8/28 主日礼拝

「無償で自由の身となる」出エジプト21:1~17

 「キャラバン伝道」のために、お祈りをありがとうございました。今回、初めて宣教部主催「キャラバン隊」が、上大岡キリスト教会で行われました。
 上大岡キリスト教会は、川上 悟兄が設計された教会で、去年の四月に建てらました。その建物が建てあげられる一年間に、小規模保育の認可のこと、確認申請のこと、また支払いのことなど、神様の素晴らしい奇跡によって建てられた教会です。
 そして、今回その教会でキャラ団伝道ができたことは本当に感謝な事でした。青年部や、神奈川・東京南教区の協力をいただいて、子ども会や映画会、元劇団四季の主演女優の佐渡寧子さんのソング&コンサートやウェルカムパーティーなど素晴らしい集会が行われました。
 今回、新しい方が5名、しばらく教会を離れておられたご夫妻が久しぶりに教会に来られて大きな喜びの時でした。そして、すべての集会が入場無料で行われました。入場無料というのは魅力的ですが、神様が与えて下さる救いの恵みは、無償で与えられるのです。

 今日の中心の御言葉は、2節です。
「あなたがヘブライ人である奴隷を買うならば、彼は六年間奴隷として働かねばならないが、七年目には無償で自由の身となることができる。」
  今日は、「無償で自由の身となる」という題で、御言葉を取り次がせていただきます。

 21章からは、今日で言う民法や刑法について書かれています。
 神様によって贖われた民は、主のために聖別された民として、神様から与えられた律法を守る生活をしなければなりません。
 もし、律法がなければ、何が悪で何が正しいのかがわからない無秩序な社会になってしまいます。神様から選ばれた聖なる民が、神様の喜ばれる正しい生活をするためには、律法はどうしても必要なものでした。
 今日は、21:1~11の奴隷についての定めと、12~17節の死刑についての定から主の御声を聞かせていただきたいと思います。

(1)奴隷についての定め
 この定めは、奴隷についての定めから、始まっています。なぜ、奴隷についての定めから始まっているのでしょうか。少し考えてみて下さい。
 それは、イスラエルの民が、かつてはエジプトで奴隷だったからです。そのイスラエルの民が、一方的な神のあわれみによって、解放されたからです。レビ記や申命記で神様はイスラエルの民に、自分がかつて自分が奴隷であったこと、そして、その奴隷から神様の憐れみによって贖い出されたことを思い出して、奴隷に対して思いやりを持つようにと勧めています。
レビ記25:42、43(P204)
「42 エジプトの国からわたしが導き出した者は皆、わたしの奴隷である。彼らは奴隷として売られてはならない。43 あなたは彼らを過酷に踏みにじってはならない。あなたの神を畏れなさい。」

 ここには奴隷についての主の恵みが3つ書かれています。
①奴隷から解放された者として
1~2節
「以下は、あなたが彼らに示すべき法である。あなたがヘブライ人である奴隷を買うならば、彼は六年間奴隷として働かねばならないが、七年目には無償で自由の身となることができる。」
 この定めは、天地創造に依頼します。神様は、6日間で天地創造をされ、7日目を安息日と定められました。

 この夏、天童高原キャンプ時用で、ホサナサマーキャンプが行われました。二日目に、紅葉ヶ丘渓谷を2時間くらいかけて、歩きました。すると、きれいな川にニジマスがいたり、とんぼやチョウチョがいました。また、ゴール地点には、大きな滝が流れていて、そこで十字架の形をして、滝に打たれた人たちもいて、自然を満喫しました。夜は、キャンプファイヤーをしましたが、キャンプファイヤーの火が消えかかって暗くなった時、夜空を見ると、満天の星が輝いていました。

 神様は、天地創造をされた時、私たちを愛するが故に、この素晴らしい自然を造って下さったのです。そして、7日目は、その天地創造をされた神様を礼拝するように、安息日を定められました。
 その神様からの一方的な恵みを覚えて、奴隷達も、7年目には、無償で自由の身とするようにというのが、この定めです。
 そして、七年目の無償の自由だけでなく、奴隷に対して、他にも主の恵みが定められています。

②女奴隷のことが8節に書かれています。
「もし、主人が彼女を一度自分のものと定めながら、気に入らなくなった場合は、彼女が買い戻されることを許さねばならない。彼は彼女を裏切ったのだから、外国人に売る権利はない。」
  女奴隷の場合は、弱い立場にあるので守るために、更に大切にされました。普通は、主人が自分の妻やそばめにするために雇うことが多かったのですが、もしも主人が気に入らなくなった場合でも、彼女が彼女の親戚によって適切な額で買い戻されるようにしなければなりませんでした。また、主人が、外国人に売ることもしてはなりませんでした。
 そして、もしその娘を自分の息子の妻にしている場合は、自分の娘に対するように彼女を取り扱わなければなりませんでした。
 また、主人が後で新しい女性をめとった場合、前の妻に対して、食べ物や着物、夫婦の務めを減らしてはならず、その義務を守らないならば、彼女は無償で主人のもとを去ることが出来ました。

 当時は、異邦人の世界では、奴隷は、牛や馬のように、物として扱われていましたから、このように、奴隷に対して愛の配慮が命じられているのは、このイスラエルの民だけでした。
 なぜなら、イスラエルの民は、かつてはエジプトの奴隷でしたが、そこから解放され自由の身とされたからです。ですから、自分の奴隷に対しても、決して冷酷な態度をとってはならない、愛の配慮を忘れないようにと命じられているのです。

③奴隷は安息日に仕事をしなくてよかった。
20:10節をご覧ください。
「10 七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。」
  それだけではありません。奴隷は、6年間主人に仕えると、七年目には自由の身として無償で去ることが出来ました。
21:2節にはこう書かれています。
「2 あなたがヘブライ人である奴隷を買うならば、彼は六年間奴隷として働かねばならないが、七年目には無償で自由の身となることができる。」
  7年目に奴隷が解放される時、独身で来た者は、独身で去って行きます。結婚して来た者は、妻と共に去って行きました。その奴隷の期間に、主人から妻が与えられた場合には、妻と子どもたちは、主人のものになりました。ただし、この時、夫が一人で去ることよりも妻や子どもたちと残ることを望めば、主人は、耳にきりで穴を開けて、その後、いつまでも主人に仕えることが出来ました。穴の開いた耳は、一生の間献身しているしもべのしるしとなりました。

 罪の奴隷だった私たちは、一方的な恵みによって、自由の身にされました。そして、聖霊の証印が押され、キリストのものとされたのです。ですから、私たちも、私たちを罪から自由にしてくださった主に、献身を新たに心からお仕えしていきましょう。

 奴隷解放運動で有名なアメリカ16代大統領のアブラハム・リンカーンは、あるとき、奴隷市場の現場を目撃しました。
 そこでは、人が市場で野菜や魚が売り買いされていくように、人身売買が行われていました。
 それを見ていた、リンカーンは悲しみと怒りで一杯になりました。
 その時、一人の少女が売りに出されました。少女をとてもかわいそうの思ったリンカーンは、この少女を買おうとしていた白人と競い合って、身を切るような思いで高い値段を支払って、その少女を買い取ったのです。
 その少女は、これから何が起こるのだろうと、ブルブル震えていました。
 その少女に向かって、リンカーンはこう言ったのです。
「あなたはもう自由だよ。」
 少女は意味がわかりません。
「それはどういう意味ですか。」と聞きました。するとリンカーンはこう答えました。
「自由とは、あなたが言いたいことを言ってもいい、なりたい者になっていい。そして、行きたいところに行っても良いという意味だよ。」
 すると、その少女は、こう答えたのです。
「わたしが行きたいところに行って良いのでしたら、わたしはあなたについて行きます。」
 この少女にとって、代価を払って自分を解放し、自由にしてくれたリンカーンに着いて行くことこそが、何にも代え難い喜びだつたのです。

 キリストに従うということは、この少女のような心と生活をさせていただくと言うことではないでしょうか。 
 Ⅰコリント6:19~20でパウロはこう言っています。
「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」

 わたしたちクリスチャンは、かつては罪とサタンの奴隷でした。しかし、キリストの尊い血潮によって、贖われ、自由にされ、解放されたのです。その神様に献身を新たにさせていたたきましょう。
 そして、 神様が、私たちを愛して、贖いだしてくださったように、私たちも、奴隷に現されてる弱い立場にある人たちを、愛する者とさせていただきましょう。

(2)死に対する罪
12~17節は、人の命の尊さに対する教えです。人の命を軽んじて人を殺したり、自分の父母をのろったり、または、人をさらうような者は、死刑に処せられたのです。

①殺人
 まず、殺人犯に関する一般的な原則が書かれています。12~13節
「人を打って死なせた者は必ず死刑に処せられる。」
  十戒の中に「殺してはならない。」と命じられています。そして、もし、他人を殺してしまったら、「いのち」が要求されます。創世記9:5節
 「また、あなたたちの命である血が流された場合、わたしは賠償を要求する。いかなる獣からも要求する。人間どうしの血については、人間から人間の命を賠償として要求する。6 人の血を流す者は/人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ。」
人間は、神のかたちに創造された神聖なものであるからです。

  この律法の中で、故意の殺人と、偶然に人を殺した場合とが、はっきりと区別されています。13節
「:13 ただし、故意にではなく、偶然、彼の手に神が渡された場合は、わたしはあなたのために一つの場所を定める。彼はそこに逃れることができる。」
  偶然に人を殺してしまった場合は、神様が定められた「逃れの場」に逃れることができたのです。
 しかし、はっきりとした殺意をもって殺した場合は、どのような場所に逃げようとしても、また、それが主の祭壇であったとしても、死刑を逃れることはできませんでした。

②人を誘惑する者(人さらい)  16節
「人を誘拐する者は、彼を売った場合も、自分の手もとに置いていた場合も、必ず死刑に処せられる。」
  イスラエル人同士では、誘惑された同胞を売り買いすることは許されていませんでしたので、異邦人に売るために誘惑をする者がいたのでしょう。

③自分の父母を打つ者 (15、17節)
「自分の父あるいは母を打つ者は、必ず死刑に処せられる。」
  十戒の五番目で「あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。」(20:12)  父母は、私たちの神の代理人です。その尊さの故に、父母を打ったり、のろったりするだけで、死刑に処せられたのです。
箴言20:20(P1017)
「父母を呪う者/彼の灯は闇のただ中で消える。」
箴言30:17(P1031)
「父を嘲笑い、母への従順を侮る者の目は/谷の烏がえぐり出し、鷲の雛がついばむ。」
  と警告が書かれています。私たちは、どれだけ、自分の両親を重んじているでしょうか。
 わたしは、どれだけ親のことを大切にしているだろうと問われると、愛の足りなさを感じます。そして、御言葉の光に照らされると、私こそが、死に値する者だと思わされるのです。

 イエス様は、山上の説教で、さらに深く、死刑について語っておられます。
マタイ5:21~22(P7)
「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。」
  「兄弟に腹を立てる者は裁きを受ける。」とありますが、私は4人兄弟で、3人男ですから、兄弟喧嘩は絶えませんでした。小さい頃は、取っ組み合いの喧嘩をよくしていました。
 また、「ばか」という者は、最高法院に引き渡され、「愚か者」という者は、火の地獄に投げ込まれる。とイエス様はおっしゃいました。イエス様がおっしゃったことですから、ウソ偽りではありません。その通りに私たちは裁かれるのです。
 その神様の光の前で、誰が、聖なる者として立つことができるでしょうか。パウロは、ローマ3:10~12(P276)でこう言っています。
「次のように書いてあるとおりです。「正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、/神を探し求める者もいない。皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの一人もいない。」
  そして、3:23(P277)には、こうあります。
「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっています・・・、」
  すべての人が罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっているのです。
 しかし、24節には素晴らしい福音が書かれています。
「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」
 神様は、罪深い、また罪の深みからどうしても這い上がることの出来ない、私たちをも愛してくださり、独り子を送って下さいました。そのイエス・キリストの十字架の贖いによってのみ、私たちは救われるのです。ここに「無償で義とされるのです。」と書かれています。

 1950年6月25日朝鮮戦争が勃発しました。そのような混乱の中、釜山(プサン)で起こった出来事です。
 石炭を積んだ何台もの貨車が来ると、避難民たちが石炭の貨車の上に乗って、石炭を盗んでいました。貧しくて、石炭なしでは生きていけなかったからです。
 あるとき、避難して来た40代位の父親が10歳ぐらいの息子を連れていました。その息子が貨車の上に乗って、石炭を取り出し、父親が拾っていたのです。そこに何と憲兵が走って来たのです。見つかると発砲されて、捕まってしまいます。石炭を盗んでいた者たちは皆大急ぎで貨車から降りました。
 けれども、その息子は走って降りる時、大きな石炭の塊の一つを貨車の下に落としてしまい、子どもはそれを取ろうと貨車の下にもぐり込んでしまいました。その時、貨車がゴトンと動きだしました。
 そこにいた者たちは目を大きく開けて「ああ、子どもが!子どもが・・・だれか助けて〜」と叫びました。けれども、叫んでも誰も動こうとはしませんでした。
 しかし、その時、突然、素早く父親が貨車の下に飛び込み、息子を押し出したのです。そして、貨車の車輪が父親の上を過ぎ去って行きました。その父親は涙がを流しながら、彼はもう間もなく死のうとしていたにもかかわらず、子どもに「早く逃げなさい!」と、手を動かし、最後まで息子のために愛を尽くしたのです。

 私たちにとってこの父親のようなお方です。私たちを生かすため、あの十字架で、私たちの罪の身変わりに、ご自身のいのちを投げ出してくださったのです。

 最後に、もう一度出エジプト記21:2をご覧ください。
「あなたがヘブライ人である奴隷を買うならば、彼は六年間奴隷として働かねばならないが、七年目には無償で自由の身となることができる。」
  ここにも「無償で自由の身となることができる。」とあります。神様が与えて下さる自由、救いは一方的な恵みによって与えられるのです。このキリストの十字架の愛の中を歩ませていただきましょう。

今週の礼拝メッセージはこちらからご覧いただけます。↑

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毎週日曜日 10:15〜

 

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毎週日曜日 16:30〜

集会案内

 

フィリア手話の会

毎週火曜日 11:00〜

 

キッズブラウン英語教室

毎週土曜日   8:45〜

                       9:35〜

毎週木曜日 16:00~

 

祈り会(昼)

毎週水曜日  10:30〜

 

祈り会(夜)

毎週水曜日  19:30〜

 

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Illustration by c-awase