5/22 主日礼拝

「主に会う備えをしなさい」出エジプト記19:10~25

 今日は、菊田恵子姉の証しを感謝します。御主人の菊田正志さんが、天に召されたばかりですから、本当に辛いと思いますが、その辛さの中に主が共におられる事が分かりました。
 また、菊田正志さんは、ガンを宣告されて、ちょうど一年間で天に召されましたが、この一年間、自分の人生を真摯に見つめられた日々を過ごされました。そして、最後に、イエス・キリストを信じる信仰を持って、「永遠の命」をいただいたのです。
 私たちは、いつ人生の終わりがやって来るか分かりません。そして、終わりの日に、主の御前に立たなければならないのです。その、主に会う備えができているでしょうか。

  今日の中心の御言葉は、10~11節です。
 「主はモーセに言われた。「民のところに行き、今日と明日、彼らを聖別し、衣服を洗わせ、11 三日目のために準備させなさい。三日目に、民全員の見ている前で、主はシナイ山に降られるからである。」

 イスラエルの民は、シナイ山に導かれました。シナイ山に導かれた目的が2つありました。
 一つは、先週お話しをしたように、神様との契約を結ぶためでした。イスラエルの民は、主との契約を守ることによって、神の宝の民となり、祭司の王国、聖なる国民とされるのです。
 もう一つの目的は、神様の栄光の輝きを目の当たりにし、生ける神の御声を直接聞くという素晴らしい特権に与らせるためでした。

 今日の聖書の箇所には、このシナイ山で、主にお会いする前に、主に会う備えをするように命じられたことが書かれています。
  この聖書の箇所から3つの事をお話ししたいと思います。

(1)主に会う備えをせよ
10~11節
「主はモーセに言われた。「民のところに行き、今日と明日、彼らを聖別し、衣服を洗わせ、11 三日目のために準備させなさい。三日目に、民全員の見ている前で、主はシナイ山に降られるからである。」
  神様は、イスラエルの民が、神様にお目にかかる前に、備えをするように命じられました。神様は、聖いお方ですから、どのような人も、汚れたままでは、神様の御前に出ることはできません。身も心も聖められた状態でなければ、神様の前に出ることは許されないのです。
 その聖潔の準備が、10~15節に、3つの事が命じられています。
①衣服を洗うこと
 10節に「主はモーセに言われた。「民のところに行き、今日と明日、彼らを聖別し、衣服を洗わせ、」
とあります。
 前に、ホサナの教師達が、礼拝の服装について話しをしていました。ホサナの礼拝は、ゲームをしたり体を動かしますので、ズボンをはいて、普段着で動きやすい姿で礼拝をささげます。そして、礼拝が終わると、礼拝のために椅子を並べて、分級をします。それから、主日礼拝ですから、本当に慌ただしい時です。そのような中で、着替えるのは大変です。
 しかし、神様に礼拝をささげるにふさわしい備えをしなければと話し合って、わずかな時間で、着替えて、礼拝に出席しています。それは、格好だけではなく、神様へ礼拝をささげる姿勢、心の備えです。神様は、その心を喜んで下さるのです。
 私たちが、礼拝に出席する時に、礼拝にふさわしい服を着ることも、聖なるお方に出会う大切な事です。
②シナイ山に境界を設けて、その境界には、絶対に触れないこと
12節
「民のために周囲に境を設けて、命じなさい。『山に登らぬよう、また、その境界に触れぬよう注意せよ。山に触れる者は必ず死刑に処せられる。」
  昔、メソジスト派の教会には、めぐみの座というのがあって、講壇の周りに柵が作られていました。そして、その中には、牧師や司会者など、礼拝の奉仕をする者だけしか入ることができませんでした。今でもそのような伝統を大切にしている教会があります。
  神様は、聖なるお方です。ですから、私たちは罪に汚れたままでは、主に近づくことはできないのです。もし、罪を示されるならば、罪を悔い改めて、イエス・キリストの十字架の血潮によって、清めていただいて、主の御前に出ましょう。
③性行為を慎むこと
「民に命じて、「三日目のために準備をしなさい。女に近づいてはならない」と言った。
  レビ記に、性行為についての細かい規定が記されています。ただここに書かれているのは「不道徳」な事だけを言っているのではありません。神様にお目にかかる時には、このような日常生活からも聖別されて、主をお迎えする備えをしなさいと命じられているのです。

 もちろん、服を洗うことも、汚れたままで聖なる神様に近づかないことも、日常生活から聖別されることも大切ですが、最も大切なことは、心の備えです。
 イスラエルの民は、聖なる神の臨在に触れる前に、よく祈り、罪をすべて神様に告白し、心をきよめておくことが必要でした。
 私たちも、よく祈り、罪を悔い改め、聖い心で、主の御前に出る備えをさせていただきましょう。

  ある女流作家が、身体の調子が悪くて病院に行きました。すると、偶然、お医者さんと家族の話し声が聞こえ、自分がガンである事を知りました。
 信仰が深かった彼女は、その日から自ら死の備えを始めました。会うべき人に会い、赦すべき人を赦し、謝るべき人に謝り、遺言状も書きました。また、遺産の整理もし、宣教師にも献金を送りました。
 ところが、身体の調子はそれ以上悪くなりませんでした。人から違う病院で診てもらった方が良いと勧められて、まさかと思いながらも別の病院に行きました。すると、ガンというのは誤診だった事が判明しました。
 その事を知った彼女に、ある人がこんな質問をしました。「あなたは、人生を整理するために多額の出費をされたでしょう。そのことを後悔していますか。」すると、彼女はきっぱりとこう答えたのです。「いいえ、私はこの数ヶ月のように、真摯な態度で人生と向き合った事がありませんでした。残りの人生も、そうやって生きていきたいと思いました。」
 死を告げられた、この女性が、自分の人生を真摯に生きたように、私たちも主のみ前に立つ備えをさせていただきましょう。
10~11節
「主はモーセに言われた。「民のところに行き、今日と明日、彼らを聖別し、衣服を洗わせ、11 三日目のために準備させなさい。三日目に、民全員の見ている前で、主はシナイ山に降られるからである。」
 イスラエルの民に、神様がその御臨在を示されると約束されたように、イエス・キリストは、再びこの地上に来られると約束されました。私たちは、再臨の主をお迎えする用意ができているでしょうか。
 今日は、菊田恵子さんの証しの中で、死の宣告を受けて、最後まで真実に生きてこられた菊田正志さんの生き様を伺いましたが、私たちも、いつまでこの世の命が続くかは分かりません。また、主の再臨の日が一日一日迫っています。その時に、私たちは神様の御前に立たなければならないのです。悔い改めるべき事があれば悔い改め、心を聖めていただき、主にお会いする備えをさせていただきましょう。

(2)主の聖なる臨在
16~17節
「16 三日目の朝になると、雷鳴と稲妻と厚い雲が山に臨み、角笛の音が鋭く鳴り響いたので、宿営にいた民は皆、震えた。17 しかし、モーセが民を神に会わせるために宿営から連れ出したので、彼らは山のふもとに立った。」
  いよいよ3日目の朝になりました。山の上には、雷鳴と稲妻と厚い雲が覆い、角笛の音が鳴り響いたので、宿営していたイスラエルの民は、みんな恐れて震えました。
 しかし、モーセは、その震えているイスラエルの民を宿営から連れ出して、シナイ山のふもとに立たせたのです。
 ついに、神様がイスラエルの民に、その御臨在を現したのです。
18節
「18 シナイ山は全山煙に包まれた。主が火の中を山の上に降られたからである。煙は炉の煙のように立ち上り、山全体が激しく震えた。」
  昨日までは、静かだったシナイ山が、全山煙に包まれ、主が火の中を山の上に降られ、山全体が激しく震えたのです。そのようなシナイ山を見て、イスラエルの民はどんなに恐れたことでしょう。
 やがて、その角笛の音は、ますます鳴り響き、モーセが語りかけると、神様は雷鳴をもって答えられました。

 次に主は、モーセだけを山の頂に呼び寄せました。そこでモーセは、山に登っていきました。ところが、この時、主はモーセを山から降りて行くように命じられました。12節の警告があったにもかかわらず、イスラエルの民のある者たちや、祭司たちが、主の姿をはっきり見ようと、山に近づこうとしたからです。
23~25節
「モーセは主に言った。「民がシナイ山に登ることはできません。山に境を設けて、それを聖別せよとあなたがわたしたちに警告されたからです。」24 主は彼に言われた。「さあ、下って行き、あなたはアロンと共に登って来なさい。ただし、祭司たちと民とは越境して主のもとに登って来てはならない。主が彼らを撃つことがないためである。」25 モーセは民のもとに下って行き、彼らに告げた。」
  神様は、私たち罪人がそのままでは近づく事の出来ない、聖いお方です。また、シナイ山にその御臨在を現されたように、威光と尊厳と栄誉に満ちた偉大なお方なのです。

 一人の女の子がいました。ある日、その子どもがお母さんに「神様はどこにいるの?」と尋ねました。するとお母さんは「神様はあなたの心の中にいるのよ。」と答えました。すると、その女の子は、「どうやって神様がこの中に入るんだろう。」と急に泣き出してしまったのです。この女の子にとって、神様は、罪に対して厳しく、恐ろしい存在だったのです。
 出エジプト記19章で神様が御臨在を現されて時、私たちの内側で黙っておられる方ではありません。神様が臨まれる時、山の上に雷鳴と稲妻と厚い雲に覆われ、角笛が鳴り響きました。何と恐ろしく、驚くべき姿ではないでしょうか。このような神様が私たちの内におられるとしたら、耐えられるでしょうか。
 神様は、このようにこの世で最も畏るべきお方です。神様は、人間の高ぶりと不従順に怒られます。

 しかし、ただ一つだけ、逃れる道があります。それは、イエス・キリストの十字架です。イエス・キリストは、私たちの罪のために、私たちの身代わりに十字架にかかって下さいました。その十字架の贖いによって、私たちは神の怒りから解放され、罪が赦され、聖められ、永遠の命が与えらるのです。

(3)シナイ山とシオンの山
 こうして主がイスラエルに近づいてくださいました。イスラエルは近づこうとしましたが、とにかく、ものすごい光景でした。「雷鳴と稲妻と厚い雲が山に臨み、角笛の音が鋭く鳴り響いたので」(16)す。主が聖なる方であることがここによく現われています。
 新約聖書で、律法が授けられたところのシナイ山と、もう一つの山、シオンの山について対比がなされているところがありますので、開いてみましょう。

 ヘブル人への手紙12:18~24(P418)を開いてください。ヘブル人への手紙はユダヤ人に宛てられた手紙です。
 イエス・キリストを信じたのだけれども、迫害のためにユダヤ教に戻ろうと考えている人たちがいるところで、出された手紙です。そこで著者は、古い契約が与えられたシナイ山と、新しい契約によって約束されているシオンの山を比べています。

 まず、18~21節をご覧下さい。(P418)
「あなたがたは手で触れることができるものや、燃える火、黒雲、暗闇、暴風、ラッパの音、更に、聞いた人々がこれ以上語ってもらいたくないと願ったような言葉の声に、近づいたのではありません。20 彼らは、「たとえ獣でも、山に触れれば、石を投げつけて殺さなければならない」という命令に耐えられなかったのです。21 また、その様子があまりにも恐ろしいものだったので、モーセすら、「わたしはおびえ、震えている」と言ったほどです。」
  ここに、出エジプト19章の出来事が書かれています。シナイ山は、まさに恐ろしい震え上がる山でした。

 ところが22~24節(P418)をご覧下さい。
「22 しかし、あなたがたが近づいたのは、シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム、無数の天使たちの祝いの集まり、23 天に登録されている長子たちの集会、すべての人の審判者である神、完全なものとされた正しい人たちの霊、24 新しい契約の仲介者イエス、そして、アベルの血よりも立派に語る注がれた血です。」
  シオンの山とは、聖書の最後、黙示録20章、21章のところに出てくる山を現しています。
ヨハネの黙示録21:1~4(P477)
「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。2 更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。3 そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、4 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」
 ここには新しいエルサレムのことが書かれています。その栄光と輝きを想像してみてください。そして、「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」という宣言なされています。そして、そこは恐れ震えるのではなく、神様が共におられ、御使いといっしょに素晴らしい天国で大宴会が開かれているのです。 このような素晴らしい場所に私たちが招かれているのです。それは、新しい契約の仲介者であるイエスが、私たちの救いのために十字架の血を流して下さったからです。ただイエス・キリストを信じるだけで、このような素晴らしい「永遠の命」が与えられるのです。

 19世紀の偉大な伝道者D・Lムーディーはこう言っています。
「いつかあなたは、新聞で、イースト・ノースフィールドのD・Lムーディーが、死んだという記事を読むでしょう。あなたは、その言葉を一言も信じないようにしてください。その時、わたしは現在以上に生きているのです。わたしは更に高く上っているのです。これがすべてです。この古い土のすみかから、不朽の家へ、死も触れることができず、罪も汚すことのできないからだへ、イエスの栄光のからだに似たからだへ移っているのです。」

 このようにヘブライ人への手紙には、シナイ山とシオンの山が対照的に書かれていますが、私たちは、旧約時代のイスラエルのように、シナイ山に姿を現された、神様に近づいているでしょうか?自分が何か悪いことをしたら、神さまが怒られているのではないかと思って、びくびくしながら近づいているでしょうか?
 そう考えるのは、イエス・キリストの十字架の愛と復活の信仰がはっきりしていないからです。
 私たちが近づいているのは、黒雲と煙が立ち上がっているシナイ山ではなく、シオン山です。主が、私たちが神に近づくことができるためのすべてのことを、イエス・キリストはあの十字架で、ご自分の血とその肉体によって成し遂げてくださったのです。だから、私たちは聖められて、大胆に神に近づくことができるのです。

  このイエス・キリストを救い主として受け入れることこそが、「主に合う備え」です。
 キリストの血によって贖われた、私たちにも、間もなく主の再臨の時、再臨の主にお会いする時がやってきます。

Ⅰテサロニケ4:16~17(P378)
「すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、17 それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。18 ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。」

  やがて、主の再臨の日がやってきます。その時には、まず、死んだ者たちが最初に復活し、それから生き残っている者が、空中で主とお会いするために、彼らと一緒に雲に包まれて、引きあげられます。このようにして、私たちはいつまでも主と共にいることができるのです。
 私たちは、再臨の主にお会いする準備ができているでしょうか。罪を告白して悔い改め、心を聖めていただき、主に会う備えをさせていただきましょう。

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主日礼拝 Worship

毎週日曜日 10:15〜

 

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毎週日曜日 16:30〜

集会案内

 

フィリア手話の会

毎週火曜日 11:00〜

 

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毎週土曜日   8:45〜

                       9:35〜

毎週木曜日 16:00~

 

祈り会(昼)

毎週水曜日  10:30〜

 

祈り会(夜)

毎週水曜日  19:30〜

 

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Illustration by c-awase