9/25 主日礼拝

「わたしに属する聖なる者」出エジプト22:17~30

  みなさんおはようございます。この鍵をご覧下さい。この鍵は何の鍵でしょうか。そうです。新会堂の鍵です。新会堂のためにお祈りありがとうございます。
 9月23日(金)に、きらやか銀行の二階会議室で、売り主のトヨタ部品の方と、武田不動産、そして、司法書士の小野さんと、川上さんの私が集い、無事引き渡しが終わりました。この引き渡しに必要な金額が、全額与えられ、「わたしたちの神がわたしたちのために戦われる。」という御言葉の通り、神様が、新会堂の土地建物を与えて下さったのです。
 そして、今日、本当に感謝な事が、もう一つあります。それは、その時、登記のために来てくださった、司法書士の小野さん御夫妻が、この礼拝に集っておられる事です。
 小野さんは、武田不動産から紹介されたのですが、川上さんが話している内に分かったのですが、那須 悟兄の友人で、前から那須くんがクリスチャンであることを知っていて、教会に行ってみたいと思っていたそうです。その言葉通りに、今日、山形南部教会に来てくださったこと、心から歓迎します。

 小野さんは、司法書士という法律に関する働きをしておられますが、今日の聖書の箇所は、20章に始まった、モーセの十戒の続きで、モーセの十戒が憲法とするならば、今日の聖書の箇所は、民法や刑法にあたる聖書の箇所です。

今日の中心の御言葉は、30節です。
「あなたたちは、わたしに属する聖なる者とならねばならない。野外でかみ殺された肉を食べてはならない。それは犬に投げ与えるべきである。」

神様は、選ばれたイスラエルの民に「あなたたちは、わたしに属する聖なる者とならねばならない。」とおっしゃいました。その神様は、救われた私たちに対しても、「あなたたちは、わたしに属する聖なる者とならねばならない。」とキリストに属する、聖なる者となるように願っておられるのです。

 それでは、聖なる者となるためには、どうすれば良いのでしょうか。今日は、出エジプト22:17~30から3つの事をお話ししたいと思います。

(1)罪から離れること
22:17~19には、3つの死罪に当たる罪が書かれています。
Oまず、17節には「女呪術師を生かしておいてはならない。」と命じられています。呪術や魔術を行う者には、厳しく死刑の判決が下されました。それは、神様から私たちを引き離す悪霊の働きだからです。
O次に、18節では、「すべて獣と寝る者は必ず死刑に処せられる。」  とあります。カナン人の間では、獣と姦淫を犯す者がいました。それは、神の定められた道に背くことであり、また人の体をむしばむものでありました。そこで、これも死罪に当たる罪だったのです。
O19節には、「主ひとりのほか、神々に犠牲をささげる者は断ち滅ぼされる。」  と命じられています。これは、十戒の一戒を関する掟です。そして、この戒を破る偶像崇拝者は、イスラエルの純粋な信仰を守るために、聖絶されなければなりませんでした。

 神様から、人を引き離そうとする、呪術や、獣との姦淫、偶像礼拝は、死に値する罪でした。それは、神様が私たちを愛し、私たちが神様から離れないように心から願っておられるからです。

(2)弱い人を守る戒め
20~26節には、弱い人を守るための戒めが書かれています。

Oまず、20節には、イスラエルの中にいる異邦人についてのことが書かれています。
「寄留者を虐待したり、圧迫したりしてはならない。あなたたちはエジプトの国で寄留者であったからである。」
  イスラエルの中にいる異邦人は、少数派で弱い立場にありました。そこで、神様は、この異邦人を虐待したり、苦しめてはならないと命じられたのです。
 イスラエルの民も、エジプトで奴隷の民であった時には、異邦人でした。その時代は、イスラエルの民は、虐待され、苦しめられてきました。
 だからこそ、今自分たちの民の中にいる異邦人を思いやるために用いられなければならなかったのです。もしも、ここで異邦人がイスラエルの民に苦しめられたとしたら、どうして、イスラエルの民を信じることが出来るでしょうか。
 ところが、モーセがこの戒めを伝えてから、3500年経った今でも、世界を見渡すと、人種や皮膚の色の違いによる差別がなくなることがありません。
 私たちの神様は、天地創造をされ今も世界を支配しておられる天のお父様、ただお一人です。ですから、全世界の人々が兄弟姉妹として愛し合わなければならないのです。人種、皮膚の色、また国籍を超えて、互いに愛し合い、仕え合いましょう。
 弱い、異邦人にこそ、神様の愛が必要なのです。

O次に、21~23節には、寡婦や孤児に対する戒めが書かれています。
21節
寡婦や孤児はすべて苦しめてはならない」23 そして、わたしの怒りは燃え上がり、あなたたちを剣で殺す。あなたたちの妻は寡婦となり、子供らは、孤児となる。」
  愛する夫に先立たれたやもめや、両親に先立たれた孤児は、やはり弱い立場にありました。そのような、弱い立場の人を大切にする事は、イスラエルの律法の大きな特徴です。
 そして、それは、神様の心であります。
「22 もし、あなたが彼を苦しめ、彼がわたしに向かって叫ぶ場合は、わたしは必ずその叫びを聞く。」
  やもめや孤児に代表される弱い立場の人が、苦しめられ、神様に叫ぶならば、「わたしは必ずその叫びを聞く。」と書かれています。神様は、弱い人の叫びを聞いてくださるお方です。
 そして、そのような弱い立場の人たちを、虐待したり、苦しめたりする者にたりする者には神様の裁きくだり、彼ら自らが、やもめに、また孤児になると、23節には書かれています。

Oそして、24~26には、貧しい人にお金を貸す場合のことが書かれています。
24~25節
「もし、あなたがわたしの民、あなたと共にいる貧しい者に金を貸す場合は、彼に対して高利貸しのようになってはならない。彼から利子を取ってはならない。25 もし、隣人の上着を質にとる場合には、日没までに返さねばならない。」
  ここでは、貧しい人にお金を貸す場合は、利息を取ることは禁じられていました。また、隣人の上着を質にとってお金を貸した場合、彼らが夜の寒さに苦しまないように、日没までに返さなければならないと命じられています。
  なぜ、このように弱い立場の人を大切にしなければならないのでしょうか。その理由が26節に書かれています。26節を一緒に読んでみましょう。
「なぜなら、それは彼の唯一の衣服、肌を覆う着物だからである。彼は何にくるまって寝ることができるだろうか。もし、彼がわたしに向かって叫ぶならば、わたしは聞く。わたしは憐れみ深いからである。」  26節の後半に、神様がどのようなお方であるかが書かれています。
  「もし、彼がわたしに向かって叫ぶならば、わたしは聞く。わたしは憐れみ深いからである。」  神様は、憐れみ深いお方です。そして、彼らが神様に叫ぶ時に、その叫びを聞いてくださるお方なのです。その神様の心と同じ心で、弱い立場の人を大切にするようにと命じられているのです。
 私たちも、神様の心を私たちの心として、弱い立場の人を大切にし、愛し、仕える者とさせていただきましょう。

 石井十次は、日本で最初の親をなくした子どもたちを育てる「岡山孤児院」を作った人です。石井十次は、若い頃、クリスチャンの医者に診察を受けたのがきっかけで、クリスチャンになり、医者になろうと医者になるために勉強を始めました。
 そんなある時、父親が死んで途方に暮れて四国巡礼をしている、お母さんと子どもに出会いました。そして、その子どもを預かって育てる決心をしました。その時から、「岡山孤児院」の働きを始めたのです。
 けれども、石井十次は、だんだん迷いはじめました。それは、医者になるか。「岡山孤児院」の働きをこのまま、続けていくかということでした。
「神様、この私はこれから世を捨てて、あなたの手足となって、孤児院のために働くべきでしょうか。それとも、私が今まで目指し来た、医者になるべきでしようか。」
 医者になることは、両親や、奥さんの願いでもありましたので、石井十次はとても迷いました。
 ある朝のことです。このことで神様に祈って、聖書を開きました。すると、一つの御言葉が、心に迫ってきたのです。
ピリピ3:7~8a
「しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。8 そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。」
  そして、祈っている内に、神様の臨在に包まれました。そして、心の奥から燃え上がるような思いがわき上がり、神様が「子どもたちのために尽くしなさい」と言っておられることがはっきりと分かったのです。
 彼は、4年間勉強してきた、医学書をすべて焼き払いました。そして、その決心を奥さんに話したのです。奥さんも神様の御心に従って、心を込めて、子どもたちを育てました。
 石井十次は、この時、自分とって、親をなくした子どもたちに仕えることが、キリストの証人になることだと確信して、素晴らしい働きをしたのです。

  神様は、異邦人や、やもめや孤児、貧しい人を愛しておられます。その神様の心を、私たちもいただいて、弱さを覚え、助けを必要としている人たちを愛し、仕える者でありたいと思います。

 イエス様は、マタイ25:34~40で、弱い人にしたことは、「わたしにしたのである。」とおっしゃっています。(P50)
 そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。35 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、36 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』37 すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。38 いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。39 いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』40 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
  イエス様は、私たちが弱い人たちにしたことをすべてご存じです。そして、その良い行いに豊かに報いてくださるお方です。イエス様に仕えるように、弱い人を愛し、仕えるお互いでありたいと思います。

(3)宗教上の律法
Oまず、27節には、権威に対する教えが書かれています。
「神をののしってはならない。あなたの民の中の代表者を呪ってはならない。」
  ここに、本当の意味で権威のある人を、のろってはならないということが書かれています。27節にある「神」というのは、「裁判官」とも「行政官」とも訳される言葉ですが、神様が立てられている上に立つ人々をのろってはならないということです。
 むしろ、上に立つ人々の祝福のために祈らなければならないのです。
 パウロは、ローマ13:1(P292)で
「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。」  と言っています。
  そして、その上に立てられた人たちの祝福を祈るように勧めています。
 Ⅰテモテ2:1~2(P385)をお開きください。
「そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。2 王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。」
 上に立つ人が、祝福されて、神様を信じ祝福されたらどうでしょうか。たとえば、総理大臣がイエス・キリストを信じ、神様の愛によって政治を行ったなら、日本は変わります。そして、神様の愛に満ちた、平和な社会になっていくに違いありません。
 もっと、身近な所で言えば、職場の上司の祝福のために祈り、その上司がイエス・キリストを信じたらどうでしょうか。きっと、その職場は、キリストの香りのする素晴らしい職場になって行くに違いありません。
 また、家族の長である御主人のために祈りましょう。御主人が救われ、祝福されるなら、その家庭は必ず祝福されます。

O次に、献げ者についての戒めが28~29節に書かれています。
「あなたの豊かな収穫とぶどう酒の奉献を遅らせてはならない。あなたの初子をわたしにささげねばならない。29 あなたの牛と羊についても同じようにせよ。七日の間、その母と共に置き、八日目にわたしにささげねばならない。」
  豊かな収穫とやぶどう酒が出来た場合、それをまず神様に献げられることが命じられています。その奉献を遅らせてはならない。

Oまた、初子が与えられたならば、その初子も、牛や羊の初子も、八日目には献げなければなりませんでした。そのようにして、神様を第一にする信仰が現されたのです。
イエス様は、6:33(P11)で
「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」
  とおっしゃいました。神様は、必ず神様を第一にする者を祝福してくださいます。

 今日は、及川家の、愛菜(あきな)ちゃんと、結菜(ゆいな)ちゃんの献児式が行われます。及川家は、長男の輝くん、次男の満くんの献児式が行われましたが、続いて長女、次女の4人が神様に献げられます。神様が、及川家を必ず祝福してくださいます。
  私たちも、すべてを神様にお献げてして、祝福された聖なる生活をさせていただきましょう

 最後に30節をご覧下さい。
「あなたたちは、わたしに属する聖なる者とならねばならない。野外でかみ殺された肉を食べてはならない。それは犬に投げ与えるべきである。」
 「あなたたちは、わたしに属する聖なる者とならねばならない。」 これが、今日の大切なメッセージです。イスラエルの民は、神様から選ばれた聖なる国民でした。ですから、野外でかみ殺された肉を食べることによって身を汚してはならない。それらの肉は犬に与えなさいと言っているのです。
 私たちも、イエス・キリストの尊い血潮によって救われた聖なる民です。ですから、聖なる民として、身や心を汚すこと無く、聖い生活を神様は、私たちに望んでおられるのです。

テトス2:14(P397)
「キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。」
  私たちは、イエス・キリストの十字架によって救われました。救われた者として、清められ、良い行いをする器として用いていただきましょう。

  今日は、聖なる民として生活するために3つの事をお話ししました。まず、罪から離れることです。次に、弱い人を大切にすることです。そして、最後に神様を第一にする事です。そのようにして、イエス・キリストによって救われた聖い民として、生活をさせていただきましょう。


WE LOVE YAMAGATA
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Illustration by c-awase