4/17 主日礼拝

「すべての神々にまさる主」  出エジプト18:1~12

 今日の聖書の箇所は、モーセがミデアンの地で羊飼いをしていた時に過ごしたしゅうとのエテロと、妻ツィポラ、二人の息子、ゲルショムとエリエゼルとの再会の喜びと賛美が書かれているところです。

今日の中心の御言葉は、11節です。

「今、わたしは知った/彼らがイスラエルに向かって/高慢にふるまったときにも/主はすべての神々にまさって偉大であったことを。」

 

  レフィディムを出発したイスラエルの民は、いよいよ神の山、シナイ山のふもとに近着きました。

 今日は、出エジプト18:1~12を読んでいただきましたが、ここには、モーセの家族と、義理の父エテロの家族とのうるわしい再会が記されています。エテロはミデアンの祭司であり、昔、モーセが一人でエジプトから逃げて来た時に、モーセを受け入れ、40年間羊飼いとして共に働いた人でした。そのことが、出エジプト2:15~22に書かれています。21~22節にはこう書かれています。(P96)

「21 モーセがこの人のもとにとどまる決意をしたので、彼は自分の娘ツィポラをモーセと結婚させた。22 彼女は男の子を産み、モーセは彼をゲルショムと名付けた。彼が、「わたしは異国にいる寄留者(ゲール)だ」と言ったからである。」

 モーセは、エテロの娘ツィポラと結婚して、ゲルショムという男の子を授かり、エテロの元に40年間、羊飼いとして働きました。

 ミデアンに滞在している間に、モーセにできた子どもの名前が、2~4節に書かれています。

 「モーセのしゅうとエトロは、モーセが先に帰していた妻のツィポラと、3 二人の息子を連れて来た。一人は、モーセが、「わたしは異国にいる寄留者だ」と言って、ゲルショムと名付け、4 もう一人は、「わたしの父の神はわたしの助け、ファラオの剣からわたしを救われた」と言って、エリエゼルと名付けた。」

  モーセの一人目の息子の名前は「ゲルショム」「わたしは異国にいる寄留者だ」というの意味の名前を付けました。

 そして、二人目の息子には、「エリエゼル」「わたしの父の神はわたしの助け、ファラオの剣からわたしを救われた」という意味の名前を付けました。これは、ファラオの元から無事に逃れることのできた事に対する、神様への感謝が込められています。

 モーセは、エジプトに行く途中、荒野で息子に割礼を施して、家族の事を考えて、もう一度、ミデアンの地に帰したようです。

 しかし、この時はモーセのひきいるイスラエルの民は、ファラオとの戦いに勝利して、シナイ山にやってきたのです。イスラエルの民が体験した素晴らしい奇跡的な、出エジプトの出来事は、荒野に住む諸民族の間にも、すでに伝わっていました。

 そこで、モーセのしゅうとエテロは、喜びと感謝をもって、モーセの妻ツィポラと、二人の息子を連れて、モーセの元にやってきたのです。この時は何と素晴らしい嬉しい再会だったことでしょう。

 この感動的な再会の出来事を通して、3つの事を学びたいと思います。

 

(1)モーセの謙遜

その時のことが7節に書かれています。

「モーセは出て来てしゅうとを迎え、身をかがめて口づけした。彼らは互いに安否を尋ね合ってから、天幕の中に入った。」

 その知らせを聞いたモーセは、急いでしょうとのエテロを迎えに出ていきました。そして、モーセは謙遜に身をかがめて口づけをし、互いに安否を報告して、天幕の中に入っていきました。

 モーセは、この時イスラエルの民100万人以上の指導者になっていたのです。それにもかかわらず、一人の老人エテロの前にひざまずき口づけをして敬意をあらわす、モーセの姿に謙遜な姿を教えられます。

 第二次世界大戦の時、アメリカの多くの若者が戦争で次々に亡くなってしまいました。地方の青年は令状を受け取ると、大都市へ行く汽車に乗って訓練所に向かいました。当時、国民の気持ちを配慮して、徴兵された青年たちが乗る汽車は、おもに夜遅く出発しました。ワシントン駅にも毎晩、数百名が押し寄せてきました。そして、市民たちが来て、彼らの世話をしたのです。

 そんな時に、市民の中に、毎晩足をひきずりながら熱いココアを渡している人がいました。ある青年がその老人をよく見てみると、その人はアメリカの32代大統領、フランクリン・ルーズベル大統領だったのです。ルーズベルト大統領は、身体的に不自由でした。

 それにもかかわらず、毎晩駅に来て、足をひきづりながら、青年にココアを渡す奉仕をしていたのです。

 大統領が直接作ったココアを飲んだ青年たちは、ルーズベルト大統領からココアを入れてもらって、どんなに感動したことでしょうか。

 彼らに勇気を与えたのは、ルーズベルト大統領の一人一人に対する謙遜な姿でした。このように、神と人とに仕えることは、何ものにもまさるものです。

7節

「モーセは出て来てしゅうとを迎え、身をかがめて口づけした。彼らは互いに安否を尋ね合ってから、天幕の中に入った。」

  私たちも、どんなにお金や地位、この世の物を得たとしても、100万人以上の指導者モーセが、しょうとのエテロにひざまづいて口づけをしたように、どこまでも、謙遜に神様と人とに仕える者とさせていただきましょう。

 

(2)モーセが語り聞かせた救いの御業

  モーセとエテロは、互いに安否を報告して、天幕の中に入っていきました。

 モーセは、その交わりの中で、主がイスラエルのために、ファラオとエジプトに対して、どのような奇跡を行われてイスラエルの民をエジプトから救いだしてくださったかを証ししました。そして、出エジプトをしてからの道中でも、多くの困難がありましたが、その中でも神様がどんなに素晴らしい御業を成して下さったかを、語りました。

8節

「モーセはしゅうとに、主がイスラエルのためファラオとエジプトに対してなされたすべてのこと、すなわち、彼らは途中であらゆる困難に遭遇したが、主が彼らを救い出されたことを語り聞かせると、」

  このような素晴らしい、証しを聞いたエテロ自身も、イスラエルの民を導く昼は雲の柱、夜は火の柱を見て、驚きと共に主の臨在を感じたに違いありません。また、食物の何もない荒野で、マナとうずらで、イスラエルの民を養われた主の奇跡を目の辺りにして、深い感動を覚えたことでしょう。

 40年前に、エテロの元にモーセがやってきた時、もちろん、娘のツィポラが助けてもらったという感謝の気持ちはあったでしょうが、エジプトから逃げて来た頼るところにない一人の人を助けてあげなければという、同情心から、モーセの世話をしたのかも知れません。

 まして、モーセの信じるヘブル人についても、エテロの信じているミデアン人の神々とどこが違うのか、分からなかったに違いありません。

 しかしこの時、エテロはモーセの証しを聞いて、確かにイスラエルの神は、エテロがこれまでに聞いたすべての神々に勝る、力ある神であることを確信したのです。

 モーセは、神様がどんなに素晴らしい事をしてくださったのかを証ししました。その証しによって、異邦人のエテロが、真の神様を信じたのです。

 私たちも、イエス・キリストによって救われて、多くの恵みをいただき、神様の臨在の中を歩んでいます。その驚くばかりの恵みの証し人として用いていただきましょう。

 1880年代、アメリカにビリー・サンデーというプロ野球選手がいました。

プロに入って3年たって、救われて教会に行くようになった頃、彼の人生を大きく変える出来事に出会いました。

 ある時、一人のクリスチャン男性が彼の肩に手を掛け、こう言ったのです。

「ビリー、3つの簡単なルールを守りなさい。そうすれば君はこれからクリスチャンとしてグングン成長していけるから。まず、毎日15分かけて聖書を読んで神様が語ってくださることを聞くこと、15分かけて神様に語りかけること、そして15分かけてだれかに神様のことを話すことだよ」

 若いビリーはこの忠告を受け入れ、忠実に実行しました。そして毎朝、目を覚ましたら、何を差し置いても必ず神と時を過ごすことを生涯続けました。そして、救われた喜びを多くの人達に証ししました。

 後に彼は伝道者になり、1917年、ニューヨークの伝道集会では、会期中で9万8264人もの人々を救いに導く働きをしました。

 彼の働きを支えたものはいったい何だったのでしょうか。

それは言うまでもなく、祈りと御言葉に生きる生活です。そして、それを人に伝える証しです。

8節

「モーセはしゅうとに、主がイスラエルのためファラオとエジプトに対してなされたすべてのこと、すなわち、彼らは途中であらゆる困難に遭遇したが、主が彼らを救い出されたことを語り聞かせると、」

  モーセは、祈りと御言葉によって与えられた恵みを、しゅうとのエテロに語り聞かせました。このモーセのように、私たちも、祈りと御言葉に生かされ、それを語り伝えるお互いでありたいと思います。

 今年になって、毎週、信徒の方々の証しに恵まれています。なぜなら、それが生きたメッセージだからです。なお、聖書の御言葉に聞き、祈りをささげ、恵まれて主の証し人として歩ませていただきましょう。

 

(3)エテロの賛美

 エテロは、モーセの驚くべき知らせを聞いて、心から喜んで神様を賛美しました。

その賛美が9~11節にあります。

「9 エトロは、主がイスラエルをエジプト人の手から救い出し、彼らに恵みを与えられたことを喜んで、

10 言った。「主をたたえよ/主はあなたたちをエジプト人の手から/ファラオの手から救い出された。主はエジプト人のもとから民を救い出された。11 今、わたしは知った/彼らがイスラエルに向かって/高慢にふるまったときにも/主はすべての神々にまさって偉大であったことを。」

  エテロは、この時賛美と共に、主に礼拝をささげました。

12節

「モーセのしゅうとエトロは焼き尽くす献げ物といけにえを神にささげた。アロンとイスラエルの長老たちも皆来て、モーセのしゅうとと共に神の御前で食事をした。」

 エテロは、祭壇を造り、焼き尽くすささげものと、いけにえとを神に献げました。そして、アロンと長老たちもみんな来て、神様の御前で食事をしたのです。

 音楽の父といわれるヨハン・ゼバスティアン・バッハは、声楽から器楽まで、オペラを除いた主要なジャンルに1000曲以上の曲を残しています。そして、敬虔なプロテスタントでもあり、教会カンタータなどの宗教曲を多く書きました。

 ベートーベンは「バッハとは小川ではなく大海である」と評し、作家ゲーテは「バッハの音楽は天地創造の直前に行われた神自身との対話のようだ」と言っています。

 しかし、彼の人生は辛い苦しみの連続でした。

 彼は両親を早く亡くし、兄の手によって育てられました。生活はとても苦しかったので、兄は弟の面倒を見なければならないと、弟を憎みました。

 その後、 彼は結婚して7人の子どもを与えられたのですが、ある日、海外での演奏旅行から帰って来ると、妻が亡くなっていて、自分がいない間にすでに葬式が終えられていたのです。

 彼は、再婚してまた子どもを与えられたのですがその半分は亡くなってしまいました。

 また、彼は年老いてから視力を失い、その上、脳内出血によって半身不随になってしまいました。そのような苦しい状況の中で、二人目の妻も亡くなってしまったのです。

 しかし、彼は度重なる苦しみの中で人生を深く知るようになりました。そして、体験した痛みと苦しみによって、人々の痛みを慰める数多くの音楽を作ったのです。

 苦しみに遭った人だけが、他の人の苦しみを理解することができます!

 深い信仰を持っていた彼は、作曲すると「ただ 神様の栄光のために」(Soli Deo Gloria)と書き、オルガン曲には「イエス様の御名で」(In the name of Jesus)と必ず書きました。

 彼は苦しみの中で、神様に栄光をお返しする美しい音楽を作曲し、今日『音楽の父』と呼ばれるようになったのです。

 エテロは、イスラエルの民が、エジプトで奴隷として過ごした日々の苦しみを知っていました。そして、モーセを通してその苦しみから救ってくださった神様のことを語り聞かされた時、イスラエルの神こそが、本当の神であることを知りました。

 異邦人であるエテロが、まことの神の存在を確信して、喜びと感謝をもって賛美したのです。

 今日は、シナイ山のふもとで、再会したモーセとエテロの姿を通して、3つの事をお話ししました。

(1)モーセの謙遜

(2)モーセの語り聞かせた救いの御業

(3)それを聞いたエテロの賛美

 モーセは、エテロに再会した時、100万人以上の民をひきいる指導者になっていましたが、謙遜にひざまづいて口づけしました。そして、神様が成して下さった救いの御業をエテロに語り伝えたのです。それを聞いたエテロは、10~11節でこう賛美しました。

「主をたたえよ/主はあなたたちをエジプト人の手から/ファラオの手から救い出された。主はエジプト人のもとから民を救い出された。11 今、わたしは知った/彼らがイスラエルに向かって/高慢にふるまったときにも/主はすべての神々にまさって偉大であったことを。」

 私たちも、イスラエルの民のように、救いの恵みに与り、今、主の御臨在の元を歩ませていただいています。そのまことの神様を、証しする者とさせていただきましょう。

 モーセの知らせを聞いて、エテロが、まことの神様を賛美したように、私たちも共に主を賛美する者とさせていただきましょう。

 


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Illustration by c-awase