10/25 主日礼拝

「主は力ある御手をもって」出エジプト13:1~16

 イスラエルの民が、出エジプトをするために、10の災いが行われてきたことを見てきました。そして、最後の初子の死という災いが行われた時、ついに、ファラオはモーセとアロンを呼び出して、「さあ、わたしの民の中から出て行くがよい、あなたたちもイスラエルの人々も。あなたたちが願っていたように、行って、主に仕えるがよい。」(出エジプト12:31)と、イスラエルの民をエジプトから去らせる決心をしたのです。

  この時行われた、10の災いも、出エジプトの出来事も、すべて、神様の力強い御手をもって行われたことでした。


今日の中心の御言葉は9節です。

「あなたは、この言葉を自分の腕と額に付けて記憶のしるしとし、主の教えを口ずさまねばならない。主が力強い御手をもって、あなたをエジプトから導き出されたからである。」

  いよいよイスラエルの民にとって、歴史的な夜が明けました。

 イスラエルの民の間中に、この新しい出発の福音が伝えられました。そして、エジプト人から、金や銀、装飾物などを手渡され、持ち物をすべて持ってモーセのもとに集まったのです。その時は、彼らの目は神様への感謝の涙が溢れ、喜びに満たされ、その口から賛美が湧き上がり、その賛美はいつしか大合唱になっていたに違いありません。

 奴隷として働いていた時、つぶやきやうめきながら歌っていた嘆きの歌は、今は、自由を与えられた、喜びと感謝の歌に変わったのです。


 そのような感謝と喜びの時に、主がモーセに語られた言葉が、今日の聖書の言葉です。

この御言葉を、3つに分けてお話しをしたいと思います。


(1)初子の聖別(1~2節、11~16節)

1~2節

「1:主はモーセに仰せになった。2 「すべての初子を聖別してわたしにささげよ。イスラエルの人々の間で初めに胎を開くものはすべて、人であれ家畜であれ、わたしのものである。」

  神様は、過ぎ越しの日に、エジプト中の初子を打たれました。しかし、イスラエルの民の初子は、小羊の血によって贖われたので、「わたしのものである。」と宣言されているのです。贖われたものは、贖われたものの所有物とされたのです。

 それは、新約時代に生きる、私たちも同じです。

Ⅰコリント6:19~20

「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」

  小羊であられるキリストによって贖われたわたしたちクリスチャンも、主のものとされたのです。

 初子というのは、家庭の中で喜びであり、また最も大切なものでした。特に、この時はエジプト人のすべての初子が、主の災いによって死んだ後でしたから、その初子がどんなに大切に思われていたかが解ります。

 そして、私たちの救い主、イエス・キリストは、私たちの長子となって下さり、御自身の命を捨ててくださったのです。

ローマ8:29

「神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。」

  神様が、初子を私たちの救いのために与えて下さったのです。ですから、私たちにも「初子」をささげることを命じられているのです。

  私たちは、どうでしょうか。最も大切なものをささげる準備ができているでしょうか。神様は、私たちの人生の中で、最も大切なものを要求されておられ、また、神様を第一にすることを求めておられます。

 神様が、アブラハムに、イサクをささげるように命じられたことが創世記22章に書かれています。神様は、アブラハムに祝福の源になること約束されました。そして、その子孫は、「星の数のようになる」と語られたのです。

 それにもかかわらず、アブラハムとサラの間には子どもが与えられませんでした。ところが、アブラハムが100歳、サラが90歳になった時に、子どもが与えられたのです。名前はイサク、笑いという意味です。その名前の通り、どんなに大きな「笑い」喜びがあったことでしょうか。

 しかし、神様は、イサクが成長した時に、そのたった一人のイサクを、モリヤの地に行って、「焼き尽くす献げものとしてささげなさい。」と命じられるのです。アブラハムにとって、たった一人の子どもです。その子どもを「焼き尽くす献げもの」としてささげるということは、子どもを失うということだけではなく、子孫が星のようになると言われた、あの神様の約束も破棄され、すべてを失うように思います。

 しかし、それでも、アブラハムは神様に従ったのです。そして、ついに、祭壇で愛するイサクを殺そうとしたその瞬間に、神様の御声が聞こえたのです。

創世記22:15~18(P31)

「主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。16 御使いは言った。「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、17 あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。18 地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」

  アブラハムは、たった一人の初子を神様に献げました。そのたった一人の息子をすら惜しまなかったので、アブラハムの子孫は、天の星のように、海辺の砂のように増やす。という約束が与えられました。

 そして、まさに、このモーセの時代に、男だけで60万人、女や子どもを入れると200万人という、素晴らしい神様の御業が成就したのです。そして、その御業は、イエス・キリストを通して、まさに、数え切れないほどの天の星、海辺の砂のように広がっているのです。

 イエス様は、あの山上の説教でこうおっしゃいました。

マタイ6:33(P11)

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」

  まず、何よりも神の国と神の義を求めるならば、私たちが必要としているすべてのものは、加えて与えられるというのです。この御言葉を信じて、独り子さえ惜しまずに与えて下さった神様に、私たちも一番良い物をおささげしましょう。そうするならば、アブラハムに注がれた祝福が、そして、モーセに与えられた恵みが私たちにも、夕立の雨のように注がれるのです。

 フローレンス・ナイチンゲールは、大金持ちの家に生まれ、何不自由なく育ち、また勉学に熱心な少女でした。

 16歳の時、「あなたにしかできない大切なことがあるはずです」との神様の声を聞きますが、その時はそれが何かわかりませんでした。24歳の時、イギリスに大飢饉が起こり、彼女は貧しい人たちや病気の人たちに、自分の家から食べ物や薬を運んで回りました。

 この時、病気の人たちを看病することが、自分に対する神様からの使命だとはっきりわかり、目標に向かって走り出したのです。しかし、当時の病院の衛生状態は悪く、「看護婦」という仕事は人のいやがる過酷な仕事だったので、家族から猛反対されました。

 また、心を寄せていたひとりの男性から結婚を申し込まれましたが、彼女はその結婚を放棄し、家族の反対も押し切り、神様が「あなたにしかできない大切なこと」と言って与えてくださった仕事の方を選んだのです。彼女のその後の働きにより、イギリスの医療の体制は大いに改善されていきました。

 このようにして、生涯を神様からの使命にささげたフローレンス・ナイチンゲールは、この世に多くの祝福をもたらしたのです。

1~2節

「1:主はモーセに仰せになった。2 「すべての初子を聖別してわたしにささげよ。イスラエルの人々の間で初めに胎を開くものはすべて、人であれ家畜であれ、わたしのものである。」

  ナイチンゲールが、自分の富も、結婚もすべてを献げて、神様の御心を第一にして、貧しい人に仕えました。神様は、その彼女の働きを大きく祝福してくださったのです。

 私たちも、「あなたにしかできない大切な事があるはずです。」と神様は語っておられるのではないでしょうか。その神様に、すべてをおささげして、お従いしましょう。


(2)除酵祭

  神様は、過ぎ越祭と共に、除酵祭を行う事を命じられました。

3節

「モーセは民に言った。「あなたたちは、奴隷の家、エジプトから出たこの日を記念しなさい。主が力強い御手をもって、あなたたちをそこから導き出されたからである。酵母入りのパンを食べてはならない。」

  6~7節にその除酵祭の具体的な事が書かれています。

「七日の間、酵母を入れないパンを食べねばならない。七日目には主のための祭りをする。7 酵母を入れないパンを七日の間食べる。あなたのもとに酵母入りのパンがあってはならないし、あなたの領土のどこにも酵母があってはならない。」

  過ぎ越祭が行われる七日前から、除酵祭が行われ、その間7日間、酵母を入れないパンを食べではならないというのです。それは、過ぎ越しの日に、エジプトの初子を打たれ、イスラエルの初子を、小羊の血によって贖われたからです。「この日」を忘れることなく、いつまでも覚えているように、この除酵祭と過ぎ越祭を行うように命じられたのです。

 この「酵母を入れないパン」というのは、純粋な清い心を表しています。それ故に、酵母を徹底的に取り除くことを命じられました。

 それは、イスラエルの民が、カナンの地に移ってからも行うように命じられました。

5節

「主が、あなたに与えると先祖に誓われた乳と蜜の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ヒビ人、エブス人の土地にあなたを導き入れられるとき、あなたはこの月にこの儀式を行わねばならない。」

それは、出エジプトをさせて下さった神様の恵みを忘れることのないためです。

 そこで、後のユダヤ人たちは、過ぎ越の祭りの際に、明かりをもって部屋の隅々までも丹念に調べ、彼らの家から酵母を、焼いたり、埋めたり、または小さく砕いて風に飛ばしたりして、酵母を除き去るようになったのです。

 なぜ、神様はモーセに、過ぎ越際や除酵祭を大切にするように命じられたのでしょうか。

 その理由が、8節に書かれています。

「あなたはこの日、自分の子供に告げなければならない。『これは、わたしがエジプトから出たとき、主がわたしのために行われたことのゆえである』と。」

  それは、ここに書かれているように、子どもたちに、過ぎ越祭のこの日のことを語り続けるためでした。

9~10節

「あなたは、この言葉を自分の腕と額に付けて記憶のしるしとし、主の教えを口ずさまねばならない。主が力強い御手をもって、あなたをエジプトから導き出されたからである。10 あなたはこの掟を毎年定められたときに守らねばならない。」

  ユダヤ人達は、このことを文字通り受け取って、聖句を書いた羊皮紙の札を入れた小箱を作って、祈る時、一つは左手に、一つは額に付けるようになりました。

 このユダヤ人のように、私たちは、主の力強い御手をもって救われました。ですから、私たちも、まだ、神様を知らない人たちに、特に、私たちの子どもたちに、根気強く、福音のを伝え続けましょう。

『木を植えた人』(ジャン・ジオノ作)という本があります。

 作家が一人旅をして、フランス南東部の無人の丘陵遅滞にたどりつきました。そこで、一人の無口な羊飼いに出会いました。彼は毎日、100個のドングリを荒れ果てた山に植えていたのです。鉄棒を地面に突き刺し、穴を掘り、ドングリを一個入れて穴をふさぐ。こうして彼は、カシの木の種を100個ずつ播いていきました。

 その後、戦争が始まりました。この作家は、戦後何年もたって、再び同じ場所を訪れてみました。すると驚いたことに、かつての荒涼とした山や谷が緑の樹木でおおわれ、せせらぎが流れている風景を見たのです。あの羊飼いが、蒔いたドングリが、芽を出し、成長して、立派な森を作ったのです。

 私たちは、一つ種を植えたからといって、何の変化もないように感じてしまいます。

しかし、失望せずに、御言葉の種を蒔き続けるなら、必ず刈り取りを見ることができるのです。

9節

「あなたは、この言葉を自分の腕と額に付けて記憶のしるしとし、主の教えを口ずさまねばならない。主が力強い御手をもって、あなたをエジプトから導き出されたからである。」

  私たちを、力強う御手をもって救ってくださった神様は、私たちの、家族や友人知人を救ってくださるお方です。このお方を証しし、素晴らしい実りを見せていただきましょう。


(3)主は力強い御手をもって

 この出エジプト記13章には、「主が力強い御手をもって」という言葉が、3節、9節、14節、16節と4回も書かれています。

3節

「モーセは民に言った。「あなたたちは、奴隷の家、エジプトから出たこの日を記念しなさい。主が力強い御手をもって、あなたたちをそこから導き出されたからである。」

9節

「あなたは、この言葉を自分の腕と額に付けて記憶のしるしとし、主の教えを口ずさまねばならない。主が力強い御手をもって、あなたをエジプトから導き出されたからである。」

14節

 「将来、あなたの子供が、『これにはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、こう答えなさい。『主は、力強い御手をもって我々を奴隷の家、エジプトから導き出された。」

16節

「あなたはこの言葉を腕に付けてしるしとし、額に付けて覚えとしなさい。主が力強い御手をもって、我々をエジプトから導き出されたからである。」

この出エジプトの御業が、人の業ではなく、神様の御業であることを現すためです。

 イスラエルの民が救われたのは、主の力強い御手によるものでした。そして、私たちが救われたのも、イエス・キリストの一方的な恵みによるもの以外の何ものでもありません。その驚くばかりの恵みに心から感謝をおささげしましょう。

 第二次世界大戦中のヨーロッパのことです。

「ドイツ軍が今晩この村を通過するぞ。避難しないとみな殺しにされるぞ。早く離れた村に避難するように」との通達が届きました。そこで、多くの村人たちは離れた村に避難を始めました。

 そこに老婆と子どもたちだけの家がありました。彼らもその知らせを聞いたのですが、動きたくても動けないでいました。行く当てもなく、連れて行ってくれる人もなかったからです。そこでクリスチャンであったこの老婆と子どもたちは、死を覚悟し、主に信頼してそこにとどまることにしました。

 彼らはその夜もいつもと同じように神に祈りをささげ、眠りに就きました。主への信頼と覚悟を決めて、安らかな眠りにつきました。

 次の朝です。彼らは、いつものように目覚めました。「ドイツ軍はまだ来ていないの?」と言って、子どもは窓を開けました。窓を開けた子どもは大きな声で「雪だ! 」と叫んだのです。その晩のうちに大雪が降り、彼らの家はすっぽり雪に覆われて、ドイツ軍から隠されていたのです。

 後でわかったことですが、ドイツ軍は予定通りその村を通過し、多くの家々を焼き払い、物資を奪いながら進んでいったのです。そして、みなが避難した村々にもドイツ軍の手は及んで、多くの村人の命が奪われていたのです。そのような中で、神様に祈り、信頼して寝床に入った老婆と子どもは、「主の強い御手をもって」その晩、神様が大雪を降らせてくださって、守られたのです。

  神様は、小羊の血によって、イスラエルの民を、「初子の死」という災いから過ぎ越されました。それと同じように、私たちは、小羊であられるイエス・キリストの十字架の血潮によって救われたのです。その神様の恵みに対して心からの感謝をおささげしましょう。

9節

「あなたは、この言葉を自分の腕と額に付けて記憶のしるしとし、主の教えを口ずさまねばならない。主が力強い御手をもって、あなたをエジプトから導き出されたからである。」

 神様は、力強い御手をもって、私たちを救ってくださいました。その救いの恵みをいつも忘れないように、御言葉を口ずさみ、この福音を一人でも多くの人に、伝えさせていただこうではありませんか。



WE LOVE YAMAGATA
WE LOVE YAMAGATA

Illustration by c-awase