1/17 主日礼拝

「初代教会の愛の交わり」 使徒2:43~47節

 今年、私達に与えられた御言葉は、コロサイの信徒への手紙3章14節です。

「これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。

 

 今日は、私たちは、神様と人と愛のきずなによって結ばれたお互いですが、その教会の模範が、今日読んでいただいた初代教会の交わりにあります。今日は、その初代教会から主の御声を聞かせていただきたいと思います。

 

 イエス・キリストの十字架と復活を経験した弟子たちは、二階座敷に集まって、聖霊を待ち望んで「心を合わせて、熱心に祈っていました。」

 神様は、その祈りに答えてくださり、あのペンテコステの日に、弟子たちに聖霊を注がれたのです。あの日、弟子たちは、他国の言葉で福音を語り、多くの人々が、罪を悔い改めて、バプテスマを受けました。

 ペトロの説教が、2:14~40に書かれていますが、41節には、「ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。」と書かれています。一度3千人もの人たちが洗礼を受けるなどとは、想像もできないことですが、聖霊が働かれるならば、リバイバルの業が行われるのです。

「ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。」これが、世界最初の教会、いわゆる初代教会です。

そして、この初代教会の生活の様子が、42節~47節に書かれています。

この御言葉から、3つのことを学びたいと思います。

 

(1)神様とのきずなによって多くの不思議な業としるしが行われる

43節をご覧ください。

 「すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。」

  初代教会になされた、神様の御業を見た時に、すべての人は恐れが生じました。なぜなら、使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたからです。それは、イエス・キリストが共におられたからです。

 ペンテコステの日、聖霊に満たされたペトロは説教の中でこう言っています。使徒2:22

「イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。あなたがた自身が既に知っているとおりです。」

 ここで、注意したいのは、22節でペトロは、「神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。」  と言っていますが、43節では、「使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。」と書かれていることです。

 イエス様は神の子ですから、イエス様によって、不思議な業と、しるしが行われるのは解ります。しかし、その「不思議な業と、しるし」が、使徒たちが聖霊に満たされた時、使徒たちによって行われたのです。何と素晴らしいことでしょうか。

  私たちも、聖霊に満たされて、キリストのきずなによって結び合わされる時、イエス様が行われた「不思議な業や、しるし」が、私たちを通して行われるのです。

 MSR+のためにお祈りをありがとうございます。

 MSR+の働きも5年目を迎え、ボランティアとしての働きは、終えようとしています。しかし、これで終わりではなく、これからも開拓伝道の業が続けられるようにと願っています。来週の月曜日にその話し合いが行われますので、新年度の歩みのために、ぜひお祈りください。

 このMSR+は、ヘブライ人への手紙11:8の御言葉によって始められました。

「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。」

 この5年間のMSR+の働きを振り返ると、神様が「不思議な業や、しるし」を見せてくださった事を感じます。最初は、臭い消しのためにEM散布をするということだけが決まっていて、どこに行ったら良いのか行き先を知らなかったのですが、一人のクリスチャンとの出会いを通して、町内会長さんや地区長さんの協力をいただいて、多くの家にEM散布のボランティアを行う事が出来ました。

 また、あの津波で流されてしまった、「朝どり」の施設を復興したいというビジョンが与えられましたが、先立つものが何もありませんでした。そのために祈っていると、カナダのホープインターナショナルという団体から、資金の提供があり、今の岡崎さんの所に「朝どり」の施設を建てることが出来たのです。

 こんなこともありました。ボランティアで疲れてセンターに帰ると、地域の人がネギと白菜を持って来てくださったのです。冗談で「これに、牛肉があったらすき焼きが出来るね。」と話していると、ピンポーンとインターホーンがなったのです。玄関に行って、荷物を受け取ると、何とそれが牛肉だったのです。神様は、すべてを知っておられると、感謝していただきました。

 そして、ボランティアに必要な人や、EMの培養器や井戸堀機など、必要なものはすべて神様が与えて下さいました。また、ボランティアセンターに、常駐者として木内先生御夫妻を送って下さり、それを小寺 義兄が引き継いでくださり、しかも、岩沼に使命を感じて、岩沼市役所の試験を受けて、ついに今年合格したことも、神様の素晴らしい御業だと、感謝しています。

42節

 「すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。」

  このように、5年間を振り返ると、行き先を知らないで出て行ったアブラハムを神様が導き、不思議な業としるしを行われたように、神様が、私たちを導き、不思議な業としるしを見せてくださった事を感じるだけではなく、神様への畏れ敬う心にさせられます。

 神様は、神様と私たちを愛のきずなによって結ばれて、「すべての人が恐れるような」

「不思議な業としるし」を行って下さる方です。

 

(2)愛のきずなによる交わり

この交わりを2つに分けて学びます。

①キリストの重次の愛による交わり

44~45節

「44 信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、45 財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。」

 ここには、神の家族としての、交わりが書かれています。

 ここに書かれているように、初代教会の人々は、みんな一緒に集まって、一切の物を共有にしていました。

 強制されてではなく、多く持っていた人は、自分の資産や持ち物を売って、それを必要な人々に分けて使えるようにしたのです。

 ここに、家族としての交わりがあります。

 家族というのは、もともと一緒にいるのが自然な姿ですし、持ち物を共有にしますし、必要があれば、自分の物を売ってでも、家族のために使います。

 この初代教会の人達は、まさに、家族のような交わりをしていたのです。

 私達も初代教会の人達と同じように、イエス・キリストの十字架と復活を信じて、バプテスマを受けて、神の家族とされました。

エフェソの信徒への手紙2章19~21節に

「19 従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、20 使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、21 キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。」

とある通りです。

 この御言葉の前の、16節には、「十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」とあります。この御言葉にあるように、彼らは、十字架と復活の愛きずなによって結ばれていたのです。

 家族が、互いに愛し合い、助け合う姿は、素晴らしいものです。初代教会の人達は、その様なうるわしい交わりをしていたのです。

44~45節

「44 信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、45 財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。」

 私達も、ここに書かれているような、うるわしい交わりを主にあってさせていただきたいと思います。

②神様を中心とした交わり

46~47節

「46 そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、47 神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」

 この御言葉を読むと、この交わりが単なるこの世的な交わりではなく、神様を中心とした交わりであったことが解ります。

oまず、46節の前半をご覧下さい。

「そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り」とあります。

 初代教会の人々は、ばらばらに礼拝をしていたのではありません。みんなで、キチンと時間と場所を決めて、神殿に行って、神様を礼拝していたのです。

o次に、「家ごとに集まってパンを裂き」とあります。これは、イエス・キリストの十字架を忘れないために、記念として行われている聖餐式です。この聖餐式は、イエス様御自身が、これを行うように命じられた大切な聖霊典の一つです。そのことが、Ⅰコリント11章23~26節(P314)  に書かれています。

 初代教会の人達は、イエス様が命じられたとおりに、聖餐式を行いました。そして、この聖餐式は、教会によって受け継がれ、今の私達の教会でも行われています。これは、イエス・キリストの十字架が、私達の罪のためであったことを忘れないために記念として行われます。そして、同じ信仰をもって、一つのパンをいただくことによって、私達が主にあって一つの家族であることを現しています。

 初代教会の人達は、そのことを味わうために、家ごとに集まって聖餐式を行っていたのです。

 同じ経験をするということは、人にとってきずなを強くする大切なことだと思います。

 例えば、「同じ釜の飯を食った仲」と言いますが、私も、一緒に寮生活をしたり、同じ部活で合宿をした友達とは今でも、交わりがあります。

 同じ経験を持っている、それは、その人たちにとって、大きなきずなです。

 けれども、初代教会の人達は、もっと素晴らしいきずなによって結ばれていました。それは、イエス・キリストの十字架と復活による救いという体験です。

 単なる、悲しみを共有するというのではなく、イエス・キリストの十字架という強いきずなによって結ばれていたのです。

 そして、それは、初代教会の人達だけではなく、イエス・キリストを信じる全てのクリスチャンが同じ経験を持っているのです。

「家ごとに集まってパンを裂き」、  初代教会の人達は、イエス・キリストの十字架と復活というきずなによって結ばれた人達だったのです。

o三番目に、47節には「神を賛美していた」とあります。

 生きた信仰には、どんな時でも、喜びと賛美が伴います。初代教会の人達は、家に集まって、喜びに満たされて、心から主を賛美していたのです。救われた人の特徴は、賛美です。救われた喜びは、賛美となってあふれ出ます。

 うるわしい交わり、それは、神様を中心とした交わりです。

 初代教会には、神様を心から礼拝し、十字架の愛による交わり、賛美が耐えませんでした。ここにこそ、素晴らしい、愛のきずながあるのではないでしょうか。

 その愛のきずなを具体的にするために、山形南部教会では、家庭集会や「まきば」を大切にしています。私たちは、「愛の教会(120人教会)を建てよう」というビジョンに向かって進んでいます。初代教会の場合は、120人の次の日は、3000人でした。多くの人たちが救われることは、感謝な事ですが、愛のきずなが深められるために、家族単位の小さな交わりが必要です。

 今年の目標は、12人の受洗者、12の家庭集会やまきば、そこに10の人が集まれば、120人の教会です。ぜひ、それぞれの家庭を解放してください。

 初代教会も最初から、立派な会堂があったわけではありません。それぞれの家庭で、礼拝やキリストによる愛の交わり、賛美、伝道が行われてきたのです。

 

(3)「神のきずな」の広がり

 47節

「47 神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」

 ここに、「主は~加え一つにされたのである。」とあります。

 このリバイバルの御業は、初代教会に日々救われる人々を仲間に加わえられたのは、伝道キャンペーンを行ったからとか、特別な伝道の方策を用いて伝道をしたからであるとは書かれていません。

 そこで忘れてはならない大切なことは、救いの御業は、私たちの力や知恵によるのではなく、主が成してくださる御業であるということを忘れてはならないということです。

47節には、人の功績や、伝道の方法は書かれていません。

ただ、「主は~加え一つにされたのである。」とあるだけです。主が、主語なのです。

「救われる人々を日々仲間に加え一つにされたの」は、ほかの何ものによるものでもなく、「主」の御業だったのです。

 ですから、私たちの教会にとって、一番大切なことは、この教会が神様に用いられやすい教会になることです。神様に「この教会だったら、愛する魂を送っても大丈夫だ」と信任されるような教会になることです。

 私たちは、120人教会を建てようというビジョンをいただいて、伝道をしています。そして、神様が必ずそのことを成してくださると信じています。

 しかし、まず、私たちがしなければならないことは、私たち自身が、神様に用いられやすい教会になることです。

 私たちは、お客さんを迎えるときに、まず、部屋をきれいにします。そのように、聖霊をお迎えするために、私たちの心の部屋をきれいにする必要があります。

 罪が示されるなら、その罪を悔い改めて、御子イエスの血によって、私たちの心を聖めていただくことです。そして、初代教会の人達が、自分の財産や持ち物を、自分一人の物だと言わずに、みんなで共有をしたように、自己中心の心を捨てて、神様中心の心に整えていただくことです。

 また、私たちが、キリストの愛に満たされ、神様を愛し、人を愛して愛のきずなで結び合わされることです。愛のあるところに神様はおられます。そして、神様が、そのような場所に「救われる人々を日々仲間に加え一つに」と書かれているように、日々素晴らしい御業を成してくださるのです。

 天に召された国井ハナさんが、リバイバルが起きた時のことを証しに書いておられます。少しだけ証しを紹介します。

「私は、1910年4月17日山形市香澄町に生まれました。

 山形で育ちましたが、22才のとき上京し、四谷にある洋裁学校で学びました。洋裁の技術を学ぶために川村むつよ先生のところに行きました。この先生がすばらしいクリスチャンで、特別伝道集会があると、そこに居る人全員連れて東京柏木教会(中田重治先生の牧する教会)行ってくれるのでした。何回か教会に行っているうちに、1934年4月21日に洗礼を受けました。この日に年会があり大勢の先生が集まり洗礼を授けて下さったのでした。」

  その時、柏木教会に池があって、何人もの牧師が何組にも分かれて、大勢の人たちに洗礼を授けられたそうです。国井ハナさんが、その時のことを目を輝かせて話してくださったことを忘れることが出来ません。そして、聖霊が働かれる時、そのような素晴らしい御業が今でも行われることを信じています。

「こうして、主は救われる人々を日々仲間に加えひとつにされたのである。」

 私達の教会が、ますます、愛の満ちあふれる所となって、砂漠の中のオアシスに、人々が水を求めて集まってくるように、「ここに愛がある」と言えるような、愛のきずなで結ばれた教会として成長させていただきましょう。


WE LOVE YAMAGATA
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Illustration by c-awase