6/12 (黒田愛子牧師追悼礼拝) 主日礼拝

「神の恵みによって」Ⅰコリント15:1~11

 山形南部教会を1959年に開拓され、29年間牧会伝道された、前任牧師の黒田愛子先生が6月8日朝9時31分に誤嚥性肺炎のために92歳で天に召されました。
 黒田先生の遺言によって、葬儀は行わず、すぐ献体の手続きがなされて、その日お昼には東京女子医大白菊会に運ばれたそうです。すべてが終わったら1~2年後、米沢興譲教会の墓地に埋葬されるとのことです。
 今日は、その黒田愛子先生を通して与えられた恵みを覚えながら、Ⅰコリント15:1~11から御言葉を取り次がせていただきたいと思います。 

 今日の中心の御言葉は、10節です。
「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。」

  ここでこの手紙を書いたパウロは、「しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。」と言っていますが、黒田愛子先生も、共におられる神の恵みによって、伝道者としての57年の働きをして来られました。
 黒田愛子先生が、伝道者として何を伝えてこられたのでしょうか。
 今日の聖書の箇所は、教会の最初の信仰告白です。この御言葉から、黒田先生が語ってこられた福音と、先生を通して与えられた恵みをお証ししたいと思います。
 今日読んでいただいた聖書の箇所から3つの事をお話しさせていただきたいと思います。
(1)十字架と復活の福音
1~2節
「兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。」
  パウロが伝えた福音の内容は、イエス・キリストの十字架と復活でした。この二つは、キリスト教の信仰の礎石、土台です。
  それは、クリスチャンであれば、誰でも信じていることで、「イエス様が、わたしたちの罪のために十字架にかかってくださって、三日目によみがえられて今も生きておられるということを信じる事です。」
 それが、わたしたちの信仰の土台です。そして、土台がなければ家が建たないように、この十字架と復活の信仰がなければ、決してクリスチャン生活を過ごす事は出来ないのです。
 そして、その信仰という土台は、しっかりとした土台でなければならないのです。
パウロは2節でこう言っています。
「どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。」
 十字架と復活の福音こそが、わたしたちの人生の土台です。

 人は、必ず死んでいきます。死だけは、全ての人に平等に与えらます。死は、貧富の差や、教養の差、地位や、年齢に関係なく人に与えられるからです。
 人は、この地上での生活のためには、準備をします。例えば、事故にあったり、病気になったりした時のために保険に入ったり、老後のためには貯金をしたりします。また、この世での生活を快適に過ごすために土地を買ったり、家を建てたりします。けれども、案外死のためには備えをしてはいないのではないでしょうか。死を迎える備えができているでしょうか。

 この死にたいする備えは何でしょうか。それが、今日、お話ししている十字架と復活の福音なのです。イエス様は、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は死んでも生きる。」(ヨハネ11:25)とおっしゃいました。なぜなら、イエス様御自身が、全人類の罪の身代わりに十字架にかかって死なれ、黄泉にまでくだられましたが、その死を打ち破って、三日の後によみがえられたお方だからです。
 ですから、このイエス・キリストを信じる者には、永遠の命が約束され、人生を終えて死を迎えた時、わたしたちは、天国に行く事が出来るのです。
 また、死ぬことなく天国に行く可能性もあります。それは、イエス・キリストの再臨です。わたしたち死ぬ前に再臨の主が来られたら、その時、わたしたちは栄光の体を与えられて、死ぬことなく天国に行く事が出来るのです。
 黒田愛子先生は、この十字架と復活の福音を語り続けられました。そして、この御言葉通りに、罪に打ち勝ち、死に打ち勝って、天国に召されていかれたのです。
 わたしたちも、黒田先生に倣って、十字架と復活の福音を人生の土台にして、最後まで、信仰を全うさせていただきましょう。

(2)福音の内容
3~9節
「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。」
  この箇所は、ケリュグマと呼ばれ、教会に与えられた最初の信仰告白とも言われる聖書の箇所です。
 パウロが、最も大切なこととして伝えたのは、パウロ自身が考え出したり、思いつきを語ったものではなく、パウロ自身も受けたもので、イエス様の直弟子から伝えられた事であり、教会の伝承となっていた事でした。
 この聖書の箇所には、4つの大切な内容が書かれています。
①キリストの死
 「キリストが聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと。」このことは、イザヤ書53章4~8節にも預言されている事で、イエス・キリストが十字架上で死なれたのは、誰もが認める確実な歴史的な事実です。イエス・キリストは、罪を犯してしまった全人類のため、わたしの罪のために十字架にかかって死んでくださったのです。
②キリストの埋葬
「葬られたこと」とありますが、葬られた事は、確かにイエス・キリストは十字架にかかって死なれたという証拠です。弟子たちをはじめ、アリマタヤのヨセフや、ニコデモなどは、確かに十字架にかかられて、葬られたのをその目で見て確認をしたのです。
③キリストの復活
「また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、」  ここに「聖書に書いてあるとおり」とあるように、詩編16編10~11節には、
「あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく/あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず、命の道を教えてくださいます。わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い/右の御手から永遠の喜びをいただきます。」とあり、使徒言行録2章27節でも引用されています。
  イエス様は、聖書に書いてあるとおり、復活されたのです。
④キリストのよみがえりのお姿(顕現)
 イエス様は、よみがえられただけではなく、その姿を多くの人の前に現されました。その事によって、イエス・キリストが確かによみがえれた事を証明されたのです。
そのことが5節以下に書かれています。
「ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。」
  復活のキリストは、ケパに対して一度だけ現れたのではありませんでした。引き続き、12人に現れ、そればかりか、500人以上の弟子たちに同時に現れたのです。そして、その証人の中には、死んでしまった人達もいますが、ほとんどの人が今も生きているというのです。

 イエス様は、確かに十字架にかかられ、葬られ、三日の後によみがえられ、今も生きておられます。そして、パウロに現れてくださった神様は、わたしたちにも、よみがえりのイエス様との出会いを与えてくださり、このイエス様と共に歩む事が出来るのです。 その証拠は、みなさん一人一人です。わたしたちは、弟子たちのように、肉体をもってよみがえられたイエス様に出会う事は出来ません。しかし、わたしたちがイエス・キリストを信じる事ができたのは、よみがえりのイエス様が今も生きて働いておられる証拠です。ここに、書かれている人達のように、わたしたちもキリストの証人として用いていただきましょう。

(3)わたしと共にある神の恵みによって
9~10節
「わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。」
  パウロは、まず9節で、「わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。」と言っています。
  パウロは、かつて神の教会の迫害者でした。ですから、パウロは9節で、「わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。」と告白しています。
 ところが、そのような前科を持っているにもかかわらず、パウロは復活の証人とされ、使徒として召されたのです。そのことについてパウロは、何と言って感謝して良いのか分からない恵みだと言っています。
10節
「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。」
  パウロは、無に等しい、救われる価値のない、自分が神様の一方的な恵みによって救われ、伝道者として召され、他のすべての使徒たちよりも多く働いた事を喜んでいます。しかし、パウロは、自分を少しも誇ろうとはしていません。それどころか、「しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。」と言って主に栄光を帰しているのです。
 パウロが、このように主のために誰よりも多く働く事が出来たのは、神の恵みによるものであると、すべての栄光を神に帰しているのです。
 「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。」

 この御言葉は、92歳で天に召された、黒田愛子先生も、同じように感じでおられた事だと思います。黒田愛子先生から伺った恵みの証しです。
 黒田愛子先生は、1924年4月28日誕生され、若い頃小学校の先生をしておられたと聞いています。結核のため米沢の病院に入院しておられましたが、その時に、米沢興譲教会で当時牧師をしておられた、田中美男先生が来られたそうです。黒田先生は、余命3年と言われ、もう死んでしまいたいと思っていましたが、どうせ死ぬなら、清らかな牧師の姿を見て死のうと思って、その日の集会に出られのです。
 清らかな牧師にあいたいと思って出席したのですが、思っていたような姿ではなく、つばを飛ばしながら真剣に話すので、もう帰ろうと思って後ろを見ましたが、後ろは人で一杯です。そこで、仕方なく聞いていたのですが、そのお話しの最後の方で話された十字架の話しが、黒田先生の心を捕らえたのです。
 わたしの罪のために十字架にかかって、三日の後によみがえられたお方がいらっしゃる。そのイエス・キリストの福音を聞いた時、心の中にあたたかいものを感じました。それから、その集会に何度も通うようになり、イエス・キリストを心から信じて、1955年5月15日心の中に生きる希望が与えられたのです。

  先生は、病院で出会った夫黒田末松兄と結婚をされましたが、愛する御主人は次の年1956年4月1日に天に召されました。深い悲しみの中にある黒田先生をこのままにしておいてはならないと思った田中美男先生は、黒田先生を、深い悲しみから癒されるために東京の淀橋教会を紹介されたのです。
 ところが、何を勘違いしたのか、当時の淀橋教会の牧師小原十三司牧師は、米沢から献身者が送られてきたのだと思い、東京聖書学校に入学させてしまったのです。黒田先生は、そのことを神様の御胸と信じ、真剣に勉強に取り組みました。

 そして、東京聖書学校卒業後、1959年に山形に遣わされたのです。小原先生には一つの計算がありました。それは、弾圧の時に散らされていった信徒が集まって、先生を助けてくれると思ったのです。ところが、山形に来てみると、一番頼りにしていた信徒が、どうしてもこの群に集う事が出来ないということが解りました。小原先生は、「もう、帰ろう。」と黒田先生におっしゃいましたが、黒田先生は、わたしは山形に遣わされたのだから、ここで伝道しますとここにとどまる決意をされたそうです。
 それからの山形での伝道は、困難なものでした。最初は三畳一間での伝道から始まりました、この美畑町に移ってからも、最初は長屋の六畳二間で、土曜日は土曜学校、日曜日は礼拝のために、一間を片づけて集会が持たれたのです。そのような困難な伝道を、病弱な女性か一人で行うと言うことは、本当に大変だったと思います。

 そして、とうとう伝道に行き詰まってどうしようもなくなった時、神様は素晴らしい御業をなさってくださったのです。今はもう天に召された鈴木長右エ門兄が、「先生、教会を建てよう。」と言って、1976年8月に見る見る間にこの会堂が建てられたのです。それは、神様から与えられた、人知をはるかに越えた恵みでした。
 先生は、児童伝道に力を入れられ、原田陽子姉や、井樋美香さんや今野 忍さん鹿子木優子さんやなどが救われていったのです。そして、先生が山形を移られて25年も経って、丹羽美代子さんが、救われたのも黒田愛子先生の種まきによるものでした。
 今でも、時々「子どもの頃南部教会に行っていました。」という人があらわれて驚かされる事があります。そのようにして、教会が建て上げられ、御言葉の種蒔きがなされ、教会の土台を黒田先生をはじめ、信仰の先達が作ってこられたのです。

 1988年、3月黒田先生は健康上の事もあり、山形南部教会を退かれました。その後、しばらくの休養の後、東京聖書学校で教鞭をとられ、聖書地史を教えられることにました。神学生の教育のために用いられたのです。
 それから2年後、黒田先生は、小見川教会に遣わされました。そこでも、大変な戦いがありました。しかし、黒田先生は聖書の御言葉に立って、その戦いに戦い抜かれたのです。すると、ある時、真の悔い改めが起こり、それまで、暗かった教会が明るくなり、ある先生が問安に来られた時には「小見川教会は、本当に変わりましたね。大輪の花が咲いているようです。」と言われるほどになったと伺いました。

 小見川教会で良い働きをされ、いつまでも小見川教会にいてください。と言われていた先生でしたが、かつてから病んでおられたリュウマチやメヌエル氏病が悪化し、惜しまれながらも、信愛荘という日本基督教団の老人ホームに入所されました。
 そこでも、先生はメッセージを語り、豊かに用いられました。
 先生は、お訪ねした時、こんな話しをしてくださったことがありました。「わたしは、今まで何度かプロポーズを受けた事があったのよ。でも、結婚なんて考えられなくて全部その場で断ってしまいました。でも、今まで、ずっとイエス様と歩んで来られたのは、何にも代え難い大きな恵みです。」黒田先生はキリストの花嫁として生涯を献げられたのです。そして、「わたしが死んだら、黒田愛子という私の名前を残さないでください。今まで生かされてきたのは、神様の恵みだから、栄光は神様だけにあるようにしてください。」私の体も、献体するように申し出ているので、全ての栄光を神様にお委ねして天国に行きたいと思っています。
 そして、その言葉通り、92歳で、57年の伝道者生活を全うされて、2016年6月8日誤嚥性肺炎のため、天に召されたのです。
 「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。」
 黒田愛子先生の生涯を一言で言うなら、パウロがそうであったように、この御言葉に言い尽くされるのではないでしょうか。

 最後に原田陽子姉に託された黒田愛子先生の手紙の一文を紹介したいと思います。
「開拓という業は、一代では成り立ちません。わたしはその捨て石です。次の代、次の代、次の代と花咲けば満足です。・・・神様は、短期の間に教会堂を建て、墓地を備え、二種教会へと栄光をあらわしてくださいました。・・・神様は、必要な時に必要な者を用いて下さり、形あるものにしてくださるお方です。」
 この手紙を読みながら、私は、わたしたちに与えられた遺言のように感じました。
  山形南部教会は、神様の恵みによって建てられた教会です。そして、その宣教というバトンをわたしたちが引き継ぎました。今、新会堂建築という大きなチャレンジが、わたしたちに与えられていますが、黒田先生が、「神様は、必要な時に必要な者を用いて下さり、形あるものにしてくださるのです。」と言われています。そのように、わたしたちも神様の素晴らしい御業を見せていただきましょう。

最後にもう一度10節を読みましょう。
「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。」
 黒田愛子先生は、十字架と復活の「恵み」に預かって、その「恵み」を語り続けて天に召されていきました。わたしたちも、「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。」  と神様の恵みに生かされ、その恵みに答えるお互いでありたいと思います。


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Illustration by c-awase