日、神様がこのことを行われたので、エジプトの野の家畜は、疫病ですべて死んでしまいましたが、イスラエルの家畜と、主の言葉に従って家の中に入れたエジプトの家畜は、守られたのです。

 この時、主の御業が行われたことが、イスラエルの民にも、エジプト人にもはっきりと示されたのです。神様は、生きておられます。そして、どんな試練の中でも、御言葉に聞き従う者に、救いの道を開いてくださるのです。

 しかし、それでもファラオは、今度も心をかたくなにして、民を去らせなかったのです。


(2)はれ物の災い

  ファラオが、神の言葉に聞き従わなかったため、さらに激しい災いが、エジプトに降ることになりました。

8~9節

「主はモーセとアロンに言われた。「かまどのすすを両手にいっぱい取って、モーセはそれをファラオの前で天に向かってまき散らすがよい。9 それはエジプト全土を覆う細かい塵となって、エジプト全土の人と家畜に降りかかり、膿の出るはれ物となるであろう。」

 これまでの災いは、人の外部で行われたことでしたが、今度は、エジプト人の体に直接及ぶ災いを起こされたのです。ファラオが神様に聞き従わない、かたくなさの故に、エジプト人はさらに激しい災いを経験することになってしまったのです。

 神様は、モーセとアロンに「かまどのすすを両手にいっぱい取って、モーセはそれをファラオの前で天に向かってまき散らすがよい。」とおっしゃいました。その通りにすると、このすすが、エジプト全土のちりとなって人と動物につきました。すると、そのちりの付いた人や動物に、体中にうみの出るはれ物が出来たのです。

 それは、魔術師もはれ物が出来、モーセの前に出ることが出来ないほどでした。

 ほんの小さなちりが、あの巨大なエジプトを破滅寸前にまで追いやったのです。それは、私たちの罪も同じです。たとえ、それがどんなに小さな罪であったとしても、それをそのままにしておくと、私たちの心全体に及び、私たちは永遠の滅びへと向かっていくのです。

 1966年に、ハワイの小島の少年が、フロリダ州に住む、叔父さんの所に行きました。その時に、小さなかたつむりを2匹ポケットの中に入れていたのですが、それを帰る時に、フロリダ州のの叔父さんの所に忘れて帰ってしまったのです。

 それは、小さなかわいいかたつむりでしたが、実は、それは、恐ろしいアフリカ産の大カタツムリで、長さが17センチにもなって、どんどん繁殖して増えていきました。

 食欲がものすごくて、一度にレタス一個をぺろりと食べてしまうのです。そのカタツムリはドンドン増えて、フロリダ州の森林や野菜や果物を次々に食べてしまいました。

 フロリダ州では、殺虫剤を一斉にして、やっとのことで、この大カタツムリを絶滅させたそうですが、この7年間に、あの小さな2匹のカタツムリによって、大変な被害を被ってしまったのです。

 私たちの罪も、このカタツムリによく似ています。たった2匹のカタツムリがフロリダ州の森林や野菜や果物を次々に食べてしまったように、私たちの心のポケットに、小さな罪があるならば、それは、私を滅ぼし、それだけでなく、周りの人々に被害を与えるのです。

Ⅰヨハネ1:8~9(P441)

「自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。9 自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。

 今、私たちに小さな罪が示されるならば、その罪を悔い改めて、十字架の主の元に持って行きましょう。イエス様は、その罪を赦し、聖めてくださるために十字架にかかってくだくださったのです。

 小さなちりが、多くのエジプト人に、膿の出るはれ物が出来、あの巨大なエジプトを破滅寸前にまで追いやったのです。ファラオはこの時、罪を悔い改めて、神の言葉に従って、イスラエルの民を去らせるべきでした。

 しかし、ファラオは、このような破滅的な状況におかれても、心をかたくなにして、神の言葉に聞き従おうとはしなかったのです。


(3)雹の災い

 雹の災いは、7番目の災いです。神様は、一瞬にして、エジプトを滅ぼすことが出来るお方です。それなのになぜ、何度も災いを繰り返されたのでしょうか。それは、エジプト人が拝んでいる神々が、本当の神ではなく、真の神様はただ一人であることを、全地の人々が悟って、罪を悔い改めて神に立ち返るためでした。

そのことが、14~16節に書かれています。

「今度こそ、わたしはあなた自身とあなたの家臣とあなたの民に、あらゆる災害をくだす。わたしのような神は、地上のどこにもいないことを、あなたに分からせるためである。15 実際、今までにもわたしは手を伸ばし、あなたとあなたの民を疫病で打ち、地上から絶やすこともできたのだ。16 しかしわたしは、あなたにわたしの力を示してわたしの名を全地に語り告げさせるため、あなたを生かしておいた。」

 私たちの神様は、ただお一人です。そのことを、彼らに分からせ、それを全地に語り伝えさせるために、神様はわざわざ、段階を定められて、災いを行われたのです。

 今度は、神様は、全土に雹の災いを下そうとされます。それは、この災いを通して、神様だけが、この大宇宙を造られ統べ収められておられるお方であり、歴史を収めておられる方であることをはっきりと示すためでした。

 しかし、神様は、この災いを行われる前に、エジプト人に一日の期限を与えられたのです。

18~19節をご覧ください。

「見よ、明日の今ごろ、エジプト始まって以来、今日までかつてなかったほどの甚だ激しい雹を降らせる。19 それゆえ、今、人を遣わして、あなたの家畜で野にいるものは皆、避難させるがよい。野に出ていて家に連れ戻されない家畜は、人と共にすべて、雹に打たれて死ぬであろう』と。」

  神様は、ここに書かれているように、雹の災いを起こされる前に、一日の期限を与えられ、野にいる家畜を家に避難させる機会を与えられました。

 御言葉を聞いて従う人は、たとえエジプト人であっても、災いをのがれることができるようにされたのです。神様は、今も、すべての人が、神様の言葉を悟って、神様に立ち返ることを望んでおられます。まだ、悔い改めて神の言葉に従う機会が残されている今こそ、主の御言葉に従う者とさせていただきましょう。

Ⅱペトロ3:8~11(P439)

「8 愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。9 ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。10 主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。11 このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。」

 神様の御言葉は、必ず成就します。ですから、終末に備えて、聖なる信心深い生活を送らせていただきましょう。

 ファラオとエジプト人は、一日の猶予を与えられたにもかかわらず、神の言葉に聞き従いませんでした。その結果、御言葉通り、雷と雹の災いを受けることになってしまったのです。

23~26節

「モーセが天に向かって杖を差し伸べると、主は雷と雹を下され、稲妻が大地に向かって走った。主はエジプトの地に雹を降らせられた。24 雹が降り、その間を絶え間なく稲妻が走った。それは甚だ激しく、このような雹が全土に降ったことは、エジプトの国始まって以来かつてなかったほどであった。25 雹は、エジプト全土で野にいるすべてのもの、人も家畜も残らず打った。雹はまた、野のあらゆる草を打ち、野のすべての木を打ち砕いた。26 ただし、イスラエルの人々の住むゴシェンの地域には雹は降らなかった。」

 モーセが天に向けて杖を差し伸ばすと、エジプト全土に雹が降り始めたのです。神様の言葉を軽んじて、しもべや家畜を家に避難させなかったエジプト人はみな、雷と雹の被害を受けました。しかし、ゴシェンに住んでいたイスラエルの民を神様は守られたのです。

 このような災いがおよんだ時、ファラオは、アロンとモーセを呼び寄せて言いました。

27節

「ファラオは人を遣わし、モーセとアロンを呼び寄せて言った。「今度ばかりはわたしが間違っていた。正しいのは主であり、悪いのはわたしとわたしの民である。28 主に祈願してくれ。恐ろしい雷と雹はもうたくさんだ。あなたたちを去らせよう。これ以上ここにとどまることはない。」

  それを聞いたモーセは、ファラオにこう言います。

29節

「モーセは言った。「町を出たら、早速両手を広げて主に祈りましょう。雷はやみ、雹はもう降らないでしょう。あなたはこうして、大地が主のものであることを知るでしょう。」

  その通り、モーセが手を広げて、主に祈ると、雷も雹もやみ、大地に注ぐ雨もやんだのです。モーセが手を上げて祈った神様こそが大地を造られた方、大地を支配しておられる方です。大地は主のものです。

 「あなたはこうして、大地が主のものであることを知るでしょう。」  大地も、また、この大宇宙もすべては、神様のものです。そして、この神様に両手をあげて祈り、主にすべてをお献げするならば、神様は私たちを神の栄光のために用いてくださるのです。

 宗教改革をしたマルチン・ルターの献身の証しです。

 ルターが、エルフルト大学の法学部1年生の時の事です。夏休みで、マンスフェルトの両親の所に帰省し、再び学校に戻る途中、エルフルトへ後、6㎞という所で、彼は、急な夕立に遭いました。

 あたりには人気もなく、近くの林で雨を避けるのが精一杯でした。ところが、その林に、雷が落ち始めたのです。

「いつもの夕立とは違う。」ルターには神様の怒りのように感じられました。そこで、思わず、「神様!私を助けてください。私を助けてくだされば、私は修道士として、生涯あなたにおささげします。」と雷雨の中で路上にひざまずいて祈り、誓いを立てたのです。

 この時が、マルチン・ルターにとって、生涯を献げる決定的な瞬間になったのです。

神様は大地を支配しておられるお方です。私たちも、神様の御前で、ひざまずいて祈り、すべてをおささげして、素晴らしい人生を歩ませていただこうではありませんか。

29節

「モーセは言った。「町を出たら、早速両手を広げて主に祈りましょう。雷はやみ、雹はもう降らないでしょう。あなたはこうして、大地が主のものであることを知るでしょう。」

 今日は、「疫病」と「はれ物」と「雹の災い」を学びました。神様は、この災いを通して、神様の元に立ち返ることを、忍耐して待っておられます。

 御言葉に従い、罪を悔い改め、すべてを神様にお献げして、神様の素晴らしい御業を見せていただきましょう。



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Illustration by c-awase