先週の木曜日と金曜日に、東北教誨師研修大会が福島で、行われました。東北教誨師研修大会は、毎年東北六県持ち回りで行われています。ところが、5年前、福島で行われる予定でしたが、東日本大震災が起こり、その後も原発の問題など様々なことがあり、やっと、5年後に福島で行われたのです。
今までは、主題講演と、何人かの教誨師の発題をお聞きするような受け身の形で行われてきましたが、今年は始めて、みんなが発言できるようにとグループディスカッションが行われました。
「被収容者は、宗教教会に何を求めているのか。」「教誨師として被収容者の心に刻みたいこと」という二つのテーマで話し合いが行われました。
その中で、教誨師が行っている事が紹介され、有意義な時でした。そして、被収容者が求めているものと、教誨師が心に刻みたいことは、共通していて、「心の安らぎ」「二度と刑務所には戻ってきたくない、真剣な罪の悔い改め」「命の大切さ」「感謝する心」などでした。
それを聞きながら、それに本当に応えることが出来るのは、イエス・キリストの十字架と復活の福音だと思わされたのです。
イエス様は、私たちの罪のために十字架にかかって命を与えて下さいました。それほどまでに、すべての人を愛しておられるのです。その愛にこそ、本当の平安があり、人を新しく造り変える力があり、命の大切さがあり、そこから本当の感謝が生まれるのです。その、イエス様の愛を伝え「被収容者の心に刻みたい」思わされました。そして、何よりも私自らが、十字架の愛に対して、感謝と喜びの献げ物をお献げしたいと感じさせられて帰ってきました。
今日の中心の御言葉は、19節です。
「あなたは、土地の最上の初物をあなたの神、主の宮に携えて来なければならない。あなたは子山羊をその母の乳で煮てはならない。」
特に前半、「あなたは、土地の最上の初物をあなたの神、主の宮に携えて来なければならない。」
神様は、最高の初物、独り子であるイエス様を私たちに与えて下さいました。そのイエス・キリストの十字架の愛によって、私たちは救われたのです。その愛に感謝して、私たちも、「最上の初物」を神様にお献げしたいと思います。
(1)祭りに関する定め
イスラエルの民は、一年に三度、祭りを行う事が命じられていました。三度の祭りというのは、「除酵祭」「刈入れの祭り」「取入れの祭り」の三つの祭りです。
一番目は、除酵祭です。15節
「あなたは除酵祭を守らねばならない。七日の間、わたしが命じたように、あなたはアビブの月の定められた時に酵母を入れないパンを食べねばならない。あなたはその時エジプトを出たからである。何も持たずにわたしの前に出てはならない。」
「除酵祭」とは、イスラエルの民が、出エジプトをする時に、
「民は、まだ酵母の入っていないパンの練り粉をこね鉢ごと外套に包み、肩に担いだ。」(出エジプト12:34)の御言葉から、その先祖たちの信仰を学ぶために守られた祭りです。
その時に、主の霊が、かもいに小羊の塗られているイスラエルの家を過ぎ越したところから、この祭りは過越しの祭りとも呼ばれています。
パン種を入れない練り粉を、このばちのまま着物に包んで、肩に背負った姿は、まさに神様にすぐに従う機敏さが現されています。
ガリラヤ粉で、主の召しを受けた、シモンとアンデレのことを思い出してください。
マルコ1:17~18節(P62)にはこう書かれています。
「イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。18 二人はすぐに網を捨てて従った。」と書かれています。この「すぐに」という言葉は、私たちの信仰生活で最も大切なことです。御言葉を聞いたにもかかわらず、後ろを振り返ったり、横見をしているは、神様の召しに応ずることは出来ません。
チャンスというのは、その時につかまなければ後になっては手遅れになってしまうのです。
チャンスというのは、前髪にしかないとある本に書いていました。チャンスがやってきた時に、「すぐに」つかまなければ、後ろ髪はありませんから、「つるっと」滑ってしまって、チャンスを逃がしてしまうのです。
出エジプトをする時に、種入れぬパンをこばちのまま着物に包んで、出発をしたように、また、弟子たちが「わたしについてきなさい。」と言われた時に「すぐに」従ったように、私たちも主の御声を聞いたなら、「すぐに」従う者でありたいと思います。
二番目は、刈り入れの祭りです。16節
「あなたは、畑に蒔いて得た産物の初物を刈り入れる刈り入れの祭りを行い、年の終わりには、畑の産物を取り入れる時に、取り入れの祭りを行わねばならない。」
これは、五旬節とも言われ、現在の6月、小麦粉の収穫の頃に行われました。一日だけの祭りで、この時には、自分の土地の初穂の最上の物が、主に献げられました。
五旬節に弟子たちに著しい聖霊が注がれ、初代教会の大リバイバルが起こったことが、使徒言行録2章に記されています。
この言葉は、必ず刈り入れの日がやって来ることを教えています。農夫は刈り入れの日を確信して、種を蒔き、水を注ぎ、雑草をとってうまざる努力をします。
それと同じように、私たちも主が刈り入れの時を必ず与えて下さることを確信して、御言葉の種を蒔かせていただきましょう。そして、やがて、喜びの刈り取りの時を待ち望みましょう。
三番目は、取り入れの祭りです。16節の後半に書かれています。
「年の終わりには、畑の産物を取り入れる時に、取り入れの祭りを行わねばならない。」
「取り入れの祭り」とは、この時期には、ぶどう畑に仮小屋をつくって番をしたことから「仮いおの祭り」と呼ばれるようになりました。
イスラエルの民は、出エジプトをした時から、天幕で生活をしていましたが、そのことを忘れないように、今でも仮いおの祭りとして守られているのです。
信仰の父アブラハムのことが、ヘブライ11:9(P415)にこう書かれています。
「信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。」
神様を信じる者にとって、この世は、仮の住まいです。この世に定着し、この世に埋没するならば、私たちはその約束の受け手となることはできません。いつもこの世に染まることなく、天の御国を目指して信仰の旅路を歩み続けるのです。
へプライ11:10(P415)
「アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです。」
神様は、イスラエルがエジプトから救われたように、罪の奴隷であった私たちを、イエス・キリストの十字架によって救ってくださいました。その神様に、イスラエルの民が、その恵みを忘れないように、年に三度祭りを行ったように、私たちも心からの感謝をささげましょう。そして、イスラエルの民が乳と蜜の流れるカナンの地を目指して、旅を続けたように、私たちも、後ろを振り向かずに、また横見をしないて、ただ、私たちの天の故郷である御国を目指して、前進させていただきましょう。
昨日の、リビングライフに、クリスチャンの画家、ワーナー・サルマンの事が書かれていました。彼は、肺病とリンパ腺ガンにかかり、余命3ヶ月の宣告を受けました。
そのお医者さんの宣告を聞いた時、彼は2つの決心をしました。一つは、残された期間、神様に毎日感謝すること、二つ目は、神様と人とした約束をすべて実行することでした。
翌日から、彼の口から感謝の言葉がたえることがありませんでした。
また、教会に約束した献金のうち、献げていない献金を全額献げました。また、子どもたちと旅行に行くと約束たのに、まだ行っていないのを思いだして、時間を作って子どもたちと旅行に行きました。債務関係もきれいに処理しました。
そんなことをしている内に、3ヶ月が過ぎました。そして、1年が過ぎ、2年が過ぎましたが、身体に異常がありませんでした。
そんなある日、彼は、キリストの肖像画を描くと神様と約束したことを思い出したのです。「人間である、私などが、恐れ多くも主の御顔を描くとは恐縮ですが、力を与えて下さい。」と祈りながら書いた作品が、「イエスの御顔」です。サルマンは、病気を通して、自分を省み、彼が真実を回復した時、神様は彼をあわれんで、祝福してくださったのです。
詩編103編1~5節
【ダビデの詩。】わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって/聖なる御名をたたえよ。2 わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。3 主はお前の罪をことごとく赦し/病をすべて癒し4 命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐れみの冠を授け5 長らえる限り良いものに満ち足らせ/鷲のような若さを新たにしてくださる。」
イスラエルの民は、神様から与えられた恵みを忘れないように、年に3度の祭りを定め、神様に心からの感謝を献げました。私たちも、神様の愛と恵みをいつも覚えて感謝と喜びの生活をさせていただきましょう。
(2)神様を喜び祝う者への祝福
①御使いを遣わす約束
まず神様は、イスラエルの民に、御使いを遣わす約束を与えられました。20節
「見よ、わたしはあなたの前に使いを遣わして、あなたを道で守らせ、わたしの備えた場所に導かせる。」
また23節には
「わたしの使いがあなたの前を行き、あなたをアモリ人、ヘト人、ペリジ人、カナン人、ヒビ人、エブス人のところに導くとき、わたしは彼らを絶やす。」 と約束されています。
神様は、イスラエルの民を導くために、御使いを遣わして導かれる約束を与えられたのです。
ヘブライ1:14(P402)に「天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされたのではなかったですか。」とあるように、神様は天使を、救いを受け継ぐことになっているイスラエルの民に仕えるために遣わされのです。
その御使いが、イスラエルに先立って行き、イスラエルの民の一歩一歩を導き、彼らを守られるとは、何と素晴らしい約束でしょうか。
このように、今も御使いは、私たちを導き、守っておられるのです。
詩編34:8に 「主の使いはその周りに陣を敷き/主を畏れる人を守り助けてくださった。」 とある通りです。
②病を癒やし、健康を与えて下さる神
24~25節
「あなたたちは、あなたたちの神、主に仕えねばならない。主はあなたのパンと水を祝福するであろう。わたしはあなたの中から病を取り除く。26 あなたの国には流産する女も不妊の女もいなくなる。わたしはあなたの天寿を全うさせる。」
神様を信じる信仰は、私たちに健康を与えて下さいます。もちろん、クリスチャンが病気にならないということではありません。しかし、クリスチャンは、罪から救われた結果、不謹慎な生活をする事が無く、余計な思い煩いをしないので、ただそれだけでも、病気から守られます。
たとえ、病気にかかっても、神様によって平安が与えられ、落ち着いて療養することが出来ます。そのように信仰は、わたしたちに健康にとっても大きな助けとなります。
24節の終わりに「わたしはあなたの中から病を取り除く。」 と約束されています。神様は病気を癒やすことの出来るお方です。病気が癒やされることによって神様の御業を知ることが出来ます。また、病気を通してでなければ知ることの出来ない、主の恵みの与る事が出来るのです。
神様は、人を癒やすことの出来るお方です。また、健康をも与えてくださるお方です。けれども、苦しみや病気を通してでなければ、得ることの出来ない、大きな恵みに満たしてくださるお方なのです。
③イスラエルの民の成長の約束
28~30節
「わたしはまた、あなたの前に恐怖を送り、あなたの前からヒビ人、カナン人、ヘト人を追い出す。29 しかし、一年間は彼らをあなたの前から追い出さない。さもないと、国土は荒れ果て、野獣の数が増し、あなたに向かって来る。30 わたしは彼らをあなたの前から徐々に追い出すので、あなたは子を産み、国土を受け継ぐに至る。」
神様は、イスラエルの民の前から、「ヒビ人、カナン人、ヘト人を追い出す。」と約束されました。しかし、29節には、「一年間は彼らのあなたの前から追い出さない。」と書かれています。そして、30節には、「わたしは彼らをあなたの前から徐々に追い出す。」と書かれています。
そのように神様は、一足飛びに、私たちをキリストに似た者へと、聖潔られるのではなく、徐々にそこに進んで、そこに到達されられるのです。
私たちが、救われたのは、イエス・キリストを信じた瞬間でした。そして、私たちが聖潔の恵みをいただいたのも、ちょうどペンテコステの日に、聖霊が注がれたように、瞬間的なことでした。
しかし、それで終わりではありません。救われた時から信仰生活が始まるのです。そして、聖潔られた時から、私たちは、恵みの内に徐々にキリストへ似た者へと成長させていただかなければならないのです。
ある人が、「一人の人がクリスチャンになることは、一生の仕事である」と言っています。私たちの信仰は一生成長し続けるのです。
イギリスの偉大な説教者、チャールズ・スポルジョン(1834〜1892)が語った説教の中に「カタツムリは粘り強くノアの箱舟にたどり着きました」という言葉があります。何ともユニークな言葉ですが、この言葉は、私たちの大きな励ましになります。
信仰をもって前に進むとき、妨害や自分の限界などの壁にぶつかることがあります。
「もう無理だ」と感じ、あきらめそうになるときがあります。そして、自分の信仰の成長は何と遅いのだろうと嘆くようなこともあるかもしれません。
しかし、そのような時には神様を見上げましょう。
カタツムリのように弱くて、ゆっくりでも良いのです。カタツムリの良いところは、粘り強く前進するところです。イエス・キリストの十字架の力を信じ、よみがえりのイエス様を心の王座に迎え入れ、御国を目指して粘り強く前進しましょう。そのように前進するなら、私たちの信仰は成長し、箱舟というゴールに必ずたどり着くことができるのです。
神様が備えてくださった信仰のレースを走り続けたすべての人に、大きな報いが待っているからです。
ヘブライ12:1~2a
「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、:2 信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。」
11月3日には、山形南部教会で、「東北聖会」があります。今年は、浅草橋教会の山崎 忍先生が、御言葉を取り次いで下さいます。今から、聖潔の恵みを求めて、聖会に参加しましょう。
今日は、二つの事をお話ししました。
一つは、祭りについての掟で、神様が与えて下さった恵みを数えて、いつも感謝と喜びを忘れないことです。
もう一つは、神様は感謝と喜ぶ者に、御使いを送って下さり、病を癒やして下さり、その人の信仰を成長させて下さり、必ず祝福してくださるということです。
この神様を、心から礼拝し、喜びと感謝の生活を送らせていただきましょう。
19節の前半を最後にご一緒にお読みしてお祈りをしましょう。
「あなたは、土地の最上の初物をあなたの神、主の宮に携えて来なければならない。 」
神様は、私たちを愛して、いつも最善の事を成して下さるお方です。そのお方に、私たちも、最上の初物、神様への感謝と喜びの献げ物をさせていただきましょう。
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