5/15 ペンテコステ ファミリー礼拝

「聖霊の力を受けたペトロ」使徒2:1~13

 ペンテコステおめでとうございます。「聖霊があなたの心の中におられます。」
 イエス様は、よみがえられてから40日経って天に帰って行かれました。その時にイエス様は、「聖霊を与えて下さる」と約束をしてくださいました。そして、イエス様が天に帰られてから10日経って、約束通り、聖霊を与えてくださったのです。そして、イエス様を信じるすべての人と共にいてくださるのです。

今日の中心の御言葉は、4節です。
「すると、一同は聖霊に満たされ、"霊"が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」

  イエス様が天に帰られてから十日かが経ちました。
 この日は五旬節というお祭りの日で、遠くの国に住んでいる人たちも、エルサレムに集まってきて、エルサレム神殿は多くの人でにぎわっていました。
 そんな中、イエス様の弟子たちは、何をしていたと思いますか?

 みんなが集まって、お祈りをしていたのです。
 イエス様が、天に帰られる前に、「エルサレムを離れず、父の約束されたものを待ちなさい。」
  と言われたので、「わたしに聖霊を与えてください。」と、みんなで心を合わせてお祈りをしていたのです。

 その時です。弟子たちが熱心に祈っていると、ゴーと強い風が吹いてくるような音がしました。そして、火のような舌が、弟子たちの頭の上に止まったのです。神様が、約束通りに聖霊を与えて下さったのです。

  さて、聖霊の力をいただいた弟子たちは、何をしたでしょうか。不思議な事に、一度も話した事のない外国の言葉で、イエス様のことを話し始めたのです。ヘブル語、ギリシャ語、アラム語、エジプト語、イタリア語、ラテン語、そこに集まっていた人達、みんなが分かるように、その人の国の言葉で、イエス様の事を話し始めたのです。
 これを聞いてお祭りに来ていた人達は、びっくりしてしまいました。
 なぜなら、この弟子たちは、一度も外国語を勉強したことがなかったのです。それなのに、聖霊に満たされた弟子たちが、いろいろな国の言葉でで話し始めたのです。
 いったいどうなているのかと、大騒ぎになってしまいました。
 その中には「この人達は、どうせ酒にでも酔っているんだよ。」と言って、馬鹿にする人達もいました。

 その時に、「皆さん、聞いてください。」と言って、他の弟子たちと一緒に立ち上がっていた人がいました。誰でしょう。それはペトロです。
 ペトロは言いました。「私達は、酔っているのではありません。今はまだ、朝の九時です。私達がお祈りをしていると、聖書に書かれているとおりに、神様が聖霊を送ってくださったのです。イエス様は、わたしたちの救い主です。イエス様は、よみがえられて今も生きておられます。」
 ペトロは、力強くイエス様の事を証ししたのです。
 ペトロは、イエス様が十字架にかかられる前に、恐くなって三度も「イエス様なんか知りません。」と言ってしまったのです。その弱虫だったペトロが、どうしてこんなに力強くイエス様の事を証しできるようになったのでしょうか。
 それは、ペトロが聖霊に満たされたからです。
 聖霊がペトロを助けて下さり、大勢の人の前でも恐がらずに、イエス様の事を話す勇気を与えてくださったのです。

  ペトロの話しを聞いた人々は、ペトロの話しを聞いてびっくりしてしまいました。そして、イエス様を十字架につけてしまって、どんなに大きな罪を犯してしまったのかという事に気がついたのです。
 真っ青になった人々は、「わたしたちはどうしたらよいのですか」  とペトロに尋ねました。
ペトロは、応えました。「悔い改めなさい。」そして。「イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。」
  すると、それを聞いた人々が、次々に罪を悔い改めて、なんと3000人もの人々が洗礼を受けたのです。
 ペトロやイエス様の弟子たちは、ますます、力を受けて、イエス様の事をたくさんの人達に伝えました。

 私達もイエス様を信じれば、私たちの心の中に聖霊が宿って下さるのです。
 今日は、ペンテコステ、神様が聖霊を送ってくださった日です。この日に、私達もペトロや弟子たちのように聖霊を満たしていただいて、イエス様の事を多くの人達にお伝えしましょう。

この聖書の箇所から2つの事をお話ししたいと思います。

(1)聖霊に満たされると、光を輝かす事ができます
1~3節
「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。」
  聖霊が与えられたしるしは、炎のような舌でした。弟子たちの上に、炎のような舌が一人一人の上にとどまると、弟子たちは、外国の言葉で、イエス様の事を話し始めたのです。弟子たちは、聖霊が降る前までは、弱く臆病な弟子たちでしたが、聖霊の炎が降った時、弟子たちの罪は焼き滅ぼされ、力を受けて、輝き始めたのです。
 これは何でしょう。ろうそくです。このろうそくは、火を点けなければ、ただのろうのかたまりです。でも、これに火を点けると、暗闇の中に光を輝かせ、あたりを照らし、人々の役にたつ事ができるのです。
 それと同じように、私達も、イエス様を信じて、聖霊の火をいただく時に、光り輝くイエス様の証し人になることができるのです。

 ニューイングランドで起きた出来事です。小さな漁港からたくさんの漁を捕るために海に出ていきました。ところが、急に天気が悪くなって、嵐になったのです。漁師たちの奥さんやお母さん、子どもたちは一晩中、彼らのいのちだけでも助かってほしいと心を合わせて神様に祈りました。
 ところがそんな中、村のある家が火事になってしまったのです。踏んだり蹴ったりとはこのことです。さらに村の男たちは皆、漁に出ていたので、その火はなかなか消すことができませんでした。
 ところが、次の日の朝、幸いなことに、すべての漁船が港に無事たどり着いたのです。
帰って来た人の中には、火事に遭った家に住んでいた夫も混じっていました。
 彼が陸地に上がってきた時、彼の妻は泣きながら言いました。
「あなた。私たちはもうだめよ。家とすべてのものが焼けてしまったの」しかし、夫はこう答えたのです。
「その火事を起こされた神様に感謝しよう。すべての漁船を港まで無事に導いたのは、俺たちの燃えてしまった家の火の光だったんだから」
  この漁船は、燃えてしまったこの家族の家の光が見えたので、助かったのです。

 イエス様は、この家が全部燃えてしまったように、十字架で命を捨ててくださいました。しかし、イエス様は3日の後によみがえられて、今も輝いておられます。
 今は、暗い世の中です。東日本大震災に続いて、九州では、熊本大地震が起きて、恐れと不安な日々を過ごしています。そして、神様を知らない人は、暗闇の中を歩んで、永遠の滅びに向かっています。
 そのような中で、神様は、私達クリスチャンが、聖霊に満たされて、世の光として光り輝くことを心から求めておられます。私たちも、イエス様から聖霊の炎をいただいて、「世の光り」として輝きましょう。
 イエス様は、「あなたがたは世の光りである。」とおっしゃいました。わたしたちは、このろうそくのように光輝いているでしょうか。「私を聖霊に満たしてください。」と心から祈って、イエス様の愛の光を輝かさせていただきましょう。

(2)聖霊は、弱い私たちを証人として用いられる
使徒言行録1:8
「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
 ペトロは、イエス様が十字架にかかられる前に、大祭司の庭で、恐がって、3度もイエス様を知らないと言ってしまうほど臆病な人でした。でもイエス様はそのような弱く臆病なペトロに聖霊を満足された時、力を受けたのです。

 みなさんも、ペトロのようにイエス様のことを伝えたいのに、上手に話せなくて、尻込みする事がありませんか。でも、そんな弱くて足りない私達でも、聖霊の力に満たされるならば、信じられないような力が与えられるのです。
 聖霊というのは、ギリシャ語では「デュナミス」という言葉が使われていますが、この言葉は「ダイナマイト」という言葉の語源だそうです。ダイナマイトを山に仕掛けると、ドカーンと山をも崩してしまいます。そのような人間の力では考える事のできない力を神様は与えてくださるのです。

 あのモーセの事を思い出してください。あのモーセは弱い人でした。
 モーセは、エジプトに行って奴隷になっているイスラエルの民を救いなさいと言われた時、「私は、上手に話せません。私は口が重いのです。」と言いました。ところが、神様は「あなたに口をつけたのはわたしだ。わたしがあなたの口に言わなければならない事を教える。」(出エジプト4:10以下)と言われました。モーセは、聖霊の力によって神様の言葉を伝え、イスラエルの民をカナンの地に導いたのです。

 あのギデオンも弱く臆病な人でした。
 神様は、ミデオン人から、イスラエルの民を救うために、ギデオンを選ばれました。ところが、このギデオンは、ミデオン人が襲ってくるのが恐くて、酒舟に隠れて仕事をしていたのです。
 そんな気の弱いギデオンに神様は「勇者よ」と呼びかけたのです。そして、「主があなたと共におられます。」(士師記6:12)とおっしゃいました。
 そして、ギデオンをイスラエルの救いのために用いられたのです。

 私達も、自分の弱さを感じる時に、神様は聖霊を与えて下さって、ペトロやモーセやギデオンのように力を与えられて、イエス様の事を力強く証しする事ができるのです。

 5月9日に、菊田恵子さんの御主人、正志さんが天に召されました。
 菊田正志さんは、幼い頃、教会学校に通っていました。そして、いろいろ、人生の節目に、聖書を読んだそうです。
 例えば、酒田短期大学で講師をしていましたが、山形のホームセンターJOYに転職した時、家族を集めて、「野の花を見なさい」「空の鳥を見なさい」と山上の説教の箇所を読んだそうです。
 また、菊田恵子さんが、いろいろ悩んで苦しんでいた時に、「山形南部教会に行ったら良いよ。」と勧めてくださったのも、正志さんでした。
 そして、去年の5月に肺ガンが見つかり、自宅療養が始まりました。その病気との闘いの中でも、恵子さんに、聖書を読んで欲しいと言って、枕元で聖書を読んだそうです。 そのような時に、私たち夫婦で何度か、訪問をさせていただきました。
 私たちが行くと、美味しいコーヒーをご馳走してくださり、音楽や絵画など芸術について、いろいろお話しを聞かせてくださる、楽しい時を過ごさせていただきました。
 その中で、ダリという彫刻家の話を聞かせてくださって、チケットまで下さったので、福島の諸橋近代美術館まで、見に行ったことがありました。その時に、ダリの彫刻には、Yの字のつっかえ棒があって、それは、人は神様の支えがなければ生きていけないことを教えて下さいました。そして、そのYの字のつっかえ棒は、イエス・キリストの十字架を表しているのだとおっしゃいました。
 また、ユトリロという画家の話を聞かせてくださり、ユトリロの絵の多くに教会が書かれていて、その空は、青空が描かれている。それは、ユトリロの人生を表しているとお聞きしました。
 ユトリロは、幼い頃、貧しい家庭に育ち、暗闇の中を歩んでいるようでしたが、ある日、教会に行ってイエス・キリストを信じた時、救われて、暗闇の人生から、青空のように光の中を歩むことができた。その喜びが、ユトリロの描いた絵の、教会や青空に表されていると教えて下さいました。
 今考えると、そのダリの話や、ユトリロの話は、正志さんの信仰告白だったと思います。
「けれども、僕はなかなか、その神様を信じることができず、自分の力で生きて行こうと考えてしまうんですよ。」とおっしゃいましたが、その後に「自分が弱くなって行けば行くほど、神様が必要だと感じるようになって、神様が近くにおられる事を感じています。」と言われました。
  そして、最も弱さを覚えた、亡くなる5月8日のことです。私は、お会いすることができなかったので、手紙を書きました。それを、恵子さんに枕元で、読んで下さったのです。
 その手紙の中に、ヨハネ3:16を書きました。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
  そして、「イエス・キリストを信じるだけで、「永遠の命」が与えられると書いています。どうか、神様に支えられて、イエス様を信じて、「永遠の命」いただいて、青空のような素晴らしい人生を歩み出してください。」と書きました。
 その手紙にたいして、正志さんははっきりとうなづいたそうです。正志さんはイエス様を信じて永遠命をいただいたのです。
 その日の午後8時半には、天に召されましたが、神様は、正志さんを主の証し人として用いて下さったのです。
 その次の日、菊田正志兄の告別式が、家族葬という形でしたが、キリスト教式で行われ、集まられた家族や親族に、天国への希望のメッセージを伝えることが出来たのです。

使徒言行録1:8
「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
  聖霊に満たされる時、たとえ私たちは弱くても、力をいただいて、キリストの証人になることができるのです。
 今日は、ペンテコステです。ペトロや弟子たちが聖霊に満たされて、イエス様の事をお伝えしたように、私達も聖霊の満たされて、世の光として輝き、力強いキリストの証人として用いていただきましょう。


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Illustration by c-awase