主日礼拝 12/18

「エッサイの株からひとつの芽」  イザヤ11:1~10

 クリスマスおめでとうございます。アドベント4週目を迎え、教会歴では、今日がクリスマスですが、私たちはクリスマスというと25日。来週、クリスマス礼拝をお献げします。

 今日は、嬉しい知らせがあります。12月14日水曜日に、加藤 綾姉に念願の長女、璃湖(りこ)ちゃんが与えられました。上3人が、元気な男の子ですから、4番目に女の子が与えられて、本当に嬉しそうでした。一牛家もまもなく誕生の予定ですし、出産予定のお母さん方が他にもおられます。10ヶ月待ち望んできた赤ちゃんが生まれるということは、本当に大きな喜びです。

 

 私達は、クリスマスを迎え、クリスマスを待ち望んでいますが、 イエス・キリストがお生まれになる700年前から、救い主の誕生を待ち望んでいた人たちがいました。その救い主の預言が、今日読んでいただいた、イザヤ書11章1~10節に書かれています。

 

まず1節をご覧下さい。

「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる。」

 先程、新聖歌69番の「エッサイの根より」を賛美しましたが、この讃美歌の中でも歌われているように、このイザヤ書11章の御言葉は、救い主の誕生の預言です。

 エッサイとは、ダビデの父親のことで、「一つの芽」、「一つの若枝」というのは、イエス・キリストのことを表しています。

 

 そして、ここで、「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで」というのは、一度はユダヤの国がバビロンによって滅ぼされ、切り株のようになってしまう。けれどもそれで終わりではなく、切り株から若枝が出てくるように、救い主が現れるということを預言したものです。

エレミヤ23:5(P1219)

「見よ、このような日が来る、と主は言われる。わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。王は治め、栄え/この国に正義と恵みの業を行う。」

ゼカリヤ6:12(P1485)

「宣言しなさい。万軍の主はこう言われる。見よ、これが『若枝』という名の人である。その足もとから若枝が萌えいでる。彼は主の神殿を建て直す。」

 このように、聖書には、メシア預言、救い主が誕生するということが、様々な箇所に書かれています。

 

 そのひとつが、今日読んでいただいたイザヤ書11章1~10節です。この箇所から3つのことお話しさせていただきたいと思います。

 

(1)神の時を待ち望む信仰

 この預言は、イエス・キリストがお生まれになる700年も前にイザヤという預言者を通して語られたものです。

 赤ちゃんが生まれるは、早くて10ヶ月前です。そして、その子が男の子か女の子かは誰も分かりません。まして、その子がどんな性格をもった子が生まれるかは、誰にも分かることではありません。

 けれども、700年も前にイエス・キリストが救い主としてエッサイの子孫から生まれるということが、聖書に預言されているのです。そして、その性格や生き様までも記されていることを読むと、この方こそが救い主であることを知らされます。

 そして、もう一つ驚かされることは、イスラエルの人々は、この長い間、この預言を信じ続けたということです。

 このことを考えると、私達の信仰を反省させられます。私達は、いろいろな事を、祈りますがすぐに聞かれないと、不信仰に陥ってしまいます。

 けれども、信仰とはそのようなものではありません。

ヘブライ人への手紙11章1節にこうあります。(P414)

「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」

とあるように、今という現実がどうであっても、御言葉を固く信じて、待ち望むのが信仰です。

 イスラエルの人々は、700年間回答を見ることは出来ませんでした。中には生まれてから死ぬまで信じ続けたのに、救い主を見ることが出来なかったという人が何人もいたはずです。けれども、彼らはそれでも信じ続けたのです。

 そして、ついに、今から2016年前のクリスマスにこの御言葉が成就したのです。

 私達は、神の時に生かされています。イエス・キリストを信じる私達は、永遠の命の中を生かされているのです。ですから、今日、明日ということにとらわれないで、変わることのない御言葉に固く立って、主を待ち望みたいと思います。

  ある宣教師が、語られた言葉を忘れることができません。

「もし、今、伝道が成功しているなら、昔、汗水たらして、御言葉の種を蒔いた人がいたことを忘れてはいけません。そして、もし、今、伝道の実を見ることが出来ずに苦労しているなら、将来誰かが、収穫の喜びを味わうことを想像して、希望を持って御言葉の種を蒔き続けなさい。」

 神様の、ご計画は遠大です。

 今、伝道の結果を見ることが出来なくても、私達が忠実に御言葉の種を蒔き続けるなら、神様は必ず、時が来れば必ず、素晴らしい御業を成してくださるお方なのです。

 神様の時があります。あせらず、目先のことに捕らわれずに、忠実に今、私達の成すべき事を信仰を持ってさせていただきましょう。

 

(2)神の平和(6~10節)

6~10節

「狼は小羊と共に宿り/豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち/小さい子供がそれらを導く。牛も熊も共に草をはみ/その子らは共に伏し/獅子も牛もひとしく干し草を食らう。乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ/幼子は蝮の巣に手を入れる。わたしの聖なる山においては/何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。水が海を覆っているように/大地は主を知る知識で満たされる。その日が来れば/エッサイの根は/すべての民の旗印として立てられ/国々はそれを求めて集う。そのとどまるところは栄光に輝く。」

 ここには、信じられないような光景が記されています。

 6節にある「狼や、豹、若獅子」、そして、7節にある「熊」は、肉食動物です。

 そのような猛獣が、あの弱くて優しい「子羊や子ヤギ、子牛」などと共に住むというのです。そして、それを小さな子供が導くというのです。

 そして、8節には「乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ/幼子は蝮の巣に手を入れる。」とあります。そんなことをしたら、私達は大変なことになってしまうと思います。けれども、救い主が来られるとき、それらの動物や人間が一緒に暮らす、本当の平和を経験することが出来るのだというのです。

 そして、このような平和を与えてくださるためにイエス・キリストは今から2000年前にこの地上に来てくださったのです。

 アメリカでは、オバマ大統領の任期が終わろうとしています。政治的には、いろいろな評価があると思いますが、あの黒人差別があるアメリカで、現職大統領でノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領が選ばれ、来年の一月で4年二期(8年間)の任期を全うしようということには、大きな意味があると思います。

 それは、かつて黒人差別と戦った、キング牧師の、アメリカに対する夢でありました。

 1964年にノーベル平和賞を受賞したM.L.キング牧師は一生をかけて黒人差別撤廃運動を非暴力によって指導し続けました。

 何回となく逮捕され、ナイフで刺されたり、家に爆弾を投げ込まれたりもしました。

しかし、自由と平等を求めるキング牧師は、勇気を失わず不屈の信仰をもって立ち向かったのです。

 1963年、奴隷制度廃止百年を記念するワシントン大行進の時、彼は「わたしには夢がある」と題する名演説を残しました。その一部を紹介します。

「絶望の谷間でもがくことをやめよう。友よ、今日私は皆さんに言っておきたい。われわれは今日も明日も困難に直面するが、それでも私には夢がある。それは、アメリカの夢に深く根ざした夢である。

 私には夢がある、それは、いつの日か、この国の国民が立ち上がり、「われわれは、すべての人間は平等に造られいることを自明の真理とみなす」というこの国の信条を真の意味で実現させるという夢である。

 私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。

 私には夢がある。それは、いつの日か、不正と抑圧の炎熱で焼けつかんばかりのミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスに変身するという夢である。

 私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。

 今日、私には夢がある。

 私には夢がある。それは、邪悪な人種差別主義者たちのいる、・・・そのアラバマでさえ、黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手をつなげるようになるという夢である。」

 そして、キング牧師が天に召されても夢は歩き続けました。そして、今以上に広がり黒人の大統領までも生み出したのです。

 

 私達が今生かされている現実は、大変厳しい状況にあるかも知れません。けれども、救い主は、この御言葉に約束されているような素晴らしい平和を与えてくださるお方です。この素晴らしい平和を約束を成就してくださる、主を待ち望みながら、感謝と希望をもって歩ませていただきましょう。

 

(3)「エッサイの株」を選ばれた主

10節

「その日が来れば/エッサイの根は/すべての民の旗印として立てられ/国々はそれを求めて集う。そのとどまるところは栄光に輝く。」

 1節には「エッサイの株」10節には「エッサイの根」と書かれていますが、この言葉は前章の10章34節の言葉と対比して書かれています。

「主は森の茂みを鉄の斧で断ち/レバノンの大木を切り倒される。」

 この「森の茂み」というのは当時のアッシリアをたとえたものです。

 イザヤの生きていた時代のアッシリアは全盛期で、ユダヤの恐るべき敵でした。

 そして、預言者イザヤが、イスラエルを「エッサイの株」、アッシリアを「森の茂み」にたとえているように、武力においても、財力においても、アッシリアはユダヤの国と比べ物にならないほど大きな力を持っていました。

 しかし、そのような中で、イザヤは10章でアッシリア帝国の滅亡を預言しています。そして、ユダヤの国は、一度は滅びてしまうが、エッサイの株から、若木がはえるように、もう一度回復し、その救い主によって全知に平和がおとずれるようになることを告げたのです。

 なんという大きな幻でしょうか。

 切り株から出る、一つの株は、森の茂みに比べると何と弱々しい物でしょうか。

 けれども、ここでイザヤが預言したように、アッシリア帝国は滅んでしまい、今は跡形もありません。けれども、「エッサイの根」として、救い主イエス・キリストはお生まれになり、その福音は全世界に伝わり、いよいよ盛んになっています。

 ある統計によると世界の人口の3分の1が、キリスト教を信じていると言われています。

 そして、キリストの再臨によって、この地上に必ず神の国が実現されるのです。

 アッシリアは、この世の力を表しています。そして、私達クリスチャンは、あまりにも小さくて、この世の力の強い力につぶされそうになってしまいます。

 けれども、私達の力が、切り株のように思えるときにも、神様はその切り株を用いてくださって、最後には輝かしい勝利を与えてくださるのです。

 昨日、山形刑務所でクリスマスが行われ、67人の受刑者が集われました。そして、今までなかなか許可されなかった、キャンドルサービスが許されて、今回は、一人の受刑者が、講壇の前に置かれ4本のろうそくに火を灯しました。そのろうそくに灯が灯されたとき、わたしたちの心も明るくなったような気がしました。

 イエス様は、「あなたがたは世の光である。」とおっしゃいました。その一人がとんなに小さな光であったとしても、神様は、その光を用いて、この世を照らしてくださるお方です。

 先週の木曜日に、那須家のクリスマス会が行われました。

 そこには、那須ご夫妻と、かなうくん、そして、ベッドにたすく君がいました。たすく君は、染色体以上のため、体に傷害をもって生まれましたが、今まで生かされて、1年と半年が過ぎました。その那須君一家とクリスマスを過ごしながら、今までのいろいろな証しを聞くことができました。。

 暢子さんが妊娠数ヶ月のころ、主治医の先生に「染色体に異常があり、「全前脳胞症」という病気です。このままでは障害をもって生まれます。どうしますか。産みますか。」とお医者さんに、中絶を進められたそうです。その言葉は、どんなにつらい言葉だったことでしょう。

 しかし、この那須君たちは、信仰を持っていますから、「神様から与えられた大切な命だから育てます。」と決断をしたのです。

 「それでも、お腹の中の赤ちゃんは障害のためにいつまで生きれるか解りません。それに赤ちゃんが出産に耐えられるかどうかも解りません。」と言われましたが、那須君たちの気持ちは変わりませんでした。

 この病気は妊娠中に死んでしまうのがほとんどで、万が一生まれてきても、一年以内の死亡率が90%と言われています。

 しかし、神様は、お腹の中にいる胎児をお守りくださいました。そして出産を迎える前に、不思議なことが起こりました。2週間くらい前からお腹に羊水がたまり始め、お腹が大きくなりました。そのお陰で、出産の時にたまった羊水が流れて、出産の負担が軽くなったのです。

 そのように神様に守られて、去年の8月26日(水)午後7時23分に、賛(たすく)くんが誕生しました。

 出産後、すぐに家内にメールが届きました。「⒎時半頃、産まれました。生きています。息しています。NICU(新生児特定集中治療室)にいますが、無事です。」神様が命を与えてくださったのです。

 賛(たすく)くんは、いろいろな障害をもって産まれてきました。目と目の間に、鼻があって、視力はほとんどありません。また、呼吸もできず、入院中は、人工呼吸器に頼ってきました。しかし、神様は、たすく君をお守りくださり、奇跡的な御業を進めてくださったのです。人工呼吸器をつけたままでは、退院することができなかったのですが、手術をして呼吸が自分でできようになり、退院して家族で過ごすことができるようになったのです。

 あれから、1年半がたちました。一年以上生きる確率は10%と言われていた、たすくくんが、今生かされているということも奇跡です。それにも増して、たすくくんを通して、同じような傷害をもって苦しんでいるお母さん方が集まるようになり、多くの人との出会いが与えられ、良き証人として用いられ、たすくくんが生きていることで、同じような傷害を持っている両親の、励ましと力になっているのです。

 みなさんに、祈っていただきたいのですが、今たすくくんは、8㎏ですが、10㎏になったら、心臓の手術をするそうです。その手術が守られて、なお、良き証人として用いられていくように祈ってください。

 たすくくんのために教会では祈っていますが、一人の存在が、どんなにかけがえのない大切な存在であるかを教えられています。

 「エッサイの株」を用いて、素晴らしい御業を成してくださる神様は、どんなに小さな私たちをも用いてくださるお方です。

 どうでしょうか。自分には、弱くて力もなく、財産もないし、才能もないとなげいておられる方がいらっしゃらないでしょうか。

 けれども、心配しないでください、神様は、そのようなあなたを必要としておられるのです。そして、「エッサイの株」を用いて素晴らしい御業をなさった神様は、あなたを通して、素晴らしい御業をなそうとしておられるのです。

 最後に1節をご一緒に読みましょう。

「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる。」

 「エッサイの株」から出た、救い主がクリスマスにお生まれになりました。

 この日を心からお祝いしましょう。

 そして、イエス様を心の真ん中にお迎えして、平和を実現する平和の道具として用いていただきましょう。

 


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Illustration by c-awase