7/24 主日礼拝

「神を畏れ罪を犯させないため」出エジプト20:18~26

 今日は、川上則子姉のお証しを伺うことができ、感謝です。則子さんを救ってくださり、いろいろな困難な中でも共にいて、支えてくださる神様の御名を崇めます。
 今日の聖書の箇所は、モーセが十戒をいただいた時、主の臨在に触れたイスラエルの民の姿が書かれています。

 シナイ山で与えられたモーセの十戒を学んできましたが、今日の聖書の箇所には、そのモーセの十戒が与えられた目的が書かれています。そして、イスラエルの民が礼拝をささげるために大切な祭壇についてのことが語られています。
 そして、イスラエルの民が、神様にふさわしくない礼拝をささげる罪を犯すことがないように、正しい礼拝について語られました。

今日の中心の御言葉は20節です。
「モーセは民に答えた。「恐れることはない。神が来られたのは、あなたたちを試すためであり、また、あなたたちの前に神を畏れる畏れをおいて、罪を犯させないようにするためである。」

 今日の箇所は、大きく2つに分かれていますが、この御言葉から主の御声を聞かせていただきたいと思います。

 

(1)神様が戒めを与えられた理由
20節
「モーセは民に答えた。「恐れることはない。神が来られたのは、あなたたちを試すためであり、また、あなたたちの前に神を畏れる畏れをおいて、罪を犯させないようにするためである。」

 神様は、モーセをシナイ山に呼び、イスラエルの民にモーセの十戒をお与えになりました。
 その有様は、雷鳴がとどろき、稲妻が光り、角笛の音が鳴り響き、山が煙に包まれて、まさに主の御臨在を明らかにするものでした。
 そのような中で、神様はイスラエルの民に、人生の中で最も重要な十戒を与えられたのです。イスラエルの民は何と素晴らしい特権に与ったことでしょうか。
 ところが、直接神の声を聞いた時、イスラエルの民は非常に大きな恐れと不安を感じました。そして、モーセに、こう言ったのです。
19節
「モーセに言った。「あなたがわたしたちに語ってください。わたしたちは聞きます。神がわたしたちにお語りにならないようにしてください。そうでないと、わたしたちは死んでしまいます。」
  モーセにとっても、この神の臨在に触れるという経験は、畏るべき経験でした。その時のことが、ヘブライ12:21には、「また、その様子があまりにも恐ろしいものだったので、モーセすら、「わたしはおびえ、震えている」と言ったほどです。」と書かれています。
 なぜ、神様は、直接イスラエルの民に語られたのでしょうか。その理由が20節に書かれています。
 「モーセは民に答えた。「恐れることはない。神が来られたのは、あなたたちを試すためであり、また、あなたたちの前に神を畏れる畏れをおいて、罪を犯させないようにするためである。」
  神様が、その臨在を現され、イスラエルの民に語られたのは、彼らが本当に神様を畏れて、罪を犯すことのないようになるためでした。ですから、この時、もっと神様の御言葉を求めるべきでした。
 なぜなら、いつも直接神様からの御声を聞くことは、彼らを罪から守ることになったからです。しかし、彼らは、「神がわたしたちにお語りにならないようにしてください。そうでないと、わたしたちは死んでしまいます。」と神様の御声を聞くことを拒否してしまったのです。

 しかしこの時、モーセだけは、この主の御臨在の恐るべき光景の中でも、神様の御声を聞くことも、神様の臨在に近づく事も拒否しようとはしませんでした。その結果、この時から、神様はいつでもただモーセにだけ語り、イスラエルの民はモーセを通してでしか、主の御声を聞くことが出来なくなってしまったのです。

 わたしたちは、どうでしょうか。主の御声をいつも、心から求めているでしょうか。
詩編42:2で詩編の作者が
「涸れた谷に鹿が水を求めるように/神よ、わたしの魂はあなたを求める。」と歌っているように、また、この時のモーセのように、もっともっと神様と神様の御声を心から求める者でありたいと思います。

 

(2)契約の書の序文 
  しばらくすると、イスラエルの民は、遠く離れて立ち、モーセだけが、神様のおられる密雲に近づいていきました。
 そこで、神様はモーセにイスラエルの民の社会生活を導くために、様々な教えを与えられました。

 20章に十戒が書かれていますが、20:22それに続いて23:33までは、「契約の書」と言われる箇所です。そして、20:20~26には、21章から始まる「契約の書」の序文にあたる箇所です。この序文には、3つのことが書かれています。

①偶像を造ってはならないという命令
 まず、最初に命じられていることは、再び偶像について命じられています。
23節
「あなたたちはわたしについて、何も造ってはならない。銀の神々も金の神々も造ってはならない。」
  神様は、なぜ、ここで再び、偶像を禁じる掟を繰り返されたのでしょうか。
 それは、神様の臨在に触れ、神様の御声を聞いたイスラエルの民に、神様こそが唯一の神であることをはっきり認識させるためでした。
 私たちは、クリスチャンですから、銀の神々も金の神々も造って礼拝をしたりしません。けれども、神様よりも自分自身を頼りにするという、自己中心という偶像が私たちの心の中にないでしょうか。

 アメリカで「ジーザス・ムーブメント」の中心人物であったチャック・スミス先生がご自身の本の中でこのように告白しておられました。
 「わたしは機械的に物事を考えます。ですから、私の車のエンジンがストップしてしまった時に、奇跡を祈るのは本当に難しいことなのです。コイルが弱っているとか、ポイントがだめになっているとか、バッテリーがあがっているなどとわかっていると、神が車を走らせてくださるという信仰を失ってしまうのです。
 『ああ神様。この車をどうか動かしてください』とは祈れなくなってしまうのです。
  しかし、私の妻は機械のことは何一つわかりません、車のボンネットの中など、ほとんど見たことがないのです。ラジエータや潤滑装置のことなど、何も知りません。ですから車が故障すると強い信仰を発揮するのです。私が『どうしたらいいんだろう』と言うと、彼女はすかさず『祈りましょう』といいます。
 『何を言ってるんだい。こういうことは祈ってもだめなんだよ。これは機械的な問題なんだからね』
 しかし、妻は頭を垂れて祈ります。
 『主よ、どうか今この車を動かしてください。私たちが行かなくてはならないのを主はご存じです。天のお父さま、感謝します。イエス様の御名によって祈ります』
 そして言います。『さあ、もう一回エンジンをかけてみて』『だめに決っているじゃないか』と私は言うのですが、妻が言い張ります。『いいから、もう一度やってみて』
 すると、何とエンジンがかかるではありませんか!」
23節
「あなたたちはわたしについて、何も造ってはならない。銀の神々も金の神々も造ってはならない。」
  私たちは、ともすると、自分の知恵や経験が、偶像となってしまい、神様への信頼や祈りが、おろそかになっていないでしょうか。
 この時、イスラエルの民が、神様の臨在を体験し、御言葉を聞いたように、神様だけが、全知全能の唯一の神様です。すべての偶像を捨てて、神様だけを信頼し心からの礼拝をささげましょう。

②祭壇といけにえについて
 次に、神様に近づく方法が示されました。それは、祭壇といけにえによるものです。
24~25節
あなたは、わたしのために土の祭壇を造り、焼き尽くす献げ物、和解の献げ物、羊、牛をその上にささげなさい。わたしの名の唱えられるすべての場所において、わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する。25 しかし、もしわたしのために石の祭壇を造るなら、切り石で築いてはならない。のみを当てると、石が汚されるからである。」
  まず、土の祭壇を造り、全焼のいけにえと、和解のいけにえをささげるようにと命じられ、次に石の祭壇を造るに当たっての注意事項が書かれています。
 イスラエルの民は、罪を犯してた時、傷のない小羊が屠られて、全焼のいけにえを神様にささげなければなりませんでした。
 しかし、神の子であられるイエス様は、私たちの罪のために、屠られた小羊のように十字架で命を捨ててくださって、私たちの罪の身代わりになってくださったのです。

  出エジプトの時に、神様は、ファラオが心を頑なにしたので、いくつもの災いを起こしますが、その最後に、長子の命を奪うという大変な災いを起こされたのです。
 その時、イスラエルの人々は、あの過ぎ越しの夜に、小羊をほふり、入口の柱にその血を塗りました。それは、死の使いがその家を過ぎ越すためでした。
 その時命じられたことが、出エジプト記12章21~23節(P112)にこう書かれています。
「モーセは、イスラエルの長老をすべて呼び寄せ、彼らに命じた。「さあ、家族ごとに羊を取り、過越の犠牲を屠りなさい。 そして、一束のヒソプを取り、鉢の中の血に浸し、鴨居と入り口の二本の柱に鉢の中の血を塗りなさい。翌朝までだれも家の入り口から出てはならない。主がエジプト人を撃つために巡るとき、鴨居と二本の柱に塗られた血を御覧になって、その入り口を過ぎ越される。滅ぼす者が家に入って、あなたたちを撃つことがないためである。」
  この時、イスラエルの民は、一束のヒソプで塗られた過越の小羊の血によって救われました。
 ですから、このヨハネが、ヒソプの枝を用いたことを書いたことで、これを読んだユダヤ人は過越の小羊を思い出したに違いありません。
 ヨハネは、このことを通して、イエス様が、全人類を罪から救う神の小羊であるいうメッセージを私達に伝えているのです。

  この過越の出来事に似たことが、昔、あったことがある本に書かれていました。
 中世のヨーロッパで、残酷な血生ぐさい戦いがありました。一人の指揮官が、ある町の住民を、女も子供も一人残らず殺してしまえと命令を出しました。すぐに、残忍極まる兵士たちが、何の防備もない町に侵入したのです。
 そこにたまたま一人の逃亡者が通りかかりました。その逃亡者がみていると、一団の兵士が家に乱入して、家の中の人々を刀で刺し殺すと、その家を引き返す時に、この家の人たちを殺したという証拠に、血の付いた布を扉にたたきつけて印を付けていったのです。
 それを見た、この一人の逃亡者は、必死になって走り続けて次の町に行きました。そこには、大勢の人々が隠れていたのです。そこで、彼は自分の見たことを話すと、すぐに、一匹の小羊がいたので、それをほふって、その血を扉の上に塗ったのです。
 扉をしめるとすぐに、一隊の兵士がなだれ込んできました。しかし、その血痕の付いている扉を見ると、彼らは、すでに他の兵士たちが入って、この家の人たちを殺してしまったのだろうと思って、立ち去ってしまったのです。
 このようにして、周りの多くの人たちは殺されてしまいましたが、この小羊の血の付いた扉の中にいた人たちは救われたのです。

  イエス・キリストという御方は、この小羊のように私達の身代わりに十字架で命を捨ててくださったのです。その尊い血潮によって、私達は、永遠の救いに入れられたのです。

③高ぶった心を捨て、謙った謙遜な心を持つように
「26 あなたは、階段を用いて祭壇に登ってはならない。あなたの隠し所があらわにならないためである。」
 異邦人は、できるだけ高いところに祭壇を造って天に近づくなら、神々に受け入れてもらえると考えていました。そこで、階段を用いて祭壇に登りました。そのために隠し所があらわになってしまったのです。
 しかし、神様が求めておられるのは、高い祭壇を造ることではありません。大切なのは神様の御前に心が高められることです。神様は、砕けた悔いた心を軽しめられないのです。
 詩編51:18~20
「18 もしいけにえがあなたに喜ばれ/焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら/わたしはそれをささげます。19 しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を/神よ、あなたは侮られません。」

 三浦綾子さんの本「あさっての風」にこのような話があります。
 三浦さんが結婚をして二年後に、雑貨屋を始められた頃でした。
 その年の暮れに書いた彼女の手記「太陽は再び没せず」が「主婦の友」に載り、賞金20万円を受け取られたのです。
 すると彼女が病気の時から指導していた、白洋社の五十嵐健治氏から「人間は恵まれたときが一番警戒を要する時です。それは既にご存じのことですが、ますます己を空しうして、神に信頼なさるように、お得意にならないようにしてください。」という手紙が届きました。
 綾子さんのご主人はありがたい忠告だとその手紙を額に入れて飾られたのだそうです。
 それから2年して「氷点」が朝日新聞の懸賞小説に入選しました。
 綾子さんはそのことを役所で働いておられるご主人に電話で知らせたところ、「そう、それはよかったね。」と静かな声で返事があり、電話が切れたのです。
 仕事を終えて帰宅したご主人が「五十嵐先生のことばを忘れてはいけないよ。人間はほめられるときが危険なのだ。人間だれでもほめられるとうれしくなる。ほめられると人間はバカになるからね。」と言ったのです。彼女はこの戒めをもって、有頂天になるまいぞと自分を戒しめたそうです。
 この謙遜な心を持ち続けて、三浦綾子さんは生涯80以上もの作品を生み出すことができたのですね。
「高慢には軽蔑が伴い/謙遜には知恵が伴う。」(箴言11:2)
 神様は、イスラエルの民が、神様の臨在に触れ、神様の御言葉をいただくという素らしい経験をした時、26節で
「26 あなたは、階段を用いて祭壇に登ってはならない。あなたの隠し所があらわにならないためである。」と戒められました。
  私たちも、素晴らしい経験をした時、また、人からほめられた時、へりくだって、神様に栄光を帰すものとさせていただきましょう。

20節
「モーセは民に答えた。「恐れることはない。神が来られたのは、あなたたちを試すためであり、また、あなたたちの前に神を畏れる畏れをおいて、罪を犯させないようにするためである。」

  神様は、「神を畏れ、罪を犯さないように」イスラエルの民に、御臨在を示され、十戒を与えられました。

 そして、その契約の書を与えて下さった神様は、唯一のお方であり、私たちの罪のいけにえとして独り子を送ってくださったお方です。そのお方の御前に謙って、心からお従いしていきましょう。


WE LOVE YAMAGATA
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Illustration by c-awase