12/20 クリスマスファミリー礼拝

「光は闇の中で輝いている」ヨハネ1:1~9

 クリスマスおめでとうございます。

 イエス様が、私たちの救いのためにこの地上に来てくださったクリスマスに、国井雄歩君のバプテスマ式が行われることを心から感謝します。

 雄歩君が、イエス様を信じたのは、信仰告白にあったように、去年のホサナのキャンプです。1年半前に、イエス様を信じて、バプテスマを受けるという決心をしました。

あれから、一年半、ホサナの教師、また、教会員の方々が雄歩君のために祈ってきました。そして、去年のクリスマスに洗礼を受けた、一人のお友だちが、毎週聖書の学びの度に「雄歩君がバプテスマを熟れられるようにしてください。」と祈り続けたのです。それらの祈りを、神様が聞いてくださって今日の日を迎えることが出来ました。

 1ヶ月くらい前に、雄歩くんがはっきりとクリスマスにバプテスマを受けると決心をしたのです。その時の雄歩君の顔は、今までにない喜びに満ちた輝きに満ちた顔でした。今日、このようなバプテスマ式を行うことができることを感謝しています。

  昨日、刑務所クリスマスが行われて、84名の方がこのクリスマス会に集われました。クリスマスや、正月を、家族やふるさとを離れて、塀の中で過ごさなければならないのですから、きっと、暗い心で、このクリスマス会に集われたと思います。しかし、礼拝を献げているうちに、みなさんの顔が明るくなり、中には涙を流しておられる方もおられました。「まことの光」としてこの地上に来てくださった、イエス様が、彼らの心を照らしてくださったのだと思います。

 クリスマス、それは暗いこの世に、待ち望まれていた救い主が、「まことの光」として来てくださった日です。

今日の中心に御言葉は、5節です。

「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」

 この御言葉は、口語訳聖書では、こう訳されています。

「光は闇の中に輝いている。そして、闇はこれに勝たなかった。」

 光が、輝くと一瞬にして、闇は消え去ります。そして、どんな暗闇も光に勝つことはできません。

 イエス様は、約2000年前のクリスマスに真っ暗なこの世を照らす、まことの光としてお生まれになったのです。

 今朝は、この光について、ヨハネ1:1~9から3つのことをお話ししたいと思います。

 

(1)光を造られた救い主

1~3節

 「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」

 

 「初めに言葉があった」とありますが、天地創造が行われる前、この世はどのようなところだったのでしょう。創世記、1章1~3節には、こう書かれています。

 「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。」

  神様が天地創造をなさる前は、光が一つもない、深い誰も経験をしたことのない暗闇の中にありました。そこで、神様が「光あれ」と言われると、今まで闇に包まれていたこの世に光が差し込んで、世界中を照らしたのです。神様は、太陽の光も月の光も星の光も造られたお方です。

 このように、神様は、「光あれ」という一言で、光を造られたお方です。ということは、神様は、私たちの人生に、どのような、苦しみやかなしみという「暗闇」が襲ってこようと、その心の中に「光あれ」と必ず光を与えてくださるということです。

 

  みなさんの中にも、今、暗闇の中を歩んでおられる方がおられるでしょうか。そして、この問題は、自分には手に負えないし、誰に頼ったもどうすることも出来ないと、失望したりあきらめてしまってはいないでしょうか。

 けれども、諦めないでください。イエス・キリストは、天地創造の時に光を創造された方です。そのお方が、私たちの心の中に光を与えてくださらないはずがありません。「光あれ」と一言でこの地上に光を造られたお方は、あなたの心の中にも光を与えてくださるお方なのです。

 

(2)暗闇からの救い主

5節

 「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」

  後半に「暗闇は光を理解しなかった。」  とありますが、旧約聖書は、まさに、神の光を理解しなかった歴史であるといっていいと思います。

6~8節には、バプテスマのヨハネのことが書かれています。

 「神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。」

  このバプテスマのヨハネの使命は、光について証しをするためでした。そして、バプテスマのヨハネが伝えたのは、「悔い改めよ。天の国は近づいた。」(マタイ3:2)というメッセージです。バプテスマのヨハネはメシア預言をした最後の預言者ですが、神様は私たちを愛してくださって、「罪を悔い改めて、神様に立ち帰るように。」と私たちを招いておられるのです。 

「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」

  暗闇に生きる人とは、どのような人でしょうか。

 罪を犯した人は、だいたい光をさけて、暗闇の中にいようとします。 

 あの最初に作られたアダムとエバは、神様に食べてはならないと言われていた「善悪を知る知識の木」から実を取って食べてしまいました。その後、神様がエデンの園に来られて、「どこにいるのか?」とアダムを呼ばれました。ところが、罪を犯したアダムは、光を避けるように、園の木の間に隠れてしまったのです。

 庭の石をひっくり返したことがありますか。

 石を、ひっくり返すと、その虫はどうしますか?

石をひっくり返すと、石の下にいた虫が、必死になって穴の中の暗いところに隠れようとします。そのように、罪を犯した人は、光から逃げて、暗闇へと隠れようとするのです。

 そして、私たちがイエス様の光に照らされる時、私たちの醜い姿や、自分の罪を知らされるのです。

 しかし、それは、イエス様が私達を苦しめるために、そうされるのではなく、その罪を悔い改めて、神様に立ち帰るように招いておられるのです。

 ですから、「自分が罪人だと思う時、自分なんか神様を信じる資格がない。」「自分なんか駄目だ」と言って神様から離れないでください。罪を示された時、自分が本当に罪人だと思ったその時が、救いに与るチャンスなのです。

 神様が、私たちに罪を示される時は、いつもイエス様の十字架に立ち帰るように招いておられるのです。罪を示された時こそが、救いに預かるチャンスです。どうか、罪を悔い改めて、神様のもとに立ち返ってください。

 

(3)すべての人を照らすまことの光

9節

「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」

 神様は、そのような罪に汚れ、暗闇の中を歩み続けている人間の救いのために、「まことの光である」イエス・キリストをこの地上に送ってくださったのです。

  このイエス様は、御自分のことを「まことの光である」とおっしゃっておられます。

ヨハネ8:12

 イエス様こそが、「世の光」「まことの光」です。そして、続いて「わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」  とおっしゃいました。

  「従う」ということは、イエス様につながることです。電気のコードが切れてしまったら電気は付きません。けれども、そのコードをつなぎ合わせるのと、電気がついて光を灯すことが出来ます。

 そのように、イエス・キリストの十字架の福音を信じて、イエス様につながるならば、私たちの心も明るく輝くことが出来るのです。イエス・キリストは「まことの光」としてこの地上に来られました。このイエス様を心にお迎えして、光の中を歩ませていただきましょう。

 アメリカのマサチューセッツ州のネイサン・ノーマンくんという男の子の事が、テレビで放送されました。(フジTV「奇跡体験!アンビリバボー」2013年1月31日)

 男の子なのに、ネーサン・ノーマンという名前です。面白いなと思いました。このネイサン君が3歳の時に、悪性の脳腫瘍という病気になってしまいました。6歳の時に脊髄に腫瘍が転移して、お医者さんに、「この病気は治すことは出来ません。」と言われてしまいました。それでも、ネイサンくんの心の中には、変わらない光が輝いていました。

 どうしてでしょう?

 ネイサン君のお父さんとお母さんは、ノーマンのことを心から愛していました。そして、ネイサン君は、小さい頃にイエス様を信じて、心の中にお迎えしたのです。

 だから、病気という暗闇の中にあっても、心の中はいつも輝いていたのです。

 ネイサン君は、生きている間に、イエス様の事を伝えたいと思いました。そして、9月だというのに、クリスマスの飾り付けを始めたのです。

 夜、ネイサン君の家の前を通る人たちが、福音のメッセージが伝わるようにいろいろ工夫をしました。多くの人がそのイルミネーションを見て慰められ、ネイサン君のところに感謝のクリスマスカードやプレゼントが届きました。ネイサン君は、それを病気の子どもたちに寄付をしました。

 ネイサン君の病気は、だんだん悪くなり、12月には、庭に出て行くことも出来なくなって、ソファーで、横になっていました。

 ネイサン君は、大きくなったら警察官になりたいと思っていました。そのことを知っていたお父さんは、「最後にクリスマスカードを送って下さい。」と警察官にお願いしたのです。

 すると、ネイサン君のことを良く知っていた警察官が、「ネイサン君に直接クリスマスカードを手渡ししましょう」と約束してくれたのです。クリスマスの日、お父さんは約束の場所、リバティー大学キャンパスにネイサン君を連れて行きました。すると、そこに、100台のパトカーが集まっていたのです。そして、いっせいにパトカーの赤い光を付けて、ゆっくり、ネイサン君の周りを回り始めたのです。そのパトカーの行列は、大きなクリスマスイルミネーションになりました。そして、250人以上の警察官が、パトカーから降りて、ネイサン君に敬礼をして、クリスマス・プレゼントが贈られたのです。

 イエス・キリストこそが、暗闇を照らすまことの光です。

 私たちの心が今、どのような暗闇の中にあっても、まことの光であるイエス様をお迎えする時、その心の暗闇は消え去り、希望の光の中を生きることができるのです。

 クリスマスを迎えようとしているこの時、このまことの光であるイエス様を見上げましょう。そして、決して消えることのない「まことの光」の中を歩ませていただきましょう。

 どうでしょうか。みなさんの心の中に、暗闇があるでしょうか。もし、そのような暗闇があなたの心にあるならば、ぜひ、今日、「まことの光」である。イエス・キリストを、信じて、心に受け入れて下さい。このイエス・キリストは混沌とした世の中に、光を創造されたお方です。そのお方が、私たちの心の中に光を与えて下さらないはずがありません。そして、そのまことの光であるイエス様を心にお迎えして、私たちをこの世を照らす世の光として用いていただきましょう。

 


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Illustration by c-awase